史料リスト・鎌倉時代−記録−

 日記、公日記、旅行記など

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史料名著編者成立年代/略説明刊行本史料所蔵機関
仲資王記仲資王1177年(治承元)〜1213年(建保元)−現存分より−/神祇伯仲資王の日記で当時の神祇に関する貴重な史料。仲資王は神祇伯顕広王の子『続史料大成』
明月記藤原定家1180(治承4)〜1241年(仁治2)か/定家は歌人として有名だが、この日記には文芸以外にも政治状況、有職故実、人物動向、天文関係の記録がある。鎌倉幕府初期の出来事を知る上で貴重な史料の一つ。冷泉家の原本の他、写本がある。『明月記』(国書刊行会)、『史料纂集』時雨文庫、東京国立博物館、京都国立博物館、大阪青山短期大学他
後京極摂政記九条良経1190〜1204年/別名「殿記」『史籍集覧』
鶴岡社務記録不明甲1191(建久2)〜1336年(建武3)、乙1336年(建武3)〜1355年(文和4)/鶴岡八幡宮社務の記録で、甲と乙の2種類がある。このうち甲は鎌倉時代全般の記録だが、乙は社務19代頼仲の一代分のみで、主観的な文体になっている。首分と尾分が欠失。乙を記した人物が甲をまとめたとも考えられる。内容は社の記録の他、幕府政務記録、鎌倉市街の様子、事変や災害など多方面に渡っている。『鶴岡叢書』『続史料大成』『改訂史籍集覧』『神道大系』『文化大学史誌叢書』鶴岡八幡宮、東京国立博物館、東京大学史料編纂所、静嘉堂文庫、彰考館など
中臣祐明記中臣祐明1193(建久4年)〜1210年(承元4)−現存から推定分−/春日社の神事日記(春日社家日記)で、歴代の祠官が記す。春日社の記録を中心に当時の南都、及び畿内の出来事を記す。祐明は若宮神主で祐重の嫡男。写本3冊。『春日社記録』『増補続史料大成』千鳥家蔵
三長記藤原長兼1195(建久6)〜1211年(建暦元)−現存分から−/長兼は中納言。朝廷の出来事が記されているほか、有職故実関係が見られる。この日記は欠損がひどく、まとまっては残っていない。抄出本として「東進記」(東宮権大進時代の分を抄出したもの)がある。別名「長兼卿記」「如天記」「清白記」など『増補史料大成』『大日本史料』『続群書類従』内閣文庫、宮内庁書陵部、国立国会図書館、京都大学など
平戸記平経高1196(建久7)〜1246年(寛元4)−現存分−/題名は「へいこき」鎌倉時代の京の朝儀や政治状況、京の様子など多方面に詳しい。視点が京にある貴重な史料。『史料大成』『増補史料大成』『大日本史料』(逸文)宮内庁書陵部、内閣文庫、国立国会図書館、東京大学史料編纂所、神宮文庫、陽明文庫
猪隈関白記近衛家実1197(建久8)〜1235年(嘉禎元)?−現存分から推定−/家実は土御門、順徳、後堀河3代の摂政・関白。題名は居住地「猪隈殿」(六条猪隈小路東)にちなむ。朝廷に関する記述が多い。承久の乱時代の人物だが、乱の前後の記録は一部しかない。『大日本古記録』陽明文庫
業資王記白川業資王1199〜1218年/『続史料大成』(伯家五代記)『伯家記録考』
玉蘂九条道家1207(承元3)〜1238年(暦仁3)/道家は九条兼実の孫で将軍九条頼経の父。摂政氏長者でのち関白。日記の内容は主に朝廷の儀式について。一日一日が長文だが、清書したものと言われる。自筆本はない。『玉蘂』(思文閣)内閣文庫、陽明文庫、京都府総合資料館
仁和寺日次記1210〜1222/『続群書類従』
順徳院御記順徳天皇1211(建暦元)〜1221年(承久3)−推定−/朝廷の行事や周りで起こった出来事を感情を込めて記している。連続しては現存せず。別名「人左記」(佐渡に流されたことから佐渡院と呼ばれ、「佐」の字を分解して付けてある)『増補史料大成』『改訂史籍集覧』『列聖全集』宮内庁書陵部、内閣文庫、東山御文庫、東京大学史料編纂所など
後鳥羽天皇宸記後鳥羽上皇1212(建暦2)〜1216年(建保4)−現存分−/後鳥羽院政期の上皇の日常記録。散逸しており部分的にしか残っていない。別名「林鳥御記」『増補史料大成』『改訂史籍集覧』『列聖全集』『宸記集』『歴代残闕記』宮内庁書陵部、内閣文庫、東京大学史料編纂所、東洋文庫ほか
岡屋関白記近衛兼経1222(貞応元)〜1257年(正嘉元)?/兼経は四条、後嵯峨、後深草3代の摂政・関白。同時期の事件の記事などがみられるが、大部分が散逸してきちんとした形では残っていない。題名は「おかのやかんぱくき」で、兼経晩年の住居宇治岡屋荘による。『大日本古記録』陽明文庫、広橋真光氏
