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 陸軍機関係年表

 1909年 明治42年    7月31日 臨時軍用気球研究会発足。  1910年 明治43年   12月19日 代々木練兵場で、徳川好敏大尉が、自ら購入したアンリ・ファルマン1910年型飛行機を操縦し飛行デモン         ストレーションを行う。また午後に日野大尉が、ハンス・グラーデ1910年型飛行機で飛行を行う。  1911年 明治44年    4月 9日 ハンス・グラーデ1910年型飛行機が飛行中に墜落し大破。国内初の航空機事故。    4月13日 徳川大尉、陸軍初の飛行場である所沢飛行場で、プレリオ11−2bis飛行機を操縦。          この年、アンリ・ファルマン1910年型をモデルにして陸軍気球隊が国産軍用機を製作(エンジンは輸入)。         「会式」飛行機と名付けられ、以降7号機まで製作される。  1912年 明治45年・大正元年          この年、フランスからモーリス・ファルマン1912年型飛行機を1機輸入。  1913年 大正2年    3月    所沢−青山練兵場間の訪問飛行で、帰途にブレリオ11−2bis飛行機が空中分解。操縦していた木村・徳田両         中尉が殉職する。          この年、フランスからモーリス・ファルマン1912年型改を4機輸入。後、青島攻略戦に参加する。  1914年 大正3年          この年、モーリス・ファルマン1913年型をモデルにした「モ式」1914年型の量産を決定する。  1916年 大正5年    4月    臨時軍用気球研究会が、ダイムラーエンジン搭載の折り畳み式主翼を持った「制式」1号飛行機試作1号機を         完成させる。しかし、性能が予想より悪く、試作は中止となる。  1917年 大正6年   12月    臨時軍用気球研究会、ドイツ・アルバトロス戦闘機をモデルにした「制式」2号飛行機試作1号機を完成させ         る。しかし2回目の試験飛行で墜落大破し、開発は打ち切られる。  1918年 大正7年          この年、山下汽船の献金を元に、イギリスからソッピース1型、同改造1型、ソッピースパップ戦闘機などの         購入を決定。ソッピース1型、同改造1型を20機輸入。  1919年 大正8年    1月    フランス航空教育団団長フォール大佐ら61名が来日。併せて教育用にニューポール81E2(ニ式81型)         練習機を2機輸入。    1月    ソッピースパップ戦闘機の輸入1号機が到着する。          この年、フランスからスパッド13C1(ス式13型)を4機購入。          この年、サルムソン2A2を輸入し、陸軍航空補給廠所沢支部、東京砲兵工廠、川崎造船所飛行機部でライセ         ンス生産を開始する。  1920年 大正9年          この年、所沢陸軍航空学校研究部で国産試作戦闘機の設計を開始。  1921年 大正10年   12月    ニ式81型を甲式1型に、サルムソンを乙式1型に、ス式13型を丙式1型に改める。          この年、ファルマンF−60ゴリアット改(丁式2型爆撃機)の輸入を開始。          この年、スパッド・エルブモン20C2(丙式2型戦闘機)を初輸入。          この年、ファルマンF−50双発爆撃機と練習用コードロンG−4(戊式1型)を輸入。  1922年 大正11年          この年、ニューポール29C1(甲式4型戦闘機)を10機購入し、試用を行い、輸入追加とライセンス生産         を決定する。          この年、モラーヌ・ソルニエA1練習機を5機輸入。          この年、国産試作戦闘機を設計していた所沢陸軍航空学校研究部で、校式2型試作戦闘機が完成。  1923年 大正12年          この年、アンリオHD14E2(己式1型練習機)を3機購入して試用。  1924年 大正13年    2月    所沢陸軍航空学校研究部は、フランスから、技師のアントワーヌ・ド・ボアザンら6名を招致し、飛行機の設         計を行い、校式A−3試作遠距離偵察機を完成するも、うまく飛行せず。          