Daniel Lentz







Daniel Lentz (1942-,USA)
ダニエル・レンツの音楽を聴くときに「ミニマリズム」という言葉を思い出す
ことがあるなら、それは言葉(テクスト)を含めた音楽素材を細かく分割し再
構成するという意味で、ということになるだろう。独自のテープ・ディレイ・
システムによって、ライヴ音とプレイバックを重ね合せ、作品に録音された素
材という「過去」を織り混ぜることで複雑な(しかし錯綜ではない)視野を与
えてきた作曲家。


■ 分割・ディレイ・再構成

テープに録音された素材をミニマル的に扱うという点では、スティー
ヴ・ライヒがまず思い起こされる。ライヒの場合は切れ目のない繰
り返しとしてのテープ・ループだったが、レンツにおいては素材が
ある程度の時間を置いてから再生される「ディレイ」としてのテー
プである。
レンツが考案した録音プロセス「カスケイディング・ディレイ・シ
ステム」(cascade:滝のように滑り落ちる)では、録音内容が数十
秒を経てからプレイバックされるなど、ライヴの音と再生音とに長
い間隙を持たせることが特徴的だ。
つまりレンツのディレイとは、現在一般に音楽制作用語で用いられ
るような、ほぼ瞬時に再現される「こだま」的空間性を指向したエ
フェクトではなく、まさに「遅延する」という字義通りの、それも
長時間を経るケースも含んだディレイである。長い沈黙は次の(他
の)ライヴ音や、別の素材がディレイした結果であるプレイバック
音に埋められるべく休止なのであって、その隙間を次々に埋めてい
くプロセスによって、彼独自の複雑な(しかし時間の経過にしたがっ
てひとつの法則性* が見えてくる)響きの交錯が生まれる。

* 言葉の断片として聞こえるものが、次第に文脈を持ったテクストへと統合さ
 れていくプロセスなど。


■ プロセスの豊麗さ

レンツ作品の多くの場合、言葉や楽音の断片化は、ゆるやかではあ
るが定量リズムとして立ち現われるためにリズミックな音楽の流れ
をもたらすこと、プレイバックで再び同じ響きが聴かれることによっ
てその音楽が一聴して均質な雰囲気を持つこと、この二つの要素の
融合によってレンツの音楽がミニマル的とも言える感触を持つに至っ
ている。

彼の作曲プロセス、つまりあえて素材を断片化し再構成することが、
そう「しない」こと以上に音楽を豊麗なものへと変貌させているこ
とが、創作のエッセンスであると言えるだろう。それはパズルを完
成させる楽しみと同質の、分割されたものを再構成し完成へと向か
うプロセスの喜びといったシンプルな本質になぞらえることもある
いは許されるかもしれない。
しかし、断片が寄り集まっていく謎解きが、言葉の「意味性」を除
いた(外国語として彼の音楽のテクストを聴くなど)場合であって
も、同時に音楽としての響きそのものの美しい過程が依然として耳
に残されていることは強調しておきたい。

前述のように、レンツのディレイ・システムは一度聴いた響きをも
う一度聴く、しかし以前とは異なる他素材との組み合わせとともに
そうすることは、つまりは単線として進行する音楽ではなく、過去
の繰り返しに新たな素材が付加されていき、次第に音の厚みを増し
ていくことになる。そのようなプロセスがまさに、豊かな奥行き
(音響的そして時間的にも)を音楽を与えることになる。


■ 反復しないことへ

さて、ディレイ・システムを用いていた70年代までのレンツも、
以後の作品にはある変化が見られる。それは一度現われた音の「影」
(ディレイの結果現われる音をレンツはこう呼ぶ)による反復を伴
う音楽から、ディレイによらない作曲への転換だった。こうした近
作、特に「声楽を伴う器楽曲」(説明が難しいが、意味を持つ言葉
という点では「歌」なのだが、その扱いは打楽器的と言えるほどに
パーカッシヴである)と呼びたいスタイルの作品では、一度現れた
素材はディレイによって再現されることなく次の素材へと移ってい
くというプロセスを持つ。

ただ、実際には反復されていない要素の集合でありながら、それで
もどこかミニマル・ミュージックらしく聞こえるのは、素材とリズ
ムの細分化と急速なテンポが近作でも引き継がれていることによる
のだろう。現在のレンツは、こういった感触の作品を多く発表して
いる。また、音楽のプロセスを言葉に多く負ってきたことからも、
テクストの分割的用法とその集約による音楽の進行が現在でも重要
な動機となっていることが、同様にレンツの音楽を特徴づけている
ことにも変化はないように思われる。「刻々と入れ替わる小さな粒
の集合とその規則性」が、レンツの音楽の包括的キーワードと呼べ
るのではないだろうか。言葉という「意味」により音は統合され、
音楽は言葉を、まさに音楽的に響かせていく。




Missa Umbrarum
(New Albion,1986,1991)NA 006CD

cover

1. O-KE-WA North American Eclipse
2. Missa Umbrarum Mass of Shadow
3. Postludium Full chorus; rubbed glasses
4. Lascaus for wine glasses

1970-80年代前半の作品集。ディレイ・システムが重要な位置を占める時期。

O-KE-WA
ディレイ・システムによって言葉が繋ぎ合わされていく間隙を埋める、3つの
響きが美しい。言葉のパズルが完成に向かうプロセスのバックグラウンドには、
タムタムによるパルス、ドローンのような響きの帯として聞こえるほどに空間
を淡く埋めつくす無数の鈴と、日本の玩具の太鼓(でんでん太鼓が、まさにこ
の音である)のような音が横たわる。女声のふわりと上昇する旋律線の交差が
際立って眩惑的な作品。

missa umbrarum
「影のミサ」。'umbrarum'つまり現代英語では例えば'umbrella'にその形を
残す言葉であるが、レンツが「影」と呼ぶのはディレイの結果現われる音を示
している。ひとつの言葉を音節で区切り、複数の歌手が分担して歌う。このホ
ケット的手法とディレイ結果により、言葉の意味は顕微鏡の拡大にも似た近さ
となって、聴き手に迫る。

Lascaus
ワイングラスを楽器として扱うという試みは新しいものではない。しかしグラ
ス・ハーモニカがそうであるように音を持続でき、また打楽器としての用法も
まだまだ開拓されうることを示している。そのパーカッションとしての響きは、
清澄な鐘になる。グラスをこすることによるドローンには高次の倍音を多く含
み、光沢のあるうねりとなる。ミキサーの存在、電気的な増幅を伴う作品だが、
これは無限の音色の変化を持った、生の音楽である。





・h o m e・ ・minimal・