辛口オーディオコラム

column 60 「音楽の楽しみ方」 1/15
 音楽の楽しみ方は人それぞれで自由なのであるが、時として自分の方法だけが勝れていると思い、それを他人にも奨めようとする。
 それはそれで構わないのであるが、その手法に十分な根拠がなければ周囲の人は迷惑もするし、時には騙されたと憤慨する人も出てくる。以下は時折見かける独りよがりの例である。

【音楽はポケットラジオでも楽しめる】

 オーディオの「目的」には、既に何度も説明しているように「良い音で音楽を楽しむ」という定義がある。ポケットラジオは残念ながら良い音とは言い難い。では、ポケットラジオで全然音楽を楽しめないか、と言うとそれも当たってはいない。ある条件では確かに楽しむことが出来る。その条件とは
1.無性に音楽が聴きたいというとき。
 それしかないとなれば、ポケットラジオでも音楽を楽しむことが出来よう。丁度、空腹の時には食物の味は二の次になるようなものだ。いわゆる落語の「目黒のサンマ」 である。
2.その曲を知悉しているとき。
 その曲を十分に知っているときは、記憶が補完して楽しみをつくってくれる。
 或いは「唄は世につれ」という言葉のように、付随する記憶を楽しむということもあろう。それも楽しみには違いない。

 このように、ポケットラジオの再生音は、品質としては最下層のものではあるが、特殊な条件下では「楽しむ」ことが可能である。しかし、それ以外の多くの場面では無力なのである。

【オーディオ装置の再生音は所詮生演奏音には敵わないのだから、適当でよい】
 
 この意見は、時に音楽家の人たちから聞かされることがある。しかし、これも間違い。
 オーディオの効用は
1.時間の自由度
 録音しておけば、好みの音楽家の演奏を、例えそれが故人の演奏だあっても、好きなときに取り出して鑑賞できる。その時、もし、生演奏に極めて近い音が得られればこんなに有り難いことはなかろう。
2.場所の移動の自由
 日本で、居ながらにして諸外国の音楽家の演奏を楽しむことが出来る。こんな有り難いことはなかろう。その時に適当な装置で、適当な音質というのは何とも勿体ない話である。

 いずれにしろ、音楽の情報(レコード)があるとしたら、それを100%引き出すのが当然ではないか。そのために十分な音域、十分な音量、高品質な再生音が求められるのは当然である。

 アマチュアのオーディオファンには勿論種々の制約がある。しかし、そのことは努力が適当でよい、という理由付けになるものではない。与えられた条件下で、如何に目標に近づく努力をするかである。それが真っ当なアマチュアリズムであろう。    

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