この年、川崎を通して、ドルニエ社に爆撃機の設計を依頼する。          この年、アンリオHD14E2を15機追加輸入し、さらに三菱内燃機製造と陸軍砲兵工廠にライセンス生産         を行わせることを決定する。  1925年 大正14年   11月    川崎、三菱、石川島に対し、偵察機の製作を指示。          この年、三菱、中島、川崎、砲兵工廠に爆撃機の試作を指示。  1926年 大正15年・昭和元年          昨年試作を命じた軽爆撃機の中から、三菱2MB1を制式採用し、87式軽爆撃機とする。  1927年 昭和2年          この年、川崎とドルニエが共同開発した爆撃機を採用、87式重爆撃機とする。          この年、川崎、三菱、中島に新型戦闘機の開発を命じる。  1928年 昭和3年    2月11日 川崎KDA2を制式採用し、88式偵察機とする。川崎には賞金が下される。    6月    新型戦闘機の審査試験で、三菱試作機が空中で分解。川崎と中島の機体の破壊試験を行ったところ、3社とも         不合格となる。あらためて中島に開発を指示。  1929年 昭和4年          この年、88式2型偵察機を改造し、88式軽爆撃機とする。  1930年 昭和5年    7月    試作戦闘機川崎KDA5の1号機が完成。          この年、フランス人ベルニスの試作計画を採用し、製作された三菱2MR8を92式偵察機とする。  1931年 昭和6年    2月    ユンカースK37双発軽爆撃機を輸入。   10月    川崎KDA5を制式採用し、92式1型戦闘機とする。          この年、ユンカースG38を基に製作された92式重爆撃機(キ20)の1号機が完成。          秋、中島試作戦闘機を採用し91式戦闘機とする。  1932年 昭和7年    4月    三菱に新型重爆撃機の試作が指示される。    9月    試作軽爆撃機の試作を三菱、川崎に指示。  1933年 昭和8年    3月    三菱試作93式重爆撃機1号機(キ1)が完成。    6月    川崎に新型戦闘機の試作が命じられる。    7月    三菱試作93式1型双発軽爆撃機1号機が完成。          この年、中島に偵察機の試作が命じられる。          この年、三菱に機上作業練習機の試作が指示される。          この年、アメリカからオートジャイロのケレットK3を輸入。  1934年 昭和9年    1月    川崎93式単発複葉軽爆撃機(キ3)の生産が川崎と石川島で始まる。    1月    川崎試作戦闘機キ5の1号機が完成。    3月    中島94式偵察機(キ4)の1号機が完成。    4月    陸軍は石川島に対し、エンジン換装をすることで、初等練習機にも中等練習機にも出来る機体の試作(キ9)         を命じる。    9月    川崎キ5が不採用となり、担当者が辞任する。    9月    川崎・中島・三菱に対し、新型戦闘機の開発を命じる。川崎がキ10、中島がキ11、三菱がキ18となるが、         三菱のは海軍9試単戦の改造に変更される。          この年、フォッカー・スーパーユニバーサルの国産機を改造、中島95式2型練習機(キ6)を生産。  1935年 昭和10年    3月    川崎93式軽爆撃機(キ3)の生産が中止される。同じ月川崎キ10試作戦闘機の1号機が完成する。    4月    キ10の2号機が完成。    4月    キ9の内中等練習機を採用し、95式1型練習機(キ9乙)として生産にはいる。しかし初等練習機は不採用         としたので、あらためて立川に初等練習機の試作(キ17)を命じる。    7月11日 陸軍、三菱に高速偵察機の試作(キ15)を命じる。    8月    立川キ17初等練習機、審査に合格して採用される。通商「赤トンボ」。    8月    三菱キ18試作戦闘機1号機が完成。しかし不採用となる。    9月    川崎キ10と中島キ11の比較審査試験が行われる。この結果キ10が正式採用される。   