|
2004/11/10
『花雪恋手鑑』『勧進帳』(国立劇場) 14日(火)に国立劇場の『花雪恋手鑑』『勧進帳』をみてきました。『花雪恋手鑑』が上演されるのは、昭和33年以来とのことです。 その『花雪恋手鑑』、結論を先にいえば、なんだか妙におもしろかったのです。話はじつにくだらない。名門の家の放蕩息子とその許嫁の数奇な運命のあれやこれ、といったところなのですが、そうしたくだらなさが歌舞伎の一つの味になっているのです。しかも舞台は京・大阪、主人公も軟弱な上方の男風、暗闇で犯したのがじつは許嫁で、その結果生まれた子供を主人公がわずかの金ほしさに引き取り、お乳を貰いに歩く。偶然、その許嫁が妾として囲われている屋敷に入り込み、乳を貰っているうちに正体がわかって一悶着、かと思ったら、その子供は自分の子、さらに妾は仮の姿で主人の娘と知ってうやうやしく仕えていたというハッピーエンド、書いていてもバカバカしいお話だとはおもうのだが、これがなんともおもしろいのだ。全体を簡潔に整えながら上方歌舞伎の味を損なわなかった、脚本の勝利だとおもう。 主役の染五郎さんは、さすがに上方のじゃらじゃらした雰囲気にはほど遠かったようだが(特に身体からしみだしてくる上方の気配が乏しかった)、それでも精一杯の好演。なによりこの台本に目を付けたところが大殊勲。時代がかわって、こうしたくだらないとおもわれた作品が結構おもしろく感じられるのだ。その感覚が素晴らしいとおもう。許嫁役の芝雀さんも可憐。 気になったのは、偶然であった道ばたで、暗闇にまぎれて強姦するシーン。いかにも幕末の爛熟期を象徴するつくりなのだが、その暗闇がほとんど理解不能。歌舞伎にはダンマリのように、真っ暗闇を象徴する演技が多くあるのだが、現代人にとって真の暗闇はもう理解できないのだ。わたしは、そうしたシーンは「これは暗闇です」という暗黙の了解を押しつけるのでなく、舞台を相当暗くしてしまった方がよいのではないかとおもう。とくに今回のような強姦シーンには有効だとおもえる。この演目の重要なシーンであるから、観客によりリアルにその過ちをわからせた方が得策におもえるのだが、どうであろうか。 さて続いての『勧進帳』、幸四郎さんは祖父、父についで当代一の弁慶役者といえるであろう。悪いわけはないのだが、二、三気になったところを。大盃を飲むところ、一度飲んで、まだ酒が残っているのを少し時間がたったあと、再び飲む時にもフーと吹いていたが、これは少々ヘンであろう。『私の歌舞伎ノート』に書いたように、あれは酒の気を払う意味で、一度盃についで時間がたてば、酒の気は消えてしまうはずです。順不同で疑問点を記せば、延年の舞から義経、四天王が立ち去り、弁慶も出発する時、富樫への礼がきわめてぞんざいなこと。もう慌てて逃げ出す必要はないはずである。弁慶は富樫が義経と知って見逃したことを理解しているはずだ。もしそう解釈しないのなら、幕外でなぜ富樫にむかって頭を下げるのだろう。さらにいえば、何故そのあと天に感謝するのであろう。頭をさげるからなんにも理解しない観客たちが大喜びで手を叩くのだ。その上、飛び六法にうつるのだから、馬鹿な客が手拍子を拍つのだ。延年の舞の最後でしっかりと富樫への感謝をあらわし、幕がしまったらただひたすら義経の行方を見すえて、飛び六法で引っ込むのが筋ではないだろうか。少なくとも九代目團十郎の死後、一番早く勧進帳を演じた、團十郎の高弟初代市川猿之助はそう演じていた。 もうひとつ、これはしっかりと確認できたわけではないのだが、勧進帳を読む時に、気持ちが富樫に行っていないように見えた。常に富樫を気にしながら勧進帳を読むのが弁慶の大事な心得だとおもうのだが、どうであろうか。また、義経に似ているといわれ、双方が必死の形相で詰め寄るところ、なぜ富樫があんなに目をむくのか理解しがたいが、それより弁慶が金剛杖を両手とも下から持っていたのはどうだろうか?いつでも富樫たちを打ち殺せるように、片方は上から持つという、羽左衛門さん(十七代目)の解釈の方がよいと思えるのだが……? 染五郎さんの富樫は、前半謡うようなせりふのタイミングが気になったが、それ以外はなかなか素晴らしい気組みで好演。ただ誰の富樫をみていても、どこで本物の義経とわかり、わかった上で見逃そうとするのか、はっきりしないことは気になる。当然、本人の中でその変化があるはずなのだが、それが観客にわからないということは、役者自身もこの瞬間というタイミングを理解していないのではないかとおもえてしまう。むつかしい問題ではあるのだが、キチンとしたテキスト解釈の富樫をみてみたいと常々おもっているのだが……。 |
|
2004/12/20
元気いっぱいの丹下左膳(新橋演舞場) 18日(土)に我が家のチビをつれて新橋演舞場で『丹下左膳』をみてきました。 節約で三階席からの観劇でしたが、演舞場はまあまあ見晴らしがよく、座席も歌舞伎座ほど狭くないので助かります。偶然チビの前の席が空いていたので、多分舞台もよく見えたことでしょう。まずは、冒頭過去の映画からはじまります。錦之介さんのカラー映画の途中で銀幕を切り裂いて獅童さんの丹下左膳が登場。これがなかなか格好良い。さらにこの日は特別ゲストとして忌野清志郎さんが道場主となってスッポンから登場。ギターを抱え、「丹後右膳」と名乗って大受けにうけていました。日替わりゲストの登場が今回の趣向のようですが、清志郎さんは大物だったのでしょう。カーテンコールにも出てきて一曲歌ってノリノリ状態。わたしはただただ唖然。 セットチェンジでは盆を廻し、さらに舞台真上からの照明でまだら模様をつけて変化をもたせているのが気に入りました。歌舞伎ではあまり舞台が廻っているあいだのことは気にしませんが、演出家としてはやはり気になるのでしょう、おもしろい試みでした。 さて、肝心の中味なのですが、全体としては今ひとつのできにおもえました。これは丹下左膳という素材の問題が大きいとはおもいますが、我々の感情に訴えかけるものがあまりに希薄なこと、その割に迫力満点の殺陣があるわけでもなく、ゲラゲラ笑わせてくれるわけでもなく、消化不良な脚本・演出におもえました。また丹下左膳の人物の造形もあの脚本ではきわめて中途半端。殺人鬼のようでもあり、単にちょっとよい人でもあり、暗い過去に恨みをいだく下らぬ侍である、という訳のわからない人になっています。 八代将軍吉宗を戯画化したのは上出来でしたが、そのほかの登場人物、戸隠道場の妻、娘、師範代はつまらなすぎ。せっかくの腕達者な役者さんたちがそろったのに、なんとも作りの浅いドラマになってしまいました。これはおおく脚本の責任でしょう。 獅童さんは、そうした脚本のハンディ(さらに片目片腕もない!!)にも関わらず、元気いっぱい、ほとんど出ずっぱりで相当に頑張っていました。ただ、怒鳴る、わめくせりふが多く、ずいぶん耳障りでした。辺見エミリーさんが思いがけなく好演。子役も達者です。一つ一つは十分おもしろいのですが、全体としてみると、なんにものこらない実に奇妙な作品だったとおもいます。再度つくる時には丹下左膳の性格をきっちりと作り直す必要があるでしょう。 |
