辛口オーディオコラム

column 23     「現代スピーカー慨論」
 「慨」は慨嘆、嘆き節である。ステレオサウンド社 の
「イヤーブック‘99」を開いて、改めて落ち込んだ。
 スピーカーシステムは1014機種、別にウーハーシステムが10 2機種載っている。この1014機種の殆どは小型システムで、民生用にして手頃な、 かつ、真っ当な姿のシステムは
◆ DS−8000 三菱
◆ DS−V5000 三菱
◆ Scepter 1001 オンキョー
◆ SS−GR1 ソニー
◆ 4344  JBL
◆ The Maidstone KEF
◆ DBL Loudspeaker ネイム・オーディオ 
あたりしか見つけられない。勿論、超大型、超高価格のものが無いではないが、それらは民生用の限度を超える。あるいは業務用やモニタースピーカーの分類に入ってツイーターが付いていない。それ以外は小型システムの大群で 、まさに一山幾らという感じである。
 もう一度民生用のスピーカーに要求される性能を考えてみる。
@ 十分な音量(伸びやかさ)
A バランスの良さ(ナチュラルさ)
B 再生音域の広さ(大口径ウーハーの必要性)
C 指向性の広さ(ツイーターの必要性)
D 透明感の良さ(歪み感、混濁感の少なさ)
E 鮮度と迫真力
 人によっては更に「低音の軽さ」とか「立ち上がりのスピード感」 などと高度の要求をするかも知れない。
 このような観点から小型スピーカーを眺めると、高忠実再生を前にしてはとても歯の立つ話ではないことが理解できよう。
 反論は当然あって
▼  メーカーが、よく売れる価格帯の小型ブックシェルフタイプを造って利益を上げることは善である。売れないものを造らねばならぬ義務はない。
● それはそうだ。売れないものを造って倒産しては元も子もない。だがしかし、会社全体でなにがしかの利益が出ているのならば、或いは不採算の額が多寡の知れたものならば、社会の必要としているものを供給するのが、義務とは言わないが、義理くらいはあるんじゃないかね。
▼ クラシックを意識したスピーカーだけがスピーカーではない。流行の音楽をそこそこ聴ければ問題ないでしょう。
● 「そこそこ」で満足できるなら勿論とやかく言う筋合いはない。場合によってはポケットラジオだってそこそこ音楽は楽しめる 。しかし、音楽の土台を構築している低音が不十分であっては、それがクラシックであろうとジャズ、ポップスであろうと音楽家の意図した音楽の姿を変えてしまう。それで良いわけがある筈がない。そこそこに満足できないが故のオーディオ道楽であろう。
▼  小型システムには低音増強ウーハーと高音用スーパーツィーターが別に用意してあります。
●  用意してあるから御自由にというのは、そりゃ不親切というも のだ。まさにそこそこのウーハーとツイーターで構成した2ウエイに低音をスーパーウーハーで補強し、高音にはこれもまたスー パーツイーターを付けたとして
@ 音域が広がっても、それに見合った音圧レベルが出せるか。
A クロスする部分の整合は大丈夫か。
B 補強パートのメーカーが違った場合、音色のつながりに違和感はないか。
など、相当に悩ましい問題に突き当たる。不親切と言う所以である。 このように考えてくると、正々堂々と必要なだけの、すなわち、3 ウエイ、4ウエイを真っ正面から設計したスピーカーを供給して貰いたいというのが当然の要求になってくる。それが往事に比べていかにも寂しい時代になった。

  落ち込みのもう一つは、三菱の撤退である。トピックス欄にも書いたが、ダイヤトーンブランドは戦後の日本のスピーカーの良心であった。
 局用モニターの2S−305から始まって、スピーカー設計技術の集大成とも言うべきDS−V9000、その普及版DS−8000は、これこそが日本のスピーカーとして、小生などは心中密かに誇りに思っていたものである。当然「スピーカーは何が良いですか」と聞かれれば、躊躇無く推薦してきた。
 撤退の理由はスピーカー部門の採算が取れないためと聞いたが、まさか大三菱の屋台骨が、スピーカー部門の赤字ぐらいで揺らぐとは考えにくいし、時勢には勝てずですか。そしてその時勢を今日あらしめたのはシェアの低下、畢竟それはオーディオフアンの耳の低下ですか。

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