阿部信行(あべ のぶゆき)
1875.11.24〜1953.9.7。石川県出身。
4高中退後の1895年士官候補生で要塞砲兵第一連隊入隊。97年陸軍士官学校卒業。陸軍大学校在学中に日露戦争に参加。卒業後ドイツへ留学する。14年陸大教官、18年野砲第三連隊長を経てシベリアに出征。関東大震災時には参謀本部総務部長で戒厳参謀長。軍務局長、28年陸軍次官。30年陸相臨時代理、台湾軍司令官と歴任し、33年軍事参議官。2・26事件で予備役。39年8月平沼内閣の後を受けて組閣。欧州戦争不介入を宣言するが、英米協調や物価の安定など政策は失敗し、政党の倒閣運動と陸軍が見限ったことで40年1月総辞職した。同年4月汪兆銘特派大使となり、日華基本条約を締結する。東条内閣成立には支持し、42年の翼賛総選挙では、翼賛政治体制協議会会長で、推薦候補を選ぶ。貴族院議員。翼賛政治会総裁。44年最後の朝鮮総督となる。45年の終戦後、戦犯指定を受けるが不起訴。戦後は、世間に出ることは全くなかった。