|
2004/12/06
吉例顔見世大歌舞伎昼の部(歌舞伎座) すっかり感想が遅くなりましたが、先月の24日(水)歌舞伎座昼の部をみてきました。 『箙の梅』は初見でしたが、正直いってがっかり。もはや時代にまったくそぐわない脚本におもえました。岡本綺堂を中心とした大正・昭和初期の新歌舞伎は、脚本になんらかの思想が入り込み、さらに舞台となる時代にそぐわないことばが使われていて、わたし自身はほとんど見るに堪えないおもいがしています。劇的な構成もきわめておざなりで、昔の人はこれでも興奮したり感動したりできたのだろうかと、いつも疑問に感じてしまいます。2年前の同じ綺堂の作品、『佐々木高綱』はもう少しおもしろくみられたのですが、今回はダメでした。役者の皆さんがかわいそうです。劇としてのリアルな運びがないものは、現代人にはもはや受け入れられないのではとおもいます。今後の演目選びに慎重を期してもらいたいものです。 『葛の葉』。あまり期待はしていなかったのですが、鴈治郎さんが素晴らしい。特に奥座敷の場での嘆き、所々で狐になりながら、我が子をおもい、夫をおもう心がじわじわとあふれ出てくる様子が最高でした。多少のケレン=屏風が勝手にひっくり返ったり、木戸の戸が自然に開いたり、がいやらしくなく、狐の超能力をみせてよく、障子に書く文字も品よくできています。以前みたある方の時はあまりのヘタさにすっかりしらけてしまいました。翫雀さんの保名もその情感がしっかりと表現されて最高。やはりこの演目は夫婦の別れ、親子の別れを狐という異類を通してみせることに眼目があるのだと感じさせてくれました。 『関の扉』は今回一番期待し、なにかと資料を読み勉強をしていったのですが、なさけなや中盤頃からすっかり睡魔の虜になって、記憶が断片的にしかのこっていない。あまりの恥ずかしさに、今回の感想を書くのがイヤだったという訳です。ひとつだけ感じたことは(この時はまだ意識ははっきりしていた)、魁春さんの身体のつくりが歌右衛門さんそっくりで、その上顔は一段と綺麗なのですから(わたしの知っている歌右衛門さんはもう大変なお年でしたので)、もう動いているだけで小町姫そのもののように感じられました。また、この演目は初代中村仲蔵の天明振りを写しているといわれるのですが、どうもピンときませんでした。特に有名な「生野暮」の振りはそのおもしろさを理解できず。ひょっとしたら、当時より曲のテンポが速くなっているのではないでしょうか? さいごは仁左衛門さんの『お祭り』。これはもうただ孝太郎さんの長男千之助くんをみるもの。愛之助さんが面倒をみていましたが、揚幕に控えている時(たまたま近かったのでよく聞こえたのですが)、何かをはなしていてうるさいうるさい。まだ行儀を教えるにも舞台にでる前なので大変でしょうが、勝負はそこからはじまっていることを知ることも大切でしょう。それでも、自分からでたくてでたくて仕方ないというのは、末頼もしい役者魂です。うまく育てば立役の二枚目として仁左衛門の名前がつながるかもしれません。 |
|
2004/11/17
吉例顔見世大歌舞伎夜の部(歌舞伎座) きのう16日(火)歌舞伎座夜の部をみてきました。『菊畑』『廓文章』『河内山』とならんだ演目は、はっきりいって食傷気味。演ずる人がかわれば舞台も変わる、という楽しみも、そうそう長続きはしません。たいした期待もなくみにでかけ、それなりにはおもしろかったのですが、期待していなかった程度のでき、としかいいようがありません。ちょっと残念です。 『菊畑』は富十郎さんの鬼一、吉右衛門さんの智恵内、芝翫さんの虎蔵に福助さんの皆鶴姫、段四郎さんの湛海という素晴らしい顔合わせなのだが、全体的におもしろさが薄い。多分息が合っていないのではないかとおもわれる。アンサンブルがわるいのである。ひとつひとつは素晴らしい藝をみせているのだろうが、それらが調和し、共鳴していないから淡泊な印象が強いのである。後半部分の虎蔵・智恵内のやりとりもこの身の一大事という緊迫感が伝わってこない。どこかサラサラしているのだ。 なんとももったいないことである。 『廓文章』はひとり、鴈治郎さんの至藝を堪能したのみ。こちらも全体のアンサンブルがよくない。まあもともと伊左衛門の藝を中心にみせる演目なのだろうが、我當さんの喜左衛門、秀太郎さんのおきさが親身になって伊左衛門を迎えているようにみえないし、雀右衛門さんの夕霧も匂い立つような色気が感じられず、劇としてのおもしろさは薄く感じられた。 そうしたなかでひとり鴈治郎さんの身体の使い方がなんともおもしろかった。とくに夕霧の座敷をのぞこうと、ふすまをあけにいく時のでれーとした歩き方、なんともいえぬ味わいである。前回みた仁左衛門さんとは体型も違うのだろうが、身体のこなしがぜんぜん別物のようである。上方和事をみる機会がめっきり少なくなったいま、貴重な体験であった。 ところで、「私の歌舞伎ノート」の一回目にかいた、「あもつき」ということばが、今回はすっかり「もちつき」にかわってしまっていた。まあ、このほうがわかりやすいといえばそれまでだが、廓ことばのおもしろさが消えてしまうのは少々残念である。 さいごは仁左衛門さんの『河内山』。よくできた演目ではあろうが、毎年のようにみるほどのものであろうか。黙阿弥が書いたように、直侍を出すなどの工夫があればまだしも、まあ一言一句かわらぬせりふを毎年聞くのもちょっと興ざめだ。