海道記不詳1223年(貞応元)/京に住む「出家した男」がこの年4月に京を立ち、鎌倉に赴いて滞在し、その後帰京するまでの紀行文。道中の東海道を中心に記されている。『群書類従』『海道記総索引』『海道記全釈』
民経記藤原経光1226(嘉禄2)〜1268年(文永5)/朝儀や政治的な出来事を記す。原本48巻のほか写本などが現存している貴重なもの。別名「経光卿記」「中光記」『大日本古記録』『改訂史籍集覧』(一部)『続群書類従』(経光卿改元定記)国立民俗歴史博物館、内閣文庫、宮内庁書陵部、下郷共済会
中臣祐定記中臣祐定1229(安貞3)〜1246年(仁治2)−現存分−/春日社家日記。春日社の記録を中心に当時の南都、及び畿内の出来事を記す。祐定は若宮神主で祐明の嫡男。『春日社記録』『増補続史料大成』千鳥家、お茶の水図書館
洞院摂政記九条教実1230(寛喜2)〜1233年(天福)/当時の九条家の動向を記した内容。九条教実は道家の子で22歳で左大臣、関白となったが、道家の権力が継続する中、26歳で死去。自筆本と写本が執筆期間の内部分的に現存。『九条家歴世記録』お茶の水図書館、宮内庁書陵部
経俊卿記吉田経俊1237(嘉禎3)〜1276年(建治2)/宮中の出来事について記してある。経俊は中納言。自筆原本17巻が現存するが、元は150巻以上あったと言われる。『図書寮叢刊』宮内庁書陵部、陽明文庫
妙槐記花山院師継1244〜1274年/『史料大成』
葉黄記葉室定嗣1246(寛元4)〜1248年(宝治2)−日次記分−/鎌倉時代の朝廷の儀式や公家の動向などを記している。「葉黄」とは「葉室中納言(黄門)」と言う意味。『史料纂集』『大日本史料』『鎌倉遺文』(勘文類)宮内庁書陵部
弁内侍日記弁内侍1246〜1252年/弁内侍は藤原信実の娘。後深草天皇が皇太子であった時から仕え、この日記は即位の年から記されている。内容は宮中の出来事が主で、弁内侍の歌約200首も記されている。現存分は後半が欠落していると見られる。『弁内侍日記新註』(大修館)『群書類従』『校注弁内侍日記』『弁内侍日記新注』
仁部記日野資宣1246〜1279年/別名「資宣卿記」宮内庁書陵部
深心院関白記近衛基平1255(建長7)〜1268年(文永5)/鎌倉中期の公家の日記。内容は朝廷に関することが見られる。元から国書が送られてきたことに関する記事がある。『陽明叢書』陽明文庫
後深草天皇宸記後深草天皇1263〜1302年/『史料大成』『列聖全集』
中臣祐賢記中臣祐賢1264(文永元)〜1280年(弘安3)−現存分−/春日社家日記。春日社の記録を中心に当時の南都、及び畿内の出来事を記す。祐賢は若宮神主で祐定の嫡男。原本13冊が残る。『春日社記録』『増補続史料大成』千鳥家蔵
吉続記吉田経長1267(文永4)〜1302(乾元元)/朝儀、両統迭立に関する記事が見られる。写本がいくつかあるが、原本は現存していない。最古の写本は「大理秘記」に収録。『増補史料大成』『続群書類従』(「院号定部類」「弘安改元定記」)宮内庁書陵部、内閣文庫、国立歴史民俗博物館、静嘉堂文庫など
勘仲記勘解由小路兼仲1274(文永11)〜1300年(正安2)/宮中の儀式・礼法から社会的事件、諸制度、元寇に関する諸出来事など多方面に渡っている。また紙背文書があり勘仲記の内容と関連しているものがある。題名は著者の略称。多少欠落している。『増補史料大成』国立歴史民俗博物館
建治三年記太田康有1277年(建治3)/太田康有は問注所執事で、本書はこの年の問注所公務日記。現存本は68日分の抄録でかつては金沢文庫に保管されていた。別名「康有記」『続史料大成』『群書類従』『尊経閣叢刊』尊経閣文庫
公衡公記西園寺公衡1279(弘安2)〜1315年(正和4)−現存分から推定−/公衡は、左大臣、関東申次の職にあったため、公家と幕府の関係についての記事が多い。また当時の様々な儀礼が記されている。欠年が多く、現存状況は悪い。『史料纂集』宮内庁書陵部
十六夜日記阿仏尼1280年(弘安3)/阿仏尼は藤原為家の側室で、為家死後相続問題で訴訟のために鎌倉へ赴いたときの日記。鎌倉下向の動機、道中記、鎌倉滞在日記からなる。著者の和歌100首が載っている。元は「阿仏記」「路次記」等と呼ばれていたが、10月16日に出立したことから現在の題名へと変化していった。『群書類従』紀行部、『十六夜日記校本及び総索引』『十六夜日記・東関紀行・海道記』
中務内侍日記中務内侍1280(弘安3)〜1292年(正応5)/中務内侍は伏見天皇に仕えた藤原経子。伏見天皇の即位の記事や宮中の行事等について記してある。『群書類従』彰考館
