歌舞伎おやじの独り言


2005/02/16  寿 新春大歌舞伎夜の部(新橋演舞場)

 演舞場も歌舞伎座と同様夜の部だけ。18日に観劇しました。順番に感想を。
 『鳥辺山心中』。海老蔵・菊之助というフレッシュコンビ、さらにこの二人はフランス公演でも競演し、大評判だったといいます。ずいぶん期待してでかけたのですが、うっかり開演時間を4時半と思っていたので、10分ほど遅刻。しかもわたしの席にどこかのおばさんが座っている!!そんなこんなで採点が辛くなったわけではないのですが、全体的にはぜんぜん期待はずれでした。
 なによりもまず、松緑さんの市之助がひどすぎる。あれではまったく侍に見えないでしょう。粋でさばけた男、を意識しているのでしょうが、あの水っぽさではよくて大店の主人、ちょっと悪くみるとただの遊び人です。武士の身体がまったく作れていないのです。肩がすっかりなで肩になっているのが大問題。もちろんなで肩の武士だっていたのでしょうが、これは舞台です。さ行の舌っ足らずもまったく変わらず(実は国立劇場の舞台をみていたら彦三郎さんもそうなんですね、どうもヘンだとは以前から思っていたのですが……)。
 さらに市蔵さんの源三郎も若さゆえの一途な正義感、という役がほとんど表現されていません。年齢的な逆転現象が悪く作用してしまったようです。それだから、半九郎が突然のように大声をだして怒りだすのもなんだかわざとらしいですし、そのまま果たし合いをするのも納得しにくくなります。さらにいえば、賀茂川の河原で月が出たり引っ込んだりする間の立ち廻り、源三郎が真っ暗になると手探りで動きまわるのもお笑いぐさです。赤門前の道玄ではないのです。いま見えていた相手から剣先を外さずじっと気配を伺うのが武士でしょう。あんな立ち廻りより、ずっとリアルになりますよ。
 海老蔵さん、菊之助さんは源三郎を殺したあとから断然よくなりました。それまでが悪いというのではないのですが、情感をだそうとするあまり、せりふが極度に歌舞伎調になります。綺堂の原作は調子がよいのでついついうたってしまう、多分二代目左團次もそうだったのでしょうが、ことばが新しいのでいま聞くとあまりに不自然です。これは最近おもうのですが、綺堂の新歌舞伎をいま演じる問題点はそこにあるのでしょう。最後でよくなったのは、人を殺したおののきでうたう必要がなくなったからかもしれません。なんといっても若さからくる美しさは抜群のふたりですから、薄暗い月の光の中で、死を決意するところは素晴らしかったです。
 『文屋・喜撰』は、こちらも松緑さんの文屋にがっかり。印象として棒立ちにみえるのです。菊之助さんのお梶は思っていた以上によい出来映え。色気には乏しいが、喜撰をじらす余裕が伝わってきます。菊五郎さんは無難でしょう。
 『御所五郎蔵』、出会いから、逢州殺しまで。といっても一体全体どんな話なのか、これではさっぱりわからないでしょうね。浅草のところで書いたように、團十郎さんと左團次さんのぶつかり合いはやはり迫力十分。さらにその子分、弟子たちが大充実なので厚みが増します。皐月は福助さん、愛想尽かしは無難だが、その心の屈託がじわっと伝わってくるのが素晴らしい。松也さんが逢州、なかなかよくがんばっていたとおもいます。だんだん大きな役が付くようになって、お父さんとは違った役で活躍しそうで楽しみな若手になってきました。




2005/02/14  新春浅草歌舞伎第一部(浅草公会堂)

 すっかり遅くなったが、忘れぬうちに一月の浅草歌舞伎の感想を。見にいったのは21日の昼、亀治郎さんの『鏡獅子』がみたかったからで、七之助さんのをみるか究極の選択でしたね。
 まずはその『鏡獅子』、とても緊張している印象でした。振りを間違えないように、扇を落とさないように、と物凄いプレッシャーと闘っていいるようにみえました。その分全体的に固い印象で、少しずつ踊りこんでいくうちに興がのってくるということがありません。いはば楷書の踊り。それでも一点一点をゆるがせにしない生真面目さは素晴らしいことだとおもいます。
 問題は後シテの獅子になってから、あまりに毛の形が悪い。多分上半身でまわしているからであろう。毛の先がピンと上にあがらず、くにゃくにゃっとまわってしまう。さらにとどめは最後のグルグルまわし。お客が喜ぶから始末におえないが、ブンブン振り回せばよいのではない。まあ若さの特権としてあまり目くじらを立てることはないのだが、形を大事にしてほしかった。胡蝶はわたしが日頃から天才子役とおもっている永田晃子ちゃんと、石山真帆ちゃん。しばらくみないあいだになんだかすっかりお姉さんになってしまって、もう子役を卒業しそうでちょっとがっかり。
 『御所五郎蔵』はその少し前に、新橋演舞場をみてしまったので、いくらなんでも論評するのは可哀想。やはりこうして同じ演目を演じると親の世代の藝のよさがわかりますね。
 『封印切』おもしろかったです。鴈治郎型で、小さな入れ事が随所にあり、それを亀治郎さんがここでも生真面目に演じているのがほほえましかったです。しかし上方ことばのこなれはいまひとつ。あのニュアンスをだすのはそう簡単ではないようです。鴈治郎型の問題点は、封印が火鉢にカチカチ当てているうちに偶然やぶれてしまうことで、追いつめられてみずからの意志で封印を切る忠兵衛の悲劇が際だたないきらいがあります。
 敵役八右衛門は愛之助さん、叔父の仁左衛門さんの八右衛門とくらべると意地の悪さが薄く感じられます。梅川は七之助さん、行儀よく無邪気な傾城を演じていました。
 最後にパンフレットの素晴らしさを報告しておきます。従来のものは(ここ二年ほど行っていなかったのでその前の話ですが)ペラペラとした安物のイメージでしたが、今回は綺麗な上に若手役者と著名人との対談が秀逸で1500円でも得した気分になりました。




2005/01/31  初春大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)

 すっかり更新が滞ってしまいましたが、なんとかまた頑張って再開します。今年もよろしくお願いいたします。

 2005年もあっという間にひと月が過ぎてしまった。今月は東京では歌舞伎座、新橋演舞場、浅草公会堂、そして国立劇場となんと四座競演の華やかさ。さらに京都では前進座、大阪では松竹座の公演があって、なんともめでたいかぎりである。さすがに四座の昼夜に出かけるほど余裕はないので、歌舞伎座、演舞場の昼の部はパス。残りはなんとか全部見てきたわけだが、一番よかった歌舞伎座夜の部の感想から。
 なにがよかったといって、一番は時蔵さんの雲の絶間姫。『鳴神』で三津五郎さんの鳴神上人から介抱されるところ、胸に手をさし込まれての陶酔の表情が最高であった。さすがに「木になる」ことはなかったが、その色っぽさにおもわずゾクゾクっとしたのは、わたしだけだろうか。この絶間姫がいいから三津五郎さんの鳴神もついつい話に引きこまれる。ただ、鳴神上人が結婚を決意するところが多少ぼやけた。双方の責任であろう。
 気になったのは、前半白雲坊黒雲坊への語りの部分で、絶間姫は二人に語りかけながらも、意識は鳴神上人にむかっていなければならない。その気配が薄くみえたのは残念。三三九度をして鳴神上人に飲めない酒をすすめるところは、もうすっかりかかあ天下。それもよく、上人が酔いつぶれたあと、注連縄を斬るところも緊迫感があってよし。相変わらず間の抜けた竜が一匹もそもそと滝をのぼるのには失望。しかしあまりリアルにやるとそれはそれで違和感があるのだろう。だれかうまい方法を考えてほしいものだ。
 鳴神上人の荒れ狂いは平凡。迫力は十分なのだが、劇場を圧する大きさが感じられない。柄の小ささが微妙に損をしているようにおもう。ただし、最後の飛び六法は素晴らしかった。これぞお手本ともいうべき動き、身体のつくりで、怒りの気がもっとわれわれにビリビリと伝われば最高であった。
 吉右衛門さんの『土蜘』。感想なし。この演目の善し悪しがいまだによくわからないから。もうすこし勉強して、さらに何度かみて感想が述べられるようにしたい。
 最後に幸四郎さんの『魚屋宗五郎』。まず宗五郎の出に違和感を感じる。なぜ胸元をはだけているのか?妹の葬式を頼みにお寺へ行った帰りである。悔しい気持ちはあるが殿様への恩義をおもって、それを押し殺している宗五郎だ。だらしない格好をして道を歩いて帰るのは性根が違うのではないだろうか。酒を飲み、酔っぱらい、悔しさが全身から立ちのぼる時になって、着衣が乱れるのであろう。歌舞伎において衣装もひとつの記号である。そこで底を割ってしまっては、違和感を残したまま劇が進行してしまう。
 家に帰ってもまだ違和感が続く。どうも魚屋にみえないのだ。これはニンの問題なのかもしれないが、顔の作り、台詞廻しでも武士あるいは裕福な町人にみえてしまう。立派な顔が損をしているのだろうか。ところが酒を飲みだしてから、ガラリ一変する。あっという間に魚屋宗五郎に変身するのだ。演技派幸四郎の面目躍如だ。ぐいぐい引きこまれてゆく。花道の例の見得はいまひとつ。磯部の屋敷になってからは普通のできであろうか。ここでも時蔵さんが好演。染五郎さんの三吉は、というよりだれがやってもそうなのだが、なんだか出しゃばりで軽く、なんのためにいるのかよくわからない役どころ。狂言廻しなのだろうが、逆にそれを意識してうまくいかないのであろうか。
 なんどもいうようだが、この芝居、後味がわるい。理由はともあれ、女一人を殺して堅固で暮らせもないもんだし、それにペコペコするのも癪にさわる。前半をすっかりカットしてしまったいまの演出を考える時にきているようにおもうのだが、いかがであろうか? 役者の藝だけでみせる時代は終わっているようにおもうのだが……。




2004/11/10  『花雪恋手鑑』『勧進帳』(国立劇場)