仁左衛門さんの河内山はすこし中途半端におもえた。ワルに徹した凄みに薄く、さりとてどこか憎めない愛嬌もなく、上品なワル(=そんな奴はいないはず)にみえてしまった。よかったのは松江候の梅玉さん。夜の部一番の出来だとおもう。もう登場してきた時から青筋を立てているような癇性を見せ、河内山とのやりとりもイライラしながら次第に追いつめられる様子が、世間知らずの暗愚なお殿様といった雰囲気を醸し出していて最高。芦燕さんの北村大膳はとうてい「大男」にはみえず、左團次さんは無難。孝太郎さんの浪路がなかなか色っぽく、信二郎さんも誠実な役をしっかりこなしていた。 松竹にはぜひとも演目の再検討をしていただきたいのですが、12月、1月のラインナップをみたら、もうガックリ。勘三郎さん襲名まではあまり期待してはいけないのでしょうか。このままだと襲名以外はみるべきものがないという、由々しき事態にもなりかねないとおもうのはわたしだけなのでしょうか。 |
|
2004/11/10
『噂音菊柳澤騒動』(国立劇場) さきほど国立劇場の『噂音菊柳澤騒動』をみてきました。黙阿弥の原作で実際に舞台にかけられるのは100年ぶりとのことです。 菊五郎さん四役の奮闘で、さすが黙阿弥の趣向は興味深かったです。その趣向とは、原作の名題『裏表柳團画(うらおもてやなぎのうちわえ)』がしめすように、将軍綱吉と柳澤吉保、その妻おさめが表、木場の豪商武蔵屋徳兵衛、出羽屋忠五郎とその妻おりうが裏となって、同様の思惑でストーリーが進むところです。とくにうまいとおもったのは、綱吉とおさめが関係したことを、場面転換で徳兵衛とおりうがひとつ蚊帳の中にいるシーンで暗示するところです。この裏表の綯い交ぜがもうすこし丁寧にみせてくれたなら、おもしろさはさらに増したとおもわれます。 この表の話に吉保が綱豊の暗殺を依頼する「三間右近邸宅の場」が加わり、はなしは急展開するのですが、どうもここらへんからはなしの筋に無理が出てきはじめます。右近の母親が自殺するのも、右近が切腹するのもなんだか納得できません。さらに突然登場した綱吉の御台所が綱吉を天下のためといって殺害するのも、違和感があります。柳澤吉保のまるで『先代萩』の仁木弾正のような長刀の立ち廻りも???。最後に木場での立ち廻りがあって、菊五郎さんはさすがにフラフラ。吉保の立ち廻りは必要だったのか?せっかくの井伊掃部守の活躍の場をもうけた方がよかったのではないでしょうか。 なにしろ菊五郎さんは吉保に忠五郎、右近に掃部守の四役、ほとんど出ずっぱりの奮闘ぶりです。まだまだ前半、体力が気になります。菊之助さんは綱吉と徳兵衛、三間家下女おしずの三役。さすがに木場の豪商役は無理でしたが、綱吉は天下の徳川将軍らしい品格をみせ、下女はまるで富司純子さんそっくりの表情が印象的。時蔵さんも三役、おりうが色っぽく、おさめもなかなかのもの。御台所も品格があって立派。得難い女形です。 そのほか気になったこといくつか。松助さん、亀蔵さん、松緑さん、彦三郎さん、萬次郎さん、竹三郎さんと手練れが簡単な一役のみであったのは(仕方ないとはいえ)いささかもったいないとおもいます。綱吉を自宅に招いての吉原遊び、花魁道中で座敷の中を練り歩くとはいくらんでもひどすぎないか?マツゲンサンバは案外場内が盛り上がらず(多分きょうは高齢者がおおかったことが原因でしょう=ノリが悪い)、少々残念でしたが、禿役のオチビちゃん二人が妙にノリノリなのがおかしかったです。橘太郎さんが久々にバク転を披露したのにはビックリ。ちょっと丸くなっちゃったけど、身の軽さはまだまだいけますね。 どちらにしても上演時間4時間40分、通し狂言としては決して長いとは感じませんでしたが、多分現在では時間的にはこれが限度でしょうか。個人的には前半をもっと簡略にして、後半部分をふくらませてほしかったです。 |
|
2004/11/01
ひとりごと010 図書館の勧め わたしが日常的に利用している図書館について説明しよう。一番頻繁に利用しているのが、歩いて5分ほどにある渋谷区立図書館の大和田図書室。廃校になった学校を利用していて、子どもの本などはかなり充実している。なかでも便利なのはインターネットによって、渋谷区内の図書館にある本は予約が可能なことだ。蔵書もほぼ完璧に検索できる。簡単に書店では入手できなくなった本や、絶版本、どうしてもお金を出して買うほどではないが、ひととおり目は通しておきたい本などを予約する。誰も借りていなければ遅くとも2〜3日で大和田図書室にまわってくる。2週間借りられた上に、次の予約がなければもう2週間借りることも可能だ。 さらにこれは大声では言えないが、CDの貸し出しも行われている。TUTAYAにもないような、落語、文楽などのCDはすべて、区の図書館から借りている。申し訳ないが、無料のレンタルショップといえるだろう。 同様にこの秋から利用しているのが、中央区の図書館。他区の住民も登録が可能で、渋谷区と同じようにインターネットで予約も可能だ。さらにこの中央区立図書館がすばらしいことは、明治から戦前に出版された本が多数在庫していることだ。古書店で購入したら数万円という本も簡単な手続きで借り出すことができるのはすごいことだ。 より専門的に調べる時は、広尾の都立中央図書館へ行く。総合的に使いやすさはナンバー1である。コピー料金も1枚25円と比較的安い。パソコンも使えるように、電源タップが設置された机も多く、さらに子どもたちは入れないからとてもに静かだ。結構混んでいることが難点か。 希望の本、雑誌はほぼここでみることができる。 さらに専門的な本、稀少本をみるには、国立国会図書館に行く。先日ひさしぶりに行ったらほとんどコンピュータ化され、相当便利になっていた。欠点は一回に3冊しか借りだせないことと、コピーが1回に25枚までと、制限が多いこと。ただし、古い雑誌などの充実ぶりはやはり日本一だろう。さらに先日利用して驚いたのだが、インターネットで目的の論文などのコピーを依頼できることだ。明治31年の大阪毎日新聞の記事を探していたのだが、所蔵は関西館にもかかわらず、クリック数回で依頼でき、10日ほどで手元に届いた。送料・手数料は500円足らず。コピー料金も館内と変わらず、便利この上ない。もうひとつ便利なことは明治期の多くの書籍がデジタル化されて、ネット上で公開されているのだ。印刷することも可能だ。先日出版されて話題になった明治の評論家三木竹二の『観劇偶評』もここの近代デジタルライブラリーで公開されており、わたしは1年ほど前に入手していた。 歌舞伎関係ではこのほかに早稲田大学演劇博物館や国立劇場の伝統芸能情報館が一般の利用可能、また雑誌関係は大宅壮一文庫が特に充実している。 各自治体は図書館の整備を頑張って推進している。ぜひとも利用してみてほしい。 |
