辛口オーディオコラム

COLUMN 03  「銘器」
 銘器と呼ばれるものが世にある。日本刀なら正宗、戦闘機ならゼロ戦という具合である。
 オーディオの世界だと、まず思い浮べるのはダイヤトーンP−610型の6.5吋シングルコーンスピーカであろう。最近ようやく生産を終了したという記事を読んだが、小生が昭和28年に放送局に入った当時に、既にモニタースピーカとして活躍していたから、かれこれ40数年ということになる。途中何度かの改良があったとしても、同じ型番で通せるものを製造した意義は非常なものだ。設計者の功績を讃えたい。
 外国にはカメラでそれに似たようなものがあるという話を聞いたことがあり、また、家具など、何世代にもわたって使い継がれると聞く。このあたり、即ち、「末代もの」という評価を得られる製品を造るという熱意は、どうも近代の日本人には不得手なのだろうか。先のP−610型スピーカは珍しいケースのように思えてならない。
 善かれ悪しかれ、理由はモデルチェンジに行き着く。自動車のモデルチェンジがようやく4年から5年周期になったようであるが、オーディオ界も少しはゆっくりするようになるであろうか。なにせ、オーディオコンポのモデルチェンジは目まぐるしかった。その流れは次のようになる。
@ メーカーは秋のオーディオ・フェアに向けて各社とも新製品を用意する。
A オーディオ雑誌はこぞって新製品を紹介し、「改良の結果、かって見なかった最高の機能と性能」という賛辞が付くことが多い。また、解説記事にもする。これは即広告収入に連動するから、熱も入る。
B 年末には「・・・大賞」という称揚制度もあるが、新製品でないものはその機会に恵まれない。
C PRの多い製品は売りやすいので、販売店も新製品に力を入れる。
D ユーザーも新しく付加された新機能とPRに促されて新製品を購入する。

 ここで、@に戻ってサイクルは完成する。
 となると、オーディオ・コンポの世界では、新製品以外はすぐに忘れ去られる運命にあると言って過言ではない。これではロングセラーの銘器の育成などは覚束ない。
 功の方を眺めると、モデルチェンジの度に、なにがしかの技術進歩があるから、その効果が宣伝ほどでないにしても結構なことである。
 しかし、である。これで本当に幸せなのかね。
 ユーザーの立場で考えてみると
@ 去年、ようやくにして購入したCDプレーヤが、今年の新製品に比べて、そこかしこに改良の余地のあったものだと極め付けられたら、こいつは癪だ。 
A 来年に新製品が出るとしたら、それまで待つのが賢明ということかも知れぬ。しかし、来年になれば再び来年ということになる。一層のことLPに限定したら、現用のプレーヤが最後の製品だから悩むことも無くなる。LPしか聴きませんというのもカッコいいか。
 仏教の方では、飽くことなく飢餓の状態に置かれることを「餓鬼道」に落ちると言うそうな。新しいものにこそ「良い音」があると信じ始めると、買えども買えども餓えは治まらないであろう。
 救いは只一つ、本当の「良い音」をしっかり把握することだ。メーカーや評論家が良いと言っても、別に慌てることはない。自分の耳が納得したときに決心すればよい。
 問題は、如何にして信じられる耳をつくるかだが、次の方法をお薦めする。
@ オーディオとは機械技術、電子技術、音響技術の延長上にあることを確信し、合理的、物理実験的な評価法に徹すること。
A 音楽を心情的に聴かず、音片として聴くことに徹すること。
B 如何にして「良い音」を出すかについて、筋道の通った展望を持つこと。根本にある理念がぐらついては良い音には到らない。そのためには、ひたすら技術知識の習得に励まなければならない。

 如何にも技術屋的発想といわれそうだが、オーディオ機器が工業技術の生産物であることは紛れもない事実だからである。
 ただし、これは再生に関してのみの話で、ソフト製作者の「良い音」は別にある。
            

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