 14日(火)に国立劇場の『花雪恋手鑑』『勧進帳』をみてきました。『花雪恋手鑑』が上演されるのは、昭和33年以来とのことです。
 その『花雪恋手鑑』、結論を先にいえば、なんだか妙におもしろかったのです。話はじつにくだらない。名門の家の放蕩息子とその許嫁の数奇な運命のあれやこれ、といったところなのですが、そうしたくだらなさが歌舞伎の一つの味になっているのです。しかも舞台は京・大阪、主人公も軟弱な上方の男風、暗闇で犯したのがじつは許嫁で、その結果生まれた子供を主人公がわずかの金ほしさに引き取り、お乳を貰いに歩く。偶然、その許嫁が妾として囲われている屋敷に入り込み、乳を貰っているうちに正体がわかって一悶着、かと思ったら、その子供は自分の子、さらに妾は仮の姿で主人の娘と知ってうやうやしく仕えていたというハッピーエンド、書いていてもバカバカしいお話だとはおもうのだが、これがなんともおもしろいのだ。全体を簡潔に整えながら上方歌舞伎の味を損なわなかった、脚本の勝利だとおもう。
 主役の染五郎さんは、さすがに上方のじゃらじゃらした雰囲気にはほど遠かったようだが(特に身体からしみだしてくる上方の気配が乏しかった)、それでも精一杯の好演。なによりこの台本に目を付けたところが大殊勲。時代がかわって、こうしたくだらないとおもわれた作品が結構おもしろく感じられるのだ。その感覚が素晴らしいとおもう。許嫁役の芝雀さんも可憐。
 気になったのは、偶然であった道ばたで、暗闇にまぎれて強姦するシーン。いかにも幕末の爛熟期を象徴するつくりなのだが、その暗闇がほとんど理解不能。歌舞伎にはダンマリのように、真っ暗闇を象徴する演技が多くあるのだが、現代人にとって真の暗闇はもう理解できないのだ。わたしは、そうしたシーンは「これは暗闇です」という暗黙の了解を押しつけるのでなく、舞台を相当暗くしてしまった方がよいのではないかとおもう。とくに今回のような強姦シーンには有効だとおもえる。この演目の重要なシーンであるから、観客によりリアルにその過ちをわからせた方が得策におもえるのだが、どうであろうか。
 さて続いての『勧進帳』、幸四郎さんは祖父、父についで当代一の弁慶役者といえるであろう。悪いわけはないのだが、二、三気になったところを。大盃を飲むところ、一度飲んで、まだ酒が残っているのを少し時間がたったあと、再び飲む時にもフーと吹いていたが、これは少々ヘンであろう。『私の歌舞伎ノート』に書いたように、あれは酒の気を払う意味で、一度盃についで時間がたてば、酒の気は消えてしまうはずです。順不同で疑問点を記せば、延年の舞から義経、四天王が立ち去り、弁慶も出発する時、富樫への礼がきわめてぞんざいなこと。もう慌てて逃げ出す必要はないはずである。弁慶は富樫が義経と知って見逃したことを理解しているはずだ。もしそう解釈しないのなら、幕外でなぜ富樫にむかって頭を下げるのだろう。さらにいえば、何故そのあと天に感謝するのであろう。頭をさげるからなんにも理解しない観客たちが大喜びで手を叩くのだ。その上、飛び六法にうつるのだから、馬鹿な客が手拍子を拍つのだ。延年の舞の最後でしっかりと富樫への感謝をあらわし、幕がしまったらただひたすら義経の行方を見すえて、飛び六法で引っ込むのが筋ではないだろうか。少なくとも九代目團十郎の死後、一番早く勧進帳を演じた、團十郎の高弟初代市川猿之助はそう演じていた。
 もうひとつ、これはしっかりと確認できたわけではないのだが、勧進帳を読む時に、気持ちが富樫に行っていないように見えた。常に富樫を気にしながら勧進帳を読むのが弁慶の大事な心得だとおもうのだが、どうであろうか。また、義経に似ているといわれ、双方が必死の形相で詰め寄るところ、なぜ富樫があんなに目をむくのか理解しがたいが、それより弁慶が金剛杖を両手とも下から持っていたのはどうだろうか?いつでも富樫たちを打ち殺せるように、片方は上から持つという、羽左衛門さん(十七代目)の解釈の方がよいと思えるのだが……?
 染五郎さんの富樫は、前半謡うようなせりふのタイミングが気になったが、それ以外はなかなか素晴らしい気組みで好演。ただ誰の富樫をみていても、どこで本物の義経とわかり、わかった上で見逃そうとするのか、はっきりしないことは気になる。当然、本人の中でその変化があるはずなのだが、それが観客にわからないということは、役者自身もこの瞬間というタイミングを理解していないのではないかとおもえてしまう。むつかしい問題ではあるのだが、キチンとしたテキスト解釈の富樫をみてみたいと常々おもっているのだが……。




2004/12/20  元気いっぱいの丹下左膳(新橋演舞場)

 18日(土)に我が家のチビをつれて新橋演舞場で『丹下左膳』をみてきました。
 節約で三階席からの観劇でしたが、演舞場はまあまあ見晴らしがよく、座席も歌舞伎座ほど狭くないので助かります。偶然チビの前の席が空いていたので、多分舞台もよく見えたことでしょう。まずは、冒頭過去の映画からはじまります。錦之介さんのカラー映画の途中で銀幕を切り裂いて獅童さんの丹下左膳が登場。これがなかなか格好良い。さらにこの日は特別ゲストとして忌野清志郎さんが道場主となってスッポンから登場。ギターを抱え、「丹後右膳」と名乗って大受けにうけていました。日替わりゲストの登場が今回の趣向のようですが、清志郎さんは大物だったのでしょう。カーテンコールにも出てきて一曲歌ってノリノリ状態。わたしはただただ唖然。
 セットチェンジでは盆を廻し、さらに舞台真上からの照明でまだら模様をつけて変化をもたせているのが気に入りました。歌舞伎ではあまり舞台が廻っているあいだのことは気にしませんが、演出家としてはやはり気になるのでしょう、おもしろい試みでした。
 さて、肝心の中味なのですが、全体としては今ひとつのできにおもえました。これは丹下左膳という素材の問題が大きいとはおもいますが、我々の感情に訴えかけるものがあまりに希薄なこと、その割に迫力満点の殺陣があるわけでもなく、ゲラゲラ笑わせてくれるわけでもなく、消化不良な脚本・演出におもえました。また丹下左膳の人物の造形もあの脚本ではきわめて中途半端。殺人鬼のようでもあり、単にちょっとよい人でもあり、暗い過去に恨みをいだく下らぬ侍である、という訳のわからない人になっています。
 八代将軍吉宗を戯画化したのは上出来でしたが、そのほかの登場人物、戸隠道場の妻、娘、師範代はつまらなすぎ。せっかくの腕達者な役者さんたちがそろったのに、なんとも作りの浅いドラマになってしまいました。これはおおく脚本の責任でしょう。
 獅童さんは、そうした脚本のハンディ(さらに片目片腕もない!!)にも関わらず、元気いっぱい、ほとんど出ずっぱりで相当に頑張っていました。ただ、怒鳴る、わめくせりふが多く、ずいぶん耳障りでした。辺見エミリーさんが思いがけなく好演。子役も達者です。一つ一つは十分おもしろいのですが、全体としてみると、なんにものこらない実に奇妙な作品だったとおもいます。再度つくる時には丹下左膳の性格をきっちりと作り直す必要があるでしょう。




2004/12/06  吉例顔見世大歌舞伎昼の部(歌舞伎座)

 すっかり感想が遅くなりましたが、先月の24日(水)歌舞伎座昼の部をみてきました。
『箙の梅』は初見でしたが、正直いってがっかり。もはや時代にまったくそぐわない脚本におもえました。岡本綺堂を中心とした大正・昭和初期の新歌舞伎は、脚本になんらかの思想が入り込み、さらに舞台となる時代にそぐわないことばが使われていて、わたし自身はほとんど見るに堪えないおもいがしています。劇的な構成もきわめておざなりで、昔の人はこれでも興奮したり感動したりできたのだろうかと、いつも疑問に感じてしまいます。2年前の同じ綺堂の作品、『佐々木高綱』はもう少しおもしろくみられたのですが、今回はダメでした。役者の皆さんがかわいそうです。劇としてのリアルな運びがないものは、現代人にはもはや受け入れられないのではとおもいます。今後の演目選びに慎重を期してもらいたいものです。

 『葛の葉』。あまり期待はしていなかったのですが、鴈治郎さんが素晴らしい。特に奥座敷の場での嘆き、所々で狐になりながら、我が子をおもい、夫をおもう心がじわじわとあふれ出てくる様子が最高でした。多少のケレン=屏風が勝手にひっくり返ったり、木戸の戸が自然に開いたり、がいやらしくなく、狐の超能力をみせてよく、障子に書く文字も品よくできています。以前みたある方の時はあまりのヘタさにすっかりしらけてしまいました。翫雀さんの保名もその情感がしっかりと表現されて最高。やはりこの演目は夫婦の別れ、親子の別れを狐という異類を通してみせることに眼目があるのだと感じさせてくれました。

 『関の扉』は今回一番期待し、なにかと資料を読み勉強をしていったのですが、なさけなや中盤頃からすっかり睡魔の虜になって、記憶が断片的にしかのこっていない。あまりの恥ずかしさに、今回の感想を書くのがイヤだったという訳です。ひとつだけ感じたことは(この時はまだ意識ははっきりしていた)、魁春さんの身体のつくりが歌右衛門さんそっくりで、その上顔は一段と綺麗なのですから(わたしの知っている歌右衛門さんはもう大変なお年でしたので)、もう動いているだけで小町姫そのもののように感じられました。また、この演目は初代中村仲蔵の天明振りを写しているといわれるのですが、どうもピンときませんでした。特に有名な「生野暮」の振りはそのおもしろさを理解できず。ひょっとしたら、当時より曲のテンポが速くなっているのではないでしょうか?

 さいごは仁左衛門さんの『お祭り』。これはもうただ孝太郎さんの長男千之助くんをみるもの。愛之助さんが面倒をみていましたが、揚幕に控えている時(たまたま近かったのでよく聞こえたのですが)、何かをはなしていてうるさいうるさい。まだ行儀を教えるにも舞台にでる前なので大変でしょうが、勝負はそこからはじまっていることを知ることも大切でしょう。それでも、自分からでたくてでたくて仕方ないというのは、末頼もしい役者魂です。うまく育てば立役の二枚目として仁左衛門の名前がつながるかもしれません。




2004/11/17  吉例顔見世大歌舞伎夜の部(歌舞伎座)

 きのう16日(火)歌舞伎座夜の部をみてきました。『菊畑』『廓文章』『河内山』とならんだ演目は、はっきりいって食傷気味。演ずる人がかわれば舞台も変わる、という楽しみも、そうそう長続きはしません。たいした期待もなくみにでかけ、それなりにはおもしろかったのですが、期待していなかった程度のでき、としかいいようがありません。ちょっと残念です。

 『菊畑』は富十郎さんの鬼一、吉右衛門さんの智恵内、芝翫さんの虎蔵に福助さんの皆鶴姫、段四郎さんの湛海という素晴らしい顔合わせなのだが、全体的におもしろさが薄い。多分息が合っていないのではないかとおもわれる。アンサンブルがわるいのである。ひとつひとつは素晴らしい藝をみせているのだろうが、それらが調和し、共鳴していないから淡泊な印象が強いのである。後半部分の虎蔵・智恵内のやりとりもこの身の一大事という緊迫感が伝わってこない。どこかサラサラしているのだ。 なんとももったいないことである。

 『廓文章』はひとり、鴈治郎さんの至藝を堪能したのみ。こちらも全体のアンサンブルがよくない。まあもともと伊左衛門の藝を中心にみせる演目なのだろうが、我當さんの喜左衛門、秀太郎さんのおきさが親身になって伊左衛門を迎えているようにみえないし、雀右衛門さんの夕霧も匂い立つような色気が感じられず、劇としてのおもしろさは薄く感じられた。
 そうしたなかでひとり鴈治郎さんの身体の使い方がなんともおもしろかった。とくに夕霧の座敷をのぞこうと、ふすまをあけにいく時のでれーとした歩き方、なんともいえぬ味わいである。前回みた仁左衛門さんとは体型も違うのだろうが、身体のこなしがぜんぜん別物のようである。上方和事をみる機会がめっきり少なくなったいま、貴重な体験であった。
 ところで、「私の歌舞伎ノート」の一回目にかいた、「あもつき」ということばが、今回はすっかり「もちつき」にかわってしまっていた。まあ、このほうがわかりやすいといえばそれまでだが、廓ことばのおもしろさが消えてしまうのは少々残念である。

 さいごは仁左衛門さんの『河内山』。よくできた演目ではあろうが、毎年のようにみるほどのものであろうか。黙阿弥が書いたように、直侍を出すなどの工夫があればまだしも、まあ一言一句かわらぬせりふを毎年聞くのもちょっと興ざめだ。仁左衛門さんの河内山はすこし中途半端におもえた。ワルに徹した凄みに薄く、さりとてどこか憎めない愛嬌もなく、上品なワル(=そんな奴はいないはず)にみえてしまった。よかったのは松江候の梅玉さん。夜の部一番の出来だとおもう。もう登場してきた時から青筋を立てているような癇性を見せ、河内山とのやりとりもイライラしながら次第に追いつめられる様子が、世間知らずの暗愚なお殿様といった雰囲気を醸し出していて最高。芦燕さんの北村大膳はとうてい「大男」にはみえず、左團次さんは無難。孝太郎さんの浪路がなかなか色っぽく、信二郎さんも誠実な役をしっかりこなしていた。

 松竹にはぜひとも演目の再検討をしていただきたいのですが、12月、1月のラインナップをみたら、もうガックリ。勘三郎さん襲名まではあまり期待してはいけないのでしょうか。このままだと襲名以外はみるべきものがないという、由々しき事態にもなりかねないとおもうのはわたしだけなのでしょうか。




2004/11/10  『噂音菊柳澤騒動』(国立劇場)

