|
2004/11/18
歌舞伎の童(こ) 先日、ほとんど1日で一気にこの本を読みました。著者のすなおであたたかさに満ちあふれた獅童さんへのおもいが伝わってきて、なんだかちょっぴり嬉しくなるような歌舞伎本ですね。著者は獅童さんに出会うまで歌舞伎など見たこともなく、その新鮮な視線でみる歌舞伎への驚きや興味の向けかたが、逆にいままでの歌舞伎本とはことなった、新しさを感じさせます。また、自分のおもいを率直に獅童さんにぶつけ、また獅童さんもきわめて素直に自分のおもいを著者に打ち明けている、その友情にも似た二人の交流がとても温かく感じられました。 若干気になった点を書くと、歌舞伎の歴史を簡単に記したところで、山村座の取りつぶし事件のあと、「同様の事件の再発を危惧した幕府は残りの三座を浅草聖天町へ強制移転し」というのは、明らかな間違い。浅草への移転は江島生島事件から100年以上あとのこと、天保の改革がキッカケです。ちょっと簡単に書きすぎて、かえって誤った表現になってしまったのでしょうか。 また勘九郎さんと獅童さんとの交流話が出てきますが、勘九郎さんの父勘三郎と獅童さんの祖父中村時蔵は兄弟。当然二人は姻戚関係にあるわけで、そのことが一言も触れられていないのは不自然です。 一番気になったことは、獅童さんは御曹司であって御曹司でない存在で、歌舞伎座で主役を演ずることはほとんど不可能という考え方です。著者も獅童さん本人もそうおもっているようですが、これは明らかに違うでしょう。いま現在はそうかもしれませんが(それが父親が歌舞伎役者を廃業したことの影響でしょう)、将来にわたってそうであるとはかならずしもいえないのではないでしょうか。御曹司とは無縁の三階さんならば、よほどの幸運がなければ主役は無理、といえますが、獅童さんは可能性が限りなくゼロに近いことなどありません。もちろん今後の努力精進が大切ですが、たとえば歌舞伎座で『千本桜』の忠信を演じることは、100%あると断言してもいいくらいです。もし、獅童さんがそんな風におもって、多少でもヤケな気分になっているのなら、それは間違いだと声を大にしていいたいとおもいます。 |