辛口オーディオコラム
column 06       「原音の所在
 原音とは何か、それは何処にあるかという議論は、最近はあまり話題 にならなくなった。オーディオ人の意識が高まって周知のこととなった結果なのか、逆にレベルが低下してそんな議論も難しすぎると敬遠されての結果なのかはよく分からない。事実はどうも後者のようにも思えるのだが。

 この原音の所在を改まって考えたのは、先日あるスタジオで行なわれた「サヌカイト」という石で造った楽器の録音を見学に行ったとき、マイクの種類、距離、スタジオの大きさ、等で調整室のモニタースピーカーから聴こえる音が様々に変化し、プロデューサーがどの音を採用するか面白かったからである。

●  原音とは誰かが発した音を指すという素朴な定義が基本にあって、それをオーディオ再生に適用してみると「元の音」「本当の音」「正しい音」などのニュアンスを含むようになる。そして、その延長上で「原音再生」なる言葉が使われる。
 この「原音再生」なる言葉も最近あまり耳にしなくなった。これは全く嘆かわしいことで、大いに慨嘆するが、これこそがオーディオ技術の目標である。 
 小生は何十年来の「原音再生派」であるが、何時か「原音原音と言うが、コンサート・ホールで演奏を聴いたって席によって音は同じではない。どこの音を指して原音と言うのかね」と反発されたことがある。故人になられた大先輩であったが、これは定義の仕方をきちんとしない時の話で、例えば「何処のホールの中央最前列」という具合に条件をきちんして、そこに耳を置いて聴いた音とすれば原音の定義は成り立つ。

●  問題は、マルチマイクで収音したレコードの原音である。耳を分散する訳にはいかないから困ったことになり、原音不存在説が出てくるが、なに、その場合は「レコードに記録された信号」を原音とすればよいだけで、それを忠実に再生することが原音再生である。
 そうすると、次に出てくる議論は「その原音を誰か聴いたことがあるか」となる。
 勿論、原音再生可能装置があれば聴ける訳だが、出てきた音が原音だと証明出来なければならない。全くの「卵と鶏」である。そこから、悲観派は現実的な「記憶音満足派」に転向する。

● 記憶音とは小生が勝手に名付けたものだが、仮にバイオリンの再生音を評価するとして、自分の記憶の中にあるバイオリンの音と比較し、良否を判定しようという方法である。となると、人間の記憶などそれほど確かではないから、考える迄もなく相当にアバウトな評価になることは間違いない。しかし、一番手っ取り早い方法だし、ベテランと称される、あの人の評価です、と言われると反論もまた難しい。

● そこで、原音を横に用意して、その都度比較しながら再生音を評価すると、記憶の曖昧さがなくなって飛躍的に精度は向上する。これが「原音比較法」である。その例を挙げてみよう。
 一番簡単なのは直流の掛かっていない場所の結合コンデンサーである。短い銅線でショートした時の音を原音として、コンデンサーを通した音を「そのコンデンサーの音」と評価すれば良い。小生が何度か実施したコンデンサーの音質評価はこの方法である。

 では、いよいよ肝腎の「レコー ド」に入っている音の記録、即ち原音の証明、となるとことは少し面倒で、別の方法で「原音再生が可能な装置」と証明した装置で聴いて、それを原音とするしかない。
  すなわち、振幅軸、周波数軸、時間軸の各方向において、理論通りの動作をしていることを確かめ(物理特性)、次いで、スピーカ設置場所に楽器を置き、可能なかぎり忠実度の高い録音装置で録音した音を再生し、録音時にリスナー席で聴いていた時の音と比較、確認する(聴感特性)。
 勿論、この方法も完全とは言えない。しかし、実際にやってみると、現在の機械はかなり忠実度が高く、単一楽器ならば相当に「原音録音」「原音再生」ができることが分かる。まあ、案ずるより生むは安しというところか。

 昔、「原音とは調整室の音である」と喝破した人が居たが、レコード造りの場合は、即ち、プロデューサーの意識はそうであっても、そこのモニタースピーカの原音再生能力はどの位かしらん、などと考えると神経がくたびれる。
         

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