[BacK]

コンサートスケジュール


2003/06/13 (Friday)

  =お知らせ3=

こんにちは、皆さんお元気ですか?
このダイアリーのページですが、
ここのところ情報量が大きくなりすぎてとっても重くなってきたので、
一時的にサブHPを作ってみました。
「ドレスデンだより」のほかには掲示板があるだけの、超シンプルなものですが、
少し軽いと思います。
ためしにドレスデンだより「Post aus Dresden」1を載せてみましたが、ほかにはまだなぁんにもありません。

簡易なものですが、BBSもありますので、
ご意見ご要望などありましたらどうぞ。

http://members.goo.ne.jp/home/lapassionata2


また、これまでポストとして使ってまいりました
lapassionata@freeml.com は、
6月20日を持ちまして、いったん閉鎖いたします。

島原さんへの個人的ファンレターや管理者へのご要望は
saesae@anet.ne.jp
または
lapassionata2@mail.goo.ne.jp
までお寄せくださいませ。

これからも島原早恵と、当HP(サブHP含む)を、
どうぞよろしくお願いいたします。

文責 konaga

2003/06/05 (Thursday)

Post aus Dresden(ドレスデンだより) 1〜♪


〜〜〜〜〜ごあいさつ

皆様、お元気でいらっしゃいますか?
日本はもうそろそろ暑い夏が近づいているのでしょうか。。。

ミュンヘン便りから、すっかりご無沙汰をしてしまいました。
引越しと日本でのコンサートと新生活&お仕事で、
とにかく嵐のような日々でした。
遅くなりましたが、2月東京安田生命ホールでのコンサート、
そして4月神戸松方ホールでのコンサート、
ともにご来聴いただきました方々へ、心からお礼申し上げます。
お蔭様でとてもいいコンサートとなりました。
また日本で演奏できる機会を楽しみにしております。
では、やっと新生活にゆとりが出てきたので、
ドレスデン便り第1号をお届けいたします!


〜〜〜〜「いよいよスタート!新生活 in Dresden!!」

 この4月より、ドレスデンへ移り住み、
ドレスデン国立歌劇場管弦楽団でのお仕事を始めています。
初めてこのオーケストラを聴かせてもらった時は、
レヴェルの高さはもちろんですが、その迫力と、
温かい湧き上がるような深みのある特別な音色に、
感動を通り越してショックを受けてしまいました。。。
本当に素晴らしいオーケストラです。
聞くところによると、現代に残る数少ない、
伝統の音を守っているオーケストラだそうです。
団員の方々も、音色と同じく、とても温かい方々ばかりです。
みんなこのオーケストラで弾くことを心から幸せに思い、いつも前向きに
良いものを作ろうとする雰囲気なので、リハーサルでも迫力が違います。

このオーケストラは、オペラとシンフォニーを半分ずつの割合で演奏します。
オペラはほとんど毎日、違う演目で演奏会がありますが、
シンフォニーは演奏会前3日間の練習と、3日間同じ曲目での演奏会があります。
オペラの場合は、練習がなく、突然本番をこなさなければならないことが多く、
練習が事前にあるシンフォニーに比べて、新人にとっては非常にキツく大変です。
これまでオペラは、ワーグナーの大作「ニーベルングの指輪」第4部作や
「タンホイザー」をはじめ、次々と大曲を演奏しました。

シンフォニーの方では、4月はケント・ナガノ指揮で、
スイス、ウィーンへの演奏旅行がありました。
ウィーンでは、ニューイヤーコンサートで有名な
楽友協会ホール(ムジーク・フェライン)で演奏して、感動的な体験をしました。
先週はコリン・デイヴィス指揮で演奏、
明後日からは、ついに主任指揮者、ハイティンクと共演です!
フランク・ペーター・ツィマーマンとハインリッヒ・シフによる
ブラームスのドッペルコンチェルトもあり、とっても楽しみです。

日本にいる頃は、オペラの存在は私にとって、かなり薄いものでしたが、
いつか小沢征爾さんが

「シンフォニーとオペラは車の両輪のような存在で、
どちらが欠けてもいけない、大きな柱です」

と言われていたのを印象深く覚えていました。
その意味が、今やっと分かり始めた気がします。
ワーグナーという作曲家は、実はあまり好きではなかったのですが、
自分で演奏してみて、はじめてその世界を知り、好きになりました。
これまで弾いた中では、タンホイザーがお気に入りです。

毎日が新しいことの発見で、楽しく幸せにやっています。
また、このオーケストラはドイツの中でも(2番目に?)
大きいオーケストラのようで、
仕事の量が少なく(週4日ほど)、休みも自由に取れます。
そういうわけで、室内楽やソロなど、他の事をやりながらの人たちが多いです。

先月は、神戸で兵庫交響楽団とブラームスのコンチェルト共演のため
帰国しました。
桜がとてもきれいで、おいしい竹の子ごはんなどを食べ、
つかの間の日本を味わってきました。。。
恥ずかしながら、こちらに住んで初めて、日本の伝統文化をいろいろ知っています。
日本にいる頃の私は、日本人でいて日本人ではなかったような気がします。
日本を大切に思いながら、こちらでも頑張っていきたいです。

来年は、このオーケストラが日本へ演奏旅行に行きます。
機会がありましたら、どうぞお聴き下さいませ。
(団員の方々は、意外とスシ通だったりします。。。私よりこだわってます)
では、次回のレポートをお楽しみに!

SAE

2003/04/05 (Saturday)

   =おしらせ2=
すっかりご無沙汰してしまいました。
島原さんは、ミュンヘンからドレスデンへのお引越しも終えられ、
シュターツカペレでの生活に突入なさっています。

さて、ドレスデン入団以前に決まっていた、日本での最後の演奏会があります。
これが終わったら、当分日本では島原さんの演奏は聴くことができなくなりそうですので、
お時間のある方、お近くの方はぜひ!

*****神戸にウィーンの風を vol.3*****
兵庫交響楽団 神戸演奏会

日時:2003年4月13日(日)15時開演(14時30分開場)
会場:神戸新聞松方ホール
曲目:ブラームス ヴァイオリン協奏曲ニ長調作品77
   ベートーヴェン 交響曲第3番変ホ長調「英雄」作品55
指揮:高橋敏仁
ヴァイオリン:島原早恵

チケット:一般3000円、学生2000円
電話/FAX 0798-65-5568

2003/03/08 (Saturday)

   =またまたお知らせ=

3月3日、島原さんが「坂井時忠賞」を受賞されました。
兵庫県出身の、現在活躍されている音楽家に贈られる賞で、
ヴァイオリンでは島原さんがはじめてだそうです。

世界に飛躍される島原さんを祝福する最初の一歩になりそうですね。

               ***
2月28日の演奏会は、たくさんのお客様に恵まれ、よい演奏会となりました。
おいでくださったお客様はじめ、
影になり日向になり応援してくださったたくさんのかたがたに、
この場をお借りして御礼申し上げます。
ありがとうございました。

演奏家同士も息の合う貴重なメンバーであることを再認識され、
今後もTrio Prismaを大事に育てていこうと約束なさったようです。
こういう貴重な機会に立ち会えて、私たちも幸せでした。
また次回の演奏会をどうぞお楽しみに♪

文責 konaga

掲示板等不具合の調整が遅れておりまして、ご迷惑をおかけしております。

ご意見などは、
saesae@anet.ne.jp
又は
lapassionata@freeml.com
までメールをお願いいたします。

2002/12/29 (Sunday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No.37 ♪〜
      「やっぱり本場! ドイツのクリスマス」

前回のレポートで今年は最後にする予定でしたが、もう1つおまけです。

「今年こそは、ドイツのクリスマスを体験したい!」と思い、
ホストファミリーをはじめ、周りのドイツ人たちが
クリスマス休暇で次々帰省や旅行に出かける中、
1人でポツネンと居残りをしておりました。

こちらでは、12月に入ってからの一日一日、キリストの誕生日を心待ちに、
お店も人々もどんどん盛り上がっていきます。
ところが、その最高潮となるはずの24日からは、
街中の華やかなクリスマス市をはじめ、スーパー、デパート、全てのお店はお昼まで。
午後には一気に閉店します。
街中にあふれかえっていた人々も、すっかりいなくなり、
しーん、と、不気味なほど静まりかえります。

この瞬間から、クリスマスは家族の祭典となるのです。
いわば、日本のお正月ですね。
年に1度、家族、親戚が集まって、各家伝来のご馳走でお祝いをします。
そして夜には、教会のクリスマス・ミサに出席します。
日本の初詣のような感じでしょうか。。。
現在では、普段はほとんどの人が教会へ足を運ばなくなっているそうですが、
さすがに、このクリスマスには、みなさん足を運ばれるようです。

クリスマス・イヴ。
私はその夜、ミュンヘン街中の教会で、ミサを演奏することになっていました。
「クリスマス休暇」というくらいなので、日本の「お正月休暇」と同じく、
国民の休日ですが、音楽家にとっては忙しい日となります。
この日と26日は、ミサの演奏のため、どこの教会にも演奏家が必要となるのです。
掛け持ちで、ミサの梯子をしている人もいます。

ミサというものを体験したことのない私には、
少しでも儀式に関わることが出来る、貴重なチャンス。
てっきり私の知らない特殊な曲を演奏するものとばかり思っていましたが・・・
置かれていた楽譜を見ると、なんと、モーツァルトの「戴冠ミサ」ではないですか!
「えっ!?こんなちゃんとした曲弾くんだ・・・」とビックリ。
編成こそ小さいですが、オーケストラと、合唱と、歌のソリストまで揃っています。

夜10時から始まったクリスマス・ミサは、
モーツァルトの「戴冠ミサ」に沿って、楽章ごとに司祭の聖書の言葉を交えながら進み、
最後に「聖しこの夜」を歌い、11時半頃終わったのでした。
コンサートホールで聴くものと思っていたクラシック音楽が、
人々の生活の中に、必要不可欠なものとして活用されているのを目の当たりにすると、
なるほどこういう過程があってのクラシック音楽なんだ、と知らされる思いでした。

「芸術」として生み出される素晴らしい音楽の背景には、
こういった人々の日常生活が存在しているのですね。
小さい頃から馴染んできたクラシック音楽ですが、こんなに日常と直結した体験は、
これまでの人生ではありませんでしたから、感動で胸がいっぱいになりました。

去年のフランスのミサは、田舎の素朴なミサでしたが、
今年は、ドイツの、非常に価値のある
(だってコンサート付きみたいなものでしょう?!)
「スゴイ!これが本場のクリスマスと言うものだ!」という体験でした。
やっぱりドイツは重みがあるなぁ〜。。。

SAE

2002/12/19 (Thursday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No.36♪〜
「ビッグなクリスマスプレゼント 〜ドレスデン国立歌劇場入団!」

こちらミュンヘンは、いよいよ本格的な冬が到来し、街なかにはクリスマス市がたち、
キラキラとロマンティックなムードでいっぱいです。

私のほうは、卒業後いろんな都市を訪れて、いろいろと考えた結果、
せっかくヨーロッパへ来ることが出来たのだから、勉強だけで帰国するのではなく、
社会に出て、本場で仕事をし、ここで活躍する音楽家たちと出会いたい、
という夢が、どうしても捨てられなくなっていました。

ここドイツのオーケストラは、世界に誇る伝統があります。
日本でのオーケストラに対するイメージと、少し異なります。
何百年もの伝統を持ち、ベートーヴェンをはじめ歴史的な作曲家と深い関わりがあり、
彼らが実際に指揮をしていたりします。また社会的地位、日本のオケに比べてはるかに高く、
国がその地位を保障してくれます。
また、数あるオーケストラは、A〜Dまできちんとそのレヴェルが位置付けされています。
最高レヴェルのAオーケストラへ所属すると、最高の音楽家たちと共に仕事ができるわけですから、
オーケストラだけではなく、室内楽、ソロなど、活動の場は、更に広がります。

前回のレポートにも書きましたが、オーケストラの入団試験を受けるには、
まず申込書を提出しなければなりません。
オーケストラ側は、数百人にのぼる申込者を20人ほどに絞り、
オーディションを受ける資格のある人たちへ招待状を出します。
この招待状を受け取ること自体が、現在では外国人には大変な難関なのです。
なぜなら、このドイツでもやはり不況の影響は大きく、ドイツ人ですら就職難の状況なので、
当然外国人にはますますハードルが高くなるわけです。

音楽家は、あちこちのオケに申し込み、招待状が来るのを待つのですが、
招待状すら来ない、また招待状は来て受けに行けても百回以上も落ち、
精神的に病んでしまうという話をいろいろ聞いていました。

こんな状況ではありましたが、「何事もやってみなければ分からない」という私の信念から、
とりあえず申し込み書類を出してみることにしました。
たとえ最初はA級のオーケストラへ入ることが出来なくても、
少しずつステップアップしていけばいいなと、どんなに小さなオーケストラでも逃さず、
全てに申し込みました。
そうしたら、意外なことにいくつものAオーケストラから招待状が来て、
その中でも、先生をはじめ周りの人イチ押しのオーケストラ、
ドレスデン国立歌劇場(ゼンパーオペラ)のオーディションを受けることに。。。

ドレスデンはミュンヘンから電車で約7時間。
夜行電車に乗って、朝イチのオーディションを受けに行きました。
このオーケストラについて何も知らずに、オーディションがいかに難しいかも全く知らずに、
「とりあえず何事も経験」という感じでした。
周りの人から、はじめから合格するのは奇跡に近くて、
みんな何度も落とされながら育てられていくんだよ、と聞いていたからです。
ところが・・・・・・・・

今回、20人受けに来た中からたった1人、この未経験な私が、
第一ヴァイオリン奏者として合格してしまったのでした!

私の人生は、何故かいつもこういうパターンが多いのです。
何も知らずにチャレンジ精神だけでぶつかって行って、
あとから自分がどういうことをやったのか、ということを知るのです。

今回も、後から聞いた話によると・・・
このオケは、創立450年という世界最古の伝統を誇るオーケストラで、
ドイツの中でもトップを競う、素晴らしいオーケストラのようです。
そして今回私は、なんでもヨーロッパ圏外から初めての外国人団員となったそうです。
どうやらウィーン・フィルのように、伝統の音にこだわって、外国人を拒否していたオーケストラのようです。

今回のオーディションでも、保守的な考え方の人たちから、反対の声があがっていたらしい。
そういうなかでも、多くの方が推してくださり、
特にコンサートマスターが私のことを高く評価してくださったようで、
「今、我われがこの才能ある演奏家を、外国人だからという理由だけで採用しなければ、
このオーケストラに未来はない」
こう、かっこよく断言して下さったそうなのです。。。まるでドラマみたいだ。。。
さらに、このオーケストラでは、合格したとしても、はじめは第2ヴァイオリンからのスタートで、
早くても一年後から、第1ヴァイオリンへ昇格することが出来るシステムだったそうです。
なので、今回私が第1ヴァイオリンからスタートするというのは、異例のことのようです。
こんなにあれこれ歴史を変えてしまっていいのだろうか・・・と複雑な心境です。

オーケストラでの活動は、とりあえず2003年3月からのスタートとなります。
かのシノーポリが常任指揮者を務めていたこともありますが、
現在はハイティング。名誉指揮者にコリン・デイヴィスも加わり、巨匠たちの指揮のもと、
オペラとシンフォニーを演奏していくことになります。
あの素晴らしい歌劇場で、室内楽も沢山演奏させてくれるようですので、今からとても楽しみです。

先のことは分かりませんが、素晴らしいチャンスに恵まれたので、
経験を積みながら、マイペースで日本と両方で積極的に演奏をしていきたいと思っております。


さて近々あるコンサートは・・・
2003年2月28日(金)、東京・安田生命ホールで素敵なメンバーと演奏させて頂きます。
私の大好きなロシア音楽に絞り、名曲も含めお気に入りプログラムを組みました。
私たちの音楽をお楽しみいただけましたらうれしいです。

ではみなさま、どうぞ素敵なクリスマスと、あたたかい日本の風流なお正月をお迎えくださいませ。
輝かしい2003年でありますように!

SAE

2002/10/19 (Saturday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No.35 ♪〜
         『オクトーバーフェスト』

「ビールの都、ミュンヘン」
これを実感させられるのは、やはりこのオクトーバーフェストでしょう。
9月中旬〜10月初旬、世界中から700万人以上の人が訪れる、世界最大のビール祭りです。

去年はライプツィヒへ行っていたため、このお祭りに参加できなかったので、
今年こそは、とドキドキしながら、ドイツ人の友達と会場へ・・・

そこはもう別世界。
キラキラとカラフルなたくさんの出店。
トリの丸焼き、ソーセージ、ドイツのお菓子・・・
広大な敷地に、地元ビール醸造会社の巨大テントがいくつも建ち並び、
テント内では5000〜1万人を収容するビアホールが繰り広げられています。
人々はひしめき合って、飲めや歌えや踊れやのドンチャン騒ぎ。
ここで飲まれるビールは60万リットルを超え、35万羽のにわとりが来訪者の胃袋へ消えると言われます。

外には広大な敷地にこれでもか、というほどの、移動遊園地のパラダイス。
お祭り騒ぎでハイな人々・・・「遊び」の別世界へと迷い込んだような
ハッピーな活気に満ちあふれています。
会場には有名人も勢ぞろいして、あちこちでテレビ中継も行われています。
また、日本で浴衣を着てお祭りに参加するように、バイエルン地方の
民族衣装を着て参加している人もたくさんいます。
小さい頃見たアニメの「ハイジ」を彷彿とさせる、かわいらしい衣装です。

さあ、こんな中に迷い込んだものだから、大喜びの私たち!
子供に返ったように、ジェットコースターにお化け屋敷と、あれこれチャレンジ。
それから、バイエルン名物のソーセージ、お菓子などをつまみながら、
あまりの混雑で「不可能」と言われるビールテントの席取りに向かいます。
テントの中だけでなく、外にもビアガーデンが設営されていて、
運良くそこをゲットできたのでした。

「オクトーバーフェスト・ビール」という、期間限定のビールを飲みながら、
見ると、民族衣装を着たウエイトレスのお姉さんたちは、なんと1リットルの
ビアジョッキを、片手に3つ、4つ・・・両手で8つ?!
私はこの1リットルジョッキを両手で持って飲むというのに・・・
なんとたくましい姿でしょう・・・
聞くところによると、最高は両手で11個!