 さきほど国立劇場の『噂音菊柳澤騒動』をみてきました。黙阿弥の原作で実際に舞台にかけられるのは100年ぶりとのことです。
 菊五郎さん四役の奮闘で、さすが黙阿弥の趣向は興味深かったです。その趣向とは、原作の名題『裏表柳團画(うらおもてやなぎのうちわえ)』がしめすように、将軍綱吉と柳澤吉保、その妻おさめが表、木場の豪商武蔵屋徳兵衛、出羽屋忠五郎とその妻おりうが裏となって、同様の思惑でストーリーが進むところです。とくにうまいとおもったのは、綱吉とおさめが関係したことを、場面転換で徳兵衛とおりうがひとつ蚊帳の中にいるシーンで暗示するところです。この裏表の綯い交ぜがもうすこし丁寧にみせてくれたなら、おもしろさはさらに増したとおもわれます。
 この表の話に吉保が綱豊の暗殺を依頼する「三間右近邸宅の場」が加わり、はなしは急展開するのですが、どうもここらへんからはなしの筋に無理が出てきはじめます。右近の母親が自殺するのも、右近が切腹するのもなんだか納得できません。さらに突然登場した綱吉の御台所が綱吉を天下のためといって殺害するのも、違和感があります。柳澤吉保のまるで『先代萩』の仁木弾正のような長刀の立ち廻りも???。最後に木場での立ち廻りがあって、菊五郎さんはさすがにフラフラ。吉保の立ち廻りは必要だったのか?せっかくの井伊掃部守の活躍の場をもうけた方がよかったのではないでしょうか。
 なにしろ菊五郎さんは吉保に忠五郎、右近に掃部守の四役、ほとんど出ずっぱりの奮闘ぶりです。まだまだ前半、体力が気になります。菊之助さんは綱吉と徳兵衛、三間家下女おしずの三役。さすがに木場の豪商役は無理でしたが、綱吉は天下の徳川将軍らしい品格をみせ、下女はまるで富司純子さんそっくりの表情が印象的。時蔵さんも三役、おりうが色っぽく、おさめもなかなかのもの。御台所も品格があって立派。得難い女形です。
 そのほか気になったこといくつか。松助さん、亀蔵さん、松緑さん、彦三郎さん、萬次郎さん、竹三郎さんと手練れが簡単な一役のみであったのは(仕方ないとはいえ)いささかもったいないとおもいます。綱吉を自宅に招いての吉原遊び、花魁道中で座敷の中を練り歩くとはいくらんでもひどすぎないか?マツゲンサンバは案外場内が盛り上がらず(多分きょうは高齢者がおおかったことが原因でしょう=ノリが悪い)、少々残念でしたが、禿役のオチビちゃん二人が妙にノリノリなのがおかしかったです。橘太郎さんが久々にバク転を披露したのにはビックリ。ちょっと丸くなっちゃったけど、身の軽さはまだまだいけますね。
 どちらにしても上演時間4時間40分、通し狂言としては決して長いとは感じませんでしたが、多分現在では時間的にはこれが限度でしょうか。個人的には前半をもっと簡略にして、後半部分をふくらませてほしかったです。




2004/11/01  ひとりごと010 図書館の勧め

 わたしが日常的に利用している図書館について説明しよう。一番頻繁に利用しているのが、歩いて5分ほどにある渋谷区立図書館の大和田図書室。廃校になった学校を利用していて、子どもの本などはかなり充実している。なかでも便利なのはインターネットによって、渋谷区内の図書館にある本は予約が可能なことだ。蔵書もほぼ完璧に検索できる。簡単に書店では入手できなくなった本や、絶版本、どうしてもお金を出して買うほどではないが、ひととおり目は通しておきたい本などを予約する。誰も借りていなければ遅くとも2〜3日で大和田図書室にまわってくる。2週間借りられた上に、次の予約がなければもう2週間借りることも可能だ。 さらにこれは大声では言えないが、CDの貸し出しも行われている。TUTAYAにもないような、落語、文楽などのCDはすべて、区の図書館から借りている。申し訳ないが、無料のレンタルショップといえるだろう。
 同様にこの秋から利用しているのが、中央区の図書館。他区の住民も登録が可能で、渋谷区と同じようにインターネットで予約も可能だ。さらにこの中央区立図書館がすばらしいことは、明治から戦前に出版された本が多数在庫していることだ。古書店で購入したら数万円という本も簡単な手続きで借り出すことができるのはすごいことだ。
 より専門的に調べる時は、広尾の都立中央図書館へ行く。総合的に使いやすさはナンバー1である。コピー料金も1枚25円と比較的安い。パソコンも使えるように、電源タップが設置された机も多く、さらに子どもたちは入れないからとてもに静かだ。結構混んでいることが難点か。 希望の本、雑誌はほぼここでみることができる。
 さらに専門的な本、稀少本をみるには、国立国会図書館に行く。先日ひさしぶりに行ったらほとんどコンピュータ化され、相当便利になっていた。欠点は一回に3冊しか借りだせないことと、コピーが1回に25枚までと、制限が多いこと。ただし、古い雑誌などの充実ぶりはやはり日本一だろう。さらに先日利用して驚いたのだが、インターネットで目的の論文などのコピーを依頼できることだ。明治31年の大阪毎日新聞の記事を探していたのだが、所蔵は関西館にもかかわらず、クリック数回で依頼でき、10日ほどで手元に届いた。送料・手数料は500円足らず。コピー料金も館内と変わらず、便利この上ない。もうひとつ便利なことは明治期の多くの書籍がデジタル化されて、ネット上で公開されているのだ。印刷することも可能だ。先日出版されて話題になった明治の評論家三木竹二の『観劇偶評』もここの近代デジタルライブラリーで公開されており、わたしは1年ほど前に入手していた。
 歌舞伎関係ではこのほかに早稲田大学演劇博物館国立劇場の伝統芸能情報館が一般の利用可能、また雑誌関係は大宅壮一文庫が特に充実している。
 各自治体は図書館の整備を頑張って推進している。ぜひとも利用してみてほしい。




2004/10/29  『髑髏城の七人』(日生劇場)

 先週の土曜日22日に、日生劇場『髑髏城の七人』(通称アオドクロ)を妻とチビの三人でみてきました。以前BSで、劇団☆新感線の特集が5日連続であり、その時録画した『髑髏城の七人』(1997年版)をみていましたので、天井桟敷という環境の悪さも気にならず、3時間半たっぷり堪能しました。
 全体的に劇場の規模も大きくなったせいか、スケールアップ。音響、照明、セットとも金がかかっている〜〜、といった印象でした。染五郎さんはほとんど歌舞伎の手法を使わず、捨之介を颯爽と演じていました。その美形に驚いてしまったのが、無界屋蘭兵衛に扮した池内博之さん。沙霧の鈴木杏さんも頑張っていました。
 残念ながら古田さんのアカドクロを見損なったので(舞台映画も行くつもりでつい忘れてしまった!!)、比較はできないが、大劇場を堂々一ヶ月満員にする魅力はどちらにも備わっているのでしょう。染五郎さんの映画公開が楽しみです。
 驚いたのは我が家のチビ。まあ好きなパターンであるとはおもっていましたが、食い入るように舞台を見続け(どうみても理解できないような色っぽいシーンも多かったはずですが)、大大満足で帰宅しました。(そういえばこの日の帰り、東急東横店で食事をしようとしていた時に地震が起きたんですね。)さらに、私が録画したビデオを取りだして、まずは『髑髏城の七人』、そして昨日から今日にかけては『魔性の剣』をしかっりとみていました。親の影響なのか、なんだかヘンな小学2年生です。




2004/10/28  ひとりごと009 『テレビの嘘を見破る』

 先日、でたばかりの新潮新書『テレビの嘘を見破る』(今野勉著)を読んだ。長年情報系の番組に携わってきたものとして、大変おもしろく読んだ。著者の今野氏はテレビマンユニオンの創設者の一人であり、秀逸なドラマやドキュメンタリーの制作者でもある。この本のタイトルはおどろおどろしいが、内容はテレビのドキュメンタリーの制作方法を例示し、その演出的手法が『嘘』と認識されるのかどうかを、読者(=視聴者)とともに考えようとした、極めつきの真面目なものである。
 ここに例示されていることは、テレビの制作に携わるものなら大半が経験済みのものであるし、いわば常識的な手法である。しかし、その多くが他のマスコミ、特に新聞記者には明らかな『嘘』あるいは『やらせ』とみなされているらしい。今野氏は1993年2月に大問題となったNHKスペシャルの『禁断の王国・ムスタン』をきっかけにこの問題に取り組んできた。テレビの演出的な手法がどこまで許せるのか、については、ぜひともこの本を読んで、あなた自身でかんがえてほしい。
 この本に込められた筆者の真摯なおもいは素晴らしいものだと理解した上で、あえていっておきたいことがある。それはテレビが映し出す『事実』への甘えだ。映像へのいわば脳天気ともいえる盲信だ。ことばを変えればご本人は決してそうはおもっていないのだろうが、テレビに長年関わってきた人間の傲慢さだ。わたしはテレビ映像が映し出したものを単純に『事実』とかんがえるのは、テレビの傲慢さだと常々感じている。それは『事実の一つ』であり、『事実の一断面』とかんがえるのが正しいのではないだろうか。
 具体的にかんがえてみよう。新潟の地震ですっかりかすんでしまったが、その直前出来事である。台風23号で道路が冠水し、バスの屋根で一夜を明かして救助を待った人たちの映像をご記憶だろうか。ヘリコプターから撮影されたNHKの映像は、茫々とした川のような、池のような茶色の水をロングショットでとらえ、スーとズームアップすると、かろうじて水面から顔をのぞかせているバスの屋根と、その上にかたまっている数十人の人の姿が映し出された。活字でいくらバスの屋根で救助を待つ、と書かれてもよくわからない情況が、この映像でいっぺんに理解できる。たしかにこの映像は、「取り残された人たちがおかれた情況」という『事実』を映していた。しかし、それは「取り残された人たちがおかれた情況」の一断面にすぎない。はたして夜はどんな情況だったのか、その人たちからみた風景はどんなものだったのか、その心理は……。わたしたちが知りたい『事実』はまだまだいくらでもある。映像の力は相当に強いので、あの画面を見てすべてがわかったような気になってしまいがちだが、それは危険だ。なぜあんな状態になってしまったのか、その時乗客たちはどのようにして屋根に逃げたのか、周りに水没していた車に乗っていた人はどうなったのか、など知りたい『事実』はいくらでもある。それは新聞や週刊誌などの活字やテレビの検証番組を待つしかない。カメラが映し出す映像そのものは『事実』ではあるが、しかしそれはまた『事実の一つ』でしかない。テレビはこの『事実の一断面』をとらえるにすぎないという謙虚さを身につける必要があるのではないだろうか。
 最後に今野氏は非常に大切なことを提案している。『メディア・リテラシー』だ。
私がこのところ感じているのは、文章を使いこなしたり、文章を鑑賞したりできるようになるために、子供のころから学校で読み書き(リテラシー)を習うように、映像を使いこなしたり、映像を鑑賞したりできるように、やはり子供のころから学校で、映像を含めたメディア全般のイロハ(メディア・リテラシー)を教えるべきだ、ということです。

 東京都教育委員会も日の丸・君が代教育で教師を処分するヒマがあったら、『メディア・リテラシー』をもう少し真剣にかんがえてみたほうがいい。




2004/10/27  十月大歌舞伎夜の部

 千秋楽の26日火曜日3階A席で、夜の部をみてきました。なかなかの力作揃いでそれなりに堪能しました。

 『井伊大老』。活歴というわけでもなく、新歌舞伎というものでもなく、北条秀司さんの昭和31年の作をいまみる必然性がどこにあるのかとおもいながらみていたのだが、最後の幸四郎さんの直弼と雀右衛門さんのお静の語らいを聞いているうちに、ついつい引き込まれてしまった。
 疑問は疑問として残っているのだが、しみじみとした夫婦のやりとりが翌日の悲劇をしっているわたしたちの胸に迫ってくる。安政の大獄の責任者である井伊直弼自身を免罪しようとは思わないが、かれもまた人。埋もれ木時代の苦しみをもう少し政治に生かせたら、日本の歴史も変わっていたはずだ。特に間違っていたのは長野主膳(梅玉さんが演じていた)の重用であろう。そのあたりは、松岡英夫氏の『安政の大獄』に詳しい。
 歴史的事実はさておき、役者の藝の力を久々に感じさせてもらった一幕であった。特にお静の雀右衛門さんはその持ち前の嫋々とした声質が直弼を一途に思う愛らしさ、いとおしさを倍加させる。また幸四郎さんも闊達な台詞廻しで、やさしい夫を堪能させた。原作には決して納得はいかないが、その意図は十分観客に届いていたといえるであろう。

『実盛物語』。おいおいまたかい、といいたくなるほど昨年から続いているこの演目(去年の五月からこれで三回目だ)だが、さすが仁左衛門さん、きっちりと楷書の実盛をみせてくれた。ただ、全体的にはワクワクするおもしろさは薄い。男寅くんの太郎吉は舞台にでるのが楽しくて仕方がないといった様子。こうした小さい頃からライトを浴びて、役者のおもしろさに目覚めていくのだろう。孝太郎さんの葵御前は神妙にして行儀がよいことがなにより。芦燕さん、鐵之助さん、田之助さんのワキが今ひとつさえず。左團次さんの瀬尾は当然のはまり役だが、この瀬尾まで源氏に味方するのは子や孫へのおもいとはいえ、いつも違和感が強い。
 面白かったのは最後の馬、拍子を合わせて足踏みしたり、舞台を大きく回ったり、花道でイヤイヤをしたりと大活躍。会長賞か?