12月    川崎キ10を95式戦闘機として生産を始める。   12月    中島・川崎・三菱に95式戦闘機に替わる新型単座戦闘機の試作を命じる。中島がキ27、川崎がキ28、三         菱がキ33。          この年、キ4甲の部隊配備が始まる。          この年、中島、フランスから技師を招き、ドボアチーヌD510を基に戦闘機を設計(キ12)。          この年、陸軍は93式重爆(キ1)に変わる重爆撃機の試作を、中島と三菱に内示。  1936年 昭和11年    2月    新型重爆撃機(キ19)の試作を中島と三菱に命じる。    5月    偵察機三菱キ15の1号機が完成。    5月    陸軍は、三菱と川崎に93式軽爆撃機に替わる新型軽爆撃機の試作を命じる。三菱はキ30、川崎はキ32。    8月    三菱キ33の試作1・2号機が完成するも採用されず。   10月    初の引き込み脚を持つ戦闘機、中島キ12の1号機が完成。   11月    次期陸軍戦闘機の採用のため、中島キ27、川崎キ28、三菱キ33が立川で審査試験を受ける。          この年、中島、キ11の3号機を毎日新聞社に、4号機を朝日新聞社に通信機として払い下げる。          この年、朝日新聞社鵬号(キ2U改)が東京−新京、大連−東京間で飛行機録を樹立。          この年、立川で練習用の串型複座ソアラー(キ26)1号機が完成。  1937年 昭和12年    2月    三菱キ30の1・2号機が完成。          春、次期陸軍戦闘機の審査の結果、中島キ27が正式に採用され97式戦闘機となる。    3月    中島、三菱ともに重爆撃機(キ19)を試作。陸軍は試験を経て機体を三菱、エンジンを中島として両方を合         体させた試作機を採用する(キ21)。その後試作の2機は、大陸で実戦試験を行う。    3月    川崎キ32の1号機が完成。    4月    中島が満洲航空のために設計したAT機を陸軍が輸送機として採用。97式輸送機となる。    5月    朝日新聞社企画で、欧州連絡飛行の神風号(キ15の2号機)飛行が成功する。    5月    立川に対し、対地支援偵察機(いわゆる直協機)の開発を命じる(キ36)。    6月    川崎キ10改1を95式2型戦闘機として生産を始める。   10月    中島キ19の改修型試作1号機が完成。以後6機が試作される。   11月    立川飛行機とロッキード社が技術提携し、ロッキード14スーパーエレクトラの国内製造を決定する。          年末、中島97式戦闘機(キ27)の生産が始まる。   12月    陸軍は、中島に新型戦闘機(キ43)の試作を命じる。   12月    川崎はキ38を基にキ45双発複座戦闘機の試作を指示される。   12月    三菱に快速偵察機(キ46)の試作を指示し、新型襲撃機(キ51)の試作を内示する。   12月    川崎に双発軽爆撃機(キ48)の試作を命じる。   12月    新型重爆撃機(キ21)の開発が遅れていたため、急遽イタリアからフィアットBR20を輸入することに決         定し、イ式100型重爆撃機とする。          この年、キ4乙の部隊配備が始まる。          この年、福田軽飛行機で並列複座のソアラー(キ23)を製作。          この年、立川で単座セカンダリー(キ25)の1号機が完成。  1938年 昭和13年    1月    試作軽爆撃機キ30の三菱機を制式採用。97式軽爆撃機となる。同じ指示で試作された川崎キ32は、試作         5機が納入されるも水冷式エンジンが不調により遅れて採用される(98式軽爆撃機)。          初頭に中島に対し重戦闘機(キ44)と重爆撃機(キ49)の開発を命じる。    2月    三菱に新型襲撃機(キ51)の試作を命じる。    4月    立川キ36の1号機が完成。    4月    ビュッカー131ユングマン複座練習機と133ユングマイスター単座練習機の輸入を始める。   10月    立川キ36を採用し、98式直接共同偵察機とする。          