辛口オーディオコラム

column 02 「拘りの功罪」
 ある分野の本を、毎日10分間ずつ、10年読み続ければその道の権威になれるという話を聞いたことがある。
 一方、中学の時に先生から「法師になろうとして、馬乗りになるなかれ」という話を聞いたこともある。この話は、古代中国で「法師の資格を得ようとして騎乗の練習をしているうちに、何時の間にか一生をそれに費やしてしまうこと」を戒めたものであるが、拘り(こだわり)にはこのように功罪がついて廻る。
 しかし、よく考えてみると世の中の進歩というものは、「拘り」によって支えられてきたのではなかろうか。
 飛行機にしろ、蓄音機にしろ、伝記を読む限りにおいては、皆そうだ。
 最近、何か斜に構えて、拘る人間を野暮ったいと軽視する風があるが、これはとんでもない間違いである。もっとも、酒席でしっこく絡むというのは一寸別だ。
 良い意味での拘りこそが進歩の原動力であるから、オーディオ界でも是非大切にしたいものであるが、些かどうも、というものがないでもない。一例を挙げよう。
 300Bという真空管が依然として大人気で、銘柄によっては1本10万円近いのだそうだ。そして、愛好家は300B以外はオーディオ用真空管ではないみたいな言い方をする。而して信仰と高値が罷り通り、初心者は渇仰する。
 小生の感ずる不可解は、300Bだとそれほど「良い音」がするのだろうかという事である。この球は直線性がよく、オーディオ用として素性の良い球だということは小生も知っている。しかし、アンプの音がそれだけで決まる訳でもないし、他の真空管でももっと良い音のするアンプが在ると思っている。
 仮に、300Bのアンプが常に他の球アンプより良い音がするというのならば300Bに拘ることは正しい。そうではなくて、300Bアンプと同等、もしくはそれ以上の音がするアンプが在るとしたら、300B党はどんな態度をとるだろうか。もしも、それでも矢張り300Bと言うことになると、「アンプとはそも何ぞや」ということになる。
 「黒い猫でも、白い猫でも、鼠を捕る猫は良い猫だ」と或る中国の指導者が言ったと聞くが、この伝でいくと、「どんな球でも、良い音がするアンプが良いアンプ」である筈である。もし、そうではない、という反論があれば聞かせて貰いたいものだ。
 「拘る」にあたって、小生は次のことに拘る
1. 理由がきちんとあるか
 心情的な拘りならばそんな理由などは勿論不要である。ただし、そのような事柄ならば、少なくとも小生は口には出さない。司馬遼太郎を読む理由はあるが、池波正太郎も読むとは、あまり人には言わない。
 JBL社のパラゴンは或る時代における銘器であったが、音的には現在も通用するというものではなく、もしも、「音的に今でも最高」と拘るとすれば、アナクロニズムとしか言われない。心情的にあの姿から別れられないと言うのならば、己れ自身の秘事として黙っているのがよく、人様に宣伝するのは止してほしい。初心な人は惑わされかねない。
2.客観的に眺められるか
 拘っている事柄を、客観的に眺める姿勢を持っているか。客観的というのは、その拘りに「義」があるかという意味にとってほしい。飛行機にも蓄音機にもそれがあったし、クオーツの時計にも電卓にもそれはある。宇宙の先をどんどん行ったらどうなっているのだろうかと長年考えることにも、多分それはあるのだろう。そんな目で、自分の拘りを、時に振返る姿勢があるべきではないか。
 自由な発想こそがアマチュアの特権である。専門家は計画性を大切にするからどうしても既成概念に縛られがちになる。その代わり失敗は少ない。多ければ専門家失格の烙印を捺されるからその厳しさは真剣勝負である。
 何度失敗しても気楽なのがアマチュアの特権とは言うものの、活字になって発表される場合は社会的になにがしかの責任が発生する。真似する人が出てくるからである。
 もし仮に小生が300Bに拘るとしたら、周辺素子の定数は変わっても同一回路で他の真空管のアンプも製作し、電気特性の比較、完全なブラインド方式のヒアリングを行なってから論ずる。
                  

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