 最後の『直侍』は最近あの余所事浄瑠璃で気分よく寝るのがお決まりのようになってしまっていたが、今回はバッチリ目を見開いて最後まで観劇。といってもさほど面白かったわけではない。久々にじっくりと清元を聞きたい気分であったのだ。
 前半の蕎麦屋での下廻り二人、腕達者の菊十郎さんと橘太郎さんがついつい菊五郎さんより上手に蕎麦をたべてしまってぶちこわし。菊五郎さんも最後の日とはいえ、もう少し粋にたべてほしかった。田之助さんの丈賀は語尾をのばすしゃべり方が強すぎて、気になる。ほどほどがよいのではないだろうか。松助さんの丑松がいい味を出していた。
 大口の寮では時蔵さんの三千歳が頑張ってはいたのだが、グニャグニャの色気が薄い。黙阿弥が八代目岩井半四郎にあてて書いただけに、まるで骨がないような色気だけの花魁であってほしいのだが、時蔵さんは美しいがどこか理知的。それは容貌のせいでどうすることもできないのだろうが、そこをなんとかするのが藝の力なのだろう。いつかそんな日が来ることを楽しみにしたい。




2004/10/20  十月大歌舞伎昼の部

 本日20日水曜日1階二等席で、昼の部をみてきました。間抜けなことに、寝坊して『熊谷陣屋』の直実が帰館後、軍次が下がったあとの夫婦の会話からみるはめに。
 幸四郎さんの直実はもう何回目か?時々顔をだす新劇臭さもこの演目ではまったくみられず、安心してみていられるのがなにより嬉しい。團十郎型のきわめて行儀正しい直実だ。 多少気になったのは、藤の局と顔をみて納得したあとの、驚きの薄さ。それと最後に僧形になる時に兜を最後に取ること。テキパキと鎧を脱いだので、やたらに兜だけが目立つみっともなさは逃れたようだが、どうしてこんなことが続くんだろう。名作の七不思議の一つであろう。
 そうしたことの外は柄といいハラといい声といい、なかなか立派な直実である。芝翫さんの相模、時蔵さんの藤の局も無難である。義経は梅玉さん、弥陀六を呼ぶ時に最後でちょっと声がかすれてしまったのは残念。よかったのは段四郎さんの弥陀六。どこか枯れた弥陀六が多かったのだが、もともとは平家の荒武者として知られた弥七兵衛宗清である。今回の段四郎さんのように、生々しく迫力を感じさせる方がよいようにおもえる。
 出家姿の花道はさすが、しみじみ聞かせてくれる。遠くから聞こえるドンチャンにも、一回目はさりげなく反応するが、二回目以降は一切無視。何度もギックリするのは見苦しいことがわかる。場違いな拍手も少なく、とても気分よくみられた一時間半であった。
 『忍の惣太』をみるのはたぶん今回で二度目。前回同様菊五郎さんの花子に惣太が團十郎さんから仁左衛門さんに。丑市の左團次さん、軍助の團蔵さんも前回同様。
 梅若丸の孝太郎さんがまずは好演。菊五郎さんも花子から霧太郎への変わり目などさすがにうまい。仁左衛門さんも実直ゆえに主殺しをする悲劇を情感豊かに演じていたが、その顔や体つきなどから全体に粋にみえてしまい、損をしているようにおもう。先月の『宇都谷峠』の三津五郎さんもそうだろうが、人を殺して金を取る、という役がなかなかピッタリこないのは(こちらのみる目も問題なのだろうが)役者の頭が現代的すぎるからではないのか。つまり考えすぎているのではないかと思うのだが、どうだろうか。最後のおまんまの立ち廻りも、おかしみが少し薄く感じられたのが残念である。




2004/09/26  九月大歌舞伎昼の部夜の部

 昼の部を22日水曜日3階A席で、夜の部を14日火曜日1階2等席で観劇。
 今月のわたしのベストは夜の部の『男女道成寺』です。まあ『娘道成寺』の変種だし、兄弟で踊るのもなんだかなあ、とおもってあまり期待していなかったのですが、これがなんともおもしろい。前半はさほどでもなかったのですが、「恋の手習い」あたりから、がぜんおもしろくなってきて、鞨鼓から鈴太鼓になると、最高潮の盛りあがり。兄弟のいきがピッタリあったうえに、立役、女形の違いがくっきりして、曲のすばらしさがさらに踊りのおもしろさを際だたせる、という至福の体験でした。男とわかったところで橋之助さんの三男宜生くんの披露があるのはご愛敬。
 ちなみにこの宜生くんについて、昼の部の『菊薫縁羽衣』の披露口上で、勘九郎さんが演じた『弁天小僧』のビデオをすり切れるまでみており、初舞台ではその弁天小僧を演じたいといっていた、と橋之助さんがかたっています。末頼もしい三人兄弟です。

 観劇前のたのしみはとうぜんのように『宇都谷峠』『一本刀土俵入』だったのですが、残念ながらどちらもちょっと期待はずれ。『宇都谷峠』は三津五郎さんが、『一本刀土俵入』は勘九郎さんがいまひとつに感じられました。
 勘九郎さんの駒形茂兵衛は、前半はもっさりしたお相撲さんぶりがなかなかよかったのですが、10年たってのやくざが、三階からみていたせいかもしれませんが、どうもすっきりしていないように感じられました。ちょっと人がよすぎる印象です。どこかすさんだ雰囲気、裏街道をあるく男の匂いがからだから発していてほしかったのですが、それが希薄でした。福助さんのお蔦も声が高すぎるようにおもいます。すさみきった酌婦ではあるが、心のどこかに家族へのやさしさ、いとしい男へのおもいがあるお蔦は、もっと沈んだ声のほうがよいはずです。
 子守女が千弥さんから芝のぶさんに交代。小山三さんも元気に白首役をつとめていたことが、なによりもさいわいであった。
 『宇都谷峠』で文弥と仁三を演じた勘九郎さんはさすがにうまい。初役とはおもえないすばらしさであったが、なぜか三津五郎さんの伊丹屋十兵衛に生彩がない。多少複雑な性格で性根をつかみきれなかったようにみえたのだが、ご本人はどうおもっているのだろうか。金ほしさに文弥(盲目のあんま)を殺すのだから悪人かといえば、その金はお主のための金。黙阿弥特有の人間の裏表を描き出す手法だが、生真面目な三津五郎さんがその性格分析をうまくできなかった印象なのです。たぶん文弥殺しの場面だけガラリと気分をかえて演じればよいのでしょうが、近代演劇人三津五郎さんにはそこがいますこし消化しきれていないようにおもえました。

 のこりは手短に。『高時』は天狗との舞がそれなりにおもしろい。九代目團十郎のころにおもいをはせながらみていると、結構たのしかったです。『重の井』はなんだか、国生くんの顔が太っているなあ、と気になってしまい、母子の気持ちのすれ違いが胸にせまってこず。『茶壺』はがっくり夢うつつ、で感想なし。
 ところで今月は芝翫さんの父親五代目福助の七十年祭ということで、成駒屋一門総出のにぎやかさであったが、この福助の短い一生については加賀山直三著『ある女形の一生』というすばらしい本にあまさず書かれている。しかし、そこには現在ではタブーになっているある事実が書かれているので、今月の筋書にもその本の紹介はまったくなされていない。もちろん本に書かれていることには一切触れられていない。奇妙なはなしである。この本は古書店でさがせばまだまだ簡単に二千円ほどで入手できるはずである。
 わたしがよく利用するインターネットの古書店はこちらです。




2004/07/11  ひとりごと008  野球は日本文化か

 大阪近鉄バッファローズの合併問題が先月末からマスコミをにぎわしている。このまま推移するとどこかもう1チームが合併し、来季からは10チームの1リーグ制になるのであろう。長年親しまれてきたセリーグ、パリーグという色分けは消え去り、理論的にはオールスターも、日本シリーズもなくなってしまう。
 最近野球にはあんまり関心が持てず、1リーグであろうが2リーグであろうがどちらでも構わないのであるが、スポーツジャーナリストの二宮清純氏のつぎのことばにはちょっと考えさせられた。

 野球は文化でファンを持つ公共の財産

 そうか、野球は文化であったのか、でもそんな風に考えたことはなかったな、というのが率直な感想である。そこからいろいろなおもいをめぐらせた。
 普通に考えれば、野球はスポーツである。しかし、スポーツとはみずからおこなうものだから、野球観戦をスポーツとは考えない。では野球観戦は文化か?う〜ん、どうもピンとこない。でも相撲はやはり日本の文化といえるだろう。ということは、野球そのものが文化ということなのだろう。たしかに、アメリカ人にとっては野球は文化といえるのだが、それを輸入して独自に発展させた日本の野球も日本の文化といいきってよいものだろうか?素直に納得できないことも事実である。スポーツを文化としてとらえる感覚が、まだわたしには生まれていないのだ。二宮氏と同じスポーツジャーナリストの玉木正之氏が『スポーツとは何か』(講談社現代新書)というスポーツ文化論を書いているようなので、こんど是非読んでおこう。
 わたしの愛する歌舞伎と比較して考えてもみた。歌舞伎はとうぜん日本の文化である。役者は選手だ。劇場はスタジアム。観客にみてもらう、観客が払うお金で運営が成りたっているということは、つまり野球の試合は興行とおなじといえるだろう。そういえば、野球は筋書きのないドラマ、というではないか!!興行ならば、いかにして客を呼ぶのか考えるのが経営者の一番大切なことである。巨人戦におんぶにだっこ、ではなにも考えたことにはならない。おおくの識者が語っているように、地域密着型の経営も必要だろう。新たなスターの発掘も必要だ。文化としての認識も、選手への愛情も、観客を大切にする心も持たない爺さんどもに、その運営を任せることも変えねばならない。
 今日の参議院選挙で自民・公明連立政権の政策に有権者のおおくがNOといったことは事実であろう。なかなか変わらない日本の政治の体質も有権者の意識も少しずつではあっても変化してきていることは間違いない。プロ野球にたいする経営者の意識もとうぜん時代にあわせて変化すべき時期にきている。
 じつはいま手元に、明日にも発表されるであろう某社の球団再生計画書がある。もうメチャクチャおもしろいアイデア満載だ。ただ気になるのは、その大阪近鉄バッファローズを買収しようと考えている社長は『野球は文化であり、公共の財産』という意識をもっているひとなのかどうか。こんどお会いするときにその気持ちを確かめたいとおもう。




