東京日暮里繊維卸協同組合の歴史
| 大 正 |
初期 浅草方面で古繊維、栽落業者が営業していたが、 当地が市街化したので、当時まだ閑散としていた日暮里、三河島周辺に集団移動し、 以後日暮里地区に繊維業者が 集まるようになった。 |
「黎明期」 |
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12年 |
| 昭 和 |
12年 日中戦争 13年 日暮里大火 14年 日暮里地区の区画整理の後、第三日暮里小学 校周辺に20店舗程営業開始 16年 太平洋戦争の開戦 統制経済(配給制)になる。 営業停止期間 20年 太平洋戦争の終戦と同時にハギレ類の統制解除 |
「統制期」 昭和12年の日中戦争、16 年太平洋戦争による物資不足 により統制経済(配給制)に入り20 年の終戦まで営業を停止せざるを得なかった。 |
| 21年 日暮里地区で繊維業者がハギレ類の営業を再開 |
「戦後」 終戦と同時にハギレ類は統制を解除され、地元或いは裁落から転向した業者等が日暮里地区で営業を再開、 軍の隠退蔵物資、進駐軍の払い下げ品、アメリカ古衣料、羅紗裏地、ハギレ等を販売、 以後順調に拡大発展し現在の基盤を築いた。 |
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| 23年 東京フェンツ商業協同組合設立 (任意団体) |
任意団体として「東京フェンツ協同組合」を結成 |
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| 26年 東京フェンツ商業協同組合を公認団体として 正式登録 |
「東京フェンツ協同組合」を正式名称として公認申請し、 公認団体として登記される。 |
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| 31年 荒川羅紗裏地卸商睦会設立(任意団体) |
任意団体「荒川羅紗裏地卸商睦会」結成 | |
| 44年 二団体が合併し東京日暮里繊維卸協同組合を設立 合併準備委員 (フェンツ側) 魚谷、安田、佐藤、井出、野崎、大場、岩瀬 (羅紗側) 山与、関、和幸、布橋、田中、川原、本間、志目 44/11/20 東京日暮里繊維卸協同組合、定款変更 44/12/6 東京日暮里繊維卸協同組合、名義変更 (都庁により認可) 44/12/19 東京日暮里繊維卸協同組合、登記簿に登録完了 |
2 団体が合併「東京日暮里繊維卸協同組合」結成 定款変更S44 .11 .20 ,名義変更S44.12.6日付で都庁より許可 |
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| 45/01/08 東京日暮里繊維卸協同組合創立総会 (熱海赤尾ホテルにて) 総会にて会館建設案出る。 組合員に会館建設資金の積立を通知 46年 会館建設用地購入資金積立開始 49年 会館建設用地58坪購入(駐車場として貸し出す) |
「組合会館建設案」 S45.1.18日の創立総会において会館建設の案が出され、S49年:用地購入、 58坪、駐車場として営業S56:三日小改築にともない区の要請を受け売却した。 |
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| 51/04/08 青年部結成 部員76名 野球、ギター、民謡、将棋、ボーリングの5クラブ誕生 |
「青年部結成」 S51、4、8 青年部が結成された。部員76、野球、ギター、民謡、将棋、ボーリングの5つのクラブが出来、 活発に活動するも野球部を除き廃部。しかし青年部活動は年々部員減少の中、 宣伝活動、リクレーション、ファッション関連業務等に若い力を大いに発揮し組合活動に貢献している |
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| (青年部中心) 組合新聞「あおぞら」 一号発刊 | 「組合新聞(あおぞら)」 S52年第一号発刊、以後5年間組合文化活動の一翼を担い、組合員相互の情報交換、研修、教養の場として 貴重な紙面を提供しつつも第5号をもって廃刊。 |
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| 52/05/29 第一回運動会開催(第三日暮里小学校にて 53/01/15 総会 53/5/10 第二回運動会開催 54/05/01 第三回運動会開催 55/01/15 総会 56年 第三日暮里小学校改築による区の要請により 会館建設用地売却 組合新聞「あおぞら」廃刊 59/01/15総会 59/11/16 カラオケ大会(三和信用金庫会議室) 59/01/15 総会 |
「運動会」 「健康診断、レクリェーション」 |
| 平 成 |
01/02/09 02/02/09 |
「ファッションギザリング」 |