お祭りとは、無条件に人を楽しませてくれるものだなぁと、久々にはしゃいだ1日でした。

家に帰って、ホストファミリーにこの話をしたところ、
子供達は・・・
「えー!さえ、あのユーロスター(一番恐いジェットコースター)に乗ったの?!」
と尊敬のまなざし・・・
ハッハッハ〜!とハナ高々になっていると、ご主人、奥さんは、
「まぁ!あれは2年前、死亡事故があった危険な乗り物なのよ」と。
一気に真っ青・・・

まぁ何はともあれ、無事に(!)このオクトーバーフェストに
参加することができたのでした。よかったよかった。。。

200年近い伝統を誇るこのお祭りが終わると、
アルプスには雪が積もり始め、街中は少しずつクリスマスへ向かいながら、
寒く長い冬がはじまります。

SAE

2002/10/05 (Saturday)

      〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No.34 ♪〜
           「ヨーロッパ生活〜雑感」

みなさん、すっかりご無沙汰してしまいました。
こちらミュンヘンは、本来、絵画のように美しい秋を迎えているはずなのですが、
ここのところおそろしく寒く、 先週はほとんど太陽というものを見ませんでした。
そして先日、とうとう「雪」が降ってきたのでした!!
いったいどうなっているのでしょう?
いきなりクリスマスまで、吹っ飛ばされた気分でした。。。

卒業後、いつまでこのドイツに滞在できるか分からないので、
今のうちにできるだけ多くのものを観ておきたくて
この夏はあちこちと旅行をしておりました。

ドイツ国内はシュトゥットガルト、カールスルーエ、ハイデルベルク他、
はたまた国外はロンドン、ブダペスト・・・と、まぁ、思い返せば、
よくも短期間でこれだけ回ったな・・・という感じです。

これまでも、いろんな国を見てきましたが、
どの国へ行っても、都市では同じような印象を受けることに驚きます。
ロンドンも街中は、私には東京の渋谷あたりのように思えます。
世の中はどんどん小さく身近になっているんだなぁ、と感じました。
しかしイギリス人いわく、「ロンドンはイギリスではない」そうで、
ここにも、私が以前ギリシャ旅行で感じたような
「近代化」と「伝統文化」の問題があるのでしょう。

ヨーロッパの都市をいくつもたずねてみて感じるのは、
どの都市にも外国人が多い、ということです。
人々が自由に移動するようになればなるほど、
さまざまな問題がおこり、複雑化していくのでしょう。

私は外国人としてこのドイツにいるわけですが、
ここで職を見つけ、生活していくというのは、かなり大変なことらしいです。
ドイツには、伝統のある、素晴らしいオーケストラがたくさんあります。
オーケストラに入団するには、まず書類審査があり、それをパスすると、
オーディションを受けることができる「招待状」を受け取ります。
ここではじめて演奏を聴いて、審査してもらえるのです。
きくところによると、この招待状を受け取ること自体が、
外国人にとって非常に難しいのだそうです。
音楽は実力の世界だと思っていたのですが、「外国人」であるために、
演奏を聴く前にシャットアウトされてしまうのは、本当に残念なことです。

日常生活のなかでも、外国人であるがゆえにいやな思いをすることがあります。
私は比較的そういう目にあわずにすごしていますが、
友達から、時々信じられないくらいひどい目にあった話もききます。

異なる者同士が共存しようとすると、ある程度の衝突は避けられないのでしょうが、
大切なことは、お互いが歩み寄って理解しようとすることだと思うのです。
お互いの文化を尊重し合い、
人と人の間にも、美しいハーモニーを奏でていきたいものですね。

SAE

2002/06/24 (Monday)

      〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No.33 ♪〜
          「卒業試験リサイタル」

ついに、この時を迎えてしまいました。
「卒業試験リサイタル」・・・

私がこのミュンヘン国立音楽大学大学院に入学したのは、
あくまで「先生」が目的で、実は学校については何も知りませんでした。
卒業試験という行事をきっかけに、私の知らなかった事実が発覚。。。

ドイツの大学院は、その中でも3段階にレヴェルが分かれていて、
私の在籍していたコースは、なんでもその最高の「マイスターコース」という、
「国家演奏家資格」なるものを得られるコースだったそうです。
(ドイツ語の「マイスター(Meister)」とは「巨匠、名人、達人」の意)

ということで、この卒業試験というのは、日本でいう「試験」の感覚とは違い、
「ソリスト」としての、正式な「コンサート」であるため、
非常に注目度の高い、華やかなイヴェントとなるのです。
また「コンサート形式」ということで、試験は夕方6時から、学校の大ホールで。

私のプログラムは、

バルトーク   :無伴奏ソナタ
R.シュトラウス :ソナタ
ラヴェル    :ツィガーヌ

という、先日の東京のリサイタルとは一味違うカラーで挑戦しました。
私の先生、アナが、私に合ったプログラム、と考えてくれたのはうれしいのですが、
このバルトーク・・・とんでもなく難しい!!
友達に「卒試、何弾くの?」と訊かれて「バルトークのソロソナタ・・」というと、
「あなた気は確か?!」と、何人の人に言われたことか・・・
東京、オランダと演奏会を終えて、卒業試験まで正味1ヶ月という限られた中で
いかに仕上げられるかが課題でした。

とはいってもこの季節。
外は毎日上天気。
人々はどんどんオープンになり、明るくなり、街が活気づく季節・・・
ミュンヘンの名物「ビア・ガーデン」も、あちこちでおおにぎわい。
大自然の木々の中、ピクニックのような雰囲気をもつ
ミュンヘンのビア・ガーデンは、実は私の一番のお気に入り。
バルトークと悪戦苦闘しては友達とビア・ガーデンに行き、
ビールではなくコーヒーを飲み、わいわいしゃべりながら
広大な大自然に癒されて、またバルトークへ没頭・・・と、
一見まったく関連のない「バルトーク」と「ビア・ガーデン」が、
私の中では、非常に不思議な脈絡を持ち、不可欠なコネクションとなっていたのでした・・・

6月7日。
曲が曲ゆえ、めったに体験しない「腱鞘炎」的痛みを腕に感じながら、
当日を迎えました。
会場には、あふれんばかりのお客さん。
そして、私がこのミュンヘンで知り合った大切な人たちみんな、
学校の友達、ホストファミリーの全員!、
それに以前住んでいた家の大家さんまでもが、聴きに来てくれたのでした。

難曲バルトークに苦戦していた私に、演奏直前、
アナ先生が楽屋を訪ねてくれて、
「さえ、難しいからって戦っちゃダメよ!楽しんで!!」と
いつものようにあたたかく抱きしめてくれました。
単純な私は、すっかりその言葉に勇気をもらって、
本番では、不思議と音楽に没頭して弾くことができたのでした。

演奏会は成功、お客さんはブラボーの嵐を起こしてくれて、
私は無事、この「達人コース」なるものを卒業することができたのでした。

思い返せばさまざまなことがあったこの留学。
毎日が冒険で、発見で、困難で、感動のあった日々。
ここに来た頃の私の演奏は、今とは全く違うものだ、
とアナ先生は言って下さいました。
先生の粘り強い教えと、このドイツの素晴らしい環境とが、
今の私を育ててくれたんだなぁ、と、
留学することが出来て本当によかったと、心から思ったのでした。
たくさんの人々に助けられながら何とかここまでやってきて、
今、一つのピリオドを迎えようとしています。

SAE

2002/06/05 (Wednesday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便りNo32 ♪〜
        「日本、オランダ演奏旅行」
            =part2=

〜オランダ ヘームステッド・オケと協演〜

4月21日にオランダで、「ラロ:スペイン交響曲」を弾くことになっていました。
オーケストラはヘームステッド・フィルハーモニー管弦楽団で、
これまでも何度か共演したことがあります。

ミュンヘンから日本へ、そしてまたオランダへ・・・・。
慌ただしい日々の真っ只中にいると、
飛行機の中は、全てを逃れて最もくつろぐことのできる場所です。
読みたかった本を読み(ヘルマン・ヘッセ「シッダールタ」、おススメです)、
ラロのスコアを見て、好きなだけぼーっとし、映画を見て、寝て・・・・・
そうこうしているうちにオランダへ到着。

本番の数日前に到着したので、
美術館へ出かけ、小さな古い街を観光してすごすことができました。
そしてもうひとつ、今回密かに計画していることがありました。
小さなこどもがお菓子を楽しみにお勉強するように、
この計画を楽しみに、日々練習に励み、本番を迎えました。
演奏会は非常にスリリングな緊張感に満ちた、とっても楽しいものでした。
以下は、新聞に掲載された、オーケストラの批評の一部です。

『・・・島原早恵の演奏は、ステージから聴衆へ向けて火花を散らすかのようだった。
ほっそりした彼女からヴァイオリンを通して、彼女の立派な人格がうかがわれた。
「ラロ:スペイン交響曲」の解釈は、まったく素晴らしいものだった。
聴衆とオーケストラがともに、たいへんに感動させられた。
彼女はこのオーケストラと古くから親交があり、この関係が将来も続くことを願っている・・・』

そして翌日は、私にとってのハイライト・・・演奏会は別として・・・。
有名なチューリップ公園「キューケンホフ」に行ってきました!
キューケンホフそのものの魅力はもちろんですが、私にとっては、
ハードな日々を乗り越えた、自分へのご褒美でもあったのです。

ここで、一生分の花を見た・・・ような気がします。
キューケンホフは、巨大なチューリップ公園で、
1年のうち、この時期のたった2ヶ月しか公開されません。
ひととおり見るだけで2時間もかかります。
これまで見たことがない種類や、チューリップ以外の様々な品種の花々が、
信じられないほど沢山、それは本当にたくさん!咲き誇っているのです。
「花が美しい」と感心するよりも、「花々による芸術鑑賞」と言ったほうが的確でしょう。
まったくおそれいりました。
公園を出たときは、「しばらく花は見なくていいな・・・」
というほど、満喫したのでした。

〜さいごに〜

最後になりましたが、今回の演奏会でお世話になった方々、
陰ながらにサポートして下さった方々、
お忙しい中ご来聴いただいたお客様方、
皆様に、心からお礼を申し上げます。

現在は、ミュンヘンに戻り、
6月7日にある卒業試験リサイタルヘ向けて、練習に追われています。
残り少ない留学生活を、大切に過ごしたいと思っています。

次回の演奏会でお目にかかれますことを、楽しみにしています。
今度は「ロシア音楽のフルコース」になる予定です。
リクエスト曲などありましたら、
このHPトップから入れる記帳コーナーに書き込んでみてくださいね。

SAE

2002/05/22 (Wednesday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便りNo32 ♪〜
        「日本、オランダ演奏旅行」
           =part1=

〜 1年半ぶりの日本
とうとう一時帰国する機会が訪れました。
これまで、こんなに長い間日本を離れたことはありません。

留学の初期には、演奏会などでたびたび帰国するだろうと考えていました。
でも、尊敬する音楽家からアドヴァイスを受けて考えを変えました。
たった2年しかない貴重な留学生活なのだから勉強に集中し、
ヨーロッパの生活に浸り、ヨーロッパの歴史、文化、伝統、気質・・・を
より深く知ることに重点を置くようにしました。
おかげでこの1年半は、私の人生の中でかけがえのない期間となりました。

でも、この間、日本とは全く無関係にすごしたわけです。
さぞかしいろんなことが変わっただろうな、と、
期待と不安を抱きながら、飛行機へ搭乗したのでした。


〜遠い東の国「日本」〜

日本にいる頃、クラシック音楽をやっている人々の間で、よく出てくる言葉、
「ヨーロッパは本場だからね〜」
これを痛感したのは、不思議なことに留学中ではなく、今回の帰国で、でした。

最初のカルチャーショックは、アムステルダムで日本行きの飛行機に乗り換えた時。
ミュンヘンでは、数人の日本人を知るだけで、ほとんどヨーロッパの人たちの間で
生活していたため、「大勢の日本人」を目にしたのは1年半ぶり。
自分が日本人であることを忘れて、驚いてしまいました。

そして12時間かけて日本に到着。
「あぁ、なんて、なんて日本って遠いんだろう!」。
それに、この日本の風景。
日本にいる頃は当たり前に存在していた風景なのに、
まるで自分が外国人になったような気持ち・・・
なんて違うんだろう!この風景、この空気、人々・・・
ミュンヘンで夢のような生活を送っていた私には、
違和感を覚えずにはいられませんでした。

「日本という国は、こんなに違うんだ・・・」
「こんなに違う、遠い東の国で、ヨーロッパ音楽を想像しながら学んでいたのか・・・」
自分の歩んできた道を振り返って、しみじみ感じたのでした。

そして、まるで観光客のような気分で、日本の伝統的なものを見つけては
喜んでたくさん写真を撮ったのでした。

〜リサイタル in Tokio〜

今回のリサイタルでは、

  バッハ:無伴奏パルティータ第2番
  ベートーヴェン:ソナタ第9番「クロイツェル・ソナタ」
  リヒャルト・シュトラウス:ソナタ

という、ドイツものの大曲3曲に挑戦することにしました。
どっぷりドイツにひたり、学んだ成果を、自分自身にも問いたかったのです。

この4月は、短期集中型の超過密スケジュールで、とにかく大忙しでした。
4月5日に、東京芸術劇場で、茂木大輔さんの指揮による
バッハ「マタイ受難曲」の演奏会
4月12日にリサイタル
その後、オランダでヘームステッドフィルハーモニー管弦楽団との協演・・・。
特にマタイ受難曲は大曲ですから、リハーサルが毎日あり、
しかも長時間にわたる大変なものでした。

それに加えて、私の、リサイタルへのこだわりとして、
次のふたつは、必ず守る、と心に決めています。
・全て暗譜で演奏(個人的に楽譜を離れてはじめて、心で演奏できるので)
・曲目解説は自分で作る(私の解釈を知って、聴いて頂きたいので)

そんなわけで、これまで体験したことがないほどひどい時差ぼけと戦い、
コーヒー依存症に陥りながら、頭の中が「空き容量0」状態になっている状態で、
リサイタル当日がやってきました。

ゲネプロでは、非常に調子が悪く、
「本当に今回の演奏会の準備は、十分にやったのか」
「本当にドイツで学んだ成果を、十分に発揮できる状態なのか。」
と、自己嫌悪に陥って、食べ物も喉を通りません。

本番。
それでも、ステージに出た時は、もう音楽のことしか頭にありませんでした。
演奏をはじめたとき、何か不思議な空間にスリップするのが分かりました。
気が付くと、笑顔で演奏会を終えていました。

そのときの気持ちは・・・
演奏が良かったかどうだったかということより、
「自分の信じた道を歩んできてよかった」ということでした。
その夜は、幸せな満ち足りた気分で、
時差ぼけも忘れ、ぐっすりと眠ることができました。

リサイタルの翌日、関西の実家に戻り、
3日後にはクライスラーなどの小品を1時間のプログラムを演奏。
その翌朝には、オランダ行きの飛行機に乗っていました。
せっかくの1年半ぶりの帰国は、
台風のようにめまぐるしくすぎてしまったのでした。

 SAE

2002/02/10 (Sunday)

     〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No31 〜♪
        Winter Vacation in France Part5 
          「大自然の生活と私」編

今回の旅行で発見したことは、「大自然の生活」です。
「世界最高水準の超清潔国、日本」で育ったせいか、
私の生活の第一条件に「清潔」があります。
そのため、家の中と外の区別は、非常にはっきりしています。
外から帰ってきたら、手洗いうがいをしますし、家に虫が入ってきたら外に出します。

しかし、アルデッシュの地元の方々の生活とは・・・
温暖な気候のせいもありますが、外の生活が主なのです。
人によっては外でトイレをし、冷たい水のシャワーを浴び、
そのシャワーも毎日浴びるわけではなく、手もめったに洗わない!
家とは、短い冬の間、寒さをしのぐためにあり、
更に暖炉で室内を温めるため、部屋は小さいのが条件です。
何しろ石造りの家ですから、日本のアルミサッシの家とは違って機密性が低いのです。

そして、寒い冬が過ぎると、外の広大な大自然そのものが「家」になります。

今年は例年になく寒い冬で、水道管が凍って、洗濯機が使えない時がありました。
それなら臨機応変に手洗いで・・・と思っていると、この家のご主人が、
「さえ!服なんて洗わなくていいんだよ!ここでは誰も臭いなんて言わないよ!
僕なんて2日もシャワーを浴びてない。におうかい?!」と。
ミュンヘンでの文明的なご主人を知っている私には、びっくりでしたが、
確かに別ににおわない・・・