2004/07/04  ひとりごと007  日本人の顔

 日本人の顔が大きく変化していることは、よくしられた事実であろう。科学的な分析結果が存在するのかどうかは分からないが、幕末の日本人の顔と現在のそれとは同じ民族とは思えないほど大きく異なっている。百数十年前に撮影されたその写真をみれば一目瞭然であろう。
 とうぜんそれは食生活の変化、生活様式の変化、環境の変化などの結果で、現代の美的感覚からすれば好ましい変わりようであろう。昔の日本人の顔は----当たり前のことであろうが----明治の頃に描かれた戯画的日本人の顔そのものである。頬骨がでて目が細く、さらに吊り上がっている。現代の目からみると、残念ながらあまりかっこいいとは思えない。最近の若者の顔はたとえていえば卵に目鼻、それもゆで卵のようにどこかツルンとしてかつてのようなデコボコはほとんでない。近代化からわずか百数十年、五世代から六世代でその容貌は一変したのである。
 以前ニュース番組を担当していたとき、晩年の黒澤明監督のインタビューをおこなったことがある。キャスターが、「何故、時代劇を撮らないのか?」と質問をしたときの黒沢監督のこたえがいまだに印象に残っている。「時代劇にふさわしい顔の役者がいなくなった」と語ったのだ。
 最近、DVDになった黒沢作品をよくみているのだが、たしかに時代劇を撮っていた昭和二〇年代から三〇年代にかけて、なんとも奇妙な印象をあたえる顔つきの役者が大勢いたことが分かる。いわば奇顔とでもいおうか、現在ではとうていお目にかかれない容貌の持ち主だ。歌舞伎の世界でもそうした奇妙な顔の役者がいたらしい。そのうち古今東西絶句帳で紹介したいが、なかなか凄まじい顔であったようだ。
 いまNHKで話題の『新選組!』をみると、おもわず笑い出してしまうほど美しい顔つきの隊士たちが奇妙なことばではなししているシーンにぶつかる。しかもビデオで撮影されているのだ。時代劇をビデオで撮影すると、逆にそのリアルさが欠点となる。あれはもう時代劇ではなく、時代を過去にとった現代劇と考えるしかないような代物であろう。
 こうした日本人の顔の変化は、近代化の中でかつての日本人の顔を形作っていた文明とはまったく別の文明を選びとった結果であって、いまさら善し悪しを論議することは不毛であろう。ただ考えなくてはいけないことは、美しい容貌を獲得することによって失ってしまったもの、すなわちかつての奇妙な顔が象徴していた日本文明とはいかなるものであったのか、ということである。




2004/06/27  ひとりごと006  学級崩壊

 昨日の土曜日、小学校2年生になるわが家の一人息子の授業参観にでかけた。そして、すっかり絶望した。表面的には良くなっているように見えるのだが、半分近い数の子どもたちは本質的にはなにも変わっていないようにおもえたのだ。
 なにしろ昨年の参観日には仰天した。学級崩壊ならぬ、学級形成ができていないのだ。授業中に席を立つ子、外に飛びだす子、つつきあう、ケンカする、はなしは聞かない、もうメチャクチャ。小学1年生がである。はっきり言ってこりゃバカ親の責任だ、と思った。しかし、当然のようにまともな母親たちは教師の資質を問題にし、もちろん問題はあったのだろうが、いろいろな話し合いがもたれ、教頭や校長も乗りだしてきたのだが、いっこうに悪ガキたちの行状は改まらず、担任の若い1児の母である教師は冬休み前に退職、その後数人の臨時雇いの教師が面倒を見てなんとか1年を終わらせたのだ。そして2年からは別のクラスを受け持っていたベテランの男性教師がわが家のチビのクラスを受け持つようになっていたのである。
 さすがに、今回の公開授業では席を立ったり、ケンカする子どもはいなかった。しかし、まともに椅子に腰をかけていない者が12〜3人。ほぼクラスの半分がそうである。ほとんど常に横を向いているのが5〜6人、椅子のうしろ2本足で立っているのも5〜6人、中にはそのまま授業中にうしろにひっくり返ったガキまでいた。つまりクラスの半分ほどは授業のはじめから先生のはなしを聞こうという気がないのである。
 それでもまったく無関心というのでなく、まだ子どもらしい行動も見受けられた。先生がなにか質問をすると、15〜20人ほどが一斉に手をあげるのである。あてられたら、それなりの答えをする。授業中、一生懸命勉強しようなんて気はさらさらないのだが、まだらに集中するのだ。
 それにしても小学2年生である。この時期からこんな授業態度でこの子どもたちはどうなってしまうのだろうか。勉強ができるできないはまだ問題ではない。勉強することになんの価値も抱いてないようにみえることが問題なのだ。子どもは勉強することが仕事だ、と今の教師は言いきかせているという。しかし、ここからは推測でしかないのだが、そうした子どもたちの親は勉強することが嫌いであったろうし、口では勉強しろとはいうものの、自分が本を読んだり、なにかの勉強をしたりする姿を子どもに見せることは皆無であろう。
 少なくとも、小学校の授業は先生のはなしを聞いていれば、理解できるものである。長時間、といっても45分間だが、集中することはむつかしいかもしれない。しかし、問題は授業への心構え、姿勢である。それがはじめから成立していなかったら、もうすぐついていけなくなる。2年生の後半からは九九がある。3年になれば分数も出てくる。ここで取り残されたら、その後の授業はもう地獄の責め苦ではないだろうか。そうなれば、また外に飛びだす、授業の邪魔をするなど勝手な行動を取りはじめるであろう。今度は本格的な学級崩壊である。
 さらに気になることがある。わが家のチビに聞くと、毎日必ずといって良いほど、ケンカがあるという。もちろんたいしたケンカではないのだろうが、蹴った叩いたなにかをこわされたといったトラブルが連日のように起きているらしい。とうぜんチビも巻き込まれる。さらに、ケンカして口で死ねというならまだしも、折り紙にそうしたことばを書いて机の上に置いたりするらしい。陰湿である。
 長崎で小学校6年の女の子が同級生の首を切って殺害するという事件が大きなショックをもって報道された。しかし、そこまでではないにしても、一歩間違えれば同級生を傷つけかねない子どもたちがいるであろうことは、チビのクラスを見ていて感じることである。日本全体の文化の崩壊、基本的な生活習慣さえ教えられない親たちの出現、ひたすら欲望や劣情を煽るTV、ことばさえまともに話せない政治家たち、一体いつから日本はこんな訳のわからない国になってしまったのだろうか。
 いまのわたしの大きなテーマはこの「いつから」日本が変わったか、である。




2004/06/24  海老蔵襲名六月大歌舞伎昼の部

 21日の月曜日に1階2等席で観劇。
 まずは『寺子屋』から。みている時には久しぶりに感動する寺子屋だ、とおもっていたのだが、それは寺子屋だからで(これでは何をいっているのかわからないだろうが、わたしはいつみても松王の「笑いましたか」で、自分の子どもの笑い顔を思いだし、ついついホロリとしてしまうのです)、べつに今回が何かがわるいというのではなく、ハラ、思い入れが随分過剰だったんだなと、いま思いかえしているところだ。
 最初からみていこう。勘九郎さんの源蔵の出、花道でつまずいてふと我が家の近くまで来ていることに気づくところ、そこで思いついたようにスタスタ歩いて寺子たちの顔をみる、という従来の動きとは違って、またも思いに沈みながら門口を開ける。寺子たちをみて予想されたことと絶望し、小太郎との対面になる。挨拶され、何をいまさらという心持ちで首を振り、まあ仕方ないかと顔をふとみる、オッ!オッ!オッ!となるところ、誰もがやるが、勘九郎さんの動きはやはりうまい。
 小太郎を殺す覚悟を福助さんの戸浪に披露して、二人で嘆くところ、最初は戸浪が泣きすぎたがその後はぐっと押さえてよし。ただ「ちょぼくさだまして」のおもしろさが少ないのが残念だった。
 玄蕃、松王の出、駕籠かきがあまりに軽々と駕籠をかつぐのは緊張が足りない。嘘でも中には松王が乗っているのだ。松王の咳が源蔵への合図になっているとは、今回の筋書に仁左衛門さんが書いてあるのを読んではじめて理解した。ただそのために、敵役としての憎々しさが乏しく感じられたのだから、歌舞伎はむつかしい。寺子の帰りは平凡。
 松王が家の中に入って、まず草履を確認し(よくわからないところだが、小太郎が履いてきた草履はどこにあるのだろうか)、机をみようとして源蔵にぶつかる。松王の心理が手に取るようにわかる。小太郎が来たかどうかを確認しているのだ。
 源蔵に首を討てと迫るところ、これも変にじたばたして逃げることを考えるなと、説得しているようにみえるし、さらに「生き顔と死に顔とは…」といいながら、そうするように暗示をかけるようにみえる。首桶を抱えて源蔵が内へはいると、机の数を数えて戸浪を追求する、つい本当のことをいう戸浪のことばにかぶせて「バカな」というところ、一瞬玄蕃の顔をみるところもうろたえた様子が強調される。その後の、首を討つ音で戸浪とぶつかるところ、最近は誰がやってもなんだかわざとらしい。今回は福助さんが吹っ飛んでくるような素早さでぶつかったが、これもなんだかヘンだ。
 源蔵が戻り(のれんから首だけを出し小太郎の死を暗示させる動きは、普通にやっていた)いよいよ首実検。少し下手を向くということもなく、あっさり首桶を取り(ただしその時には目を閉じており)、そして果たしてわが子かとカッと目を見開くところ、複雑な心の動きがよくわかる。自分の子と確認し、嬉しいような悲しいような表情を一瞬みせ、源蔵を褒める。ここも素晴らしい。そして退出。わざとらしく、外に出てスタスタ歩くということもなく、ただ終わった、という気持ちだけをみせるのもよい。ちなみに玄蕃は彦三郎さん、憎々しくしかし品がわるくない、松王などより上の位であることがよく分かる玄蕃であった。
 一か八かの贋首に騙されたと喜ぶ、源蔵夫婦。そういえばいつもは神棚から伝授の巻物を取って懐に入れ、松王たちが戻った後元に戻すのだが、今回は省略。理由は不明だ。それがないと水を飲みたいというとき、位置が遠い。そうこうするうちに、玉三郎さんの千代が花道を走りでる。首をちょっと前に突きだし、一体どうなったのか、小太郎を思う心を表現している。源蔵とのやりとり、「奥で子どもらと」で一瞬、あれ?とおもい、まあともかくよんでみようと、立ち上がり「小太郎や」とよびかけ、源蔵の鍔音を聞いて、「やはり小太郎は殺された」と納得する。こうした心の動きがよく分かる。しかし、その後は逆にうしろの源蔵に注意をしながら小太郎をよぶ必要があるのだが、先ほどのよびかけとの違いが感じられなかった。
 門口から松に短冊が投げ入れられるが、それを読むとき刀を門口に向けていないのは疑問。松王の謎解きから小太郎の最後の様子となり、泣き笑いとなる。ここは先ほども書いたように、「にっこり笑って」というところで松王は小太郎の笑い顔を思いだすのだ。その前に千代が嘆くところ、普通松王は叱るように「うちで存分ほえたでないか」いうのだが、仁左衛門さんの松王は前半部分を妻をいたわるようにしみじみといい、源蔵夫婦の手前という心で、軽く叱る。これもよい。
 さすがにここまで書いて疲れてしまった。なにしろ全編ハラと思い入れ、登場人物の心理細かな心理描写がつづくのだ。そのこと自体の是非はべつに考えたいのだが、義太夫狂言らしいおおらかさはほとんど感じられなかったことは事実である。さらにそこまで心理的な藝をみせられていると、「桜丸が不憫」というのが極めて唐突に感じられてしまった。 前段の桜丸の切腹などまったく関係のない、子供を殺す両親、他人の夫婦の心理悲劇に収斂されており、唐突感がでてくるのだと思う。
 いろは送りのところで、「まってました」のかけ声も、この心理劇にはまったく似つかわしくなく、間が抜けたものに感じられた。いずれにしても九代目團十郎からはじまって六代目菊五郎によっていちおうの完成をみた近代歌舞伎のリアルな芝居、その行きつく果てをみたような思いにとらわれた舞台であった。

 新海老蔵さんの『鏡獅子』、おもった以上にきれい、かわいい。ただし、着物の地を濃い紫にしたことでちょっと損をしているようにみえる。踊りの巧拙はほとんど分からないのだが、ふっくらとした柔らかさがあまり感じられなかったことは問題であろう。もうひとつ気になったのは、胡蝶の踊りが全然楽しくなかったこと。なぜかと考えてみたのだが、児太郎くんと隼人くん、たぶんうまく踊ろうという意識がつよすぎたのではないだろうか。そのために子どものかわいらしさが消えてしまっていたのだ。
 獅子になっては勇壮、しかしわたしはまどろんでいる姿に海老蔵さんの真骨頂をみたような気がする。最後はブルンブルンを毛を振って観客は大喜びだが、毛先も乱れに乱れてひどすぎた。獅子の毛をきれいに振れる役者もいなくなってしまったのだろうか。

