L i s t e n i n g L o g







20060403

シャーデーの"Love Deluxe"、数年ぶりに取り出して聴いてみる。1992年リリース。14年も経っていた。このアルバムの良さはちょっと語り得ないかもしれない。選ばれた少ない音。"Sade"が実は彼女を固めるバックとともに成すグループ名であることを忘れさせるほどに。短いセンテンスを積み重ねた歌詞。"I couldn't love you more"。こんなふうに「好き」を、言葉をかえて繰り返し伝えてみたいなぁ、とため息。14年経ってもオレも相変わらずだ。「音も歌詞もより少なく」の結晶というべきなのか、最終トラックはインストゥルメンタル"Marmaid"。そう言えばライヴの終わり、お客がはける間の会場にこの曲が流れていた。人魚の装いで、鱗がキラキラしていた。

20060402

iTunes以来、最大の変化と言えば語学系音源を頻繁に聴くようになったことかもしれない。そう、わたしはこんなサイトをやっているので、「わざわざ、音楽の、でないCDを、しかもプレーヤのトレイに載せて(その前に、すでに載っている、他でもないその音楽CDをどけて)、語学のCDを聴く」など難儀のきわみなのでした。それが今では1クリックでしかも視覚的にトラックの経過を追える(勉強したつもりの過程が見て取れる)状況へと。音楽に戻りたければそれも1クリックで。あまり気の進まない、しかし義務であることをしようという時、些細な手間がないということはなんと大きいことか。ていうか、そのことの大きさは、性分によるのでしょうが。iTunesについてはディスク作成など言いたいことがたくさん。いずれまた。

20050924

発売からすでに月日を経過しているが、ブライアン・イーノの諸作がリマスター/紙ジャケットで登場した。大好きな「プラトウ・オヴ・ミラー」を聴いた。

"Not Yet Remembered"では厚いピアノの和音が、おそらく本来そうであっただろう、左右の分離がはっきりと聞き取れるようになった。この曲はアルバムの中でもテープノイズが目立つほうで、今回のリマスターではむしろ聴感上、ノイズが増えたように(なぜかノイズまで立体的)感じられるかもしれないが、あえて整音処理をしなかったようだ(リマスターの過程で、この程度のノイズは消せるようだ。これまで複数の音源で経験した)。

ピアノはもちろん、様々な音素材―繰り返しこのディスクに親しんだ聴き手はすっかり記憶してしまうであろう、突発的に生じたように計算されたエフェクト。鳥類の鳴き声のような、ひと吹きの風のような、湧き出る泉水のような―ーそれぞれが、パーツを分解してひとつひとつ磨いてから元通りに組み立てたように、艶めき、質感が聴き手に近づくものになった。もとよりハイファイな音源ではない。擦りガラスのような半透明の音響は意図してのものというより、アナログ機材の限界だったのだろうが、その乳白色の美しい濁りがこのアルバムの美点だった。このリマスターではそれを劇的に変えてしまうことなく、古色を残したままトリートメントが施されているように聞こえる。

20050404

音楽を聴く時間が足りない。同時に2枚聴く訳にもいかない。読書もスポーツそうなのだろうが、同時にできないことはそういえば多いのだった。私は比較的時間の確保できる方だが、音楽の供給のほうが量的に勝っているのでそちらに付いて行けない。CDも安くなったものだ。

例えば。昨日アルトゥール・ルービンシュタインのショパン全集、CD11枚セットが正規レーベルの発売にもかかわらず、4,000円台で買えてしまった。本来7〜8千円が実勢価格(それでも安い)のようだがたまたまHMVのサイトで特価だったため購入。私は同社の回し者ではないが、オンライン・ショッピングで日替わりあるいはそれに近い形で特価商品を更新し続ける小回りのよさには感心する。

で、そう、何が「例えば」かと言うと、こういう全集で、ショパンの作品はもともと知った上で「ルービンシュタインの演奏」を味わうということになんと多くの(幸福な)時間を費やすことか、ということ。同曲異演を聴き味わうのは、ある作品を最初に知るために聴くこととは全く別種のもので、それは比喩的な意味で「これまでに聴いた同曲の演奏をすべて参照しながら聴く」とでもいうべき体験なのである。個々の演奏の美点を探すのでなくて、なんのための同曲聴き比べか。私はなるほど素人だが、それでも好みというものがあり、理想とする作品像というものも出来てくる。マイ名演を探すのには、時間がかかるのだ。(つづく)

20050129

半月ほどアコースティック・ギターばかり聴いて過ごす。ウィンダム・ヒルのカタログを整理する過程で、アレックス・デ・グラッシのWH以外のレーベルからのリリースをいくつか入手。これで火がつきWHと並ぶ大レーベル、ナラダのコンピレーションも購入した。押尾コータロー氏のアメリカ盤がここから出ていて久しぶりにナラダもカタログを調べたくなる。余談ながら、押尾さんのCDを買う折り、親切な店員さんが「逆輸入盤ですがよろしいですか」と確認を促してくれた。「しっかりしたレーベルなのでだいじょうぶです」と答えたが、それにしてもナラダというのは私のイメージから見てもこのアルバムの響きに似つかわしいレーベルのように思う。