ある時、サラミソーセージが堅くて切れない、と苦戦している私を見て、
ご主人が「僕に任せなさい」と持ってきたのが、なんと日曜大工のようなナイフ・・・
「それって、外で使うナイフじゃ・・・」と言うと、
「それがどうした。はいどうぞ。うん、お陰でナイフがキレイになったよ」と・・・

食べ物が床に落ちたら、食べないのは、わたしにとって常識でしたが
(特にこちらは室内土足なので)
しかしこちらの人たちは、「おっとっと・・・」と言って、拾って食べている・・・
文明国(!)から来た私には、生活のあらゆるスタイルが、ショックに近い驚きです。

しかし冷静に考えてみれば、人間本来の生活はこうなのかも・・・。
細心に気をつけ、清潔にしていても、年に1回は風邪を引きます。
ここの地元の人は、冷たいシャワーを浴びようと、手を洗わなかろうと、風邪など引かない(らしい)。
自然に近い生活を送っているため、少々の菌にも、抵抗力が養われているのではないかしら。
昔、エジプトの王が暗殺に備えて、毎日毒を少しずつ飲み
抵抗力を養っていたという話を本で読んだのを思い出しました(笑)。

ここにいると、日頃いかに文明の力に頼った生活を送っていたのかがわかります。
風邪を引いたら薬を飲む、スーパーがなくなったら、食べていけない、
ヒーターがなければ、冬は凍えてしまう、お湯が出なければシャワーも浴びることができない・・・
もちろん、この地方に住んでいる人でも、生活スタイルはさまざまです。
誰もが狩をしているわけではないし、車だって必需品です。

しかし、この自然に馴染みながら生きる人々を見て思ったのは、
彼らの独立した強さ、人間本来がもっているエネルギーの豊かさです。
そして一方で、これまであたりまえのように存在していた
「文明」へ感謝の気持ちもわいてきました。

ミュンヘンに戻ると、ヒーターのある、あったかい部屋、
あったかいシャワーを浴びることができる(涙が出るほどうれしかった・・・)、
CDが聴ける・・・
どうってことのない、些細なことまでもが、本当にありがたく、また新鮮に見えました。
そして今回知った、たくましい人間たちの姿を少しでも見習って、
これからは、もっともっとタフになりたいものだ、と思ったのでした。

SAE

2002/02/03 (Sunday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No30 ♪〜
        Winter Vacation in France Part4
           「ジルベスター」編

ジルベスター(大晦日)では新年を迎えるまでのパーティーが行われます。
これは日本のお正月とは逆に、大勢でにぎやかに行われます。
この家では、総勢35名の大パーティでした。
みんなそれぞれ自慢の料理を1品ずつ持ち寄って、出席します。
フランスではこの時期、殻付きの生がきが出回り、箱入りのケース単位で買います。
一人当たり最低10個は軽く食べるそうで、
レモン汁をかけ、シュルっといただくのがオツだそうです。

メインディッシュは、なんと地元の方が狩をし、イノシシを射止め、
4日かけてじっくり焼いたイノシシの丸焼き!

以前ミュンヘンレポートNo.12で、体験済みの私でしたが、
やはり何度見ても、あの「姿焼き」を目にすると、一気に食欲が失せるのを覚えます。。。
しかしカットされて出てくると、これがやはり、非常にジューシーな絶品なのです。
長い時間をかけて、食事を楽しむのがフランス人の伝統気質らしいのですが、
この日は6時から始まり、11時過ぎまでかけて、喋りながらの長い夕食。

デザートを終えて落ち着いた頃、私のミニ・コンサートをスタート。
12時になったら、全員が「Bonne Annee!(新年おめでとう!)」とキスをし合い、
抱擁を交わします。
そして、今年は全世界の人々が幸せであることを願って、
ドイツの第2の国歌である「歓喜の歌」 by ベートーヴェン交響曲第9番を
私が演奏し、みんなで合唱したのでした。

こうして素晴らしいクライマックスを迎えたジルベスターは、
喋って笑って、歌って踊ってのドンチャン騒ぎへと発展し、
結局、夜中3時に終了となったのでした。

こちらの人が、本当にタフだと思うのは、
こういうパーティーの翌朝でも、何事もなかったかのように、
あっさりした顔で、早朝に起きていることです・・・

私がミュンヘンに帰るとき、パーティに参加したお客さん数人が、
「コンサート感動した!」とわざわざプレゼントを持ってきて下さいました。
「あなたのイノシシも最高だったわヨ!!」と返す私。
コンサートホールの演奏会と違って、
お客さんをより親しく身近に感じる、素敵な体験でした。

2002/01/26 (Saturday)

   〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No29 ♪〜 
      Winter Vacation in France Part3 
         「本場のクリスマス!」編

幼い頃、クリスマスというと「サンタクロース、パーティ、プレゼント・・・」
ということしか頭になかった私が、
「クリスマスは、キリストの誕生日である」と知った時、
そんなマジメな日だったのか、と非常に驚いたのを覚えています。

そうしてついに「これが本場のクリスマス!」という体験をしたのでした。

24日、クリスマス・イヴ。
クリスマスの祭典は、正確にはこの日の晩から始まります。
日本でいうお正月のような存在で、家族、親戚一同が集まり、
各家伝来のごちそうで、キリストの誕生を静かにお祝いするそうです。

ろうそくの火だけを灯し、ご馳走を食べた後、奥さんがピアノを弾き、
クリスマス・ソングを歌いました。
ドイツやヨーロッパ独自のクリスマスソングもあり、
初めて「クリスマスという日は神聖な日なのだ」と感じました。

次はお楽しみ、プレゼント!
クリスマス・ツリーの下にわんさかと置いてあるクリスマス・プレゼント。
慣習として、日頃の感謝の意を込めて、家族や親しい人にプレゼントをあげるそうです。
私にも「家族の一員よ!」とちゃんとプレゼントを用意して下さっていたのでした。
暖炉の火に照らされながら、みんながそれぞれにうれしそうにプレゼントを開ける光景は、
家庭のあったかさを感じ、本当に美しかったです。

そうして、いよいよ神聖な儀式の時間です。
夜8時、教会でのクリスマス・ミサに出席。
ここは古いしきたりで、(聖書に登場する)牛とロバが同席の、
非常に興味深いミサでした・・・彼らは神聖なミサ中に、フンをしていましたが・・・
最後には教会の明かりを消し、ろうそくの光だけで「きよしこの夜」を歌い、
まさに「聖なる夜だ」と感じたのでした。

今回初めて、本場でのクリスマスを体験した私ですが、
雪景色、暖炉の灯り、ろうそくの光、クリスマスツリー、クリスマスソング、
教会のミサ・・・クリスマスに食べるケーキ、シュトーレンまでも、
やはりこういう全ての風景、背景にふさわしく、
これが「本当のクリスマス」だな、と実感したのでした。

2002/01/20 (Sunday)

        〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No28 ♪〜  
     Winter Vacation in France Part2
         「手造りのセカンドハウス」編

今回、Winter Vacationで訪れたアルデッシュ地方は、おとなりプロヴァンス地方と変わらない、
石造りの家々が建ち並ぶ、非常に風流な田舎です。
広大なワイン畑、ラヴェンダー畑などがあり、
ゴッホ、セザンヌなどの有名な画家達が好んで住んだ土地です。
この南フランスの強烈な太陽の光と、大自然の美しい風景が、
彼ら独特の画風を生み出したそうです。

この家のご主人が、20年前この土地を気に入って、
山の頂上にあった農家の廃墟を買い取り、お友達と一緒に少しずつ手を入れているそうです。
石をあちこちから運び、水道を引き、電気、電話線を引き・・・と、全てが一からの手造り。
日本でよくみるリッチな「セカンドハウス」とは一味違います。

こうして出来上がった手造りの家は、
暖炉があり、プールもあり、何より山の頂上からの眺めは絶景です。
素晴らしいセカンドハウスでした。
20年という長い年月をかけて、楽しみながら気長に造っていくという考えは
いかにもヨーロッパ的だなぁと感じます。

2002/01/13 (Sunday)

      〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No27 ♪〜

〜〜〜<新年のごあいさつ>〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

明けましておめでとうございます。
本年もまた、アドヴェンチャーに満ちたレポートをお送りしたいと思っておりますので、
どうぞ宜しくお願い申し上げます。
今年は、世界の人々が平和に暮らせるよう、心から願っています。

では張り切って、本年第一号!ミュンヘン便りでございます!!

〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜

     Winter Vacation in France Part 1
   「クリスマス・ヴァケーション、オープニング!」編

日本のお正月を無性に恋しく思うなか、どうしても体験したかった
「ヨーロッパでクリスマス」というスローガンを果たすため、
次々帰国していく友達を横目で羨みながら、歯を食いしばって「居残り」をしていました。。。

私の住む家の家族には、南フランス・アルデッシュ地方に別荘があり、
毎年クリスマス&新年はそこで迎えているそうです。
そして今年、私も同行させて頂くことになったのでした。

ヨーロッパの素晴らしいところは、陸続きのため、簡単に他国へ移動できる点です。
そして意外なことに「車」という手段が大変人気です。
今回の旅行は、聞いてビックリ、車で12時間!!
これまで長距離旅行といえば飛行機か電車しか使ったことのない私には、全く想像のつかない旅行です。
とりあえず暇つぶしに読書でもするか、などと考えながら車に乗り込みました。

しかし、ふたを開けてみると・・・それは素晴らしい旅だったのです。
ミュンヘンを出発し、さまざまな、小さいかわいらしい街中をくぐりながら、
いつしかオーストリアへ入り、また違った街並みを堪能していると、
すぐにスイス・チューリヒに到着。
コーヒーブレイクをして
更に進むと、あっという間にジュネーヴに着き、
かの美しいレマン湖を眺めながら優雅にランチ。
街中のアールデコ調の建物を観光し、リフレッシュしてドライブを再開すると
もうフランス。そして、気がつけば、目的地・アルデッシュへ到着。

長い長いと思っていた12時間が、あっという間・・・。
こんなにも充実した、意義のあるものだったとは、想像もしていませんでした。

2001/12/25 (Tuesday)


      〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No26 ♪〜

         稀有な音楽家、アナ・チュマチェンコ

私が現在師事しているアナ・チュマチェンコ先生については、これまで一度だけ「偉大な先生」として書きました。
今回は、待ちに待った先生の演奏会です。

先生のステージでの演奏を聴いたのは、初めて出会った講習会で、でした。
そのとき弾かれたのは現代曲でした。
現代曲ゆえ、初めて耳にする時はたいがい理解しにくいものですが、
にもかかわらず、いちどで理解でき納得させられた演奏で、昨日のことのように覚えています。
まるで古典も現代も境界線がないような、魔法のように素晴らしい演奏でした。


11月30日。
待ちに待った彼女のコンサートの日。
日頃のレッスンのときから、どんな曲を持って行っても、圧巻の模範演奏をされ、
理想の音楽を創るためには、決して妥協しない精神。
この先生の姿を知っている私には、その演奏は計り知れなく、待ち焦がれた演奏会だったのでした。

期待と同時にこれから起こることへの未知な不安が漂うなか、
ステージに登場した彼女は、いつものやさしいお母さんのような雰囲気はなく、
気高い、気品に満ちたオーラが、まぶしいほど放たれていたのでした。
曲目は、先生にふさわしく偉大なベートーヴェンのコンチェルト。
そうして始まった演奏は・・・

私は、感動を通り越して、ショックを受けました。
いや、誰もがショックを受けた状態でした。
何か信じがたい光景を目にしたよう・・・
テクニックや解釈、音楽の知識、音色・・といった種類のことはもう、何も感じない。
そこにあるのはただ、天国のような音楽。
彼女の心、精神、人間、美・・・すべてが描かれていたのでした。

演奏後は、観客もブラボーの嵐で大騒ぎ。
私は、まるで幻を見せられたような、何とも言えない放心状態でした。
世の中には、あのような人間が、演奏家が存在するのだ、と・・・

放心状態のまま楽屋を訪れ、先生にキスし感激を伝えましたが、
生徒たちが演奏について激しく語り合う中、私にはもう、発する言葉がなかった・・・
みんなは、口々に言っていました。
「まるで神、いや、聖母マリアのようだった」
「ショックを受けた!あんなヴァイオリニストは見たことがない」
「あんな先生の演奏を毎週聴いているの?!さえ」
「彼女は世の中の不可能なことを、全て可能にしてしまうたった一人の人間だ!」

その夜、まるで幻を現実だと自分に言い聞かせるような思いで、
彼女の演奏を何度も何度も繰り返し聴きながら、
この演奏はいったいなに??と自問自答し、まったく寝付けなかったのでした。

2日後のレッスンで、
「信じられないほど素晴らしかったです。誰もがショックを受けて感動していました」
と言いました。すると先生は
「ありがとう。先生という人が口だけではなくて、ちゃんと演奏できることが証明できて良かったワ!」
と、いつもの笑顔で言われました。
このとき、この人は、本当に希有な人だと思いました。

世の中には優れたヴァイオリニストがいっぱいいます。
小さい頃から現在まで、心から尊敬するヴァイオリニストはいろいろいました。
彼らはいつも、最高の興奮をもって感動を与えてくれて、時にはメランコリックに泣かされ、
時にはサーカスにも似た、信じがたいテクニックでもって感動させられることもありました。
でもこの日、私は違う種類のヴァイオリニストを知りました。
彼女の演奏には、高貴な精神が宿っている。
理想を求める人間が創り上げた、純粋な音楽の桃源郷。
作曲家が目指した夢を、彼女は見事に実現していたのです。

古代ギリシャでは、音楽によって人の病を治していたそうです。
私は、彼女の音楽で全精神を清められた、そんな気がしました。

SAE

2001/12/21 (Friday)

   〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No25 ♪〜
      あこがれのギリシャ〜文化について〜 

今回のギリシャ旅行でひとつ、考えが変わったことがあります。
それは、「文化」について。

外国人の皆さんが、日本に関する知識として挙げるのは必ず「スシ」「着物」「将軍」「切腹」「芸者」・・・・・・
日本訪問の記念にチョンマゲのカツラを買ったり、現代日本に生まれた私にはかえって不思議に思えることをします。
ある時「日本人って犬も食べてるんでしょう?」と言われた時には、驚きを通り越して、血の気が引きました。
こういった誤った知識は改めてほしい!といつも思わせられます。

現代の日本人は、イタリア料理も、フランス料理も、中華料理も、なんでも食べます。
ナイフとフォークも使うし、海外旅行をしても全然違和感なく食事ができます。
コスメティックも国内外さまざまなものを使いますし、みんな洋服を着ています。
着物を着ている人を見つける方が難しい。
全てがヨーロッパやアメリカと同じように手に入り、オープンで全く抵抗ない。

私はこの「現実」を、外国の方々に是非知ってほしいと、いつも思っていました。
古いものに固執せず、新しいことを取り入れて消化する柔軟性があることは良いことと信じ、誇りに思っていました。

こういう私がドイツに留学し、伝統を重んじるドイツ人気質を知り、
ある時、この家の人たちと「文化」について、話し合ったことがありました。

この家は、純バイエルン式の家で、内装が木造で、とても趣があります。
たてものだけでなく、バイエルンの文化を重んじ、それを好んでいるそうです。

一方、私の日本の家は全然日本的ではないし、普通のテーブルで椅子に座って食事をします。
伝統行事も、私のような若い世代はあまりしませんし、東京には高層ビルがいっぱいあります。
こういった、現在の日本を説明すると、「大切な文化が失われていく」と、非常に残念がるのです。
その時の私には、なぜ変わりゆく現実を受け入れないのか、なぜ昔のものに固執するのか、というのが分からず、
そういう考えは柔軟性がないように見えました。

しかし、こういう考え方にも、故がないわけではないことが、今回の旅行で、ようやく分かったように思います。
今回滞在したギリシャの町には、ドイツと同じシャンプーが買える同じようなスーパーがあり、
南欧の都市としては、先進的な都市機能をもっていました。
が、それは同時に、ドイツやフランスなどと、どんどん似た国になっていく、ということでもあります。
私がもっていた、白い家々に青い海、古代遺跡の数々・・・といった「ギリシャ」のイメージは、
現代ギリシャのほんの一部でしかないということです。

それがいいことか、悪いことかはわかりません。
それが歴史の流れというものなのでしょうから、どうしようもないことなのですが、
けれど、新しい文化を取り入れていくことによって、伝統的な文化が失われてしまうのは、やっぱり残念なことです。

ヨーロッパでは、お金の単位がユーロに統一されました。移動の多い私にとって便利なことなので、大賛成。
ですが、はじめてドイツのお札を手にしたときに、クララ・シューマンの肖像が描かれているのを見て、
「わぁ!さすが本場ドイツだ!」と感動したようなことは、これからはなくなってしまいます。

ある知り合いは、「おじいちゃんが使っていたフォーク」を67歳の現在も使っています。
家具も、新しいものより代々受け継がれた古いものを好む傾向があります。「そこには歴史がある」と。
これは、ヨーロッパでは、わりと普通の考え方のように思います。

ミュンヘンでも、戦後は新しいものをどんどん取り入れて、歴史的な建物まで取り壊され、
コンクリートの建物がどんどん建てられていっていたそうです。
しかし、ミュンヘンの歴史的な街並みが失われることに危機感を抱いた建築家が、
壊れかかったものでも、歴史的な建物は、時間がかかっても、お金がかかっても、
できるだけ忠実な形で復元しようじゃないかという運動を始め、それをきっかけに、
人々の関心が高まり、今の美しいミュンヘンがあるそうです。
伝統的なものを、新しいものとうまく調和させながら、残していくことが
本当の「文化」なのでは、と考えさせられました。

 SAE

2001/12/18 (Tuesday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No24 ♪〜
        あこがれのギリシャへ演奏旅行!