 松緑さんの『外郎売』はちょっと遅刻して後半十分しかみられなかったので感想はパス。ただ一言いわせてもらうと、いったいいつになったら「さしすせそ」の発音がまともにいえるようになるんだ!!専門家(医学的にも)にしっかりとみてもらい、早急に対策を講じる必要がある。いい年をしてあんな発音しかできないのは、はっきりいって役者失格である。




2004/06/20  ひとりごと005  十一代目

 十一代目市川海老蔵の襲名披露興行が、先月に引き続き歌舞伎座でおこなわれ、劇場内は華やかな祝祭気分に満ちあふれている。連日のように(もちろん毎日確認したわけではないが)補助席が設けられ、これまでの襲名興行とはくらべものにならないくらい観客たちの興奮の度合いもつよい。すべては十一代目の海老蔵がもたらす魔力、たんなる魅力といういうことばでは言い表せない吸引力に、あたかも誘蛾灯に引き寄せられる蛾のように観客たちは何をおいても劇場に駆けつけているのであろう。なにはともあれめでたいことである。
 十一代目市川海老蔵と書いて、ふと気づいたことがある。いまの團十郎、十一代目海老蔵の父は十二代目の團十郎である。数字がいろいろでてきてわかりにくいが、海老蔵から團十郎になるのが普通と考えると、ふたつ数があわない。海老蔵の方が二代少ないわけだ。ここでクイズである。歴代の團十郎のなかで、一度も海老蔵を名乗らなかったひとがじつは四人いる。何代目の團十郎だろうか?
 すぐに思いつくのは、十一代目團十郎の養父市川三升であろう。大学をでて銀行員になっていたが(明治時代にあっては大変なエリートであった)、何かの縁で九代目團十郎の娘婿となったひとである。このひとは九代目海老蔵が十一代目團十郎を継ぐ時に、十代目團十郎を贈られたので(その時にはもう亡くなっていた)、海老蔵を名乗ることはなかった。もう一人は、劇聖といわれる九代目團十郎。父はみずから「壽海老人子福長者」と称した七代目團十郎だが、生後七日にして河原崎座の座元河原崎権之助のもとに養子にやられたことから、河原崎長十郎、河原崎権十郎と名乗り、明治七年に九代目團十郎を襲名したので、このひとも海老蔵を名乗る暇はなかった。
のこる二人はむつかしい。もともと、海老蔵は初代團十郎の幼名であったが、二代目は養子に三代目を譲ってから二代目海老蔵を名乗っている。この三代目團十郎が二十二歳の若さで亡くなったことから、海老蔵を名乗ることはなく、また五代目の團十郎も「私がゑびは天蝦(ざこえび)の文字を用ゐまする」と語って、蝦蔵と称したので、代々の海老蔵には含まれない。以上、三代目、五代目、九代目、十代目の團十郎が海老蔵を名乗っていないことになる。
こうなると、またまた二つ数があわなくなる。團十郎になったひと、なるひと以外に、海老蔵をなのっていた役者が二人いたのである。詳細な系図をみるとわかるが、七代目團十郎の三男と七男である。この二人がそれぞれ七代目、八代目の海老蔵を名乗っていた。

 ふ〜、ここまでお付きあいいただいてありがとうございます。役者の何代目というのはじつにややこしい。とくに死後追贈されることが多いので、しばしば混乱する。十一代目海老蔵さんも、以前の十人を正確にいうことはむつかしいだろう。
 さてはなしは突然かわるのだが、この十一代目、英語ではなんというかご存じだろうか?たまたま今月文庫ででたばかりの高島俊男著『お言葉ですが…D キライなことば勢揃い』(文春文庫)を読んでいたら、この問題が取りあげられていた。詳細は本文をお読みいただくとして、わたしが興味深かったエピソードを紹介する。
 大正末期から昭和にかけて、英語の神様とうたわれた斎藤秀三郎先生に「何代目」をなんというのかきいたところ、さすがに神様もわからない。数年後『斎藤和英大辞典』が出版され、そこに「何番目」という項目があり、How maniethという用例が記されていたという。じつはこのmaniethは神様があらたに作りあげた単語で、その後も現在もつかわれていないようだ。なけりゃ、作ってしまえ、というのも神様ならではの乱暴な発想だが、いまでも新語流行語が日々生まれているのだから、間違いではない。
 ここで、ちょっと英語の辞書(電子版)を調べてみると、研究者の英和・和英中辞典にありましたよ、何代目が。

リンカーンは何代目のアメリカの大統領ですか? 16代目です。
 How many presidents were there before Lincoln? Sixteen.

 しかし、乏しい英語の力でこれをみると、リンカーンの前に大統領は何人いましたか?という質問に16人と答えているのだから、リンカーンは17代目にならないか?疑問だなあ。高島さんの本には(ご存じの方もおおいとおもいますが、この『お言葉ですが…』は週刊文春に連載されており、単行本にするとき、読者からの反応を「あとからひとこと」として書きくわえるのが特徴です)、その後アメリカのビジネススクールで研修中のビジネスマンからのお手紙が紹介されており、何代目かときくことばはいろいろあるが、「但しそれに対する答えは、Who cares?(知ったことか)とか、Worst!(最悪!)とかになる」ということだ。何番目かなんてなんの意味もない、問題は中身だという欧米の合理主義がわかるエピソードだ。
 それにしても十一代目市川海老蔵は、英語に直したらなんというのだろうか?英語の筋書きをみればきっと書いてあるに違いない。たぶんthe eleventhなんでしょうね。
 最後にもうひとつクイズ。この文章に「十一代目」は何回登場したでしょう?




2004/06/13  ひとりごと004  新説・珍説・真説

 あらかじめことわっておくと、この三つのことば、「新説・珍説・真説」は先頃文庫化された明治の辞書『言海』にはでていない。どうも安手のことばであるらしい。日本語はきわめて融通無碍で漢字二文字を組みあわせると、あらたな意味をもったことばがすぐさま誕生する。「新説・珍説・真説」もその一例であろう。同様のことを(いささか古くさいが、「チョベリバ」=「超very bad」などその例か)英語でやっているのが、最近の若者ことばなのであろう。

 さて前回は、新説が珍説に等しいとおもわれる本を紹介したが、今回は新説が真説ではないかとおもわれるものを紹介したい。
 2年半ほど前になろうか、一読して天地がひっくり返るような驚きにおそわれた本がある。 鈴木眞哉さんの『謎とき日本合戦史』(講談社現代新書)『戦国合戦の虚実』(講談社)である。この二冊で従来の戦国時代を中心とした合戦のイメージが、百八十度転換してしまったのだ。
 簡単にいえば、「鎬をけずり鍔をわり」という接近戦=白兵戦はほとんどなく、合戦のおおくは矢を射かけたり、石つぶてをなげたりという、遠戦であったというのだ。映画やTVドラマ、歴史小説のたぐいで見馴れていた壮絶な接近戦は、偶発的にしかおきていなかったらしい。さらにこれは前々からいわれていたことだが、明治以前の日本馬はほとんどポニークラスで、それにまたがって疾走する騎馬軍団など存在しようもなかったと説いている。はたして専門家たちはどのように考えているのか分からないのだが、大枠で納得がいく説である。
 考えてみれば百年以上つづいた戦国時代、合戦の度に激しい白兵戦をおこなって敵の兵の命をとることに専念していたら、国内に成人男子はほとんどいなくなっていたはずである。局地的にはそうした戦闘もあったであろうが、大半は遠くから矢を浴びせたりする示威行動であり、内部の裏切りや援軍の到着などで勝負はきまったようだ。
 秀吉が城を攻めるとき、兵量攻めや水攻めなどできるだけ自軍に損害がでないようにしたのは、かれの独創でなく当時の常識ではなかったか。
 もちろん映画や小説などは勇ましい方が面白いにきまっている。当時の軍記物も同様であろう。それをそのまま信じ込み、合戦というと両軍入りみだれての白兵戦というのがわたしたちの意識にすり込まれていったものであろう。騎馬軍団も同様である。どうやら馬にまたがって甲冑武者が集団で相手の陣地へ襲いかかるというのは、まったくの幻想であった。
 わたし自身、日本馬の原種といわれる木曽駒やトカラ馬をみたことがあるが、じつにかわいいものであった。競争馬のように時速60キロで走れる体つきはしていない。集団でトコトコ走ってくればまあそれなりの迫力ではあるだろうが、こちらに柵があったり槍をもっていればさほど怖いものではない。戦場につかわれた馬の多くはたんなる移動のための道具に過ぎなかった。
 江戸以前の歴史をみていくと、なんだかやたらに戦争ばかりしている好戦的な民族のようにもおもえるが、じつは臆病そうに遠く離れてワアワア騒いでいたのが実態のようだ。首を討つといった残忍な行為も、おおくは矢などで怪我をして動けなくなった相手を仕留めた結果のようだ。

 さらについ最近、じつは武士たちはきわめて卑怯なだまし討ちで相手を殺しており、戦場におけるフェアプレーなどなかった=武士道は幻想であるという佐伯真一さんの『戦場の精神史』(日本放送出版協会)が出版された。ハリウッド映画『ラスト・サムライ』でブームとなった新渡戸稲造の『武士道』は明治という時代がつくりあげたファンタジーであるという。そもそも武士道的な倫理観は平和な江戸時代になって生まれたもので、臆病そうにではあっても、生きるか死ぬかの戦いを繰りひろげていた戦国時代にはきれい事などいっていられるはずもない。
 わたしの印象では、江戸時代の武士のおおくは農民や職人とはことなりなにかを生みだす仕事ではなく、現在の役人と同様の行政職になっていた。しかも農民たちから年貢を取りたてて生活している。そこでは高い倫理観がなければそうしたシステムを維持できなかったのではないだろうか。そこで生まれたのが、一般的な武士道であったとおもわれる。

 明治という時代を経過したことで、日本は様々な新説、珍説が誕生し、それがいつのまにか真実になってしまっている。いまようやくそうした明治の呪縛から逃れて、新しい目で日本の歴史をみなおす機運が生まれてきているようにおもえる。あっと驚く新説がさらに誕生することをたのしみに待っている。





2004/06/06  ひとりごと003  西洋コンプレックス

 最近、どうも理解しがたい本を二冊読んでしまった。近松洋男著『口伝解禁 近松門左衛門の真実』(中央公論新社)立花京子著『信長と十字架』(集英社新書)である。朝日新聞などの書評に取りあげられているので、タイトルだけでも目にしたひとはおおいものとおもわれる。じつはこの二冊、従来考えられてきた史実を一変させる内容を含んだものである。近松さんの本からみていこう。

 著者は中世スペイン文学の研究者として大学教授を歴任し、スペインから数多くの勲章も授与されている立派な方である。しかも、元禄時代の名浄瑠璃作者、近松門左衛門の子孫でもあるらしい。そのかれが、代々長男にだけ口伝されてきた門左衛門の秘密をこの本で明らかにする、というのがキャッチフレーズである。
 読んでみてまず驚いたのは、「口伝」がどこにも出てこないことである。じつは本全体が「口伝」の内容を紹介した形式をとっているようなのだ。著者もまえがきでつぎのように述べている。
 「本書の構成は、歴代京都近松家に伝わる文書と口伝、さらには門左所縁の方々の伝聞および研究を集大成しながら、筆者の推測や私情を交えてまとめたものである。」
 あれま、「推測と私情」ですか?問題はこの二百頁あまりの著書のどこが口伝や秘蔵文書なのか、どこが推測と私情なのかまったくといってよいほどわからないことである。
 たとえば、門左衛門は赤穂藩の塩販売ルート確立のために奔走した。
 たとえば、門左衛門は赤穂浪士の近松勘六の遺児二人を自らの養子とした。
 たとえば、門左衛門の斬新な浄瑠璃五段構成は、スペイン・ルネッサンス詩劇をもとにしてつくられた。門左衛門はスペイン語に堪能であった。
 こうした、従来の学者たちが目をひんむくような内容は、何を根拠としているのか、あるいは単なる推測や私情なのか、文章を読むかぎりまったくわからないから困ってしまうのだ。さらに史上名高い赤穂事件も、門左衛門の尽力で赤穂藩が確立した「塩の道」を幕府と吉良が奪いとろうとしたことからおこった、と語るなら、きちんとした史料を提示しなければなんの意味もない。
 せっかく三百年近く秘められていた口伝を解禁するなら、著者が父親から伝えられた言葉やそのときの情況を逐一、明らかにすべきである。このままではほかの研究者がその内容を検討しようにも、なにを手がかりにしたらよいのか、さっぱりわからない。学術論文を書きなれた大学教授がなぜ、このような不可思議な本を世のなかに送りだしたのか、理解にくるしむところである。

