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2006/02/05
スクールで3連勝 この日はスクールで3連勝。これで次回2勝2敗で1級昇級だ。なんだかずいぶん強くなってきたようだ。 |
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2006/01/22
スクール1級まであと5勝2敗 スクール丸3年で初段の夢はついえたが、今度は3年生の内に初段という目標を掲げて努力させることにして3ヶ月あまり。残念ながらそれも困難な状況にはなってきたが、今月はほとんど負けずに、よいとこどり5勝1敗。1級には7連勝か10勝3敗で昇級なので残り5勝2敗でよいわけだ。 |
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2006/01/07
恵比寿SHOGI CLUB 去年の11月から、元奨励会二段の島村健一さんが恵比寿ではじめた将棋教室、『恵比寿SHOGI CLUB』にちびは時々通うようになったが、この日は話題の瀬川四段が指導に参加。さらにこの日は囲碁将棋チャンネルでおなじみのつるの剛士さんが将棋道場を訪問するTSR2005 将棋列伝の収録も同時に行われた。 |
収録風景 |
| じつはこの日のつるのさんの対局相手2人は、わたしの将棋仲間。ちょっと厳しいかなと思っていたら、2人ともしっかりと勝利。いや〜めでたい。 ちびは瀬川四段にしっかりと二枚落ちを負かされ、その後は撮影の裏で大盤を一人で並べて遊んでいた。3月8日現在(そのうち変わるだろうけど)『恵比寿SHOGI CLUB』サイトのトップページにちびの対局姿が使われています。(ちび、大喜び) |
| 例年通り2005年に出場した大会の成績紹介 |
| 2005.03.13 | 第2回渋谷区子ども 将棋大会 |
去年に続いて、渋谷区の小・中学生による個人戦に参加。 しかし、参加者は小学生16人に、中学生3人という寂しさ。そのなかでちびは午前中3連勝、午後は去年も負けた研修会員に惨敗。続いて中学生にも負けたが、最後は踏ん張って4勝2敗。4勝の中味でなんと3位入賞となったのだから大変。生まれてはじめて賞状とメダルをもらってゴキゲン。ちょっとした自信になったことであろう |
| 2005.04.29 | 第3回国立こども将棋大会 |
指導棋士の池辺さん、小田切さんが主催する小学生大会に初参加。例年参加していた都庁の大会に抽選ではずれため、こちらに参加させてもらった。ちびはCクラス(4・5・6級クラス?)に登録。しかし、あっという間に2連敗。どうも遠くから見ていると、お得意のホイホイ指し(何も考えず相手に合わせてホイホイ指してしまうちびの悪い癖)をしていたようなので、ちったあ考えろ、とつかまえて活を入れた。するとなんとなんと、そのあとは不戦勝を含んで5連勝で3位になってしまった。最後は全勝だった子に勝ったので、前半の不用意な負けがなければ優勝の可能性もあったようだ。 |
| 2005.08.01 | 松坂屋こども将棋大会 | 夏の恒例、松坂屋の大会に初参加。低学年の部で何とか予選突破とおもったが、●○●で、あっけなく敗退。スクール3級、道場4級になっていたので期待していたのだが、当たった相手が強すぎたようだ。残念。 |
| 2005.08.08 | 東急こども将棋大会 |
3年に連続一番弱い初級クラスにエントリー。さすがに予選は2連勝で突破。屋上で昼食を食べてのぞんだ本戦1回戦。必敗の形であったが、相手が詰みを見逃した上、詰む方に逃げて辛勝。ベスト16に。あと2回勝てば3位だと思っていたら、スクールでも顔なじみの双子の女の子の一人にあっさり敗退。がっかり。 |
![]() 初の3位に喜ぶちび |
![]() 国立大会の様子 |
![]() 東急大会の様子 |
| 2004.09.04 | 第9回みんなで将棋! | これも昨年同様東京都児童会館で行わる大会、今年は4〜6級の3組にエントリー。 しかし、成績は2勝3敗。まだまだ弱い。 |