いつの頃からか、ギリシャという土地には一種の幻想的な憧れを抱いていました。
ギリシャ神話、ギリシャ彫刻、ロマンティックな遺跡や不思議な白い家々、エーゲ海、
贅沢な魚介料理・・・なんてロマンティックなパラダイス・・・
こんな勝手な思い込みで、この土地はいつか是非、新婚旅行で行こう!と
密かに決めていました。
ところがこの11月末に、大学の「特別オーケストラで演奏旅行」という
魅力的な企画に誘惑され、一足早く訪れることになったのでした。

しかし、私の幻想的なイメージとは裏腹に、行先は「テサロニキ」という都会で・・・
ここからは、トピック別にレポートしたいと思います。

〜〜〜テサロニキの街並み
街並みはもうドイツやフランスと変わらない。
同じブランドのブティックがありカフェがあり、イタリアンレストランがあり・・・
ひとつだけ目立つ違いは、どの家の窓やベランダにも、大きな日除けがあったことです。
(上からストライプ模様のビニールの日除けが屋根のように伸びて出てくるもの)
さすがに夏は相当暑いのでしょうね。
でも、私達が行った時期は、ミュンヘンと変わらないくらい寒かったです・・・

〜〜〜ギリシャ人とは?
まず、やはり男女ともギリシャ彫刻の様に美しい印象が強かったです。
彫りが深く、濃い顔立ち。
出会った人たちは皆、非常に情の深い、親切な方々ばかりでした。
そして明日本番だというのに、毎晩飲めや歌えやのどんちゃん騒ぎで、
夜2時3時・・・と、日々睡眠時間が削られていくのも、おかまいなし!
その底抜けに明るい性質と、タフなところが、非常に驚きであり、魅力的でもありました。

〜〜〜ギリシャのお食事
新鮮な魚介類が食べきれないほどあふれるように・・・!!
・・・とイメージしていたのを、見事に覆され、
肉! 肉!! 肉〜〜!!!の嵐だったのでした・・・
有名なスブラキは、
牛肉、子牛、鳥肉などに塩と香辛料をすり込んでグリルし、ソースやレモン汁をかけて食べます。
素材の味がジューシーで、そのままでも十分に美味しい絶品でした。
唯一の魚介は、カラマリというイカの天ぷらみたいなのでした・・・

〜〜〜遺跡・・・??
やはり紀元前のものが残っているというのは、感動するものですね。
ただ、説明なしに見ても、ただの石だったり、廃墟だったりするので、
むしろミュンヘンのケーニヒスプラッツという所にある、ギリシャ神話に出てくるような大きな建物のほうが、
「ああ、ギリシャ!!」と実感できるかもしれません。。。
さらに驚くことに、その貴重な遺跡たちは、何の特別な囲いもなく、放ったらかされているように見え、
説明を受けなければ、どうもその、本来は高いであろうはずの価値が、伝わってこないのです・・・

〜〜〜青く美しきエーゲ海
いや、これはもう、最高に感動しました。
美しいだろうとは想像していましたが、あの「特別な青」は、まったく想像を絶していました。
沖縄のようなマリンブルーでもなく、日本海のようにシブイ青でもなく、
アメリカの西海岸の様でもなく、オランダの海とも違う・・・
それは「真っ青!」なのです。
あんなにも鮮やかな青色は、私の人生で初めて目にしました。
海岸へ行く道中、バスの中からずっとその風景を見ていると、
感動の中から、溢れるようにメロディーが浮かんできて、その場で手帳に書き込みました。
今度のリサイタルで披露できるかな・・・?
ブラームスをはじめ、作曲家が好んで風光明媚な土地へ赴いた理由がとてもよく分かりました。

演奏会は計3回。
ハードスケジュールで、結局今回の旅行では、私の期待した幻想的なイメージのギリシャは、
空港で売っていたハガキの中にしかなく、それを見ながら、
「今度はぜったいホンモノを見たい・・・・・」と、決意させられたのでした。

SAE

2001/12/15 (Saturday)

   〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No.23 ♪〜
         「バッハのシャコンヌ」

ヨハン・セバスチャン・バッハが、私にとっていかに特別な作曲家なのかということは、
以前のレポート(ミュンヘン便りNo21)に書きました。
彼の作品の中で、無伴奏ソナタとパルティータは非常に有名で、
特に、パルティータ2番の最終楽章にある「シャコンヌ(Ciaccona)」は
バッハの全作品の中でも、最高峰のひとつに挙げられるでしょう。

私にとっても特別な曲であり、ずっと温めていた曲でした。
10代の頃は、テクニック的に難しいので手一杯。
(これは今でも難しいと思っています。どんな超絶技巧曲よりも。)
20代前半でも、スタイルと音楽表現のバランスがうまくいかない。

そしてこの夏、ライプツィヒでスタイルを学び、自分なりに試行錯誤をして創り上げ、
やっと確信が持てた時に、アナ・チュマチェンコ先生に持っていきました。
厳しいレッスンだったこの1年ですが、ここにきて初めて、彼女が手放しに褒めてくれたのでした。
こうして私は、学校の大ホールで演奏する機会に恵まれ、
一番勉強したかった曲を、本場のドイツで演奏することになったのです。


演奏会当日は、家々の屋根や木々に今シーズン初めてうっすら雪が積もった日で、
その風景の、なんと幻想的だったこと。
天気はよく、道路には雪はなく、乾燥して寒いため、結局その雪景色は
コンサートのある夜までずっと続いてくれたのでした。

こうして幸せな気持ちで迎えたコンサートは、お陰さまで成功しました。
「ブラボー!!」とお客さんが言ってくれたことに、私が感動させられて、幕を閉じたのでした。

満天の星空と美しい雪景色のなかを、家路をたどりながら、
こんなに幸せな日があっていいのだろうか・・・と
ずっと練習してきた身体の疲れが心地よく、何とも満たされた気分でした。

SAE

2001/12/11 (Tuesday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No22 ♪〜

かなり長い間レポートをお休みしてしまいました。
学校が始まり、レッスンが始まるともう、全くヒマがありません。
レッスン毎回暗譜(これがキツイ!)、コンサートいろいろ出演、オーケストラ・・・
書きたいことが山積みになっている状態です。
丁度レッスンが1週間お休みになったので、この貴重な期間に
まとめてレポートしたいと思います。


♪ ドイツのパブで、クラシックコンサート?!

ミュンヘンには、シュヴァービングというちょっと粋な地区があります。
19世紀から20世紀初頭にかけて、画家や作家、編集者ジャーナリストらが集まり、
ドイツ文化の重要な発祥地となりました。
ドイツが生んだ、画家・カンディンスキーも、
「シュヴァービングは、単なるミュンヘンの一地区ではなく、
一種特別な精神的状態、ドイツに浮かぶ離れ島」と形容したそうです。
どんなに刺激的で、先進的な地区だったことでしょう。

現在でもその名残が漂っていて、雰囲気のある古いパブやカフェが建ち並んでいます。
そのひとつ、とあるパブで、私の家の奥さんはジャズを演奏&歌っているのですが、
クラシックを演奏する私が、この家に迷い込んできてから、いつかそこで
ぜひクラシックのコンサートをしてほしい!と頼まれていたのでした。

そのパブは、以前のレポートにも書きましたが、
アンティークな雰囲気の漂う、とっても粋でお洒落な、まるで映画のワンシーンの様に素敵なところです。
その雰囲気にマッチするのは、やはりジャズ・・・
ロマンティックな夜に、薄暗い店内、ムードのあるジャズ。
「大人の時間」というものが存在するヨーロッパならではの、「20代の”お子様”はお断り!」みたいな雰囲気。
粋にお洒落をし、ひげを生やしたバイエルンの紳士、金髪の淑女といった常連客が集い、
渋みのあるドイツ語が飛び交い・・・・・

そんなところで、この「クラシックinパブ」という奇妙な企画は、
10月末、ついに実現してしまったのでした。

「コンサートは土曜のマチネ(昼の演奏会)。ジャズじゃなくてクラシック。
日本人演奏。しかもどうやら日本食ランチつき。
パブのシェフ初挑戦のスシ!ほか。。。 えっ?!・・・このパブで?!?!?」

ドイツ人もさぞかしビックリだったことでしょう・・・

前代未聞のそのコンサートは、好奇心旺盛な私には
まさにピッタリの企画だったのでした。

そうして当日ふたを開けてみると・・・・・・・
そこには私に負けないくらい好奇心旺盛なドイツ人たちが、
わんさか来ていたのでした・・・恐れ入りました・・・・・

客層に合わせて、まず、有名な名曲、小品、クライスラー、チゴイネルワイゼンなどなど
分かりやすいプログラムを演奏。
そして私のオリジナル、日本の童謡編曲集を披露。
たとえば私のコンサートで恒例になっている「浜辺の歌」。
日本では、よくお客さんが涙を流して聴いてくださっていました。
でもそれは、どうやら世界共通だったようです。
なんとドイツの皆さんも泣いていたのです。
やはり、音楽は理屈ぬきに、人の心に届く、素晴らしいものなのだということを
改めて知らされた思いでした。

コンサート後は、お客さんたちが「感激した!泣いた!」と、感想を言いに来て下さいました。
私自身が満足いく演奏だったかということは別にして、結果的に、このコンサートは非常にうけたのでした。
そして早速、次回の出演を依頼され、またこの奇妙な企画は、着々と進行していくのでした・・・

SAE

 

2001/10/28 (Sunday)

     〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No21 ♪〜
     「アドベンチャー・サマー 最終回『聖地、ライプツィヒ』へ」
           = Part 1 =  

長かった夏休みも、マフラーとコート着用で、最終回を迎えました。
フィナーレにふさわしく、バッハの聖地「ライプツィヒ」です。

私がドイツ留学を決めた大きな目的は、ドイツの作品、
特にバッハの作品を、より深く勉強したかったからなのですが、
今回偶然、ライプツィヒで開催される「バッハセミナー」なるものを知り、
訪問ついでに参加することにしました。
バッハに特別な思い入れがある私にとって、
彼が死を迎えた最後の土地「ライプツィヒ」は、言ってみれば「聖地」のような存在なのでした。

〜〜〜ライプツィヒ中央駅

「あぁ!ついにやってきた!!」
そのとき、多分その辺の石ころを見せられても、
「ライプツィヒの石なのね!」と感動していたことでしょう。

列車から降り立って目にしたその駅は、想像をかけ離れた巨大な駅でした。
巨大なドームに包まれて、ずらっと並ぶ発着ホーム。
なんでも、ドイツで最も近代的な駅の1つらしいです。
バッハの音楽から、素朴で小さな街なのだろう、と想像していたので驚きでした。

ホテルに荷物を置いて、早速バッハの「聖トーマス教会」へ。
その日は「東西ドイツ統一」の日で、街は賑わっていました。
ここは旧東ドイツ。
東ドイツの民主化を求める運動は、ここライプツィヒから始まったそうです。

街中を歩いて驚くのは、建物という建物が全てスケールが大きいこと。
道路という道路が、メチャメチャ広い。
道を尋ねて、「あぁその建物ね」と教えてもらってから、かーなり歩かされます。

つい先月、同じく旧東ドイツのドレスデンに行ってきたのですが、
その時も同じ印象でした。
雇用問題など、まだまだ問題は山積みらしいのですが、
こうした街の外見からは、全く西の方と変わらない、
むしろもっと近代的ですらあります。
そんな中にも、やはり昔の面影の残る建物は残っていて、不思議なことに
それらは全て灰色なのです。
聞くところによると、その昔、旧東ドイツは建物がみな、灰色だったそうです。
西のミュンヘンは対照的で、非常にカラフルです。

想像を越える巨大な近代都市を歩きながら、だんだん不安になっていきます。
「こんな巨大都市に、私の目指すトーマス教会は存在するのかしら・・・」

と、突然、狭い道から視界が広がり、公園を目にしたその向こうに、
それは素朴に、しかし偉大なたたずまいを見せて建っていたのでした。

2001/10/28 (Sunday)

〜♪ 島原さんのミュンヘン便り  ♪〜
  「アドベンチャー・サマー 最終回『聖地、ライプツィヒ』へ」
         = Part 2 =  

〜〜〜トーマス教会
J.S.バッハは1723〜1750年、死を迎えるまで、
この教会のオルガン奏者と合唱団の指揮者として働きました。
マタイ受難曲など、多くの名曲が、ここで紡ぎ出されていったのです。

教会に足を踏み入れ、黄金の祭壇を目にしたその時、
何ともいえない感情に襲われて、言葉もなく、涙があふれました。
「やっと会えた、バッハ」・・・・・・。

バッハという作曲家は、私にとって昔から特別な存在でした。
小さい頃、生まれて初めてマジメに練習して、初めて受けたコンクールの課題曲が、バッハ。
中学生の頃、多感な時期に、落ち込んだりヴァイオリンについて悩んだり。
そんな時、私を救ってくれたのが、ほかでもない、バッハの音楽だった。

いろんな先生のレッスンを受けても、みんな言うことがちがっていて、
どれが本当のスタイルなのか、知れば知るほど謎が深まっていって。
同時にどうしても解決したい、真実を知りたい!という執念が芽生えていって・・・
あまりにも昔の人で、そのスタイルが現代の私にはあまりにも遠くて、
でも残された音楽は、信じられないほど偉大で。
ドイツに来てから、いろんな教会を見るたびに、
「あぁバッハの教会も、こんなのかな・・・」とずっと想像を膨らませていました。

それがいま現実となって、その教会の、主祭壇前に眠っているバッハのお墓の前に立っている。
こんなにも間近にバッハを感じて、「ここだったのね。ここで働いていたのね・・・」と、
急に、バッハへの距離が縮まった気がして、ただただ、胸がいっぱいでした。

考えてみると、私たちクラシックの音楽家は、
小さい頃から、もうこの世にいない人のことばかりを想像して、
はるか離れたヨーロッパを想像し、その空気を想像し、その風景を想像し・・・
その距離の遠さは、計り知れないものがあります。
小さい頃からの長い長い旅の末、やっと巡り会えた瞬間でした。
しばらく時間を忘れて、ずっとその空間を、噛みしめていました。

2001/10/28 (Sunday)

     〜♪ 島原さんのミュンヘン便り ♪〜
  「アドベンチャー・サマー 最終回『聖地、ライプツィヒ』へ」
         = Part 3 = 
        〜〜〜バッハ・セミナー〜〜〜

このセミナーのお陰で、私ははっきり、バッハのスタイルを知ることができました。
バッハセミナーの先生はみな、古楽器を演奏される方だったのです。
バッハに限らずその時代の作品を主なレパートリーとする、バロック音楽のスペシャリスト。
バッハについても、多くの資料をもとに、本来のその時代に演奏されていたスタイルを解明し、
それを再現して演奏しよう、というのにこだわっているのが古楽器奏者です。

それは、まったく未知の世界でした。
バロック・ヴァイオリンにバロック・ボウ(弓)、
Aは昔のピッチ415ヘルツ(現在は442ヘルツ)。※
一気にタイムスリップしたような、柔らかい音と不思議な響き。
「そうか、これがバッハだったのか!」と、
やっと納得できる教えにめぐり合えた気がします。
バッハのピュアな「スタイル」を、次々と教わることができました。

トーマス教会では毎日演奏会がありました。
こだわりの古楽器ばかりの演奏会で、カンタータ、コラール、レクイエムにはじまり、
バッハ講義なるものもあり、バッハ博物館見学もあり・・・と、その時代を十分満喫できました。
いろんな国や地域からの参加者と、バッハについて熱く語ったり、疑問点を話し合ったり・・と
本当に有意義なものでした。

また、「メンデルスゾーン・ハウス」という、メンデルスゾーンがここライプツィヒで
名門「ゲヴァントハウス・オーケストラ」の指揮者として活躍し、名作を生み、
そして亡くなっていった家を再現した記念館も訪れました。
このメンデルスゾーンこそが、歴史に埋もれて忘れ去られようとしていたバッハを、
偉大な作品として世に紹介し、今日のバッハが存在するのです。
大きな歴史の流れと、作曲家たちの偉大な業績に、感動せずにいられません。

※A(ラ)415Hzということは、現代のA442の音律では、Gis(ソの#)に近い音で、ほぼ半音違うことになります(註責こにゃん)

2001/10/28 (Sunday)

   〜♪ 島原さんのミュンヘン便り ♪〜
 「アドベンチャー・サマー 最終回『聖地、ライプツィヒ』へ」
         = Part 4 =  
  〜〜〜名門「ゲヴァントハウス・オーケストラ」1〜〜〜

ライプツィヒに来たからには、名門ゲヴァントハウスを聴いて帰らなければ!と、
旅行の初めから決めていました。
10月7日に講習会が終わり、みんながサッサと帰る中、
私はその日、ゲヴァントハウスの小ホール「メンデルスゾーン・ザール」で行われる
ゲヴァントハウス・クァルテットを聴きにいく予定を立てていました。
そして翌日大ホールでオケの演奏を聴き、それからバッハの第2の聖地ヴァイマールへ旅行。

