小生はオーディオコンサルタントという職業柄、沢山のオーディオフアンの装置を見てきた。自然、その部屋と装置の欠点は、音を聴かなくてもおよその見当はつく。ただし、仕事で訪れたとき以外、例え気が付いてもそれを言葉に出すことはしない。
ところが、他人様の出している音について、遠慮会釈なしに批判をする人がいて、思わずその人の顔を見ることがある。
他人の家に行って、その家の奥さんや子供の批評をする等という人はまず見かけないが、オーディオ人のシステム批判は結構見かけるから不思議である。所有者にとっては、それこそ目に入れてもと思い込んでいるシステムのあら探しをズケズケとやられて、
もし、貴方ならば嬉しいですか。
この心理は劣等感の裏返しと思われるが、どう考えても感心したことではない。すなわち、自分の出している音に自信がないときは、周りの人の足を引っ張って、自分と同じレベルまで引き下げれば気が済むという、あの論理であろう。
こんな小話がある。ある男の隣の家の雌牛は乳の量が多く、その家は裕福だった。神様がその貧乏な男を憐れんで、お前にもあのような雌牛を与えようと言うと、その男は「それより、隣の雌牛を死なせて下さい」と言った。
● 古来、慎み深い種族とされてきた日本人が、どうしてこんな輩を生み出すようになったかという理由は、テレビと専門誌の影響による「一億総評論家化」現象にも一端があろうが、或いは礼儀を弁えるという習慣が何時の間にか廃れてきたのか。いい大人が電車の中で劇画雑誌を開いているようじゃ世も末か。
しかし、それでも一応「音を聴かせて戴く」ときの心得を説明しよう。
1. 出される音は一所懸命に聴く。よく、短時間聴いてすぐによそ見をしたり、装置の話を始める人がいるが、これはいけない。亭主(招待主のこと)が音を止めるまではきちんと聴く。
2. 装置のラインナップは、何曲か聴いてから、訊ねること。最初からそれを聞いては、その先入観の上にヒアリングをされるようで、亭主は不愉快であろう。
3. いよいよ感想を述べる段になったならば、感心した点だけを上手に並べる。決して欠陥を指摘してはいけない。ただし、トンチンカンな褒め方をすると恥をかく。
4. 何にも言わないのは大変失礼である。物を戴いて礼を言わない人がいるとは思えないように、音を聴かせて戴いたならば「いや、大変結構な音でした」位のことは述べるべきで、それがお礼である。
5. 聴かせて戴く以上は、そこの音に対して十分な関心を持っていることを示すことが望ましい。具体的には、愛用しているCDなりLPなりを持参して、自分が普段聴いている音より「こんな処が素晴らしい」と感想をまとめれば亭主も喜ぶ。
● 小生のオーディオ・コンサルタントは職業なので、仕事として依頼された時以外はその家の問題点を指摘するようなことはしない。しかし、親切な隣人は2、3曲聴いてすぐにも欠陥を指摘し(それが正しいかどうかは別にして)、改善案を出して呉れる。中には、音を出す前に装置を一瞥して「あ、このアンプは交換したほうが良い」などと断言する手合いもいる。「ゴルフ上達の最大の敵は貴方の友人である」という言葉があるが、この手の「教え魔」がオーディオの世界にもいること勿論である。
● 大抵のオーディオ人はそれなりに天狗であるから、滅多なことでは、自分から「どこか改善する点があるでしょうか」などとは言い出さないが、もしもそう聞かれたら、遠慮がちに自分の意見を述べてかまわない。
ただし、その時も「低音が出ていません」などとはっきり言うものではない。「ハイエンドが十分広いので、もう少しローエンドが伸びるともっとバランスが良くなるように思えるのですがどうでしょうか」と柔らかく言うのが大人というものである。
● 基本にあるのは他人様のシステムと、それに注ぎ込んだ亭主の情熱に対する敬意である。決して貶してはいけません。「己れの欲せざる処を人に施すこと勿れ」は孔子の言であるが、以外に無思慮なオーディオ人を見かけることがあるので、一寸苦言。 |