1937年、林銑十郎内閣が総辞職すると、元老西園寺公望は、当時若手ながら幅広い人脈を持つ貴族院議長の近衛文麿公爵を次期首相に推挙した。
成立時の基本政策は、「財政経済三原則」と呼ばれる、生産力の拡充、国際収支の適合、物資需給の調整の3つで、昭和恐慌で経済力の弱さを露呈していた日本の基盤を強くするものだった。しかし、発足1ヶ月で、盧溝橋事件が勃発。初めこそ不拡大方針を取っていたが、上海事変勃発で「暴支膺懲」声明を出して派兵、国民政府の反発を招き、日中全面戦争に突入する。
戦争拡大を受け、9月、第72臨時帝国議会を開催、臨時軍事費予算、戦時統制立法、臨時軍事費特別会計法、軍需工業動員法ノ適用ニ関スル法、輸出入品等臨時措置法、臨時資金調整法、臨時肥料配給統制法、臨時船舶管理法を続けて成立する。また11月までに内閣情報部や内閣参議、企画院を設置するなど制度を戦時体制に移す一方、国民精神総動員運動を開始、愛国行進曲を一般に公募するなど、まさに官民一丸となった体制の建設を目指した。
対中国戦争では、ドイツ仲介のトラウトマン工作が行われるが、結局妥協せずして翌38年1月16日に打ち切り、同日、「爾後国民政府ヲ対手トセズ」「新興支那政府ノ成立発展ヲ期待」との第1次近衛声明を発表して、自ら和平の機会を閉ざしてしまう。このため、国民政府は共産党の合法化、抗日総力戦を進めた。
これを前後して、大陸各所に傀儡政権が樹立、満洲国では国家総動員法が成立した。
日本国内でも朝鮮志願兵制度、陸軍特別志願兵令、改正兵役法が相次いで公布され、綿糸を最初の配給制度に切り替えた。
また第73帝国議会が開催され、4月、国家総動員法、社会事業法、陸上事業調整法、国民健康保険法、農地調整法、電力管理法などを相次いで成立させ、あらゆる方面で国民の統制管理と物資動員を行う総動員体制が始まった。
しかし、中国側はこれまでの各紛争の時と異なり、徹底抗戦を貫き、日本軍も進出が進むに連れ、戦争は長期化の様相を見せ始めた。そこで5月、内閣改造を行い、宇垣一成を外相に迎え、先の「国民政府を対手とせず」の方針を改めようとしたが、一方で軍部が中心となって進めていた汪兆銘工作(中国分裂政策)に連動した興亜院設置計画を立てるに及び、外務省は反発、宇垣一成は辞職した。
この頃、外交政策等で内閣内部の対立が拡大しつつあり、11月3日の東亜新秩序声明、それを受け妥協和平を目指した汪兆銘が重慶を脱出してハノイに行くと、「善隣友好・共同防共・経済提携」の近衛3原則を発表し、翌39年1月4日に総辞職した。
【第1次近衛文麿内閣閣僚一覧】
総理 近衛文麿(貴族院・公爵・火曜会)
外務 広田弘毅(貴族院)
宇垣一成(陸軍大将) 38. 5.26〜
近衛文麿(兼任) 38. 9.30〜
有田八郎(貴族院・研究会) 38.10.29〜
内務 馬場^一(貴族院・研究会)
末次信正(海軍大将) 37.12.14〜
大蔵 賀屋興宣
池田成彬 38. 5.26〜
陸軍 杉山 元(陸軍大将)
板垣征四郎(陸軍大将) 38. 6. 3〜
海軍 米内光政(海軍大将)
司法 塩野季彦
文部 安井英二
木戸幸一(貴族院・侯爵・火曜会)37.10.22〜
荒木貞夫(男爵・陸軍大将) 38. 5.26〜
厚生 木戸幸一(一部兼任)
農林 有馬頼寧(貴族院・伯爵・研究会)
商工 吉野信次
池田成彬(兼任) 38. 5.26〜
逓信 永井柳太郎(衆議院・民政党)
鉄道 中島知久平(衆議院・政友会)
拓務 大谷尊由(貴族院・研究会)
宇垣一成(兼任) 38. 6.25〜
近衛文麿(兼任) 38. 9.30〜
八田嘉明(貴族院・研究会) 38.10.29〜
書記官長 風見 章(衆議院)
法制局長官 滝 正雄(衆議院)
船田 中(衆議院・政友会) 37.10.25〜