この年、東京帝国大学航空研究所、陸軍の要請で、高高度飛行機の研究を開始する。          この年、三菱・中島キ21を正式に採用し、97式1型重爆撃機と名称を変更する。          この年、ロッキード14スーパーエレクトラを輸入。  1939年 昭和14年    1月    中島キ43の1号機が完成。    1月    川崎キ45の1号機が完成。    3月    陸軍は、対ソ戦を想定し、バイカル湖以西へ飛行可能な遠距離隠密偵察機(後のキ74)の研究を立川飛行機         に命じる。    3月    立川キ36直協機を改造して高等練習機キ55の製作を命じ、99式高等練習機となる。    3月    立川に対し多目的双発高等練習機(キ54)の開発を命じる。    3月    立川は、新型司令部偵察機(後のキ70)の研究を開始。    4月    キ19中島試作機を、N19長距離通信機として同盟通信社に払い下げる。    4月    寺田航研の国産双発旅客機TK3の試作機が完成するも、大日本航空の審査で不採用となる。    5月11日 ノモンハン事件に、97式戦闘機を投入。    6月    三菱キ51の1号機が完成。    7月    川崎キ48の1号機が完成。    8月    中島キ49の1号機が完成。    8月    川崎に対し、貨物輸送機(キ56)の開発を指示。    9月    三菱97式2型司令部偵察機(キ1U)の生産が始まる。    9月    川崎キ48の審査が行われる。   11月    三菱キ46の1号機が完成。100式1型司令部偵察機として採用。   12月    寺田航研TK3の改造が陸軍から指示される(キ59)。   12月    三菱に対し重爆撃機(キ67)の研究を内示。          この年、三菱に輸送機(キ57)の開発を命じる。  1940年 昭和15年    1月    92式重爆撃機(キ20)3機が観兵式に参加し、一般初公開となる。    1月    中島キ49試作爆撃機を性能向上させる製作が始まる。    2月    川崎に新型戦闘機(キ60・キ61)の試作を命じる。    3月    朝日新聞社主催で計画された、東京−ニューヨーク間無着陸飛行の為の航空機開発として、A−26機の設計         が東京帝国大学航空研究所で開始される。細部設計を立川が担当したこともあって、遠距離偵察機計画は一時中         止される。また亜成層圏機計画が東京帝国大学航空研究所で始まる。    5月11日 川崎キ48を99式双発軽爆撃機として採用。    5月    A26(キ77)の機体製作が始まる。    6月    川崎キ48(99双軽)の性能向上に着手。    6月    立川キ54の1号機が完成。    7月    ロ式B型高高度研究機の基礎計画が立川飛行機で始まる(立川ではSS−1と呼ばれる)。    7月    立川キ54が制式採用され一式双発高等練習機(民間ではY13)となる。    8月    ロ式B型機の設計が開始される。ロ式輸送機を原型機とする。    8月    中島キ44の1号機が完成。    8月    三菱キ57の1号機が完成し審査を受け、100式1型輸送機となる。    8月    陸軍航空技術研から川崎に高速戦闘機(キ64)の試作を命じる。    8月    フィーゼラーFi156シュトルヒ連絡機をドイツに発注。          夏、川崎キ45の性能向上第1案を不採用とする。    9月    三菱にキ67の開発を内示。   10月    中島キ44の審査が始まる。   10月    川崎キ45の性能向上案のうち第2案を基にしてキ45改の試作を命じる。   11月    川崎キ56の1号機が完成。審査を受けて後一式貨物輸送機として採用。   11月    97式戦闘機(中島キ27)の単座・複座練習機への転換計画(キ79)が陸軍航空工廠と満洲飛行機に指示         される。   11月    短距離離着陸用のテ号機の開発を神戸製鋼に、オートジャイロのカ号機の開発を萱場に命じる。   12月    キ57の4号機が逓信省航空局の性能試験飛行中に墜落し、搭乗していた14人全員が殉職する。   12月    中島キ49を改造し爆撃援護戦闘機キ58を試作する。   