石原莞爾(いしはら かんじ)
 1889.1.18〜1949.8.15。山形県出身。
 1907年幼年学校、09年陸軍士官学校、18年陸軍大学校卒業。19年歩兵大尉。20年4月国柱会に入り日蓮宗信徒となる。21年陸軍大学校兵学教官。23年8月からドイツに出張。25年10月に帰国。この間ドイツのルーデンドルフの総力戦論、デルブリュックの戦史研究を学び、それを元に戦史を研究、西洋と東洋の間に未曾有の兵器を使用した最終戦争が起こりその後平和な世界が誕生するという独自の世界最終戦争論を立てる。28年10月最終戦争に備えるため志願して関東軍参謀。日本の生命線を守るためとして31年9月満洲事変を興し、満洲国建国に尽力するが、その指導方針で他と対立し、33年仙台連隊長に転出。35年参謀本部作戦課長。36年の2・26事件では戒厳参謀を務め、討伐を主張する。37年参謀本部作戦本部長。日中戦争が勃発すると不拡大方針を唱えるが支持されず。9月関東軍参謀副長となるが、参謀長の東条英機と対立し翌年8月辞職。留守京都師団長を経て41年予備役。この間39年8月に東亜ブロック形成のため東亜連盟協会を興すがうまく行かず。戦後、戦犯として起訴されず、47年5月極東国際軍事裁判では検事側証人となった。