弘安四年日記抄小槻1281年/元寇弘安の役の経過について記した日記で、戦闘の経過や異国降伏の祈祷の様子、西国支援の諸政策などを記してある。この書は後に応永の外寇が起こった際に、顕衡の子孫小槻兼治が抄録したものと言われている。別名「壬生官務家日記抄」『元寇史料集』京都大学
中臣祐春記中臣祐春1283(弘安6)〜1313年(正和2)−現存分−/春日社家日記。春日社の記録を中心に当時の南都、及び畿内の出来事を記す。祐春は若宮神主で祐賢の嫡男。子の祐臣は千鳥家初代。『春日社記録』『増補続史料大成』千鳥家、東京大学史料編纂所
実躬卿記三条実躬1283(弘安6)〜1307年(徳治2)−判明分−/両統分立時代の朝廷に関する記録。紙背文書は訴訟に提出されたもので、貴重な史料(三条実躬は蔵人頭の職にあった)。別名「先人記」「愚林記」「貫弓記」『大日本古記録』(一部)尊経閣文庫、竹田家、宮内庁書陵部
通海参詣記通海1287年(弘安10)頃/伊勢神宮の参詣者と僧侶の問答という形式で、伊勢神宮について解説した書物。通海は神宮祭主大中臣隆通の子で真言宗の僧侶という両方の立場にあった人物。正式名称は「太神宮参詣記」『続群書類従』神祇部
伏見天皇宸記伏見天皇1287(弘安10)〜1311年(延慶4)?/皇統が分裂した時期の記録で、宮中の儀式や芸能が多い。自筆原本9巻があるが、元は70巻はあったと言われる。『増補史料大成』『列聖全書宸記集』東山御文庫、宮内庁書陵部
継塵記三条実任1287〜1334年/別名「実任卿記」『続群書類従』
親玄僧正日記親玄1292(正応5)〜1294年(永仁2)/護持僧(天皇のそばで加持祈祷によってその身を守る僧侶)をしていた親玄の日記。親玄はまた醍醐寺座主で幕府とも近い関係にあった。そのため、日記の内容には幕府の政治的な動きもうかがえる。別名「醍醐寺日記」。刊本は無し。「内乱史研究」東京大学史料編纂所(写本)他
永仁三年記太田時連1295年/太田時連は問注所執事でその公務日記。そのため政治的な内容が中心。永仁3年の前期8ヶ月分のみの記録で、1482年に清原元定が写本したときには、この分のみだったと見られる。なお時連は康有(「建治三年記」の著者−上記参照−)の子。『続史料大成』筑波大学
万一記万里小路宣房1301(正安3)〜1324年(正中元)−日次記−/日次記と「一品拝賀記」が現存。後宇多天皇時代の史料。江戸時代の万里小路稙房の日記も「万一記」という。別名「宣房卿記」国立国会図書館ほか
冬平公記鷹司冬平1302(乾元2)〜1324年(元亨4)−現存分−/現存分では、改元の内容、花園天皇の即位と言った宮中の記事が多い。現存分は写本のみでしかもわずかだが、元はかなりあったと思われる。『続々群書類従』『史料大成』宮内庁書陵部、内閣文庫
後伏見天皇宸記後伏見天皇1307(徳治2)〜1328年(嘉暦3)−判明分−/有職故実、芸能関係の記事が見られる。原本は別名「心日御記」。別記、抄出、逸文が現存。『増補史料大成』『列聖全集』『図書寮叢刊』宮内庁書陵部
園太暦洞院公賢1309(延慶2)〜1360年(延文5)−原本から推定−/公賢は太政大臣まで昇った人物。幕府末期から南北朝にかけての朝廷の様相を記している。現存する自筆原本は1巻のみ。記録には123巻があったことが知られる。ほかに写本、抄本がいくつか現存している。『史料纂集』京都国立博物館、東京大学史料編纂所、歴史民俗博物館、宮内庁書陵部、内閣文庫
花園天皇宸記花園天皇1310(延慶3)〜1332年(元弘2)−現存分−/鎌倉幕府末期の政治状況、事変の記事が多いほか、学芸関係の記録もある。また自筆原本が現存していることから天皇の日記についての貴重な史料といえる。『史料纂集』『史料大成』『列聖全集』宮内庁書陵部
岡本関白記近衛家平1313年宮内庁書陵部
後宇多天皇宸記後宇多天皇1313年(正和2)〜1320年−現存から推定−/抄本が一部伝わっているが、元がどれくらいのものだったのかは不明。現在見られるものは、「伝法灌頂御授与御記」「文保三年御記」「石清水伝法灌頂御記」『史料大成』『列聖全集』国立歴史民俗博物館、仁和寺
元弘日記1331年別名「光明寺残篇」『群書類従』『太平記』(角川文庫)
光厳天皇宸記光厳天皇1332年/抄本のみ伝存し、しかも1332年のわずかな分(合計で約10日分)しかない。即位に関する記事などが見られる。別名「光厳院御記」「光厳天皇遺芳」常照皇寺

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