ところが、なんとミュンヘンでのレッスンが9日から始まることが発覚。
レッスン第一の私には、急遽スケジュールの短縮を迫られる状況となってしまいました。
8日のオケの演奏を聴いて夜行で帰るか、オケを諦め8日の朝一にヴァイマールに行き
日帰りでミュンヘンへ戻るか・・・
究極の選択でしたが、ヴァイマールは改めて旅行することにし、
「ゲヴァントハウスのオケを、ゲヴァントハウスの大ホールで聴く」という
当初の目的を優先しました。

まず、7日。「ゲヴァントハウス・クァルテット」の演奏会へ。
それは予想以上に素晴らしいものでした。
なんときらびやかで品のある、美しい音色!張り詰めた緊張感!
ヨーロッパのサラブレットを魅せられた気がしました。
久しぶりに、いいクァルテットの演奏を聴いて、
昔組んでいた私のクァルテットを思い出し、あぁ、またやりたいな!と思った、
そんなコンサートでした。

そして翌日は待望の「ゲヴァントハウス・オーケストラ」へ。
この日は予期せず、アドヴェンチャー・サマーのラストにふさわしい、
ドラマティックな1日となったのでした。

ワクワクと期待を胸いっぱいに抱いて、チケットカウンターへ行くと、
なんと完売・・・丁度ホール20周年記念コンサートの幕明けの日だったらしいのです。
大ショックを受ける私に、受付のお姉さんが、
「開演前にホール入り口にいたら、誰かチケットを特別に売ってるかもよ。」と。
まるで野球場みたい・・・とも思いましたが、ここはいつものとおり、
私の運命にかけることにしました。

2001/10/28 (Sunday)

     〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No21 ♪〜
  「アドベンチャーサマー・最終回『聖地、ライプツィッヒ』へ」
          =Part5=

開演8時をうけて、7時前からホール入り口にスタンバイ!
さすがに誰も立っていない・・・
「こんなことするの、私くらいかしら・・・」と不安になってきましたが、
さすがは人気のコンサート。
7時15分を回る頃から、だんだん人が立ち出して、
やはりチケットを待つ人がいっぱいいたのでした。

と、その時、一人の男性が、「チケットほしいの?」と私たちに向かって言ってきました。
「誰が一番先に待っていたのかな・・?」と言われて「わたし・・・」と言おうとしたら
1人の女性が「私よ!!」と名乗り出たのです。
「え?!私だけど・・・」と言っても「いいえ、私よ!」ときたもんだ!
あまりにもくだらない言い争いはしたくなかったので、無言で彼女に譲りました。
2人は何やら話し合って、もちろん相場以上の金額を払っていました。

私は今夜、ミュンヘンへ戻らなければならない。
もしかしたらもう2度と、この地で聴くチャンスはないかもしれないのに・・・
相手の女性にあきれて、あっさり譲ったものの、この大人気の特別記念コンサート、
もう、チケットは手に入らないかもしれない・・・とだんだん悲しくなってくる。
せっかくヴァイマールを諦めたのに・・・!!

その時・・・
運命の女神が微笑んだ!!

老夫婦が「あら、チケット、もしかして1枚でいいの?」と話しかけてくれたので、
「ええ、1枚」と言ったら、
「友人が来れなくなって、ちょうど1枚余っているわ」と言って渡してくれたのです。
「ああ!うれしい!!本当にありがとうございます!何てラッキーなの!!」と
喜んで、「いくらお支払いすればいいですか?」と聞くと、ご主人が微笑んで
「それはあなたへのプレゼントだよ」と。

楽器を持っていた私が、恐らくよっぽど熱心な学生に見えたのでしょう。
とはいえ、相場以上の金額を払うつもりだったし、見ず知らずのかたに、
それはとんでもないことでした。
でも、その親切なご夫婦は、結局私に払わせてはくれず、さらにプログラムまで買って
プレゼントして下さったのでした。
かれこれ20年近く、このゲヴァントハウスに通い続ける
「ファミリアー」という表現をされていましたが、なじみ深いお客さんのようでした。

こうして聴くことが出来たゲヴァントハウス・オーケストラ。
演奏もさることながら、常任指揮者ヘルベルト・ブロムシュテットに深く感動させられました。
なんと歯切れがよく、決断的なことか。
そして、オーケストラとあまりにも一体となっていることを信じがたく思いながら、
吸い込まれるように聴き入りました。
特別記念演奏会ということで、かのクルト・マズアをはじめ、
そうそうたるメンバーが聴きに来ていたのでした。

思いがけずこんな素敵なコンサートをプレゼントして下さったご夫妻へ、
お礼に私のCDをお送りすることにして、お別れをしたのでした。

今でも、あの日のライプツィヒの夜景がはっきり思い浮かびます。
やっとバッハに会えて、やっとバッハのスタイルを把握することができて、
半分あきらめていたゲヴァントハウス・オーケストラを聴くことができて、
親切なご夫婦と知り合うことができて・・・
なんとも満ち足りた幸せな気分で、心温まったライプツィヒ旅行でした。


長かったアドヴェンチャー・サマー。
私の好奇心を満たしてくれる、さまざまなことがありました。
そして、ずっと知りたかった「ドイツ」について、あらゆる角度から吸収できた夏でした。
たぶん、私の一生のなかでも、ひときわ輝いた1ページになることでしょう。
今後の音楽づくりに、大いに役立てたいと思っています。

SAE


        

2001/10/15 (Monday)

   
    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No20 ♪〜
     「アドベンチャー・サマー オランダ編」

アメリカのテロ事件の後、世界中が不穏な空気につつまれているなか、
意を決して飛行機に乗り、オランダに行ってきました。
これまで何度か共演したことのある、ヘームステッド・オーケストラの指揮者、
イマン・ソートマンご夫妻の、結婚40周年記念パーティに出席するためです。

事件前にチケットをを予約してしまっていた、ということもあるのですが、
テロのせいでキャンセルしては、彼らの思うツボだろう、と私なりのテロへの反発もありました。
周囲の方々は10人が10人、「なにもこの時期に・・・キャンセルして電車にすれば?」と大反対。
大変心配をおかけしましたが、お陰さまで、無事帰国しました。
しかし、さすがに乗客は少なかったです・・・。

2年ぶりのオランダでしたが、オランダの風景を見た途端に、自然と顔が
ほころび、笑顔になっている自分に驚きました。
(そんなつもりはなかったけど、いかにドイツがシリアスかという・・・)
オランダは、私にとって何故か心の和む、ホッとさせてくれる、そういう国なのです。

訪問先のソートマンご夫妻は、1992年の共演以来ずっと親交のあるかたで、
私にとって「第2の両親」とも呼べる、理想的なカップルです。
40周年のお祝い、というから、家でお客さんを呼んでするものと思っていたら、
なんと70名にも及ぶゲストで、レストランを借り切っての大パーティでした。
こちらでは、結婚式は日本のように盛大にしないものの、このような記念日を大切にし、
日本でいう披露宴のような大パーティをするのですね。
招待状もまた洒落ていて、表紙が40年前のモノクロの、初々しい結婚記念写真!

ソートマンさんは、オーケストラの指揮をされるかたわら、テレビ関係のお仕事もされていて、
ゲストはそういう人たちかと思ったら、そういったいつでも会える人は最小限にとどめ、
長年会っていない仲間や、昔お世話になった人、久しぶりに会いたい人などが中心の、
ご夫妻の人間性が表れたゲストたちでした。

私はもちろん、お祝いに演奏させて頂きました。
パーティー終了後、ご主人から
「ありがとう。みんな感動して、私の知る限りでは、少なくとも5人は泣いていたよ」と言われ、
うれしいやら、お祝いなのに泣かせてよかったのやら・・・と複雑な気持ちでした・・・

誠実なご主人と、それを陰でずっと支えてきた明るい奥さんとのカップルが、
私にとって、絵に書いたように理想的なご夫婦で、
私もいつか、こんなふうに幸せな記念日を迎えたいなぁと、しみじみ思いました。
これまで波乱万丈の夏だっただけに、今回の旅行は非常に癒されて、
心温まる体験でした。

SAE 

2001/09/29 (Saturday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No19 ♪〜
      「あまりにも突然、アメリカの大惨事」

アメリカでの大惨事。
この夏は、私なりにいろいろあった夏でしたが、全ての事件は
この大惨事の発生によって、ミクロと化してしまいました。
犠牲者のかたがたの冥福をお祈りするとともに、1日も早い復興を心から願っています。

こちらでも、事件発生後の街中は、それはそれは暗いムードでした。
電車の中でも、ひたすら新聞を読む人ばかりです。
「戦争」がおこると当事国以外でさえも、こういう沈鬱な雰囲気につつまれるものなのですね。

こういうなかで、外国人である自分が、こうして外国にポツンと存在していることを改めて気付かされ、
とっても心細い気持ちでした。
また、さまざまな外国人が共存するここヨーロッパにいると、
あらゆる立場の人たちのことを考えさせられます。

それに、今回の事件は、目に見えない所でも、さまざまな影響を及ぼしていると思います。
私にとっても、それは同じ。
どこにいても安全とはいえない状況ではありますが、それでもやはり、
日本にいれば、もう少し安心できるのにな・・・と思ってしまいます。
ここでは、どこからどう見ても私は西洋人の顔立ちではないため、何を勘違いされ
どんな理不尽な犯罪に巻き込まれるかもしれない・・など、想像してしまうのです。
(実際、アメリカでは、もはや数件、理不尽な犯罪が起きてしまいました。)

そんなに不安なら、落ち着くまで帰国したらいいではないか、という考え方もあると思いますが、
私の中には、どうしても変えられない強い意志があるのです。
「危険があっても、レッスンが行われなくなるまで、この貴重な留学生活は中断できない。
2年間という限られた時間のなかで、1つでも多くのことを吸収しなくてはならない・・・」

私にとって、安全や安心を得ることよりも、
ここでの貴重な時間を失うことの「損失」の方をより大きく感じます。
万一、予期せぬことが起きたとしても、後悔はしないでしょう。
自分のやりたいことを選択したわけですから。

この事件を通して、
改めて自分が今置かれている立場や、ここでの生活の貴重さを思い知らされています。
世界平和を、心から願ってやみません。

SAE


2001/09/11 (Tuesday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No18 ♪〜
   「アドヴェンチャー・サマー、ますます波乱万丈!」
         =part1=

好奇心旺盛な私には、どうやらノーマルで平和な生活は与えられないらしい。
今回は、前回「青天の霹靂」に負けない、スリリングな体験です。

9月始め、イタリアのヴェローナへ、
有名な野外競技場(アレーナ)で行われる、野外オペラを観に行きました。
オペラ・マニアのお薦め、必見!と、友達に誘われてバスツアーに参加。
チケット代込みで約5千円という安さ!

今年はオール・ヴェルディで、私たちの日は「リゴレット」。
早速インターネットでしっかり予習をして、聴き所などを押さえ、期待は膨らむ一方。
ところが予報によると、その日は雨。 野外オペラには最悪です。

朝7時出発のため5時に起きると、外は雨。冬のように寒い。
これは観れないかもしれないな、と半分あきらめながらも出発。
しかし徐々に天気は良くなり、道中の景色は、それはそれは素晴らしいものでした。
アルプスを越えて、ドイツ→オーストリア→イタリアと渡って行くのです。

途中、静岡の茶畑のような段々畑が広がっていました。
何かこの土地の特産物に違いない、とよく見ると、ぶどう畑!
ワインの産地だったのですね。
それはもう、広大なんてものではありません。
少なくとも2時間はずっとその風景でした!

ぶどうの木と並んで小さなりんごの木も、同じく2時間ずっとありました。
そんなにりんごを食べるの?と不思議に思いましたが、
どうやらシュナップスやアップルブランデーなどの原料らしいですね。

こんなすばらしい風景を見ながらも、しかし天気予報を知っているだけに、
開演の瞬間まで信用できない!と思っていた私の予想どおり・・・
ヴェローナに着くと雨。それもドシャ降り。
私以上に楽しみにして来た同行の友達は、
「絶対晴れる!絶対あきらめない!」と、雨が小降りになっては喜び、
ドシャ降りになってきては落ち込み、の繰り返し。
私はというと、もうオペラは諦めて、雨のヴェローナを楽しんで帰ろう、と散策へ。

そして5時、ゲート集合。
ツアーコンダクターがまとめてチケットを購入しています。
「えーっ?!こんな中、オペラできないでしょう?!」

7時。開場予定。
でも、さすがにゲートは開かない。
「当然だ。絶対ムリ!」
・・・しかし40分後に開場。 
「?!どういうつもり?!」・・・

雨は相変わらずドシャ降りだったり小降りになったり雷が鳴ったり。
私たちのアルプススタンドは、自由席なので、席取りが大変。
取れたはいいけど、どうやら開演9時まで、ここにずっと立ってなくてはいけないらしい。
「ウソでしょ?!このドシャ降りの中!?」
頭の中に????がたくさんならんでいますが、しかたがないのでそのまま待つことに。  

           =下へ続く=

2001/09/11 (Tuesday)

   〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No18 ♪〜
   「アドヴェンチャー・サマー、ますます波乱万丈!」
          =part2=

ステージを見ると、舞台のセッティングがきちんとされています。
見回すと、この野外劇場は、本当に壮大です。
その時代のいい面影を、大切に残しているのがよくわかります。

しかし、この大混雑、ドシャ降り、誰も座れない、そのうえメチャクチャ寒い。。。

この極めツケの悪状況の中、
突然、腰が抜けるほど明るい、リズミカルなイタリア語で、
「レインコートはいかがかね〜」
「座布団はいらないか〜い?」
「おいしいジュースにビールはいかが〜」
と、真夏の甲子園を彷彿とさせるお兄ちゃんが、売りに来ました。
「こんな状況で・・・買う人、いるの・・?!」と、あっけにとられながら、ウケてしまいました。

開演9時。
ドシャ降り。もちろん開演しない。
「やっぱりね。さあ早く、寒いし帰りましょ・・・」
ところがこんなアナウンスが・・
「開演を30分延長し、様子をみます」
「う・・うそでしょッ?!この調子でどんどん延長して待たされるの?!」

日本ではありえない光景だと思いました。
日本なら、大体の天気予報をもとに、「本日の公演中止」にして、チケットなど売らないでしょう。
それがお客さんのためだし、雨が上がったとしてもこの湿気、ずぶ濡れの舞台。
湿気を嫌う弦楽器にとっては、この上もない悪条件です。

オケピット(オーケストラが演奏する場所)は、雨水で洪水のようになっています。
1滴でも水が楽器についてしまったら、演奏などできるものではありません。
大事な楽器がダメになってしまうからです。
こんな状況で、この先どんな期待ができると言うのでしょう。

それなのに、周りを見渡すと、お客さんは全く帰る気配なし。
仲間同士、歌など歌いだして暇つぶしさえしている。
更に指定席の人たちが、むしろどんどん入ってきているではないですか!

もうここまでくると目的は、オペラ鑑賞というより、
この理解の域を越えた世界を、最後まで見届けたい!という、好奇心に変わっていました。

というわけで、「甲子園のお兄ちゃんイタリアバージョン」から、レインコートを買って、
この全く理解を超えた聴衆の仲間入りをすることに。
このレインコートがまた感動ものでした。
約250円という激安ですが、スーパーで売っているゴミ袋で作った、フードつきの優れモノ!
たかがゴミ袋と言えども、防水防寒、チョウ軽量コンパクトの、まさにスーパーバッグでした。

予想通り開始時刻はどんどん遅れていきます。
飲み物を買いに外へ出ると、チケット返金の人達が並んでいます。
「そうよね。さすがにもう限界かな・・・」と思い始めた10時半・・・。
その時、

・・・奇跡が起きた・・・

雨が止んできたのです。
「でもまた降ってくるんでしょ」と、半ば投げやりな気持ちで見ていましたが、
・・・・・・降って来ない。
客席に戻ると、会場中「ヒューヒュー・ピューピュー」と騒然となっている。

オケのメンバーがぞろぞろ出て来、舞台のセッティングも始まっています。
そこへアナウンスが。
「ようこそヴェローナへ。天候によっては間奏曲をカットし、上演したいと思います」
会場中、歓声と口笛の嵐・・・

この時の、私の感動を、想像して頂けるでしょうか。
オペラが観たかったからヤッター!というのではありません。
もちろんうれしいけれど、それ以上に私が感銘を受けたのは、
この「人々」です。
絶望的にドシャ降り状況の中、絶対にあきらめない聴衆。
それを大切にし、応えようとする主催側。
粘り強く待つ、出演者。
最後には、まるで全ての人々の念力が起こしたかのような、奇跡。

昔のスタイルそのままのドラムの合図で開演。
うわー!!というほど華やかな、大勢の出演者。
壮大なスケールのオペラの幕明けでした。
何しろ、アルプス席まで使っての舞台です。

リゴレットのなんと深みのある声。
ジルダのなんと繊細でどこまでも透る声、絶妙なコロラトゥーラ!
舞台美術、演出、音響効果、全てにおいて極められた芸術の舞台。
「これがオペラだ!!」と思いました。

途中、やはり雨がぽつぽつ降り出し、やむを得ず中断。
お客さんはブーイングの嵐でしたが、
私はむしろ、雨が降り出してもまだ弾いていたオケに驚きました。

雨が止むと、再開。
今度は「どうか雨、降らないで!!」という緊張感の中、
緊張感に満ちたストーリーの壮大な悲劇は、
その後は中断することなく、最後の最後まで観客を魅せ、
感動の涙をもって、幕を閉じたのでした。

99%観れないと思っていたオペラ。
そして、観客、出演者といったさまざまな立場の人々の思い。。。
普通に何事もなく観たオペラより、私にはずっと
沢山のことを教えられ、魅せられたオペラとなったのでした。

しかし・・・・・・
これほど劇的な体験も、じつは未だ序の口。
本当の悲劇は、ここから始まったのでした。 

       =下へ続く=      

2001/09/11 (Tuesday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No18 ♪〜 
   「アドヴェンチャー・サマー、ますます波乱万丈!」
          =part3=

感動も冷めやらぬまま、さあバスへ戻って・・・
ところが、 私達のバスがない。
「ふふ、まさかね」と
あらゆるバスを、しらみつぶしにナンバープレートまで確認して探しても、
・・・・・・ない。

その、「まさか」だったのです。
なんとバスはあっさり帰ってしまったのです。

思えば、行きの道中から、怪しい気配はありました。
トイレ休憩後、バスが発車してしばらくたってから、点呼をとっていたのです。
きっと帰途でも、国境あたりで私達がいないことが判明したことでしょう。

諦めた私達は、1泊することに。
・・・しかし、そんな考えすら、甘い事が判明。
この大人気のオペラシーズン。空いているホテルなど、どこにもない!