|
2004/10/29
『髑髏城の七人』(日生劇場) 先週の土曜日22日に、日生劇場の『髑髏城の七人』(通称アオドクロ)を妻とチビの三人でみてきました。以前BSで、劇団☆新感線の特集が5日連続であり、その時録画した『髑髏城の七人』(1997年版)をみていましたので、天井桟敷という環境の悪さも気にならず、3時間半たっぷり堪能しました。 全体的に劇場の規模も大きくなったせいか、スケールアップ。音響、照明、セットとも金がかかっている〜〜、といった印象でした。染五郎さんはほとんど歌舞伎の手法を使わず、捨之介を颯爽と演じていました。その美形に驚いてしまったのが、無界屋蘭兵衛に扮した池内博之さん。沙霧の鈴木杏さんも頑張っていました。 残念ながら古田さんのアカドクロを見損なったので(舞台映画も行くつもりでつい忘れてしまった!!)、比較はできないが、大劇場を堂々一ヶ月満員にする魅力はどちらにも備わっているのでしょう。染五郎さんの映画公開が楽しみです。 驚いたのは我が家のチビ。まあ好きなパターンであるとはおもっていましたが、食い入るように舞台を見続け(どうみても理解できないような色っぽいシーンも多かったはずですが)、大大満足で帰宅しました。(そういえばこの日の帰り、東急東横店で食事をしようとしていた時に地震が起きたんですね。)さらに、私が録画したビデオを取りだして、まずは『髑髏城の七人』、そして昨日から今日にかけては『魔性の剣』をしかっりとみていました。親の影響なのか、なんだかヘンな小学2年生です。 |
|
2004/10/28
ひとりごと009 『テレビの嘘を見破る』 先日、でたばかりの新潮新書『テレビの嘘を見破る』(今野勉著)を読んだ。長年情報系の番組に携わってきたものとして、大変おもしろく読んだ。著者の今野氏はテレビマンユニオンの創設者の一人であり、秀逸なドラマやドキュメンタリーの制作者でもある。この本のタイトルはおどろおどろしいが、内容はテレビのドキュメンタリーの制作方法を例示し、その演出的手法が『嘘』と認識されるのかどうかを、読者(=視聴者)とともに考えようとした、極めつきの真面目なものである。 ここに例示されていることは、テレビの制作に携わるものなら大半が経験済みのものであるし、いわば常識的な手法である。しかし、その多くが他のマスコミ、特に新聞記者には明らかな『嘘』あるいは『やらせ』とみなされているらしい。今野氏は1993年2月に大問題となったNHKスペシャルの『禁断の王国・ムスタン』をきっかけにこの問題に取り組んできた。テレビの演出的な手法がどこまで許せるのか、については、ぜひともこの本を読んで、あなた自身でかんがえてほしい。 この本に込められた筆者の真摯なおもいは素晴らしいものだと理解した上で、あえていっておきたいことがある。それはテレビが映し出す『事実』への甘えだ。映像へのいわば脳天気ともいえる盲信だ。ことばを変えればご本人は決してそうはおもっていないのだろうが、テレビに長年関わってきた人間の傲慢さだ。わたしはテレビ映像が映し出したものを単純に『事実』とかんがえるのは、テレビの傲慢さだと常々感じている。それは『事実の一つ』であり、『事実の一断面』とかんがえるのが正しいのではないだろうか。 具体的にかんがえてみよう。新潟の地震ですっかりかすんでしまったが、その直前出来事である。台風23号で道路が冠水し、バスの屋根で一夜を明かして救助を待った人たちの映像をご記憶だろうか。ヘリコプターから撮影されたNHKの映像は、茫々とした川のような、池のような茶色の水をロングショットでとらえ、スーとズームアップすると、かろうじて水面から顔をのぞかせているバスの屋根と、その上にかたまっている数十人の人の姿が映し出された。活字でいくらバスの屋根で救助を待つ、と書かれてもよくわからない情況が、この映像でいっぺんに理解できる。たしかにこの映像は、「取り残された人たちがおかれた情況」という『事実』を映していた。しかし、それは「取り残された人たちがおかれた情況」の一断面にすぎない。はたして夜はどんな情況だったのか、その人たちからみた風景はどんなものだったのか、その心理は……。わたしたちが知りたい『事実』はまだまだいくらでもある。映像の力は相当に強いので、あの画面を見てすべてがわかったような気になってしまいがちだが、それは危険だ。なぜあんな状態になってしまったのか、その時乗客たちはどのようにして屋根に逃げたのか、周りに水没していた車に乗っていた人はどうなったのか、など知りたい『事実』はいくらでもある。それは新聞や週刊誌などの活字やテレビの検証番組を待つしかない。カメラが映し出す映像そのものは『事実』ではあるが、しかしそれはまた『事実の一つ』でしかない。テレビはこの『事実の一断面』をとらえるにすぎないという謙虚さを身につける必要があるのではないだろうか。 最後に今野氏は非常に大切なことを提案している。『メディア・リテラシー』だ。 私がこのところ感じているのは、文章を使いこなしたり、文章を鑑賞したりできるようになるために、子供のころから学校で読み書き(リテラシー)を習うように、映像を使いこなしたり、映像を鑑賞したりできるように、やはり子供のころから学校で、映像を含めたメディア全般のイロハ(メディア・リテラシー)を教えるべきだ、ということです。 東京都教育委員会も日の丸・君が代教育で教師を処分するヒマがあったら、『メディア・リテラシー』をもう少し真剣にかんがえてみたほうがいい。 |
|
2004/10/27
