辛口オーディオコラム

column 07          「目明き千人」
 次に盲千人と入れてこの対句は完成する。中には目明き十人盲千人などと悲観的な人もいる。
 世の中には、分かる人の数ほど分からない人間が多い、と嘆くときに使うし、周りには分からず屋ばかりだが、いや、きっと世の中には分かってくれる人も居る筈だと自分を慰める時にも使う。画家や音楽家で、その生きていた時代には評価されず、失意のうちに死んで百年後にもてはやされるようになったなどという話は世に多いが、今でもきっと有るに違いない。

●  オーディオの世界では、「DL103」というカートリッジなどがそれに近い経過であった。最初は「蒸留水のように味もそっけも無い音」という評価だったと聞く。それが暫らくしてから、カートリッジのリファレンス器みたいな称賛を貰うようになったのは、設計者にとっては幸いであった。もっとも、小生はその後継機の303、305、1000等の方をずっと高く評価するが。
 逆に悲劇的だったのはナガオカ社のリボン型カートリッジ「JT−RV」で、出力が40μVと低かったために遂に高い評価を得られずに終わった。
 40μVでは、その当時のヘッドアンプ製作技術ではリボン型の能力を出し切れなかったためである。小生の試聴室でも特製のヘッドアンプを製作してようやく使いこなせるようになった。そして、それによって現在でも小生の試聴室の標準装備になっている。
 その分解能力、微小レベルの再現能力、音のリアルさの表現力など、現在まで、これに近いカートリッジは他に2種程しか思い浮かばない。
 これほどに優れていても、アンプ技術の進んでいなかった時代には一部でしか高くは評価されなかった。
 やや似た話で、B&K社の音響測定用のマイクが、クラシックの録音に使われ始めたと聞く。測定用のマイクは、ともかくf特のフラットネスが身上だから、それこそ蒸留水のようなものだろう。勿論、本来はこれが一番の筈なのにアナログ録音時代は積極的には使われなかった。デジタル時代になって無用の味付けの必要がなくなり、漸く本道に戻ってきたのか、何れにしても目出度いことに違いない。

●  「目明き千人・・・」にはこんな体験もある。
 あるレコードに、五万円のバイオリンと、三百万円位のものとを同一演奏者が同一曲を弾いたバンドがあって、三十人程のオーディオセミナーで聴いてもらったことがある。どっちが三百万円に聴こえますかと質問すると、答えはちょうど半々であった。
 オーディオのセミナーであるから、楽器にも音にも勿論素人ではない。にも拘らず、評価が割れるということは、これぞまさしく明盲千人ずつなのである。自作のアンプの音を評価して貰えなくても悲観するにはあたらない。
 ただし、十人が十人、同じポイントを難点と指摘するときは、やはり欠陥があると考えざるを得ない。それでも頑張るとなると自分の価値観と周囲のそれがはっきり異なるのであるから、棲む世界を換える必要がある。

●  価値観の話は難しい。A氏は分解能の優れた、繊細さ、透明感の良い音を良しとする。ピンコードで言うと芯線の細い低容量型の音である。
 B氏は音のエネルギー感、迫力の表現を良い音の第一条件に挙げる。ピンコードなら、芯線の太い、低抵抗型である。
 両氏がそれぞれ持論を展開しても多分埒は開かないに違いない。
 となると、音の評価を仕事とする評論家の立場の人が、どんな音を
「良い音」として評論を展開しているのかが、読者の側からは大きな問題になる。

 小生は、高忠実度再生においては、次のように、その点を明確にしてから話を進めることにしている。
1. 音のバランス
 不自然さがないかを先ず見る。周波数特性に直結する点である。
2. 音域の広さ
 特に低音の限界に注意する。
3  分解能
 繊細さ、透明感につながる。
4. 鮮度
 採れたての野菜や魚のように、瑞々しさが保たれているか。
5. 迫真力
 本物のピアノ、ドラムスなどの迫力があるか。スピーカやアンプの
 出力性能が問われる。

 番号順に優先順位である。
 
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