ここにいたって、私たちは全く路頭に迷っってしまいました。
しかも知らない国、英語ですらあまり通じないイタリアなのです。
こういう事態を想像もしていませんでしたから、手持ちのイタリア・リラは小銭程度・・・

こうなると悪いことばかりに気が回ります。
「帰りの電車でクレジットカードなんて使えるのだろうか?!」
もうホテルのことなんて、どうでもよくなり、ミュンヘンへ帰り着けるかどうかで頭が一杯。
私の頭の中では、帰れなくなってそのあたりのホテルで掃除などのバイトをし、交通費を稼ぎ・・・という
映画のようなストーリーが駆け巡る・・・

とりあえず深夜3時。今夜を何とかしなくてはいけない。
とあるホテルで事情を説明し、非常に心やさしい青年ホテルマンのおかげで
ホテルのロビーのソファーに滞在(?)させてもらえることになりました。
路上や駅よりずっといい。ありがたかった。

結果的に、駅ではカードが使えて、私達は無事、ミュンヘンへ帰り着くことができたのでした。
想像が本当にならなくてよかった・・・

そんな思いをしましたが、前回の事件に比べたら、
自分自身に起こるトラブルの方が、ずっと気が楽です。
その瞬間非常に落ち込むけれど、1時間後にはあっさり前向きに立ち直っていました。
そして何より、オペラの感動が上回っていました。

この夏は、いろいろな意味で、試練の夏となりそうです。

SAE

2001/09/09 (Sunday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No.17 ♪〜
     アドベンチャー・サマー、「青天の霹靂!!」編

前回のレポートで、いかに夏休みを楽しんでいるかお伝えしたところですが、
本日のレポートは、題名どおり、まさに「青天の霹靂」でございます。

絶好調のアドベンチャーサマー進行中@ミュンヘンに、
私の姉夫婦が「ハネムーン」と題して、旅行にやってきました。
彼らはヨーロッパ初めて、彼の方はなんと海外初めて、という、全く純情な旅行者でした。
初ヨーロッパの印象を悪くしないため、
そしてハネムーンの良き思い出を作ってもらうため、
ホテルの下見に始まって、観光の下見、要領よく回れるバスツアーの手配など、
十分堪能でき、疲れないよう、細心の注意をもって迎えたのでした。
また、ミュンヘンは日本からの直行便がないので、
乗り換えの仕方から、英会話まで、さまざまなアドヴァイスを盛り込んだ、
「海外旅行マニュアル」を作ってメールし、彼らはそのプリントアウトを持参で来たのでした。

とにかく、「乗り換え」と、
「スーツケース到着、数日遅れ」(私自身、過去3回経験済み)、というトラブルが心配でしたが、
空港に迎えに行って、2人が無事スーツケースと共に出てきてくれて、
もう大安心の私でした。

ただ、不思議なことに、彼のスーツケースを縛っていた紐が全く切れていて、
別の人のスーツケースに付けられて出てきた、とのことで、
「なんかヘンだったね」、と言いながら、ホテルへ到着したのでした。

そして、私があらかじめ頼んでおいた物を取り出すために荷物を開けると・・・
スーツケースに付けていたカギがない。姉のもない。
開けてみると・・・
中身がぐちゃぐちゃ。開けられた様子・・・
急にイヤ予感がして、
「ちょっと中身確かめて!何も取られてない?!」と、私。
・・・すると彼が、
「コンピューターがない!!変圧器、機械類が全部ない!!」

なんと、とんでもない犯罪に巻き込まれてしまったのです。
以前、こういう犯罪をテレビの特集で見たことがありました。
それは空港内の隠しカメラで撮っているのですが、
かなり組織的なプロの犯罪で、どんなハードスーツケースだろうと、
どんなカギを付けていようと、専用の器具を駆使して、
手際よく開け、現金、高価なものを、次々と取り、また閉めて、戻す。
という作業を、あのベルトコンベアーの裏舞台でやっていました。

でも、そんなのは、よっぽど治安の悪い空港だろうと思っていたのです。
今回、彼らが使ったのは、某日本最大手の航空会社と某フ○ンス系航空会社・・・
今から思うと、スーツケースが出てきた時、日本人以外の乗客でも、
スーツケースが、ぱっくり開いて出てきた人もいました。
無差別に全てのスーツケースを開けたらしい。

その瞬間の私達のショックは、ことばで言い表せるものではありません。
これまで安全に過ごしてきて、信用していたミュンヘンでさえ、
こんな犯罪にあってしまうなんて。

とにかく、純情な旅行者たちを安心させるため、
「こういう被害は、全部保険で返ってくるから安心して!」、
「全て私に任せて!明日一番に航空会社と保険会社に電話するから」
といって、いったん私は帰宅しました。
けれど、もう、恐怖で生きた心地がしませんでした。

こういう非常時に限って、この家の人達は全員ヴァカンスで別荘だし、
友達も連絡がとれなかったり、夏休みで帰国していたり・・・
私がやるしかない。誰も頼れない。

一人っきりになると、
本当に恐かったし、どう対処するべきか、自分にできるのか、
ましてや英語で・・・などなど不安がいっぺんに押し寄せてきて、もう半泣き。

こんなに身近で、こういう犯罪が起こると、海外での生活自体が恐ろしくなります。
その手のプロに掛かったら、家のカギを掛けていても同じこと。
恐怖と(なんといっても今、この大邸宅に1人で生活しているので)
今後の手続きへの不安と、
彼らに残された旅行日程を、せめて楽しく過ごしてもらうための計算と、
ミュンヘンでの彼らの身の安全と、などなど莫大な心配事と
突然犯罪に行き当たって打ちのめされたショックで、その夜は、とても眠れない。

しかし、それにもまして、旅慣れない彼らはどれだけのショックを受けていることか・・・
うんざりするくらい旅行の経験があって、だいたいの覚悟がある私ならともかく、
あんなにも純情な旅行者を、よくもこんな目にあわせてくれた!と
考えれば考えるほど、怒りの気持ちがどんどん大きくなる。

結局一睡もできずに迎えた翌朝には、すっかり度胸がすわり、
戦士のごとく逆境に立ち向かう自分がいたのでした。
我ながら、えらかった。

この怒りのパワーが助けになったのか、結果的に言うと、
手続きも全てうまくいき、現在日本で申請中という状態です。
航空会社の人が言っていましたが、残念ながら、このタイプの事件は、
珍しくないようです。

でも、姉夫婦は、このミュンヘンでの数日が、本当に楽しく感動してくれたみたいで、
それが何より私を満たしてくれる言葉でした。

アドベンチャー・サマー。
何が起こるか分かったもんじゃない。
次回はどんなレポートか?!

SAE

01/08/13 (Monday)

   〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No16 ♪〜
     「アドベンチャー・サマー進行中!」

日本は、かなりの猛暑のようですね。
ミュンヘンより、暑中お見舞い申し上げます。

こちらはご存知の通り、乾燥してはいますが、
日射しがキツく、まるで山登りしている気分になります。
地上電車などは、クーラーが入ってなくて、メチャクチャ暑いです。
たまりません。そのうえ遅れてくれるもんだから、なおアツくなる!
そして雨が降ったとたん、「冬」となります。
そそくさとセーターを出して着る・・・
「お願い、どっちかにして」と言いたくなります。

夏休みに入ってからというもの、解き放たれた鳥のように遊びました。
この1年の過酷な修業の反動は、想像以上に大きかったとみえます。

私は何をやるにも、熱中型!
ヴァイオリンに熱中、遊びに熱中。とことんやらないと気がすまない。
片手間にやっては楽しみ半減、もったいない。
この1ヶ月は、旅行、サイクリング、水泳、絵画鑑賞、自ら趣味絵画、
もう友達としゃべりまくる・・・などなど遊びに熱中。
書き出せばきりがありませんが、なかでも、心に残った街を簡単に紹介しましょう。

〜ロマンティック街道沿い〜

♪ レーゲンスブルク
2000年の歴史を持つ、ドナウ湖畔の非常に美しい街でした。
ドナウ川、「美しく青きドナウ」のドナウだ!と感動。
本当にロマンティックで美しいのですね。
私はまず「ああ、ドイツの川だ」と感じました。
ゆったりと、おだやかに、まるで語っているような・・・
何かに似ていると思ったら、バッハの音楽ですね。
そのまま中世の世界へ引き込まれそうな、そんな美しい街でした。

♪ ローテンブルグ
ロマンティック街道の中でも、一番のロマンティックな街。
城壁に囲まれた街で、中世の面影を、ほぼ完璧に残しているそうです。
本当にかわいらしく、絵本の世界のようでした。
教会でコーラスを聴き、パイプオルガンの演奏を聴いて、鳥肌がたって、
ふと気付きました。
・・・その時代にふさわしい音楽だと・・・
この空気、気候、風景、ゆっくり流れる時間、
これは体験しないと分からないものです。

・・・という感じで、毎日冒険、毎日感動、気のすむまで堪能したあと、
またしてもベートーヴェンカフェで弾くことになり、現実へ逆戻り。
約2日間という新幹線並みの速さで、チゴイネルワイゼンやらハンガリー舞曲やら
クライスラーやらを引っぱり出してきて準備し、
演奏後、いきなりお客さんから「感動した!」と
100マルク(こっちの感覚だと1万円!)を渡され、ビックリしながらも
ルンルンでピアニストと打ち上げし・・・と、すっかりこちらの生活を
エンジョイしている私です。

なんと言ってもヨーロッパの夏休みは長い!(9月末まで)
私のヴァカンスと修業の夏は、まだまだこれからなのです!
次回のレポート、乞うご期待!!

SAE

2001/07/23 (Monday)

     〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No.15 ♪〜
           「幸せな誕生日」

みなさん、誕生日はどのように過ごされますか?

子供時代・・・
たくさんのお友達を呼んで、物語のヒロインのようにお洒落をして、
ケーキにローソクを立ててみんなが見まもる中、フーッとろうそくの火を吹き消し、
ご馳走を食べて、みんなからのプレゼントをドキドキしながら開ける・・・
こんな、キラキラ輝く幻のような「美しい思い出」を、どなたもお持ちのことでしょう。
しかし、大人になってからは・・・いかがですか??

ここヨーロッパでは、少し価値観が違うようです。
「誕生日」はいくつになっても特別な日。
家族はもちろん、友達の誕生日も絶対覚えていて、
食べ物やケーキを持ち寄ってパーティーを開く習慣らしいのです。

7月15日、わたくしの誕生日でございました。
とはいえ、20歳台も後半になると、「遂に来てしまったわね・・・」という感じ。
特別な日でもなければ、お洒落をしようという気もなく、特に日本を離れている今は、
ただ「誰かが覚えていてくれると、うれしい」という程度でした。

ところが当日、日曜日の朝。
「Guten Morgen!(おはよう)」といつものように挨拶をすると、
「ハッピーバースデー!」と家族みんなが次々にキスをしてくれ、
奥さんのピアノで「ハッピバースデートゥーユ〜♪」と歌い始めるではありませんか!
そのうえミニバラを添えたプレゼントまで!
朝一番から意外な展開にビックリ・・・

ジーパンにセーターという、いつもと変わらない格好の私に、
「今日は特別な日だから、最高に美しい早恵にしなくちゃね!」と言われる。
なんだか意表をつかれる・・・

いよいよパーティーの時間。
その夜コンサートに出演するというのに、駆けつけてくれた友達をはじめ、
総勢13人もの人達がプレゼントや、料理持参で来てくれたのでした。
ここの奥さんが焼いてくれたケーキには、埋まるほどのローソクを立てて・・・
おいしい料理においしいワイン、楽しい会話・・・
素敵な友人に囲まれて、本当に素晴らしいひと時でした。

私はといえば、お礼の気持ちを込めて、ヴァイオリンを演奏しました。
私の演奏を喜んでくださるかたに、ヴァイオリンでお礼ができるのは、
とてもうれしいことです。
ヴァイオリンやってて良かった、と思う瞬間のひとつです。

みんなが帰ったあと、溢れんばかりに積まれたプレゼントを眺めながら、
「こんなに幸せな誕生日って、久しぶりだ・・・」としみじみ思ったのでした。
ともすれば、何事もなく過ぎてしまう誕生日。
思うに、この世に生まれたことに感謝する、大切な日なのですね。

日本からもカードやプレゼントを、はるばるドイツまで
お贈り下さった方々もいらっしゃいます。本当にうれしかったです。
この場をお借りして、改めて皆さんにお礼を申し上げたいです。

SAE

2001/06/28 (Thursday)

〜♪  島原さんのミュンヘン便り No14 ♪〜
      「偉大な先生、アナ・チュマチェンコ」
        〜part2〜

チュマチェンコ先生のクラスには、ものすごいサラブレットがいっぱいいます。
月に1〜2回のペースで、彼女のクラスのコンサートが催されますが、
(これについてはミュンヘンレポートNo.5をごらんください)
出演メンバーは、ミュンヘンフィルと弾いた、アバドと弾いた、テレビに出た・・・と、
すごい経験のある人たちばかり。

こんなとんでもない人たちに交じってコンサートで弾き、
気がつくと打ち上げに行き、しゃべって、食べて、飲んで・・・
あれはいったい・・・と深く考える間もなく、レッスンは容赦なく進んでいく、という生活。

アナは、とっても穏やかで、やさしくて、大らかで、お母さんのような人です。
会うと必ず、満面の笑みで抱きしめてくれるのが、なんともうれしい。
一度レッスンで、私がハンカチを置き忘れていった時のこと。
翌週のレッスンで「さえ、洗濯してアイロンかけといたわよ!」と渡してくれました。
タオルなのに・・・。

そういう雰囲気のまま、しかし、レッスンでは半端じゃなく厳しい要求をされます。
たとえば、まったく初めて見る曲でも、初回から「暗譜」。
試験前のレッスンで、試験とは違う新曲を2曲用意したのですが、
まさかこんな時期に暗譜とは言わないだろう・・・と持っていくと、
「さえ、私たちは『演奏』を作り上げる為のレッスンをしているのです」と
穏やかに、笑顔すら浮かべながら、「試験があろうが暗譜!」とおっしゃる。
そんなお陰で、私は人生始まって以来、「新曲、1日で暗譜」という、
どーにかなっちゃって寿命縮まったゾ!という究極の体験も、したのでした。

音楽性、技術、全ての要求が、もう恐ろしいくらいにハイレベルです。
時々「そんなことが出来たら、とっくに世界的スターになってる!」と言いたくなります。
でも、こんな私でも、忍耐強く、高度な要求をしてくださる。
自分には到底無理だと思っていたことでも、先生の粘り勝ち、という結果で
1つずつステップアップできるのです。
今の私は、じゃじゃ馬娘が、レディーになるために
階段を1つずつ上がって行っているような、そんな気分です。

こうして迎えた先日の試験。
ブラームスのコンチェルトを弾きました。
ただただ必死にやってきましたが、
「これがアナの教えたいことだったのか・・」と、弾いているその瞬間にようやく感じました。
これは言葉では到底説明できません。
強いて表現するならば、雲の隙間から、「天国」を垣間見たような感じ・・・。

「演奏」を聴いていただきたいです。

今度の10月で丸1年経ちます。
1日1日を、本当に大切に過ごしていきたいです。

SAE

2001/06/26 (Tuesday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No14 ♪〜 
      「偉大な先生、アナ・チュマチェンコ」 
           〜 part1 〜

6月20日、初めての試験を終えました。
もうすぐ1年目の授業が終わります。

これまでこのレポートでは、どんなレッスンを受け、どんなふうに学んでいるのか、
ということを、一度も書いたことがありませんでした。
留学しているのに、カーニバルだブタの丸焼きだと、何を言っている!と
思われている方々、大勢いらっしゃると思います。(全くです、はい。)
でも、それには理由があります。
演奏のことは、演奏でもって証明したい、と思っているのです。

今日は、この1年目の試験を終えて、いい締めくくりなので、
「私と先生」という形でお話ししましょう。

私の師事する偉大な先生、アナ・チュマチェンコ女史。
日本でも、最近急激にその名が知れ渡ってきたようです。
現在生徒は11人。師事すること自体が大変な難関で有名です。

尊敬する先輩を通じて彼女のことを知り、
レッスンを受けたくてスイスの音楽祭に参加し、その場で留学を希望しました。
今から思えば、そのレッスンでは、まだまだ彼女の偉大さに気付いていなかった。
留学したくてウズウズしていた私は、とりあえずスゴそーな感じ、と思い、
無謀にも先生に「留学したいです」と、子供のようにダイレクトに言ったのでした。
すると先生は「来年からなら空きがあるから、いらっしゃい」と。
すぐにでも留学したかった私は、半ばがっかりしながらも、「絶対行きます」といい
その夏期講習は終わったのでした。

ところが、日本に帰ってから、
どうやら彼女は相当すごい先生らしいという情報が、まわりから流れてきます。
私と同期に受験するのは、チュマチェンコクラスの受講の順番を7年、8年と待っている人たち。
国際コンクールで優勝したあの人やこの人は、実は彼女の生徒だったらしい。
彼女はその昔、天才少女と騒がれたスーパースターだったらしい、などなど。
知る人ぞ知る名教授・・・

とても、この私がつける先生ではないらしいことが発覚していって・・・
月日が経ち、どんどん先生が遠くなり、翌年6月の入学試験の頃には、
「もしかしたらあれは先生の気まぐれで、全然覚えていないのかもしれない」
「いらっしゃいと言われながら、ほかの人のように何年も待たされるんだわ」
などと悲観的なことを考えてしまうところまでいってしまいました。

でも、マイペースな性格の私のこと、
「それなら、試験で先生に『この子を生徒にしよう』と思わせるくらい、
うんと魅力的に演奏すればいい!」と、いささか強引に受験へと旅立ったのでした。
試験で弾き終えて、先生と1年ぶりにお会いした時、「サエー!」と両手を広げて
抱きしめてくれたのを、今でもはっきり覚えています。うれしかった。

こうして合格した私は、とてつもなく厳しい世界へと足を踏み入れることになったのです。
                                            <続く>

2001/06/03 (Sunday)

      〜♪ 島原さんのミュンヘン便り 13 ♪〜

          ミュンヘンの『学校』探検!