十月大歌舞伎夜の部 千秋楽の26日火曜日3階A席で、夜の部をみてきました。なかなかの力作揃いでそれなりに堪能しました。 『井伊大老』。活歴というわけでもなく、新歌舞伎というものでもなく、北条秀司さんの昭和31年の作をいまみる必然性がどこにあるのかとおもいながらみていたのだが、最後の幸四郎さんの直弼と雀右衛門さんのお静の語らいを聞いているうちに、ついつい引き込まれてしまった。 疑問は疑問として残っているのだが、しみじみとした夫婦のやりとりが翌日の悲劇をしっているわたしたちの胸に迫ってくる。安政の大獄の責任者である井伊直弼自身を免罪しようとは思わないが、かれもまた人。埋もれ木時代の苦しみをもう少し政治に生かせたら、日本の歴史も変わっていたはずだ。特に間違っていたのは長野主膳(梅玉さんが演じていた)の重用であろう。そのあたりは、松岡英夫氏の『安政の大獄』に詳しい。 歴史的事実はさておき、役者の藝の力を久々に感じさせてもらった一幕であった。特にお静の雀右衛門さんはその持ち前の嫋々とした声質が直弼を一途に思う愛らしさ、いとおしさを倍加させる。また幸四郎さんも闊達な台詞廻しで、やさしい夫を堪能させた。原作には決して納得はいかないが、その意図は十分観客に届いていたといえるであろう。 『実盛物語』。おいおいまたかい、といいたくなるほど昨年から続いているこの演目(去年の五月からこれで三回目だ)だが、さすが仁左衛門さん、きっちりと楷書の実盛をみせてくれた。ただ、全体的にはワクワクするおもしろさは薄い。男寅くんの太郎吉は舞台にでるのが楽しくて仕方がないといった様子。こうした小さい頃からライトを浴びて、役者のおもしろさに目覚めていくのだろう。孝太郎さんの葵御前は神妙にして行儀がよいことがなにより。芦燕さん、鐵之助さん、田之助さんのワキが今ひとつさえず。左團次さんの瀬尾は当然のはまり役だが、この瀬尾まで源氏に味方するのは子や孫へのおもいとはいえ、いつも違和感が強い。 面白かったのは最後の馬、拍子を合わせて足踏みしたり、舞台を大きく回ったり、花道でイヤイヤをしたりと大活躍。会長賞か? 最後の『直侍』は最近あの余所事浄瑠璃で気分よく寝るのがお決まりのようになってしまっていたが、今回はバッチリ目を見開いて最後まで観劇。といってもさほど面白かったわけではない。久々にじっくりと清元を聞きたい気分であったのだ。 前半の蕎麦屋での下廻り二人、腕達者の菊十郎さんと橘太郎さんがついつい菊五郎さんより上手に蕎麦をたべてしまってぶちこわし。菊五郎さんも最後の日とはいえ、もう少し粋にたべてほしかった。田之助さんの丈賀は語尾をのばすしゃべり方が強すぎて、気になる。ほどほどがよいのではないだろうか。松助さんの丑松がいい味を出していた。 大口の寮では時蔵さんの三千歳が頑張ってはいたのだが、グニャグニャの色気が薄い。黙阿弥が八代目岩井半四郎にあてて書いただけに、まるで骨がないような色気だけの花魁であってほしいのだが、時蔵さんは美しいがどこか理知的。それは容貌のせいでどうすることもできないのだろうが、そこをなんとかするのが藝の力なのだろう。いつかそんな日が来ることを楽しみにしたい。 |
|
2004/09/26
九月大歌舞伎昼の部夜の部 昼の部を22日水曜日3階A席で、夜の部を14日火曜日1階2等席で観劇。 今月のわたしのベストは夜の部の『男女道成寺』です。まあ『娘道成寺』の変種だし、兄弟で踊るのもなんだかなあ、とおもってあまり期待していなかったのですが、これがなんともおもしろい。前半はさほどでもなかったのですが、「恋の手習い」あたりから、がぜんおもしろくなってきて、鞨鼓から鈴太鼓になると、最高潮の盛りあがり。兄弟のいきがピッタリあったうえに、立役、女形の違いがくっきりして、曲のすばらしさがさらに踊りのおもしろさを際だたせる、という至福の体験でした。男とわかったところで橋之助さんの三男宜生くんの披露があるのはご愛敬。 ちなみにこの宜生くんについて、昼の部の『菊薫縁羽衣』の披露口上で、勘九郎さんが演じた『弁天小僧』のビデオをすり切れるまでみており、初舞台ではその弁天小僧を演じたいといっていた、と橋之助さんがかたっています。末頼もしい三人兄弟です。 観劇前のたのしみはとうぜんのように『宇都谷峠』と『一本刀土俵入』だったのですが、残念ながらどちらもちょっと期待はずれ。『宇都谷峠』は三津五郎さんが、『一本刀土俵入』は勘九郎さんがいまひとつに感じられました。 勘九郎さんの駒形茂兵衛は、前半はもっさりしたお相撲さんぶりがなかなかよかったのですが、10年たってのやくざが、三階からみていたせいかもしれませんが、どうもすっきりしていないように感じられました。ちょっと人がよすぎる印象です。どこかすさんだ雰囲気、裏街道をあるく男の匂いがからだから発していてほしかったのですが、それが希薄でした。福助さんのお蔦も声が高すぎるようにおもいます。すさみきった酌婦ではあるが、心のどこかに家族へのやさしさ、いとしい男へのおもいがあるお蔦は、もっと沈んだ声のほうがよいはずです。 子守女が千弥さんから芝のぶさんに交代。小山三さんも元気に白首役をつとめていたことが、なによりもさいわいであった。 『宇都谷峠』で文弥と仁三を演じた勘九郎さんはさすがにうまい。初役とはおもえないすばらしさであったが、なぜか三津五郎さんの伊丹屋十兵衛に生彩がない。多少複雑な性格で性根をつかみきれなかったようにみえたのだが、ご本人はどうおもっているのだろうか。金ほしさに文弥(盲目のあんま)を殺すのだから悪人かといえば、その金はお主のための金。黙阿弥特有の人間の裏表を描き出す手法だが、生真面目な三津五郎さんがその性格分析をうまくできなかった印象なのです。たぶん文弥殺しの場面だけガラリと気分をかえて演じればよいのでしょうが、近代演劇人三津五郎さんにはそこがいますこし消化しきれていないようにおもえました。 のこりは手短に。『高時』は天狗との舞がそれなりにおもしろい。九代目團十郎のころにおもいをはせながらみていると、結構たのしかったです。『重の井』はなんだか、国生くんの顔が太っているなあ、と気になってしまい、母子の気持ちのすれ違いが胸にせまってこず。『茶壺』はがっくり夢うつつ、で感想なし。 ところで今月は芝翫さんの父親五代目福助の七十年祭ということで、成駒屋一門総出のにぎやかさであったが、この福助の短い一生については加賀山直三著『ある女形の一生』というすばらしい本にあまさず書かれている。しかし、そこには現在ではタブーになっているある事実が書かれているので、今月の筋書にもその本の紹介はまったくなされていない。もちろん本に書かれていることには一切触れられていない。奇妙なはなしである。この本は古書店でさがせばまだまだ簡単に二千円ほどで入手できるはずである。 わたしがよく利用するインターネットの古書店はこちらです。 |