アメリカは西にウィンダム・ヒル、東のナラダと二つのレーベルを持つニューエイジ大国で(ここでは「ニューエイジ」呼称の是非はひとまず措く。言いたいことは多い)、どちらもすっかりインストゥルメンタル音楽の総合レーベルになった。「総合」というところがミソで、前者の場合は創設者のウィル・アッカーマンが経営を離れてから「WHサウンド」は希薄になり、他レーベル音源を買い取り、ヴォーカルものも増え、と要するに大きなレコード会社になったのである。私がこのサイトでも「最初の100枚」に傾注しているのもこのあたりの変化を経験する前のWHの音楽が特にも好きだからで、今の流通・分配力をもって旧譜の積極的な供給を望む一人なのだ。

ナラダは当初のナラダ・ロータス/ミスティーク/イクイノクスという3つのサブ・レーベルに沿ったカタログ体系でなくなっていたことを知らなかったくらいブランクがあったのだけれど、前述のギター・コンピレーションを聴くとこのレーベルの健在ぶり、というよりむしろ質の向上を思う。録音も良い意味でプロフェッショナルで、ジャケットも癒し癒ししていない。レーベル第1作にしてピアノ・インストの名盤である「Pianoscapes」のマイケル・ジョーンズは自己レーベルを立ち上げたが、ナラダはわたしにとって、折にふれ、聴いてみたいレーベルに(以前よりも)なるかもしれない。

ここまで書いて思うのはしかし月日の流れ。今頃、1980年代の精華であるこれらのレーベルに鼻息を荒くしているのは30を過ぎたわたしくらいかもしれない。いや、実際にはそんなことはないのだろうけれど、私の動機は単なる懐古趣味でも回顧でもないことは確かである。20世紀の音楽の大きな流れは楽譜に残されない音楽によってであった。名曲ではなく名盤の世紀なのだから、音楽を残していくには廃盤になってはおしまいなのである。廃盤になる=耐用年数、の構図は一面の真実ではあるだろうけれど、そうも思えない、まだまだ私は飽きていない音源をこんなのもありました、風に記録しておきたい。

20041214

ウィンダム・ヒルのカタログを整理している。特になんの話題があるでもない、個人的事情によるものだけれど。レーベルの姿勢が変化して10年ほどが経過したが、過去の作品にはその価値を減じていないものが多いと考える。このサイトでは最初の100点のディスコグラフィを掲載しており、その後情報を収集してもう100点くらいはほぼ番号順に提示できるかもしれない。



20041101

ウィム・メルテン"Der Heisse Brei"。メルテンはアンサンブル作品とピアノ+ヴォイスの二つのスタイルでアルバムを発表してきた。これは後者の現時点での最新作。ライヴ盤を除いて5枚目となるこのディスクでは、ヴォイスは、ヴォーカルの位置にある。メルテンの歌に自身のピアノが伴奏を付けるという形態、これは一般に言う弾き語りと近い。これまでの作品をメモしてみる。



"A Man of No Fortune,and with a Name to Come" 1986
フィリップ・グラスを思わせるピアノの音型に息の長い旋律をメルテンが歌で、オブリガート(付随的声部)を添える。

"After Virture"1988
ピアノソロ主体。ヴォイスは2曲。即興的な散文を綴るように、自由で叙情的な、というよりもひたすらに耽美的なピアノ。ミニマリズムは後退する。

"Strategie de la Lapture"1991
ピアノはリズムを取り戻す。ヴォイスが自由さを増す。

"Jérémiades"1995
寡黙なリズム・パタン。ヴォイスは淡いヴェールをかけるように。

そして"Der Heisse Brei"。ピアノは近年のメルテンのピアニズムを特徴付けるアルペジオの繰り返し、泡立つような響き。右手のアルペジオからヴォーカルとユニゾンのメロディを浮かび上がらせる。つまり、「歌」なのだ。これほどまでに歌謡的なメルテンを初めて聴く思いがする。ピアノとヴォイスが、図と地を反転させてきた、このアルバムを追うごとの変化は、やはり反転であるだけなのであって、音楽の姿はこの作品でもメルテンのもの以外ではありえない。私には、それがうれしい。


20041010

ブライアン・イーノ「ミュージック・フォー・フィルムズ」(1978)。特に「アンビエント」を意識している作品ではない、1分から4分ほどの小品が連なる。イーノの短いインストゥルメンタル作品を聴いていて思うのは、素材の意志的配置。つまり、デザインするべくして、デザインするのだ。1曲目「アラゴン」からすでに点描の美的配置に終始する。これは音色・強度の対比の美しさの音楽である。

このアルバムは「これから生まれる映像の音楽にいかがですか」という趣旨による音楽であるというけれど、作曲家の意図は当初のプログラムのみによるどこか表現することを回避するような、そう、勝手にテープループに音楽を生起させるイーノの長いアンビエントを好きなところで切り取ったほうが目的に適いそうなものだけれど。余白の多いこの「フィルムズ」、しかしその余白は、音楽の合間に映像を迎え入れるように響きながらも、完結した、シンプルな音楽としてすでに美しく、その姿が仕上がっているように聞こえる。



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