12月    川崎キ61の設計を開始する。          この年、97式2型重爆撃機(キ21U)の生産を始める。          この年、三菱キ51を99式襲撃機・軍偵察機として採用し生産を開始し、エンジンの強化、引き込み脚への         改造も指示(キ71)。  1941年 昭和16年    1月    指揮連絡機(キ76)の開発を日本航空工業に指示。    2月    三菱キ67の試作を指示。    3月    新たに遠距離高高度偵察機計画(キ74)が再開する。    3月    キ46のエンジン部を改善したキ46Uを100式2型司令部偵察機として採用。    3月    中島キ49が制式採用となり100式重爆撃機1型「呑龍」とする。    4月    立川飛行機で、キ74の基礎設計にはいる。    4月    中島キ43を正式採用し、1式戦闘機「隼」と命名。    4月    ケレット社オートジャイロKD1を修復改造したカ1号機が完成。    5月26日 オートジャイロのカ1号機の飛行試験を玉川飛行場で行う。    5月    陸軍、三菱に対し、遠距離戦闘機キ83の開発を命じる。    5月    日本航空工業キ76の1号機が完成。    6月    各務原飛行場でキ44、キ60、メッサーシュミットBf109Eの模擬空戦が行われる。    6月    100式司偵(キ46)に替わる高高度遠距離司令部偵察機(キ95)の開発を三菱に命じる。    7月    日本国際航空、キ59の動力をはずした滑空輸送機ク8Tを完成。    8月    川崎1式貨物輸送機の生産が始まる。    9月 1日 前田航研の輸送滑空機ク1(前田2600型)の1号機が初飛行。    9月    川崎キ45改の1号機が完成。    9月    川崎に急降下爆撃機(キ66)の試作を命じる。   10月    立川司令部偵察機キ70の製作を開始。   10月    100式重爆(キ49)を改造して指揮官機として試作(キ80)。爆撃援護戦闘機としての使用を計画する         も、「隼」を使用するため、実験機として使用。   12月 8日 米英と開戦。   12月    川崎キ61の1号機が完成。   12月    キ74、偵察爆撃機計画に変更される。   12月    中島に単発単座戦闘機(キ84)の開発を命じる。   12月    国際航空の滑空輸送機ク8T改が完成。          この年、TK3改良型を制式採用し一式輸送機とする。          この年、海軍13試大型陸上攻撃機「深山」の陸軍仕様転換試作大型爆撃機(キ85)が川崎で開始される。  1942年 昭和17年    1月    満飛キ79の制式採用が決まり、2式高等練習機となる。    1月    東京航空は低翼単葉初等練習機東航12型の開発を開始する。    2月    川崎キ45改を制式採用し、2式複座戦闘機「屠龍」(2式複戦)とする。    2月    川崎キ48Uの1〜3号機が完成。99式2型双発軽爆撃機となる。    2月    日本国際航空に大型の滑空機(ク7)の製作を指示する。    3月    立川に大型の双発輸送機(キ92)の試作を命じる。    5月    立川キ74の細部設計が開始される。    5月    三菱に100式司偵の更なる性能向上の試作を指示(キ46V)。100式3型司令部偵察機となる。    5月    三菱キ57Uの1号機が完成(100式2型輸送機、民間ではMC20)。          夏、1式戦闘機「隼」を改造したキ43Uが正式採用され、一式2型「隼」となる。    7月    航空工廠で対戦車砲を搭載した地上襲撃機(キ93)の試作計画が始まる。    7月    日本小型航空ク11試作滑空機の1号機が完成。    8月    改造試作中のキ45改を双発単座戦闘機開発計画に変更して川崎にキ96の試作を命じる。    8月    前田ク1を制式採用し、2式小型輸送滑空機とする。    9月    中島キ44を採用し、2式単座戦闘機「鍾馗」(2式単戦)とする。    9月    川崎キ61の改良を始める。   10月    キ77の1号機が完成。   11月18日 キ77の1号機初飛行。   