|
2004/07/04
ひとりごと007 日本人の顔 日本人の顔が大きく変化していることは、よくしられた事実であろう。科学的な分析結果が存在するのかどうかは分からないが、幕末の日本人の顔と現在のそれとは同じ民族とは思えないほど大きく異なっている。百数十年前に撮影されたその写真をみれば一目瞭然であろう。 とうぜんそれは食生活の変化、生活様式の変化、環境の変化などの結果で、現代の美的感覚からすれば好ましい変わりようであろう。昔の日本人の顔は----当たり前のことであろうが----明治の頃に描かれた戯画的日本人の顔そのものである。頬骨がでて目が細く、さらに吊り上がっている。現代の目からみると、残念ながらあまりかっこいいとは思えない。最近の若者の顔はたとえていえば卵に目鼻、それもゆで卵のようにどこかツルンとしてかつてのようなデコボコはほとんでない。近代化からわずか百数十年、五世代から六世代でその容貌は一変したのである。 以前ニュース番組を担当していたとき、晩年の黒澤明監督のインタビューをおこなったことがある。キャスターが、「何故、時代劇を撮らないのか?」と質問をしたときの黒沢監督のこたえがいまだに印象に残っている。「時代劇にふさわしい顔の役者がいなくなった」と語ったのだ。 最近、DVDになった黒沢作品をよくみているのだが、たしかに時代劇を撮っていた昭和二〇年代から三〇年代にかけて、なんとも奇妙な印象をあたえる顔つきの役者が大勢いたことが分かる。いわば奇顔とでもいおうか、現在ではとうていお目にかかれない容貌の持ち主だ。歌舞伎の世界でもそうした奇妙な顔の役者がいたらしい。そのうち古今東西絶句帳で紹介したいが、なかなか凄まじい顔であったようだ。 いまNHKで話題の『新選組!』をみると、おもわず笑い出してしまうほど美しい顔つきの隊士たちが奇妙なことばではなししているシーンにぶつかる。しかもビデオで撮影されているのだ。時代劇をビデオで撮影すると、逆にそのリアルさが欠点となる。あれはもう時代劇ではなく、時代を過去にとった現代劇と考えるしかないような代物であろう。 こうした日本人の顔の変化は、近代化の中でかつての日本人の顔を形作っていた文明とはまったく別の文明を選びとった結果であって、いまさら善し悪しを論議することは不毛であろう。ただ考えなくてはいけないことは、美しい容貌を獲得することによって失ってしまったもの、すなわちかつての奇妙な顔が象徴していた日本文明とはいかなるものであったのか、ということである。 |
|
2004/06/20
ひとりごと005 十一代目 十一代目市川海老蔵の襲名披露興行が、先月に引き続き歌舞伎座でおこなわれ、劇場内は華やかな祝祭気分に満ちあふれている。連日のように(もちろん毎日確認したわけではないが)補助席が設けられ、これまでの襲名興行とはくらべものにならないくらい観客たちの興奮の度合いもつよい。すべては十一代目の海老蔵がもたらす魔力、たんなる魅力といういうことばでは言い表せない吸引力に、あたかも誘蛾灯に引き寄せられる蛾のように観客たちは何をおいても劇場に駆けつけているのであろう。なにはともあれめでたいことである。 十一代目市川海老蔵と書いて、ふと気づいたことがある。いまの團十郎、十一代目海老蔵の父は十二代目の團十郎である。数字がいろいろでてきてわかりにくいが、海老蔵から團十郎になるのが普通と考えると、ふたつ数があわない。海老蔵の方が二代少ないわけだ。ここでクイズである。歴代の團十郎のなかで、一度も海老蔵を名乗らなかったひとがじつは四人いる。何代目の團十郎だろうか? すぐに思いつくのは、十一代目團十郎の養父市川三升であろう。大学をでて銀行員になっていたが(明治時代にあっては大変なエリートであった)、何かの縁で九代目團十郎の娘婿となったひとである。このひとは九代目海老蔵が十一代目團十郎を継ぐ時に、十代目團十郎を贈られたので(その時にはもう亡くなっていた)、海老蔵を名乗ることはなかった。もう一人は、劇聖といわれる九代目團十郎。父はみずから「壽海老人子福長者」と称した七代目團十郎だが、生後七日にして河原崎座の座元河原崎権之助のもとに養子にやられたことから、河原崎長十郎、河原崎権十郎と名乗り、明治七年に九代目團十郎を襲名したので、このひとも海老蔵を名乗る暇はなかった。 のこる二人はむつかしい。もともと、海老蔵は初代團十郎の幼名であったが、二代目は養子に三代目を譲ってから二代目海老蔵を名乗っている。この三代目團十郎が二十二歳の若さで亡くなったことから、海老蔵を名乗ることはなく、また五代目の團十郎も「私がゑびは天蝦(ざこえび)の文字を用ゐまする」と語って、蝦蔵と称したので、代々の海老蔵には含まれない。以上、三代目、五代目、九代目、十代目の團十郎が海老蔵を名乗っていないことになる。 こうなると、またまた二つ数があわなくなる。團十郎になったひと、なるひと以外に、海老蔵をなのっていた役者が二人いたのである。詳細な系図をみるとわかるが、七代目團十郎の三男と七男である。この二人がそれぞれ七代目、八代目の海老蔵を名乗っていた。 ふ〜、ここまでお付きあいいただいてありがとうございます。役者の何代目というのはじつにややこしい。とくに死後追贈されることが多いので、しばしば混乱する。十一代目海老蔵さんも、以前の十人を正確にいうことはむつかしいだろう。 さてはなしは突然かわるのだが、この十一代目、英語ではなんというかご存じだろうか?たまたま今月文庫ででたばかりの高島俊男著『お言葉ですが…D キライなことば勢揃い』(文春文庫)を読んでいたら、この問題が取りあげられていた。詳細は本文をお読みいただくとして、わたしが興味深かったエピソードを紹介する。 大正末期から昭和にかけて、英語の神様とうたわれた斎藤秀三郎先生に「何代目」をなんというのかきいたところ、さすがに神様もわからない。