ドイツでは日本のように国家規模の文部省がなく、州ごとに独自の文部省があります。
ここバイエルン州では、義務教育は小学校1年生からの9年間。
年数的には日本と同じですが、内情は異なり、小学校4年生の段階で、
そのまま中学校に進むか、大学進学コース(ギムナジウム)に進むかが決まります。
このコースは、日本でいうと5年生から中学校、高校と一緒になった感じ。
つまり、かなり早い時期から将来を考えて、それに合わせた勉強に集中できるのですね。
(余分な科目は勉強しなくていいわけです)
授業は週5日、土日休み。
7:45〜1:30までと早い!家に帰ってお昼ごはんを食べる。
時間が短い分、宿題が膨大に出るらしいです。
でも、この家の子供たちもそうですが、幼い子供に自分で勉強しろというのは
少し無理がありますね。全然勉強してません。ご主人も頭を抱えています・・・

この家のご主人は大学進学コース(ギムナジウム)で教えていらっしゃいます。
先日は、その学校で子供たちの音楽会があるということで、見学かねて行きました。
まず学校の建物がとても素敵。オレンジの瓦屋根で、なんともアットホームな雰囲気。
教師であるご主人と生徒達の会話も、境界線がなくとてもフレンドリーでした。

そして、注目の音楽会。
これが最高に面白かったのです!
まずバロック時代を想定して、みんなバッハのようなカツラを被り、当時の貴族の
コスチュームをまとい、皇女さまへの奉仕としてカルテットを演奏。
1曲目はモーツァルトの「アイネ・クライネ(小さい)・ナハト(夜の)・ムジーク(音楽)」。

「今夜はまともなコンサートではありません。『アイネ・クライネ・ラッハ(笑う)・ムジーク』です」と
前置きがあってから、演奏が始まると・・・これがコメディの嵐!
アイネクを基本に、さまざまな名曲へ移りながらまたアイネクに戻る、この繰り返し。
その名曲が「運命」だったり、バイエルンのフォークソングだったり、
ともかく、 原曲のアイネクとギャップのある曲ばかりでおかしい!

それに、生徒も先生もコメディーがうまいのです。もうプロ並み。
コメディで一番気に入ったのが、バッハの「トッカータ」でした。
プログラムには「BaRockata」と書いていて、なんだろう?と思ってたら、
モーツアルトのような格好の人が、電子ピアノでいきなり
ロックのビートでトッカータを弾き始め、そこへ結構高齢のおばあさんが(音楽教師)
中世の格好に加えてギラギラロックスタイルで、エレキバイオリン弾きながら登場!
ノリノリでロック風トッカータを熱演! おばあさんだけどノリがイイ!
「バロック」と「ロック」と「トッカータ」をもじって「バロッカータ」だったのですね・・・
会場中大爆笑でした。
それにしてもクラシックを、そういうコメディにうまく編曲した音楽の先生はスゴイですね。

ほかにも合唱やロックやダンス、あと学校生活のビデオもありました。
このビデオは素晴らしかったです。
みんなが「最高な学校!」と歌いながらいろんな生活シーンを紹介。
のびのびと楽しそうで、こんな学校なら子供は幸せだなと思いました。
ご主人に、こちらではドラッグとかの問題はないのかと聞くと、
「うちの学校ではまれにだけどやはりある。でも自分は『やるな』とは言わない。
『危険だよと教えてあげよう。それでもなおやりたければやってみればいい。
そしたら分かるよ、何がどう起こってどう危険なのか体験するだけさ』と言う。」
・・・なるほど。
アタマから「やるな!」というよりずっと自然だし説得力がありますね。
強制するのではなく、考えさせる、という教育姿勢、すばらしいと思いました。

SAE

2001/05/28 (Monday)

  〜♪ 島原さんのミュンヘン便り 12 ♪〜

  新生活!楽しみ、幸福、感動・・・ときどき怒り・・・?

この家に越してきてからというもの、これまでに体験したことのない世界を 次々と体験しつつあります。
ちょっとインテリな人たちのパーティー、プライヴェートギャラリーで絵画鑑賞、(白いベンツでの移動!)
高級住宅街の素晴らしい家々、知的な会話・・・
でも全然堅苦しくない。みんなとてもオープンで考え方が先進的でおおらかです。
プリティーウーマンの気分ってこんなんだろうなぁと思いながら(内容が違うか?)
新鮮な感動をもって吸収しています。

かと思えば、典型的バイエルン地方独特のパーティーに招待されて、
いきなりブタの丸焼きを食べてみたり!
ホンモノのブタさんが、丸ごと一頭棒につるされてグルグル回りながら24時間かけて
じっくり焼かれているのです・・・あれを見た時はショックでした・・・
スーパーで既にカットされているお肉を見慣れた私には、
「お肉の原点」を思い出させてくれてありがとう・・・という感じでした・・・
お皿に盛られて出てくると、いつも見慣れている豚肉の状態だったので
ホッとして食べましたが。これがやわらかくってホントにおいしかった。

また、こちらで生活していると、やはり日本との違いを意識しながら物事を見るようになります。

東京で狭いワンルームに生活していた私にとって、この家の生活は「夢」です。
大きなお庭があって、そこは森のように木々や緑がわっさわっさと茂っていて、
天気のいい日は、家族みんなで(私もちゃっかり一員)お庭で食事をします。
緑のいい香りと、心地よい風、鳥たちの美しい声を聴きながらの食事は最高です。

また、学校の近くに大きな公園があるのですが、そこではスバラシイ光景が・・・
太陽ウエルカムなヨーロッパの人たち。
芝生の上で、女性はなんとビキニ姿で日光浴しているのです!
こういう光景はビーチで見るもの、と思い込んでいた私にはビックリ・・・
もし日本の公園でこんなヒトがいたら・・・・・ちょっと考えられないですね。

こちらの人は「絶対謝らない」とよく言われます。
英語で言う「Sorry」と言うと、自分の非を認めたことになる、と。
それにドイツ人は「無愛想」「つめたい」とも言われる。
でも、私はここで生活していると、その表現は適切ではないと思います。

謝らない、というのは、確かにそういう傾向あります。
でも、「It's OK.」(大丈夫よ)とか言ってあげると、これがすぐに謝ってくれる!
無愛想、というのも、見た感じは確かにそうですし、以前、日本人向けの新聞にも
「スーパーのレジでお札を出してから小銭を出したら、ものすごくイヤな顔をして
文句をたらたら言われた。日本なら待ってくれるのに。こういう無愛想なドイツ人と
付き合うには初めから「親切」を期待しなければ失望しない」とありました。

しかしこれは、ちょっと一面的な見方ではないかしら?
こちらでは、お札を先に出すと、小銭がないからお札を出したのだと理解されます。
特にレジなどではスピードを要求されますから、迅速に判断が下されます。
小銭を使いたければ、先に小銭を出せばいいのです。
それなりにちゃんと待ってくれます。

「無愛想」というのも、一方だけの責任ではないような気がします。
私はドイツ語があまり読めないので、お店の人に尋ねることが多いのですが、
こちらが笑顔で聞くと、必ずとても親切に教えてくれます。丁寧に。笑顔で。
イヤな思いは一度もしたことありません。

こんな具合に、ミュンヘンに住みはじめて、家も、人々も、環境も、
そして何よりも、最高のレッスンを受けることが出来て、この上なく満足で幸せな生活を送っています。
が・・・・・・。
基本的には何でもOKな私ですが、1つだけ、どうしても許せないことが!

それは「電車」です。

Sバーンという地上電車が私の移動の足となっているのですが、
これがしょっちゅう止まる!!遅れる!!ちょっと早くに出発〜ときたもんだ・・・
これまで何度ひどい目にあったことか。
20分待ち、40分待ち、挙句の果てにはSバーン使用不可・・・全線ストップ・・・
日本で育った私には、全く理解できないのです。
私の体内辞書では「電車」と引くと「安全、正確、信頼・・・しいて言えば満員」と出ます。
車なら、事故や渋滞、いろんな理由で時間が予測できないのは分かります。
でも電車はそれ専用の線路があって、電車しか走ってないのに
いったいそんなにしょっちゅう、なにが起こると言うのでしょう・・・・・・謎だ。
「車では信用できないから、本番のある日は電車を使う」というのが常でしたが、
こちらでは「車の渋滞の方がマシ」ですね。全然信用できない。
私としては、正確に運行しない電車はもはや「電車」とは呼びたくない。
利用する意味がないし、お金を払う価値もない。

そう怒りながら、ここのご主人に話すと、こういう返事が・・・
「僕たちは全然気にしないよ。電車が止まったって世の中は進んでるからね」
・・・思わず言葉を失ってしまいました。
それで片付く問題なの?? もしかして私の考え方が問題なの??・・・・・・

こうして新しい生活は、発見、楽しみ、興奮、怒り、疑問、感動・・・と渦巻きながら
しかし着実に帰国へ向かって時を刻んでいるのでした。

SAE

2001/05/18 (Friday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り11 ♪〜
        「ホンモノ「ジャズ」体験!」

最近引っ越しました。
新しいホームステイ先は、またまたとってもステキなお家で、快適な生活がスタートしています。
ここの奥さんが音楽の教師をされていて、夜は趣味でパブで歌っています。
先日5月5日は、日本では子供の日ですが、こちらではさしずめ大人の日。
なんと「音楽の日」なのです。
一晩中コンサートがひっきりなしに行われていて、
はしごをしながら夜通し聴きに行く。専用のバスまで出ているのです。

この奥さんがその日パブで歌うということで、聴きに行くことに。
まず、そのパブというのが、昔の映画に出てきそうな、
アンティークで何とも雰囲気のある、大人のムードたっぷりのステキなところ。
ちょっとしたステージがあり、お店にはあふれんばかりのお客さんでいっぱいでした。
奥さんは、とても個性的なムードとスバラシイ歌声で、すっかり観客を魅了していました。
お客さんもノリノリでスウィングしながら聴いているのです。どんなにお年の方でも!!
だいたい一組1時間位の持ち時間で次へ。

引き続き今度はクラシック。ヴァイオリン&ピアノ。おー興味深い!と見ると・・・
どう見てもクラシックしそうにないキラキラパンクスタイルで登場・・・
「こりゃだめだ」と思いきや、それがどうしてどうして、上手かったのです。
外見とは裏腹に、相当マジメに超絶技巧もしっかりとパーフェクトに。
何より音楽してる。スウィングがうまい!
拍手喝采でした。
あとで彼女と話すことができたのですが、ミュンヘンフィルで弾いている人でした。
こんなヒトが弾いてるんだもん、こっちのオケ上手いハズだ・・・

次はジャズの登場!
もう、これは私が体験した中で何よりもエキサイティングな感動でした。
ドラムとピアノ、コントラバスのトリオで、はじめ準備している時、
ドラムの人が、まるで麻薬中毒者の様にうつろな目でフラフラしていて、
一緒に行ったここのご主人に聞くと、「彼はいつも酔っ払ってるんだよ」と。
いったいどんな演奏が始まるんだ?! と半信半疑で聴いてみると・・・
もう、世の中にこんな世界があったんだ!という音楽でした。
魂をゆさぶる「音楽」・・・

注目のドラムは、全く別人のように生き生きと、絶好調にノリノリでハジけまくってる!
あれはなんだったんでしょう??
外見だけのハッタリではなく、決まるところが0.1秒も狂わずピタッと決まって、
そのうえで自由自在に音楽を操って楽しんでいる。
楽譜、技術を超えて、しゃべっているように、あふれる感情を噴出するように、
ドラムに愛情を注いでまるで語り合っているように、
うれしくてうれしくてしょうがない!!という演奏ぶり。

聞くところによると彼はニューヨークから来たというアフリカ系アメリカ人。
日本人にはない、信じられないほどのリズム感と魂を感じましたね。
私の音楽人生でここまで楽しんで演奏する人は見たことない。。。
あっけにとられて、でもこっちまでうれしくって最高に興奮して聴き入りました。

ご主人いわく「これが音楽さ!」と。
本当にそう思いました。
私たちはまず「楽譜を読む」「歴史、背景を知る」「技術を磨く」「自分の音楽を創る」
という所までがまず大変な作業で、何か本来の形を失いがち。

本番中「自ら楽しむ」

そう、これは当然あるべき、しかし、なかなか得られない極致なのです。
私の音楽人生ではまだまだ体験がないといっても過言ではないでしょう。
本番終了後に「幸せ〜」というのがほとんどでしょうか。
それだけ本番中は真剣勝負!
100%表現したいがために細かいところに気を使わなくてはならないし、決め所では最高に緊張するし、
自分の思うムードを作れないまま1楽章が終わってしまったりもする。
これは、有名なプロの演奏家であっても、よく見られることなのです。 
同じ作業だけにその考えているだろうことが、手にとるように分かる時があります。
逆に、とっても楽しそうにノリノリで弾いてるけど、独りよがりの自己満足の世界、という人はたくさんいます。
そういうハッタリではなく、

心底「自ら楽しむ」

それはピラミッドのてっぺん。
全てを超越して初めて得られるものだと思うのです。
そしてそこにはもう、理屈なんていらない。
どう考えてどう弾いてます、こういう背景のもとこうなるのです、なんてものは何もいらない。
ただ湧き出る「感情」それによる「感動」。それに尽きると思います。
ダイレクトにハートに届く、それが「音楽」。「音を楽しむ」のですね。

帰宅深夜3時。
すっかりそのドラムに魅せられてしまった一夜でした。

SAE

PS
この話にはオチがつきます。
演奏終了後ドラムの人と話すことができたのですが、
やっぱりうつろな目つきでフラフラしながら「電話番号教えろ」とうるさい・・・
演奏中が自然で、演奏していないとむしろ不自然な、ホンモノの芸術家でした!

2001/05/14 (Monday)

〜♪ 島原さんのミュンヘン便り 10 ♪〜
     「感動!!バイエルン放送交響楽団」

こちらに来てから、家で料理する時、必ずクラシックのラジオを聴いています。
古典から現代まで幅広くいろんなジャンルで質のいい演奏を聴くことができます。

ある日、モーツァルトのオーボエコンチェルトCmajorを、
いつものように、かるくBGMとして聴いていたのですが、
あーーーーーーまりにも上手くて、そのまま聴き流すことができない!
ドイツ語が分からないながらも、これは終了後の紹介を聞き逃してなるものか、
とメモ用紙と鉛筆を片手に料理も放ったらかして終わるのを待ち構えていました。
(パスタはのび切っていた・・)
なのに結局バイエルン放送響とコリンデイヴィス指揮しか分からず、
肝心のソリストをどうしても知りたくて、根性であらゆる手を尽くし、遂に知ることが!
「フランソワ・ルルー」
そう、聞き取れなかったはず。はじめて聞く名前です。
バイエルン放送響の首席オーボエ奏者でした。

そうと分かれば、聴きに行かなければ・・・と、バイエルン放送響のコンサートへ。
場所はミュンヘンフィルハーモニー・コンサートホールというミュンヘンで一番大きくてステキなホール。
ルルーを目的に行ったコンサートでしたが、まずオケが。
もう・・・・・・素晴らしかった・・・!
第1音から「エッ?!」っていう音でした。
これまで聴いたことのない音。
厚みのある、壮大な、迫力のある、素晴らしい音。
びっくりしました。
ルルーは、その中でもひときわリーダーシップをとっている形で、
もう動き回って楽しそうに「音楽」を表現していました。
ラジオで聴いたとおり、スウィング感のある自由な音楽性、
果てしなく吸い込まれるような音・・・魅せられました。
マーラーの1番がラストだったのですが、感動して涙が出てしまいました。
そのオケの音と、何よりみんながのびのびと弾いているのに感動しました。
オーケストラってこんなに魅力的なものなのだと、初めて知りました。

斎藤秀雄先生の教えにある「室内楽をそのまま大きくした形」まさにそれでした。
日本のまとまっている、というのとまたちょっと違うのです。
1人1人がちゃんと主張している。そして一緒になってアンサンブルしている。
各セクションが真剣に対話している。そして大きな渦巻く1つの音楽になっている。
もう、巨大な芸術だ!と思いました。感動、感動の嵐。
こういう時は本当はもう、何も言いたくないものですね。
言葉にしたら嘘になる。この感動だけを大切にしたい。
そういうコンサートでした。
その後知ったのですが、アメリカ人の友達の話しによると、かの天才バーンスタインが
世界一のオーケストラと評したのが他でもないバイエルン放送響だったそうです。

そんなステキなコンサートが学生は約500円ほどで聴けるという
日本では考えられないスバラシイ環境を大いに活用しようと
早速今度はルルーの室内楽コンサートへ!