11月    川崎キ66の1号機が完成。   11月    この月までに、国産オートジャイロのカ号U型を2機完成。   12月    三菱キ67の1号機が完成。          この年、日本国際航空工業に対し、95式3型練習機(キ17)に替わる練習機の試作(キ86)を命じる。          この年、神戸製鋼テ号観測機の1号機が完成。  1943年 昭和18年    1月    満洲飛行機に戦闘襲撃機キ98の開発を命じる。    1月    荷重試験用の国際航空ク7Tが完成。    2月18日 米国で長距離機B29が飛行試験中に事故を起こしたという情報が伝わり、本土空襲の防空対策が検討される。    2月    立川キ70の1号機が完成。    2月    この頃、高高度防空戦闘機キ87の開発を中島と立川に命じる。    2月    三菱に輸送機(キ97)の試作を命じる。    3月    キ84の1号機が完成。    4月    川崎試作急降下爆撃機キ66の改良を命じるも、まもなく製作中止となる。    4月    キ77の2号機完成。    4月    開発中の川崎キ96の複座襲撃機へのさらなる改造に、防空戦闘機への転用が検討される。    4月    川崎に気密室付き高高度戦闘機(キ108)の試作を命じる。    5月20日 国際航空のク8Uの1号機が完成。    5月    97式2型重爆撃機(キ21U)の被害が大きいため、防弾・防漏性を強化する。    5月    川崎大型爆撃機キ85の試作が中止され、あらためて4発の巨人爆撃機キ91の試作を命じる。    6月30日 キ77の2号機による日独連絡飛行が始まり、八名の乗員を乗せて福生飛行場を飛び立つ。    6月    中島キ49Uが100式2型重爆撃機として採用される。    6月    川崎キ61を制式採用し3式1型戦闘機「飛燕」となる。    6月    高高度防空戦闘機キ94の開発命令が立川飛行機に与えられる。    7月 7日 キ77の2号機、シンガポールを飛び立つ。その後消息不明に。    7月    三菱キ83の更なる改良が三菱に対し指示される。    7月    日本国際航空キ86の1号機が完成し、審査を経て4式基本練習機となる。    7月    東京航空の東航12型を正式にキ107として開発指示し2機を発注、さらに2機を追加発注する。    8月    ロ式B型高高度研究機1号機が完成。    8月    キ61U(3式2型戦闘機)の1号機が完成。    8月    川崎に局地戦闘機キ88の試作を命じる。    8月    開発中の川崎キ96を防空戦闘機キ102への改造も試作指示する。これにより、防空戦闘機型を102甲、         襲撃機型を102乙(後に重戦闘機に変更)とする。    8月    東京航空キ107荷重試験用0号機が完成。    9月    ロ式B型高高度研究機の実験飛行が始まる。    9月    機種整理統合でキ88の試作が中止となる。    9月    川崎キ96の1号機が完成する。   10月    東京航空キ107の1号機が完成。   11月    飛行試験中の三菱キ67をさらに防空戦闘機化を検討するよう指示。   12月28日 川崎・航研キ78の飛行試験で非公認速度記録が樹立される。   12月    川崎キ64の初飛行試験を行う。   12月    開発中だった三菱キ67の雷撃機型の開発を内示。   12月    日本航空工業キ76が制式採用され、3式指揮連絡機として生産される。   12月    立川に対し高高度戦闘機(キ94)の試作を命じるが、前後双発の諸問題で計画保留となる。          この年、中島キ49Vを100式3型重爆撃機として生産を始める。          この年、立川に中島が開発中のキ84(後の4式戦「疾風」)の木製化を指示(キ106)。          この年、航空本部と前田航研、三菱が共同で、滑空軽戦車(ク6)の開発を計画。  1944年 昭和19年    1月11日 高速飛行研究「研三」実験が中止となり、川崎・航研キ78の飛行実験も中止となる。    1月    ロ式B型高高度研究機の実験飛行6回目が行われ、データがまとめられる。    