数年後『斎藤和英大辞典』が出版され、そこに「何番目」という項目があり、How maniethという用例が記されていたという。じつはこのmaniethは神様があらたに作りあげた単語で、その後も現在もつかわれていないようだ。なけりゃ、作ってしまえ、というのも神様ならではの乱暴な発想だが、いまでも新語流行語が日々生まれているのだから、間違いではない。 ここで、ちょっと英語の辞書(電子版)を調べてみると、研究者の英和・和英中辞典にありましたよ、何代目が。 リンカーンは何代目のアメリカの大統領ですか? 16代目です。 How many presidents were there before Lincoln? Sixteen. しかし、乏しい英語の力でこれをみると、リンカーンの前に大統領は何人いましたか?という質問に16人と答えているのだから、リンカーンは17代目にならないか?疑問だなあ。高島さんの本には(ご存じの方もおおいとおもいますが、この『お言葉ですが…』は週刊文春に連載されており、単行本にするとき、読者からの反応を「あとからひとこと」として書きくわえるのが特徴です)、その後アメリカのビジネススクールで研修中のビジネスマンからのお手紙が紹介されており、何代目かときくことばはいろいろあるが、「但しそれに対する答えは、Who cares?(知ったことか)とか、Worst!(最悪!)とかになる」ということだ。何番目かなんてなんの意味もない、問題は中身だという欧米の合理主義がわかるエピソードだ。 それにしても十一代目市川海老蔵は、英語に直したらなんというのだろうか?英語の筋書きをみればきっと書いてあるに違いない。たぶんthe eleventhなんでしょうね。 最後にもうひとつクイズ。この文章に「十一代目」は何回登場したでしょう? |
|
2004/06/13
ひとりごと004 新説・珍説・真説 あらかじめことわっておくと、この三つのことば、「新説・珍説・真説」は先頃文庫化された明治の辞書『言海』にはでていない。どうも安手のことばであるらしい。日本語はきわめて融通無碍で漢字二文字を組みあわせると、あらたな意味をもったことばがすぐさま誕生する。「新説・珍説・真説」もその一例であろう。同様のことを(いささか古くさいが、「チョベリバ」=「超very bad」などその例か)英語でやっているのが、最近の若者ことばなのであろう。 さて前回は、新説が珍説に等しいとおもわれる本を紹介したが、今回は新説が真説ではないかとおもわれるものを紹介したい。 2年半ほど前になろうか、一読して天地がひっくり返るような驚きにおそわれた本がある。 鈴木眞哉さんの『謎とき日本合戦史』(講談社現代新書)と『戦国合戦の虚実』(講談社)である。この二冊で従来の戦国時代を中心とした合戦のイメージが、百八十度転換してしまったのだ。 簡単にいえば、「鎬をけずり鍔をわり」という接近戦=白兵戦はほとんどなく、合戦のおおくは矢を射かけたり、石つぶてをなげたりという、遠戦であったというのだ。映画やTVドラマ、歴史小説のたぐいで見馴れていた壮絶な接近戦は、偶発的にしかおきていなかったらしい。さらにこれは前々からいわれていたことだが、明治以前の日本馬はほとんどポニークラスで、それにまたがって疾走する騎馬軍団など存在しようもなかったと説いている。はたして専門家たちはどのように考えているのか分からないのだが、大枠で納得がいく説である。 考えてみれば百年以上つづいた戦国時代、合戦の度に激しい白兵戦をおこなって敵の兵の命をとることに専念していたら、国内に成人男子はほとんどいなくなっていたはずである。局地的にはそうした戦闘もあったであろうが、大半は遠くから矢を浴びせたりする示威行動であり、内部の裏切りや援軍の到着などで勝負はきまったようだ。 秀吉が城を攻めるとき、兵量攻めや水攻めなどできるだけ自軍に損害がでないようにしたのは、かれの独創でなく当時の常識ではなかったか。 もちろん映画や小説などは勇ましい方が面白いにきまっている。当時の軍記物も同様であろう。それをそのまま信じ込み、合戦というと両軍入りみだれての白兵戦というのがわたしたちの意識にすり込まれていったものであろう。騎馬軍団も同様である。どうやら馬にまたがって甲冑武者が集団で相手の陣地へ襲いかかるというのは、まったくの幻想であった。 わたし自身、日本馬の原種といわれる木曽駒やトカラ馬をみたことがあるが、じつにかわいいものであった。競争馬のように時速60キロで走れる体つきはしていない。集団でトコトコ走ってくればまあそれなりの迫力ではあるだろうが、こちらに柵があったり槍をもっていればさほど怖いものではない。戦場につかわれた馬の多くはたんなる移動のための道具に過ぎなかった。 江戸以前の歴史をみていくと、なんだかやたらに戦争ばかりしている好戦的な民族のようにもおもえるが、じつは臆病そうに遠く離れてワアワア騒いでいたのが実態のようだ。首を討つといった残忍な行為も、おおくは矢などで怪我をして動けなくなった相手を仕留めた結果のようだ。 さらについ最近、じつは武士たちはきわめて卑怯なだまし討ちで相手を殺しており、戦場におけるフェアプレーなどなかった=武士道は幻想であるという佐伯真一さんの『戦場の精神史』(日本放送出版協会)が出版された。ハリウッド映画『ラスト・サムライ』でブームとなった新渡戸稲造の『武士道』は明治という時代がつくりあげたファンタジーであるという。そもそも武士道的な倫理観は平和な江戸時代になって生まれたもので、臆病そうにではあっても、生きるか死ぬかの戦いを繰りひろげていた戦国時代にはきれい事などいっていられるはずもない。 わたしの印象では、江戸時代の武士のおおくは農民や職人とはことなりなにかを生みだす仕事ではなく、現在の役人と同様の行政職になっていた。しかも農民たちから年貢を取りたてて生活している。そこでは高い倫理観がなければそうしたシステムを維持できなかったのではないだろうか。そこで生まれたのが、一般的な武士道であったとおもわれる。 明治という時代を経過したことで、日本は様々な新説、珍説が誕生し、それがいつのまにか真実になってしまっている。いまようやくそうした明治の呪縛から逃れて、新しい目で日本の歴史をみなおす機運が生まれてきているようにおもえる。あっと驚く新説がさらに誕生することをたのしみに待っている。 |