 もう一冊の立花京子さんの著書は、近松のものとくらべるとしっかりと学術論文の形式をとっているから、問題はない。著者は独学で戦国史をまなび、画期的な信長論で博士号を取得した努力のひとである。しかし、その内容はあまりいただけない。様々な史料を駆使しているのだが、肝心のポイントはどうしてそうなるの!!と突っこみたくなるような推測的断定になってしまうのである。
 たとえば86頁。
「枝賢が洗礼を受ける年も、前述の兼右書状の年次も、永禄元年よりも後のことになるが、両者は永禄元年の時点で、潜在的なキリシタンであったとみてよいだろう。」
 おいおい、なんで「みてよいだろう」なんていえるんだ?学術論文(もちろん、新書という形式上一般向けの安易な記述という逃げ道はあるのだが)で「だろう」とか「であろう」は禁物である。この本にこれらの言葉がいかにおおいか、お持ちのかたはチェックしてみてほしい。
 たとえば193頁。信長には様々な普請事業のために多額の費用が必要であった、とのべたあと、「しかし、『信長公記』には、バテレンからの黄金はおろか、援助らしきことは一切記述されていなかった。それは、秘中の秘であったからと考えられる。」
 ひえ〜〜、史料にないことは「秘中の秘」ですますのか?
 この論文は、イエズス会がその野望を達成するため、まだ桶狭間も経験していない信長に目をつけ、様々な援助をおこなってきた、という仮説が先にあって、それに見あう史料だけを選びだし、仮説が前提の推測を加えて記述したものである。いわば歴史的なトンデモ本の一種といえよう。その極めつけを紹介しよう。
 「イエズス会が信長の抹殺を計画して、朝廷をして明智光秀に信長討伐命令を下すように仕むけ、光秀に信長を討たせ、かつ秀吉に光秀を討つように準備させていた」  これこそが、腰帯にも記されている「驚愕の新事実」であろう。これ以上いうことばはない。

 さて、この二冊を読んでつくづくおもったのは、この年代の方(著者のお二人は1924年生まれと1932年生まれである)の抜きがたい西洋コンプレックスと皇室崇拝の念である。
 たとえば、近松洋男さんは門左衛門が特別にスペイン語を習い、それに習熟したことを誇らしげに記述している。さらに先述のように五段構えの浄瑠璃は門左衛門の創造ではなく、スペイン詩劇の模倣であることを自慢している。ご先祖様の浄瑠璃が単なるパクリだったことは、これはまったく不名誉な事実とは考えなかったのだろうか?たぶん、模倣よりスペイン詩劇をしっている方が、著者にとっては価値が高いことだったのであろう。
 立花京子さんもイエズス会がまるで日本の歴史をしっていたかのように、まだ海のものとも山のものともわからない信長に投資し、そして万能の神にように信長を殺したという。なぜそこまで西洋文明の力を信じられるのか?
 どちらの著書にも共通するのが、こうした西洋にたいする価値観の高さである。明治以降、日本人のあいだに蔓延した西洋コンプレックスの裏返しではないだろうか。さらに門左衛門も信長も尊皇思想の持ち主であったことを強調している。ことさら強調する必要は感じられないのだが、あえて著者はそうしている。戦前の教育の影響であろうか。  日本人の西洋にたいする複雑な気持ちはよくわかる。それに反発すればしたで、極端な国粋主義にはしってしまう。なぜ、日本は日本、欧米は欧米ではいけないのか。おたがいにまったく異なる歴史と文化を持っていることを理解し、よいところを学べばそれでよいではないか。西洋のお墨付きを貰わねば権威付けできないという思考形式をそろそろ脱却する時期にきているようにおもう。


   注:なお近松についてはこの頁を是非読んでいただきたい。




2004/05/30  ひとりごと002  「ラチ」もないはなし

 テレビニュースをみながら、うとうとしていたらこんな歌舞伎の夢をみた。


 満開の桜のもと、世継ぎの若君が鎌倉将軍家嫡男の婚礼出席のため、旅の無事をいのって、菩提寺に詣でたところであった。そこにあらわれいでたのが、若君の妻みやびの方……。
 「わらわも、江戸へ連れていってたもれ」
 「みやびの方様は江戸生まれ江戸育ちゆえ、さぞかし江戸が恋しいのでござりましょう。どうかお供に連れてくださりませ」
と口々に腰元連中。若君も道理、とはおもったが、そこに登場するのが局岩月。
 「これさ腰元連中、なにをざわざわ。みやびの方様は一日も早くお世継ぎを産まねばならぬ身、江戸見物などからだのさわり。」
 「じゃと申して、離ればなれに暮らしてはできる子もできぬ道理。」 
 口々に言い争うその中に、登場したのが国家老大泉弾正。白塗りの美丈夫だが、心になにか鬱屈するものがある様子である。幼き姫君もいることゆえ、奥方は国元にのこるのが上分別と裁定して、言い争いは終わる。
 一同が退出したあと、弾正はまずいことがおきていることを岩月にはなす。
 ここ数年、藩の御用金が不足するために、上米の制度をつくり身分に応じて俸禄の一部を藩に納めさせることをおこなっている。だがまだ強制的に上米をおこなう前、可能なものは俸禄の一部を返還するよう藩主が藩士に頼んだとき、まだ若かった弾正は強制ではないのだから、という理由で俸禄を一銭たりとも返還していなかった。そのことが政敵である家老大沢民部の耳に入ると一大事になる。しかも悪いことに上米の率をこの春から上げようとしているのだ。
悩む弾正に、局岩月は秘策を授ける。
 「上米のはなしも藩士たちには深刻な問題ではございましょうが、連中の一番の関心事は朝北の地に立てこもる、秘密の宗教団の去就でございます。とくに、かれらがわが領民の多くを秘かにさらい、強制的に働かせていたことが明らかになってから、怒りは秘密教団に向けられております。さらわれた者たちをあなたの力で連れ帰ったら、領民はおろか、藩士たちもあなたの素晴らしさに喝采を送ることでありましょう。」
 「おおそれは名案。さすが岩月殿、悪知恵は遠く及ばぬ。」
 「なにをまあ、ご冗談を、ホホホホ」
 「ワハハハ」

 てなわけで、場面かわって弾正の奥座敷。秘かに秘密教団へ差し向けた密使の帰国を待って密議がこらされていた。
 「なに、米を寄越せというのか」
 大声をあげたのは執事の康馬である。康馬は自分が知らぬ間に密使を送り込んだことで少し臍を曲げていた。
 「ただでさえ手元不如意というのに、あんな人さらいの連中にあげる米など一粒もないわ。」
 「それでさらったことを認めて、領民を何人返すというのか?」
 「いま判明する、二組の夫婦とその間にできた五人の子供といっております。」
 「さらわれた、と騒いでおるのはどれほどおったのか?」
 「五十人はくだりますまい。」
 「それほどか、う〜む。」
 その場に乗り込んできたのが、大沢民部。
 「聞いたぞ聞いたぞ、弾正、そちは上米お願いの節、未納しておったそうじゃな。そのようなことで、藩士の範たる家老職がつとまるか。」
 「なにをいまさら、そのような古いことを。強制ではないのだから未納というのはおかしなはなしじゃ。」
 体よく民部をあしらった弾正、そのことが藩士たちに発表されると同時に、秘密教団にさらわれた領民たちを取り返しに、朝北の地におもむくことをあきらかにした。

 ふたたび場面かわって、朝北の秘密教団。
 「なに、弾正自らやってくるとな。」
 教団の教祖はおもわず笑みを漏らす。弾正の意図がはっきりとわかったからだ。人さらいの問題を解決し、藩士や領民の不満の目をそらさねばならぬのであろう。そこにこちらの付け目がある。自活生活を旨とする教団だが、天候不順などで最近食糧不足が目立つのだ。
 弾正がやってきた。教祖はご機嫌だ。この会談を絶対に成功させなければならないのは弾正の方なのだ。
 「米二百五十石のほかに、牛二十頭、馬二十頭もいただきたい。」  その提案も弾正はのんだ。今回返す、九人のほかにもまだこの教団で生活している領民を返して欲しい、との提案も、本人の意向を聞いてからと教祖は逃げた。いつまでに意向を聞くというはなしもない。
 「きょうはこんなところで。」
 会談はあっさりと教祖の一言で打ち切られた。それでも大泉弾正は領民の一家二組を連れて帰れば、藩士たちも納得するものと信じていた。
 「じゃあな、頼んだよ」
 教祖が去るのを見送りながら、弾正は「まあ痛み分けか」と苦笑いをかみ殺していたのだが……。


 さてこのあとは、どうなるのかとおもっていたら、目が覚めた。いつの日か、この続きがみられればよいのだが、果たしてそれはいつのことになるのやら。  




2004/05/25  海老蔵襲名五月大歌舞伎座夜の部

 おもわずわたしは頭を抱え込んだ。弁慶の幕外の引っ込みである。もちろん、三津五郎さんの弁慶が悪いわけではない。飛び六法にはいる時に、なんと!!!客席から拍手の延長で手拍子がおきたのだ。拍手ではない、手拍子。パンパンパンパン、というアンコールなどの意思表示につかわれる手拍子が歌舞伎座千秋楽の『勧進帳』の客席からわきおこったのだ。そういえば、前回の『勧進帳』でも同じ手拍子がおきたことがおもいだされた。
 去年のコクーンの『夏祭』。興奮した観客のスタンディングオベーション、そして手拍子にも多少違和感を感じたのだが、あれはまだいい。しかし、歌舞伎座で『勧進帳』で手拍子は大問題だ。21世紀の歌舞伎はこれが当たり前になっていくのだろうか。ここ数年感じている観客の反応への違和感、それがすこしずつ絶望にかわりつつある。

 暗いはなしはここまで、昼の部と大違い、夜の部は近来まれにみる好舞台であった。
 なにしろ『勧進帳』の三津五郎さんが抜群の出来。ドラマの進行につれて、弁慶の心境がつぎつぎと変化していくところがはっきりとわかる。さらに富樫の新海老蔵さんがまたすばらしい。これもこころの変化がしっかりと伝わってくる。しかも、義経たちを通してから、すでに死を覚悟した富樫の姿になっている。ここまで覚悟を決めた富樫はまだみたことがない。気になったのは、山伏問答でときに身体を沈めすぎること、評論家の渡辺保さんも指摘しているように、呼び止めのあとの詰めよりで、世にも恐ろしい顔をすること。
 いろいろ気になったので、家に戻って手元にある過去の『勧進帳』のビデオを見直してみた。先ほど書いた拍手の問題である。義経と四天王が揚げ幕にはいり、弁慶が花道にかかる。富樫が見送って定式幕が引かれる。当然ここで拍手がおきる。これは問題ない。つづいて弁慶が義経たちが安全な所まで落ち延びたのを確認し、富樫に頭をさげる。現在はここではやくも拍手がくる。そして神にたいして頭をさげる。もう拍手は止まらない。以前はどうだったのだろう。
 1965年3月の歌舞伎座、弁慶は十一代目團十郎。海老蔵のおじいさんだ。1980年11月の歌舞伎座、弁慶は尾上松緑、これも今の松緑のおじいさん。1992年4月、NHKホールででおこなわれた吉右衛門の弁慶。最後に2002年12月、京都南座の十二代目團十郎の弁慶、以上4本をチェックしたのだが、驚いたことに富樫に頭をさげるときに拍手はおきていなかった。南座ではパラパラとおきてはいたが、大半は息をつめてみていたようだ。しかし、神への御礼にはすべて万雷の拍手である。もう40年も前からそうなのだ。違うといっても詮方ないのかもしれない。