1月    4式基本練習機の木製化が日本国際航空に指示される。    1月    三菱キ67の防空戦闘機化計画を変更し、重装備特殊防空戦闘機キ109への改修を指示する。    1月    東京航空キ107木製練習機を制式に採用し、量産機生産を命じる。    2月    この頃、三菱キ46W(100式4型司令部偵察試作機)が作られる。    3月    立川キ74の1号機が完成。純爆撃機型のU型計画が立てられる。    3月    立川キ94高高度戦闘機双発型の前後双発動機が不適当という理由で計画が変更になる。一方、開発保留中         だった同高高度戦闘機キ94の単発単座型(94U)の試作が始まる。    3月    三菱キ67雷撃機型の雷撃試験を行う。    3月    川崎キ102試作1号機が完成。    3月    国際航空のク8Uを制式採用し、4式中型輸送滑空機とする。          春、三菱キ67の制式採用が決定し、4式重爆撃機「飛龍」として生産を開始。    4月    中島キ84を制式採用し、4式戦闘機「疾風」となる。    4月    川崎巨人爆撃機キ91の実大模型審査が行われる。    5月25日 キ74の1号機初飛行。    5月    100式3型司偵90機を防空戦闘機として改造する。    5月    中島に、4式戦「疾風」(キ84)の改良を指示(キ84N−後にキ117)。    7月 2日 4日にかけて、立川・航研キ77の1号機、周回飛行記録樹立。    7月15日 立川キ74の1号機、VDM電気可変ピッチが故障して不時着、立川基地外に飛び出して大破する。    7月    川崎キ108高高度戦闘機の1号機が完成。    7月    ロケット式誘導弾キ148の計画が決定する。開発製作は三菱と川崎。    7月    巖谷海軍技術中佐が、メッサーシュミットMe163Bロケット戦闘機の資料を日本に持ち帰り、ロケット戦         闘機の開発が始まる。    7月    国際航空の滑空機ク7Uの1号機が完成。    8月 2日 立川キ74の2号機完成。    8月15日 国際航空の滑空機ク7Uの初飛行を行う。    8月    大型滑空機ク7の滑空試験が行われる。この結果、動力を付けたキ105の試作も指示。    8月    キ109特殊防空戦闘機の1号機が完成。          同年夏、ロ式B型高高度研究機の2号機が完成する。    9月    立川大型輸送機キ92の1号機が完成。    9月    三菱キ97輸送機の開発が中止になる。    9月    立川キ106の1号機が完成。   10月    三菱キ83の1号機が完成する。   10月    4式基本練習機の木製1号機が完成。   10月    機種統合整理により満飛キ98は実物大模型審査の段階で中止となる。   10月    3式2型戦闘機「飛燕」のエンジン部分を液冷から空冷に換装する指示を川崎へ出す(キ100)。   11月    陸軍飛行機輸送船秋津丸が撃沈される。   11月    川崎キ102甲の緊急生産を指示し、102乙型の甲型への改修も開始される。   11月    日本国際航空のク7Uからキ105への改修1号機が完成。          年末、川崎キ102を夜間重戦闘機化の試作(キ102丙)を指示。          この年、一式戦闘機「隼」をさらに改造した中島キ43Vを採用し、一式3型「隼」とする。          この年、内地への燃料輸送のため、試作燃料輸送機(キ111)の開発を日本国際航空に命じる。  1945年 昭和20年    1月20日 中島飛行機に特攻用の攻撃機(キ115)の開発を指示。    1月    キ83の2号機が完成する。    1月    「飛燕」を空冷エンジン化した川崎キ100の1号機が完成。    1月    立川キ106(木製「疾風」)の審査が終了し、各地で生産を開始する。    2月 1日 川崎キ100の飛行試験を開始。審査の結果、制式採用され5式1型戦闘機となる。    2月    立川飛行場が空襲の目標に設定されたため、甲府玉幡飛行場に1機が疎開。ヤ号計画が進められる。    2月    100式4型司偵の記録飛行を北京−福生間で行う。    