|
2004/06/06
ひとりごと003 西洋コンプレックス 最近、どうも理解しがたい本を二冊読んでしまった。近松洋男著『口伝解禁 近松門左衛門の真実』(中央公論新社)と立花京子著『信長と十字架』(集英社新書)である。朝日新聞などの書評に取りあげられているので、タイトルだけでも目にしたひとはおおいものとおもわれる。じつはこの二冊、従来考えられてきた史実を一変させる内容を含んだものである。近松さんの本からみていこう。 著者は中世スペイン文学の研究者として大学教授を歴任し、スペインから数多くの勲章も授与されている立派な方である。しかも、元禄時代の名浄瑠璃作者、近松門左衛門の子孫でもあるらしい。そのかれが、代々長男にだけ口伝されてきた門左衛門の秘密をこの本で明らかにする、というのがキャッチフレーズである。 読んでみてまず驚いたのは、「口伝」がどこにも出てこないことである。じつは本全体が「口伝」の内容を紹介した形式をとっているようなのだ。著者もまえがきでつぎのように述べている。 「本書の構成は、歴代京都近松家に伝わる文書と口伝、さらには門左所縁の方々の伝聞および研究を集大成しながら、筆者の推測や私情を交えてまとめたものである。」 あれま、「推測と私情」ですか?問題はこの二百頁あまりの著書のどこが口伝や秘蔵文書なのか、どこが推測と私情なのかまったくといってよいほどわからないことである。 たとえば、門左衛門は赤穂藩の塩販売ルート確立のために奔走した。 たとえば、門左衛門は赤穂浪士の近松勘六の遺児二人を自らの養子とした。 たとえば、門左衛門の斬新な浄瑠璃五段構成は、スペイン・ルネッサンス詩劇をもとにしてつくられた。門左衛門はスペイン語に堪能であった。 こうした、従来の学者たちが目をひんむくような内容は、何を根拠としているのか、あるいは単なる推測や私情なのか、文章を読むかぎりまったくわからないから困ってしまうのだ。さらに史上名高い赤穂事件も、門左衛門の尽力で赤穂藩が確立した「塩の道」を幕府と吉良が奪いとろうとしたことからおこった、と語るなら、きちんとした史料を提示しなければなんの意味もない。 せっかく三百年近く秘められていた口伝を解禁するなら、著者が父親から伝えられた言葉やそのときの情況を逐一、明らかにすべきである。このままではほかの研究者がその内容を検討しようにも、なにを手がかりにしたらよいのか、さっぱりわからない。学術論文を書きなれた大学教授がなぜ、このような不可思議な本を世のなかに送りだしたのか、理解にくるしむところである。 もう一冊の立花京子さんの著書は、近松のものとくらべるとしっかりと学術論文の形式をとっているから、問題はない。著者は独学で戦国史をまなび、画期的な信長論で博士号を取得した努力のひとである。しかし、その内容はあまりいただけない。様々な史料を駆使しているのだが、肝心のポイントはどうしてそうなるの!!と突っこみたくなるような推測的断定になってしまうのである。 たとえば86頁。 「枝賢が洗礼を受ける年も、前述の兼右書状の年次も、永禄元年よりも後のことになるが、両者は永禄元年の時点で、潜在的なキリシタンであったとみてよいだろう。」 おいおい、なんで「みてよいだろう」なんていえるんだ?学術論文(もちろん、新書という形式上一般向けの安易な記述という逃げ道はあるのだが)で「だろう」とか「であろう」は禁物である。この本にこれらの言葉がいかにおおいか、お持ちのかたはチェックしてみてほしい。 たとえば193頁。信長には様々な普請事業のために多額の費用が必要であった、とのべたあと、「しかし、『信長公記』には、バテレンからの黄金はおろか、援助らしきことは一切記述されていなかった。それは、秘中の秘であったからと考えられる。」 ひえ〜〜、史料にないことは「秘中の秘」ですますのか? この論文は、イエズス会がその野望を達成するため、まだ桶狭間も経験していない信長に目をつけ、様々な援助をおこなってきた、という仮説が先にあって、それに見あう史料だけを選びだし、仮説が前提の推測を加えて記述したものである。いわば歴史的なトンデモ本の一種といえよう。その極めつけを紹介しよう。 「イエズス会が信長の抹殺を計画して、朝廷をして明智光秀に信長討伐命令を下すように仕むけ、光秀に信長を討たせ、かつ秀吉に光秀を討つように準備させていた」 これこそが、腰帯にも記されている「驚愕の新事実」であろう。これ以上いうことばはない。 さて、この二冊を読んでつくづくおもったのは、この年代の方(著者のお二人は1924年生まれと1932年生まれである)の抜きがたい西洋コンプレックスと皇室崇拝の念である。 たとえば、近松洋男さんは門左衛門が特別にスペイン語を習い、それに習熟したことを誇らしげに記述している。さらに先述のように五段構えの浄瑠璃は門左衛門の創造ではなく、スペイン詩劇の模倣であることを自慢している。ご先祖様の浄瑠璃が単なるパクリだったことは、これはまったく不名誉な事実とは考えなかったのだろうか?たぶん、模倣よりスペイン詩劇をしっている方が、著者にとっては価値が高いことだったのであろう。 立花京子さんもイエズス会がまるで日本の歴史をしっていたかのように、まだ海のものとも山のものともわからない信長に投資し、そして万能の神にように信長を殺したという。なぜそこまで西洋文明の力を信じられるのか? どちらの著書にも共通するのが、こうした西洋にたいする価値観の高さである。明治以降、日本人のあいだに蔓延した西洋コンプレックスの裏返しではないだろうか。さらに門左衛門も信長も尊皇思想の持ち主であったことを強調している。ことさら強調する必要は感じられないのだが、あえて著者はそうしている。戦前の教育の影響であろうか。 日本人の西洋にたいする複雑な気持ちはよくわかる。それに反発すればしたで、極端な国粋主義にはしってしまう。なぜ、日本は日本、欧米は欧米ではいけないのか。おたがいにまったく異なる歴史と文化を持っていることを理解し、よいところを学べばそれでよいではないか。西洋のお墨付きを貰わねば権威付けできないという思考形式をそろそろ脱却する時期にきているようにおもう。 注:なお近松についてはこの頁を是非読んでいただきたい。 |