バロック古典ものばかりの、めずらしいプログラムでしたが、
スリル満点のノリノリの音楽に仕上げていました。素晴らしかったです。
今はいろんな解釈があるから、こういう形もありなんだな、と思いました。
日本ではとかく「こうでなきゃいけない」みたいなものがある。
そこから外れると、なにかしら言われるし、認められにくい。
でも、こちらでは、その逆で「何か」がないと認められない。
オーソドックスに弾いたところで、「それで?」という感じ。
平凡に言うと個性でしょうか。
日本との空気の差を感じます。聴衆にも。

なんだかここには、私にとって未知の世界がいっぱいある気がします。
これから1つずつどんどん知りたいです。

SAE

2001/04/22 (Sunday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No.9 ♪〜

すっかり過ぎてしまいましたが、こちらは4月13日(金)〜16日(月)までイースター(復活祭)でした。
イースターとは、キリスト教で金曜日にキリストが十字架にかけられて亡くなり、3日後に甦るのですが、
そのお祝いのお祭りだそうです。
このお祭りでは卵が生命のよみがえりの象徴らしく、家の庭のあちこちにカラフルに彩色した卵を
猫柳の木につるしてデコレーションしています。

「イースターうさぎ」が子供達のために卵やチョコレート、お菓子などのプレゼントを庭のあちこちに隠している、という
サンタさんの様な風習があり、子供達はそれを捜して楽しむそうです。
なのでこの時期、街中のお店ではカラフルな卵とうさぎさんでいっぱいです。

その金曜日、日曜日、月曜日、と祭日になるので、「イースター休暇」といって、旅行に行ったりします。
いわゆる日本のゴールデンウィークですね。

そしてまさにその金曜日と月曜日、私は友達と「ベートーヴェン・カフェ」という所で演奏会をしていたのでした。
休暇なし・・・
そこは生演奏が売りもののカフェで、クラシックの日、ジャズの日・・といろいろあるようです。
とっても素敵なところで、パリのカフェみたいに開放的&アンティーク&お洒落なカフェです。

休日とあってか、かなり広いお店が全て予約で満席。すごかったです。
場所がらにあわせてクライスラーの小品など、名曲を中心に約2時間ほど演奏しました。
終わってからもわざわざ「素晴らしかった!」と言いに来てくれたり、曲名を聞きに来たり、と、
反応があってとても楽しい体験でした。
 
家に帰ると、これから休暇で旅行するという大家さんとサンドラ(私と同じ下宿人)が、イースタープレゼント、と言って
チョコレートをはじめいろんなお菓子を籠に入れてプレゼントしてくれました!子供にかえった気分♪ 
クリスマスのようなのですね。私も同じくプレゼントをしました。

ウサギさんの形をしたチョコレートやキレイな卵たちは、食べるのがもったいなくて
今も観賞用として部屋に飾っています。。。(大家さんに「くさるよ」と言われても)

SAE

2001/04/09 (Monday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘンレポート No.8 ♪〜

日曜日の昼下がり。ぽかぽか日和の春薫る中、今日はちょっと素敵な体験をしました。
私の住むこの郊外は、以前にも書いたとおり理想を絵に描いたような素晴らしいところで、
散歩をするのに最適な環境なのですが、今日大家さんと散歩をしていると、
かわいい5,6歳くらいの姉妹が一輪車の練習をしていました。
「ゼア・グーット(上手上手)!と声を掛けてそのまま通り過ぎたのですが、
そのうちの1人の天使のような女の子がわざわざ追いかけてきて、
何と私に手作りのビーズのブレスレットを「あげる」といって持ってきてくれたのです。
もうびっくりして、うれしくって、感激して、ほっぺにキスしてしまいました!

おかげで今日は1日とてもハッピーな気分でした!
今もそのブレスレットをしながらメールを書いています。
ずっとこの純粋な気持ちをブレスレットに込めて身につけておきたいです。

2001/03/29 (Thursday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘンレポート No.7 ♪〜

ソロとオーケストラのダブル本番を一晩で!
という過酷な使命をなんとかやり遂げ、本日は「要休養」というところです。

日本は桜が咲いたようですね。
ミュンヘンもサマータイムになりました。(=夏時間。日照時間が長いため)
日本時間からマイナス8時間が、マイナス7時間に変わります。

今日は思いのほか素晴らしい天気です。
今、家の庭の広い芝生の上に椅子を持ってきてゆったり座ってメール打っています。

心地よいそよ風と、自然の澄んだ空気。青空に真っ白な雲。。。
芝生には小さいかわいいお花たちがたくさん咲いていて、
美しい鳥たちの声が、歌っているかのように聞こえます。
これがホントに美しいのです。あちこちからたくさん聞こえてきます。
遠くからでも澄んだ声だからピーピーヒュルルーヒューと高々と聞こえてきます。

こうして庭から私達の家を見るとやっぱり大きい!
どっしりとした大きな三角屋根が2階全部をすっぽり包んでいます。
家の前には樹齢30年ほどになるりんごの木、
そして私のすぐ横には樹齢50年ほどの
さくらんぼの木が風流に威厳を漂わせて立っています。
ガーデニングスペースには秋に植えたチューリップたちが顔をだして、
かわいい花々が黄色、紫、白、青、、、と咲いています。

近所の人たちも庭に出て家族でテーブルを囲んでいるのが見えます。
太陽ウェルカムなヨーロッパの人達は、天気がいいと必ず外に出ます。

こんな幸せなひと時、しばらく忘れていたなぁ。

ミュンヘンより、ガーデニング中継でした!

2001/03/28 (Wednesday)

   〜♪ 島原さんのミュンヘンレポート No.6 ♪〜

3月22日は、ソロとオーケストラの一晩ダブルコンサートでした。
そのため、直前の一週間というもの、
まさに、「ミッション・インポッシブル of サエ・シマバラ!」の世界、
実に壮絶なものがありました。

オーケストラの練習は毎日朝10時から4時まであって、
その後、ソロのレッスンが6時から(本番とは別の曲で)あって、
空き時間はもちろん練習して、
レッスンが終わって8時からソロ本番の曲を練習して。。。
つまり、朝10時から夜10時まで食べる時以外毎日ずぅっと弾きっぱなし。
最後の方は疲れた、という感覚すらマヒしてしまって、
妙に長く練習してしまえる反面、腕の筋肉疲労で手が震えてました!

私はどうも、あのオーケストラの座って練習というものが身体に合わないようです。
ソロで立って練習する2倍の疲れを感じてしまいます。
オーケストラで弾くこと自体は非常に楽しいのですが。。。

そう、この学校のオーケストラ、とても楽しいのです!
日本の常識だと、オーケストラの初日のリハには、事前に必ず楽譜をコピーして
練習をしてから臨むものなのですが、ここのオーケストラは、なんと学校自ら
「初見練習の日」と名付けている通り、初日はみーんな初見で始めるのです!
でも、皆さん初見に強い!器用にさらさらと弾けてしまう。
なので、この必修のお陰で、私は毎回初見を鍛えられ、更に今回は現代曲の
初見もあった為、ともかくスリル満点でした。

音楽は置いておいて、「楽譜を読む」ということが、
こんなにも面白く楽しめるものなのだと、はじめて思いました。

そしてオーケストラは、やはり管楽器がとてもうまい!
管楽器のアンサンブル、チームワークというものが成り立っているのです。
まるで室内楽を見ているようでした。
お互い近寄りながら演奏したり、冗談で手をつなぎながら吹いている時も
ありましたね!とても音楽的だし、自己アピールがしっかりしている。
指揮者はマーク・ギブソンというアメリカ人で、バーンスタインに師事していた
というだけあって、アクションの激しい指揮でした。

この様に楽しみながら、しかし体力の限界と戦いつつ迎えた当日の本番は。。。
お陰さまで2つともなんとか無事終了!
ミッション・インポッシブルも、とりあえずポッシブルでした。。。(ハッピーエンド♪)

PS  プログラム
ソロ     
Bach: Solo Sonata No.3

オーケストラ 
Michael Torke: Ecstatic Orange
A.Copland: Billy the Kid (この曲は個人的にとても好きでした)
A.Dovorak: Symphony: No.8 G-Dur


   

2001/03/12 (Monday)

    〜♪ 島原さんのミュンヘン便り no.5 ♪〜

先日、大学主催のコンサートで、ベートーヴェンのクロイツェル・ソナタを弾きました。
この曲は、2月に、チュマチェンコ先生クラスの演奏会でも弾いたところでした。
そのときは、本番のわずか3日前にいわれて、「えーっ!」と言ってる間に当日を迎えましたが。。。

それにしても、こちらでは本当に演奏会で弾く機会が多いです。
2週間に1回はチュマチェンコ先生のクラスの演奏会があります。
チュマチェンコ先生は名教授として特に有名なので、いつもたくさんの人達が聴きに来ます。
とても人気があるようです。
こうして興味のある人たちが聴きに来てくれるコンサートでは、弾く方もとてもうれしいものですね。
それと同時に、「チュマチェンコ門下生」という金看板(これが鉛のように重たい!)を
背負っていますので、一回一回が真剣勝負です。ええ、本当に!

さらに、私は何故か毎回出ているので、次々に曲を仕上げるのが大変です。
弾くこと自体は負担でもなんでもありませんが、本番をする(=人前で自分を表現する)以上、その演奏は
いつも自分の中で「最高」でありたいと思っているからです。
そしてその目標とするところは、いつも果てしなく高いところにあります。
これは演奏経験を積んでいくほどに、ますます高くなるのでしょうね。。。辛いことに!

なので、帰国する2年後は、その「最高」の目標値は2年分、いや、もしかすると
もっともっと、高くなっていることでしょうね。。。ど〜しましょ〜う!!
それに少しでも正比例するよう、日々精進します!

2001/03/06 (Tuesday)

    〜♪島原さんのミュンヘン便り No4♪〜

お元気ですか?
こちらミュンヘンでは、先日までカーニバル(謝肉祭)で大騒ぎでした。
この行事は古く、カトリック教徒の人たちが肉を断つ期間があるのですが
その前に盛り上がるお祭り騒ぎのようです。
(正確にはミュンヘンのある、この南ドイツ辺りでは「カーニバル」と言わず、
「ファッシング」と言うようです)

いやぁホント、たのしかったぁ〜!!!
仮装した人達であふれてるのです!
中世の格好をした人、魔女、お面かぶってる人、カラフルなカツラをつけてる人、
顔をペインティングしてる人・・・・もうハチャメチャな世界!
そしてカラフルな紙ふぶきをみんなかけ合うのです。知らない人同士でも。
結婚式みたいに。幸運が訪れますようにって。

そして中心の市庁舎前をはじめ、あらゆる所に野外ステージを作って
コンサート、踊り、なんでもやっていて・・・
一番私が気に入ったのは路上でやってたドラムのバンドです。
音楽はなく、いろんなリズムのパターンを20人ほどの人達でやっているのですが、
ドラム、タンバリン、いろんな打楽器でノリノリのリズムを演奏してるのです。仮装してね!
それに合わせて聴いてる人もヒューヒューって騒ぎながらリズムを取って踊って。
私も混じってルンルンで踊ってしまいました!

ああやって思いっきり自分を忘れて、とことんはしゃげるって素晴らしいと思いました!
堅いイメージのドイツ人でしたが、このカーニバルを見てすごく好きになりました!
このハッピーな雰囲気、是非生で体験して頂きたいです!!

そういえば、ミュンヘンのデパートとかで、いつも不思議に思っていたのです。
必ずすごいギョッとする様な変な服屋が入っているのです。ホラーの様な、サーカスの
様な、時代錯誤な服とかカツラとかお面とかギラギラマントとか・・・
いったい誰が買うの??ってずっと思っていたけど、こういう行事があるからなのね、
と今回初めて分かりました!

このカーニバルは正式には昨年11月11日11時11分から始まるそうですが、
実際この様に盛り上がるのは最後の1週間で、必ず火曜日に、ピークに達して終わるようです。
非常にスバラシイ体験でした!
ではまた!

2001/02/20 (Tuesday)

  〜♪ 島原さんのミュンヘン便り  No.3 ♪〜

こんにちは!
こちらでは、昨晩から雪が降り続けていて、
今日はあまりにも一面真っ白に降り積もっていたので、
朝からはりきって雪だるまを作ってしまいました!
うれしくって夢中になって結構大きなのを作ってしまったため、
今、少し筋肉痛を感じながらキーを打ってます・・・

こちらの雪だるま、通称スノーマンは、日本とちょっと違います。
まず日本の2頭身の雪だるまに対して、スノーマンは3頭身です。
頭、胴体、腰から下という構成らしいです。
(でも私は日本風の雪だるまを作りましたが。)
そしてスノーマンは、鼻に人参、目に炭、頭にシルクハットのような帽子、
手にはほうき、そして胴体には炭で3つボタンを付けます。
以上が、典型的こちらのスノーマンだそうです。

雪だまを2つ重ねて得意げに満足していた私に、大家さんが「頭は?」と
聞いてきた時は、「は?」と思いましたが、そういう訳だったのです。

スノーマン入門、本日の講座はこの辺で。

2001/02/05 (Monday)

  〜♪ 島原さんのミュンヘン便り No.2 ♪〜


先日、大学内のコンサートでBachのPartita No.3を弾きました。
もちろん、これまでにも弾いたことのある曲ですが、
今回の留学を決めた大きなポイントである
「ドイツ音楽をより深く知る」という目的を持っての、再チャレンジでした。
そしてそのプロセスではいろんなハードルがありましたが、結果、
「この演奏をするために留学したんだ!」 という、自分なりに満足できる仕上がりになりました。
これからに期待していてくださいね。

そして、コンサートの翌日
(うまく行った時は至福の日、うまく行かなかった時は、 なんとも最悪な日・・・)は、1日ホリデイです。
好きなCDを聴いて、本を読んで、散歩して・・・

ここは、散歩をするには最高の場所です。
広大な土地で、(どうやらコーン畑らしい)今は一面真っ白な雪が積もっています。
その景色のなかに小さな教会があり、
さらに、その広大な畑の向こうの方に長い一直線の線路を電車が走っているのが見えます。
電車が走る風景をこんなに素敵だと思ったことはありませんでした。
この広大な土地と大自然が、まるで絵画のような風景をかもし出していて、
目にする全てに感動しています。

それでは、今日はこの辺で。
                〜ホリデイムードのミュンヘンより

2001/02/01 (Thursday)

  〜♪ 島原さんのミュンヘン便り NO.1 ♪〜

こんにちは、東京は週末の大雪で大変そうですね。

こちらでは、日曜日は練習できない※ので、本当の休日を味わっています。
やはりこちらはかなり寒くなってきています。
でもなぜか、いやな寒さじゃないんです。
ゾクゾクっていう寒さじゃなく、キーンとした寒さ。
だから耳が出てたらイッターくなります。帽子は欠かせません。
大学院受験の時の、夏のミュンヘンからずっと見てきましたけど、
今の時期が一番「ドイツ」っていう感じがします!
なんともイメージにぴったりな風景です。

もみの木のような大きな木がいっぱいあって、そこに雪が積もっていて
葉のない木々が寒々と立っていて、家々の煙突から煙がふかふか出ていて、
道行く人たちはみんな毛糸の帽子や、ロシアの帽子みたいのや、いろいろ
かぶっていて、家の中からだと外は真っ白のファンタジーな世界です。
外からだと三角屋根の家々がなんとも「家庭」らしくて、家の中の明かりが
とってもあったかそうに見えて・・・こういう時、マッチ売りの少女の気分って
こんなのかしら、って思ってしまいます!
いずれにしても、こういうところからドイツ音楽、文学が生まれているんだな、と実感しています。

※ミュンヘンでは、音を出していい時間帯が1日のうち何時から何時まで、と厳格に決められているそうです。
また日曜日は全く音を出してはいけないそうです。(注:こにゃん)
                             

0000/01/31 (Wednesday)

すみません。タイトル名が違っています
現在変更作業を行っておりますので、
もうしばらくお待ち下さい。


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History v1.31 [Shigeto Nakazawa]