| column 17 「CDハプニング」 |
| 小生ほどの歳になると、あんまり驚くことはなくなるが、それでもいつぞやの「CD音程不定論」にはびっくりした。 事の起こりは、元音楽教師の富田某氏が朝日新聞に投稿して「CDの再生音楽は生演奏やLPと違って音程が狂って出てくる」と主張したもので、CD生みの親の中島平太郎氏などが聞かれたら真っ青になりそうな話である。天動説の時代に地動説が出されたときにも、きっとこんなふうに驚いたに違いない。 しかし、この説が、富田氏のとんでもない思い違いに起因するものであることは、稿の最後まで読まなくてもはっきりするが、ここで興味をそそられたのは次の3点である。 @ CDの音に不審を抱いた富田氏は、CDの音程を確かめるのに、CDの中のピアノのラ音(440Hz)と、電子楽器の同じ音を耳で比較し、440Hzでないことを知ったという。しかし、その比較手段が正しいということをどのようにして確信したのだろうか。 A この説は2度にわたって日本音楽教育学会で発表したという。この学会は富田説の信憑性をチェックしたのだろうか。 メルコアジャパン付属音響研究所は「CDの音は倍音が破壊されており、実際的には基音は存在せず一定のピッチがない」と言っているが、凄い主張である。 B しかしながら、この投稿掲載は朝日新聞のマッチ・ポンプではないか、という疑いが強い。 まず、富田氏がその実験で比較に使用した電子楽器の音程が周波数カウンタで正確さを確認してあり、比較には耳でなくもっと正確な方法、例えばオシロスコープにリサジューの図形を描かせる等して行なったとすると、実験としてはほぼ間違いのない手順であると認められる。ただし、演奏に使用されたピアノのラの音(A4)が正確に440Hzであったことが前提であることは勿論である。 しかし、それらのどこかが違っていたら、とても世間に向かって出せる話ではない。 ところが、日本音楽教育学会ではこの説の発表を許し、そのあとの投稿ということになると、学会ではさしたる反論も無かったものと思われるが、この学会のレベルは一体どの程度のものなのか、或いは、音楽界の、科学技術に対する知的水準はこの程度のものなのだろうかという疑問になる。 メルコアジャパン付属音響研究所という所がどんな研究をしているかは知らないが「倍音が破壊され、基音は存在せず一定のピッチがない」とはまた凄まじい主張である。(このような話は原文を読まないとうっかり論評は出来ないが) これには驚くと同時に、これを引用した富田氏は、日本語の言葉の意味するところと、常識の間の落差をどのように整合させたのかと大きな疑問を感ぜずにはいられない。 マッチ・ポンプとは、国会等で質問をし、問題提起をしておいてから沈静化に奔走するという図式を指すが、投稿が載った途端に富田氏の説は粉砕されるのは目に見えているのに、朝日新聞がこのような非常識な投稿を敢えて載せたということは、単に一時の話題提起を狙ったものなのか。 とすると、身から出た錆ではあっても、気の毒なのは富田氏で、天下に大恥を晒したことになる。 しかし、そうではなくて、本当に朝日新聞が富田氏の説に「本当らしさ」を感じて投稿を採用したとするならば、今度は朝日が恥をかく番となる。朝日新聞には科学部なるセクションが在るはずだが。 ここで「常識」なるものの存在価値が出てくる。 常識なる言葉は、いかにも胡散臭い言葉で好きではないが、その人物の過去の集大成という言い方も出来る訳で、小生は軽視していない。朝日の投稿の採用係がどんな人かは知らないが、大衆がCDの音楽をを受容しLPを放棄した現在において、音程の正確な再現能力がないというCDシステムの欠陥を知らずに使っているという程に、音楽愛好家は馬鹿だと思っているとは想像しにくい。 となると、やっぱりマッチ・ポンプですか。それにしても、なにがしかの惻隠の情があれば、いかに投稿とは言え、没にすべきではなかったか。採用した編集部の意見を聞いてみたいものである。 それとも池に石を投げ込んで、波紋の広がりを北叟笑んでいただけなのかね。 |