 ほかの演目の感想を。『白石噺』、なんだか菊之助さんの化粧がヘン。田舎娘に扮しているのだが、どうも男の子のよう。なぜかは不明。時蔵さんは雀右衛門さんの代役だが、しっとりとした太夫になっていた。しかし、このはなし、この場だけではなにがなんだかよくわからない。姉妹の出会いといわれてもピンとこない。
 『口上』では、菊五郎さんが「わたしもよくエビサマとよばれます。それはわたしの血液型がAB型だから」とひっくりかえりそうなおやじギャグをとばして笑いをとっていたのと、魁春さんが「海老蔵さんにおもしろいお店やびっくりするお店によく連れていってもらう」と発言したのがおもしろく、また海老蔵さんの睨みのすばらしさに呆然としてしまった。
 最後の『魚屋宗五郎』。三津五郎さんが好演。ただ、弁慶につづいて酒を飲み酔うシーンが重なるのは、團十郎さんの急病のため仕方ないにしても、もったいなかった。芝雀さんがおはまを好演。世話物の女房役も十分こなせそうだ。菊之助さんのおなぎもいい。松助さんの父太兵衛もピッタリ。問題は松緑さん、小さな顔、長い手足がまったく江戸の人間に見えない。正座の姿もひどくヘン。身体的な問題なので酷評するのもかわいそうだが、この人が世話物に向かないとなると、歌舞伎には大損失だ。なんとか様になるようになってほしいものだ。それにしてもこの演目は何度みてもすっきりしない。どう取り繕っても殿様が「たぶさを取って引き回し」、なぶり殺しにした事実は消えない。金を貰ってもああよかったね、とおもえないのが欠点だ。カタルシスがおこらないのだ。
 おもいがけない團十郎さんの病気休演で、前途が危ぶまれた海老蔵襲名公演であったが、3割り増しの料金にもかかわらず、連日補助席がでる大盛況となったのは、なにはともあれ目出度いことであった。来月の『鏡獅子』『助六』も大いに楽しみである。


2004/05/23  ひとりごと001  拍手するバカしないバカ

 拍手が気になりだしてから、随分ながい時がたつ。歌舞伎の観客の拍手である。歌舞伎をまったくみたことのない方のために説明すると、幕があくとまず拍手する。役者が登場すると拍手する。見得をすると拍手する。きめ台詞でも拍手する。役者が退場する時にも拍手する。当然幕がおりる時にも拍手する。もうほとんどのべつ幕なしに客席から拍手がわきおこる。ほかの演劇ではこうした現象はほとんどおこらないであろう。なんとも不思議な歌舞伎独特の現象である。

 そもそも拍手がいつごろから日本人の習慣といて根付いたのかつまびらかではないのだが、少なくとも江戸時代から明治中頃まで、おおくの日本人に「拍手をする」という行為は知られていなかった。もちろん両の手があれば、それを合わせて音をだす、つまり手を叩くという行為は神代の昔からおこなわれていたはずだ。狂言などでみられる「やんややんや」がそれであろう。しかし「拍手」という短い間隔で手を叩き、相手を称えたり激励するという風習は日本にはなかったようだ。このことは、幕末から明治初年に日本にやってきた外国人が、書きのこした書物などから明らかである。
 それでは当時のひとびとは、どのようにして役者を褒めたたえていたのだろうか。すばらしい藝をみせられた時、大目玉をひんむいて見得をした時、そしてなによりも感動した時に江戸の庶民たちは役者にむかってかけ声をかけていたのである。それも役名や役者の名前をよぶのではなく、役者の屋号や住んでいる町名でよんでいた。市川團十郎は「成田屋」であり、尾上菊五郎は「音羽屋」である。いまの中村芝翫さんが「神谷町」とよばれるのもそこに住んでいるからだ。時には「七代目」といったように気取ってよぶこともあり、「日本一」とか「大統領」などとかけ声がかけられた役者もいる。

   こうして考えてくれば、現在の拍手がかけ声のかわりとして機能していることはあきらかであろう。だれでも気楽に声をかけられた時代から、いつの間にか声をかけることがはばかられるようになり、そのかわり手を叩くことで舞台を盛り上げる、舞台と一体化することになったのである。かけ声から拍手への変遷は、なかなか興味深い歴史的社会的な問題をふくんでいるようにおもえる。大向こうのプロ化、半可通への圧力などもあったようだが、西洋演劇の影響からか客席から声をだすことのはずかしさがいつしか浸透したことがおおきかった。西洋演劇の理念のひとつに「第四の壁」というものがある。舞台をひとつの部屋とした場合、観客は目に見えない第四の壁を通して、その部屋でおこるできごとをみるのであり、役者はあたかも第四の壁があるかのごとく、客席を意識することなく演じるべきであるという考え方である。そこでは当然かけ声や拍手などおこりようもない。 西洋演劇理論がいつしか観客にも浸透し、一般の観客が声をかけるのは野蛮な行為のように意識されてしまったのではないだろうか。
 それでも歌舞伎には第四の壁をぶちこわす花道という斬新な舞台構造をもっており、観客のおおくは江戸や明治のひとたちのDNAをうけついだ日本人だ。声がむりならせめて西洋からはいってきた拍手で参加しよう、と観客が考えたとしてもおかしくはない。新劇をみる時には役者が登場するたびに拍手などしない人たちも、歌舞伎では平気で手を叩く。ひょっとしたらあれは日本人を強く意識する行為なのかもしれない。

 さてこうした前提のうえでわたしが問題にしたいのは、拍手があまりに手軽におこなわれているという現状についてである。声にはそれを発するひとの個性がでるのだが、拍手に個性はない。それ以上に匿名性が強い手法である。間の抜けたところで声をかけると笑われるが、拍手にはそれがない。音楽会などで曲の終わりを間違えて拍手をすればブーイングでいたたまれないおもいをするであろうが(それは拍手が演奏のおわりという一回きりの行為であるからで)、歌舞伎ではまあしじゅう手を叩いているから、ちょっとぐらいおかしくてもあまり目立たないのだ。
 ひとつの例をあげておこう。七月の新海老蔵襲名大阪公演でも演じられる『源氏店』。切られ与三とお富の再会の場面で名高い演目である。与三郎がはじめてお富にむかって名乗る台詞はつぎの通りである。

「エエご新造さんへ、おかみさんへ、お富さんへ、ヤサ、お富、久しぶりだなア」
「そういうお前は」
「与三郎だ」
「エエッ」
「おぬしァおれを見忘れたか」

 ふたりのかけ合いはトントンといかねばならない。ところがわたしがみていた時、「ヤサ、お富、久しぶりだなア」の台詞でものすごい拍手があがったのである。お富役の玉三郎さんが拍手のやむのをまって「そういうお前は」、といわざるをえない状態であった。 さらにもうひとつ、これも来月の歌舞伎座で新海老蔵によって演じられる『鏡獅子』。小姓彌生がいやいや将軍のまえに連れだされ、意をけっして踊りはじめる時、将軍のいる上座に向かって頭をさげる。これを客席への挨拶と勘違いして拍手することがおおい。また弁慶が幕外で神への感謝の気持ちで頭をさげる時にも自分たちへの挨拶とおもうのか、万雷の拍手がおきる。もうメチャクチャなのである。拍手しすぎるから、拍手するのはおかしいところでもついつい手を叩いてしまう。だれかが手をたたくと判断がつかずにつられてしまうのである。
 まさに、拍手するバカの出現である。それがここ数年とくに目立つようになってきた。気になる現象である。手を叩くなとはいわないが、もう少し減らすべきである。いまの拍手はきわめて儀礼的で理性的である。我を忘れて叩くならともかく、お義理の拍手はいらない。それよりもわたしが提案したいのは、観客ひとりひとりが発する「気」である。かけ声をだすのははずかしいが、声にならない「気」なら周囲にはわからない。しかし、それがあつまると役者にはわかるのである。気の抜けた拍手より、熱い「気」を送られる方が、役者にとってはどれほど嬉しいことだろうか。

 最後に拍手しないバカのはなしである。これは男性におおい。自分を通と考えているのだろうか、腕を組んで舞台を冷ややかにみている。当然、拍手がおきるところでも知らん顔である。それはまだよいにしても幕がおりてもプイと席を立つ。おいおいおわった時ぐらい拍手しろよ、と毒づきたくなる。そんなにつまらないなら高い金を払って歌舞伎に来なくてもよいではないか。
 拍手するバカしないバカ、じつは歌舞伎の客席には拍手という「第五の壁」が出現しつつあるのかもしれない。




2004/05/20  海老蔵襲名五月大歌舞伎座昼の部

 きのう19日、歌舞伎座で昼の部観劇。劇場全体に新海老蔵襲名に浮かれた雰囲気が漂っている。ただそのうきうきとした中にもどこかしら影がさすように感じられるのは、やはり父團十郎さんの突然の発病、休演によるものだろうか。
 それにしても、新海老蔵への期待はわたしの想像を絶するものであった。2幕目の『暫』になると劇場中が息を詰めてその出を待つ、という「気」で充満していた。
 だれひとり舞台の進行に関心を払っていないようにおもえる。富十郎さん扮する清原武衡(たけひら)が自分のことをつい「秀衡(ひでひら)」といってしまっても、疑問におもわない。いやそもそも武衡であろうが秀衡であろうがどうでもよい、はやく海老蔵の姿をみたいのだ。ようやく揚げ幕のむこうから「しばらく」の声がかかる。わたしはまずこの声にがっくりきてしまったのだが、おおくの観客ははやくも興奮気味、祝祭気分は最高潮に達しようとしている。そして登場。割れんばかりの拍手。じつに堂々としてかつ若々しい姿は素晴らしい。舞台が一気に明るくなったようにおもえるほどだ。
 しかし、花道でのつらねがまたいけない。荒事の発声にほど遠いのだ。そもそも荒事は「五つか六つくらいのやんちゃなこどものように」演じるという口伝があるように、理に落ちた台詞回しでは荒事らしくないのだ。今回の海老蔵さんのつらねはその意味があまりによくわかるように語っている。観客は言っていることが理解できて喜んでいるのだが、どうも尻がこそばゆい。もう一工夫必要なのではないだろうか。ただプィとそっぽを向いたりするところは、ちいさなやんちゃなこどものようでおかしかった。
 さらに残念なのが、その動き。なれない継ぎ足にはさすがの海老蔵さんも苦労していることがよくわかるが、そこに気をとられて動きがどうもぎこちない。きまりきまりはさすがに素晴らしいのだが、そこにいくまでの動きがいまひとつなので、こちらの気持ちが入り込めない。まあ誰がやってもこの『暫』の景政の動きがピッタリはまるようにできないのだが、期待していただけにちょっと残念。
 それにしてもいつもおもうのだが、なんで武衡が乗っている台がまるで孫悟空のきんとん雲のように、するする横に動くのだ!!少なくとも江戸時代は今の歌舞伎座の半分ほどの間口しかなかったはずだが、そんな演出があったのだろうか。なんとも御都合主義で気に入らない。もうひとつ気になったこと。腹出しが立つ時、他の四人は肩幅に足をひろげて立っており、左團次さんだけが束に立っていたのだが(それも両のかかとをつけるという不細工なものであるが)、ほんとうはどっちが正しいのだろう。芝翫さんが立派。時蔵さんも好演。三津五郎さんは元気なし(さすがに弁慶と宗五郎はしんどいか)。
 つぎが『紅葉狩』、なぜこの演目が選ばれたのか、九代目團十郎に敬意を表してかどうかは知らないが、どうもピンとこない。出色だったのか菊之助さんの山神。身体の柄がピッタリで、さらにきびきびした動きが素晴らしかった。
 最後に『伊勢音頭』。梅玉さんが團十郎さんの代役で貢。無難であるが、『三番叟』から『紅葉狩』の維茂、と続くとさすがに食傷気味になる。ここでは芝翫さんの万野が最高。意地悪な感じが身体全体からにじみ出ている。しかし、なんで万野はあそこまで貢をいじめるのだろうか、その理由が舞台からはわからない。田之助さんのお鹿はもう何度目だろうか。魁春さんのお紺はきれいで、情がありなかなかの出来。そしてまたしても残念だったのが、海老蔵さんの喜助。ぜんぜん料理人みえない。いきも悪い。身体を全体にもてあましているようにみえる。非常にかっこいい役柄なので、はまり役だと考えていたのだが、なんだかただの堀越孝俊くんに見えてしまうのはなぜだろうか。
 團十郎さんの病気というアクシデントが影響しているのであろうが、全体的には期待していたほどの興奮もワクワク感もなく、ちょっと残念な舞台であった。来週千秋楽に見にいく夜の部に期待しよう。










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