2月    中島キ87の1号機が完成。    2月    川崎キ91の試作が中止となる。    3月 9日 三菱キ83の2号機、飛行試験中に風防が飛散し墜落。三菱のパイロットが殉職。    3月    中島キ115の1号機が完成。特攻機「剣」(海軍では「藤花」)。    3月    三菱キ83の3号機が完成する。    3月    航空工廠キ93の1号機が完成。    3月    川崎5式1型戦闘機への改修生産が始まる。    3月    99式双軽の機体の一部も利用し、キ108を改造した気密室化高高度戦闘機キ108改の1号機が完成。    3月    4式戦「疾風」に100式司偵のエンジンとプロペラの換装を満洲飛行機に指示する(キ116)。    4月 8日 航空工廠キ93の飛行試験が行われるが、着陸で小破。    4月30日 空襲で航空工廠キ93が焼失。    4月    三菱キ83の4号機が完成する。    4月    ターボジェットエンジン「ネ20」が完成。試作ジェット戦闘機キ201「火龍」の設計を行う(完成せず)。    4月    無滑走跳躍離陸式の新型カ号オートジャイロの実験を行う。    5月    ドイツ降伏。立川キ74によるヤ号連絡飛行計画は中止となる。    5月    川崎キ100を排気タービン付きエンジンに換装したキ100Uの1号機が完成。5式2型戦闘機として改修         生産を開始する。    6月22日 空襲で川崎岐阜工場が破壊。    6月25日 空襲でキ83の3、4号機が焼失する。    6月26日 空襲で川崎岐阜工場が再度破壊される。    6月    5式戦闘機を大型化した戦闘爆撃機川崎キ119の実大模型審査が終了する。    6月    試作ロケット局地戦闘機の1号機が完成。陸軍ではキ200、海軍では「秋水」。    7月 7日 海軍側試作ロケット戦闘機「秋水」の飛行試験を行うが、途中でエンジンが不調となり不時着、パイロットは         重傷を負い翌日殉職。    7月20日 キ94Uの1号機が完成する。    7月    立川キ74を八日市に3機を用意して、第14戦隊によるマリアナ(もしくはサイパン)攻撃計画の準備が進         められる。同月、極秘に福生でキ74による米本土爆撃計画の要員訓練が始まる。    7月    立川キ74と地上施設を使い、長距離飛行航法支援の実験が太平洋上で行われる。    7月    川崎キ102丙の1号機が完成。    7月    立川空襲で、試作機などが焼失。    7月    ジュラルミン不足から製作していた鋼鉄製の中島キ113「疾風」の1号機が完成。    7月    ロケット戦闘機キ200を改良したキ202の試作を決定(図面作成で終戦)。    8月 6日 キ94Uの1号機の地上走行試験が行われる。    8月10日 試作ロケット局地戦闘機キ200の滑空試験を行うが失敗する。    8月14日 日本政府、ポツダム宣言受諾を通告。    8月15日 日本政府、降伏し終戦。    8月16日 陸軍、戦闘停止命令を出す。    8月    米軍、立川基地などに進駐を開始。   10月    連合軍総司令部(SCAP)、日本軍機151機の接収、米本土へ140機、英本土へ11機を輸送する指令         を出す(数字は推測)。   10月13日 この頃までに、キ74を4機(甲府1機、福生2機、その他1機)とキ77を1機、横須賀田浦飛行場へ空輸。         1機が海中へ投棄されたという説あり。   11月    輸送空母バーンズが米本土へ向けて、日本軍機を輸送開始。   12月    輸送空母バーンズ、ノーフォーク軍港に到着。積み荷の日本軍機を各地へ輸送したものと思われ、キ74少な         くとも1機が荷揚げされたと思われる。  1946年 昭和21年   10月    この月、「疾風」少なくとも2機を米海軍基地に移送する。  1949年 昭和24年          この年、キ77とキ94各1機が米国国立博物館に登録される(取得かどうかは不明)。また同博物館は同年         にキ83を1機、取得する。

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