| 2004.11.03 | 親子ふれあい将棋教室 | 米長会長の肝煎りで行われている、都庁の親子ふれあい将棋教室に初参加。 この催しは大会ではなく、親子で協力して将棋を指すのが大きな目的らしい。ということで、最初の相手とはちびとわたしが一手交代で対局。相手は1級の子どもが一人で指す。なかなか強く、つい本気を出してしまう。ギリギリ勝ち。次は北浜七段との指導将棋。つい先日スクールで2級に昇級したちびは早速二枚落ちで挑戦。途中わたしのアドバイスもあって、二枚落ち初対局初勝利。 その後、スクールで顔見知りの女の子と対戦し、これはちびが一人で指して勝利。もう一組の親子にも勝って3連勝。 |
| 2005.11.26 | JTこども将棋大会 (東京大会) |
今年はJTの子ども大会としては一番最後に開催。場所は有明の東京ビッグサイト。これがまた広い広い。会場が一番奥だったので、歩いても歩いてもなかなか着かない。 ちびは当然低学年の部に参加。そして3連勝でついに予選突破。本人すっかりご満悦。しかし、本戦の抽選で1回戦を戦う4人の中に入ってしまい(残りの30人は2回戦から)、わたしの知らないうちに、パネルの裏でこっそり5分切れ負けで戦わされて、なんと時間切れ負け!!あと数手で相手は詰んでいたとちびは泣いていたが、予選を突破したのにその披露の場にも出られず、しかも大会規定にない5分切れ負けなどという理不尽なルールで(大体120手として、自分は半分の60手、それを5分で指すとはいうことは一手5秒ということだ。本戦は10分切れ負けのルール。)戦わせるとは、言語道断。戦う前に知っていたら厳重に抗議したのだが、終わってしまってはそれこそ後の祭り。しかし、大会運営を優先したこの処置には心底怒りを覚えた。大会前、礼儀正しくとかルールを守ってとか、会長始めお偉いさんたちがごたくをならべていたが、運営側で勝手にルールを破るなど、ひどすぎる。今思い出しても腹が立つ。 その後気を取り直したちびは、自由対局で12連勝。ほぼすべての消しゴム駒を集めて、すっかり機嫌は直っていた。低学年で決勝に残ったのは名古屋からの遠征少年と、去年のバンダイ棋神杯で優勝した埼玉の強豪少年。まあ、どのみちちびはよくても3回戦で姿を消していたことは間違いないのだが……。 |
| 2005.12.23 | U−18将棋大会 | 去年に続いて18歳以下の将棋大会に参加。場所も去年同様綾瀬の東京武道館。付き添いの家族は今年の方が多かったように見える。ちびはチャレンジャー大会Bクラス(上から4番目)に参加し、またもや○○○で予選通過。しかし今回も本戦一回戦であえなく敗退。一回勝てばベスト4だったので残念。 |
![]() すっかり機嫌が直って |
![]() 入賞を逃しがっかり |
| 秋口から急速に腕を上げはじめていることがわかる。これまでほとんど予選敗退だったのに、ほぼ実力に近いクラスに参加すれば、なんとか予選は突破できるようになってきた。もちろん上を見ればきりがなく、二段三段は当たり前、アマ四段クラスの小学三年生も結構いる。 負け惜しみのようにも聞こえるだろうが、この時期にあまり強くなるのも考えものである。というのもどうしても子どもは実力を勘違いし、ついついプロを目指してしまうのである。それが悪いとはいわないが、たとえ奨励会に入っても四段以上のプロになれるのは六人に一人。さらにトッププロとして活躍できるのはその中の10人に一人であろう。勝負の世界はあまりにも厳しい。 この年、瀬川さんの挑戦で話題になった将棋界も親の目でみると、決して子どもを入れたいと思う世界には思えないのだ。ちびにはアマ強豪を目指した方がかっこいいよ、と言い続けているのだが……。 |
たしかに、家ではほとんど練習しないし、 将棋の本など読んでる姿は見たこともないのだが……。かなりショックな一年であった。
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| 2004.03.20 | 千駄ヶ谷こども将棋大会 | 田中寅彦九段がボランティアで将棋を教えている千駄ヶ谷小学校で行われた、渋谷区の小学生による個人戦に参加。 研修会に参加しているこどもが3人もいて、さすがに相手にならず(そのうちの2人は翌年の夏に奨励会に入会)。ちびは3勝5敗。ただ同じ小学校の5年生2人に勝って満足していた。 |
| 2004.05.05 | 都庁こども将棋大会 | 去年は指導将棋だったので、今年は大会にエントリー。4組8級以下に参加したのだが、成績は5勝3敗で惜しくも入賞を逃す。それでも敢闘賞をもらって満足の様子。 |
| 2004.06.13 | バンダイ将棋大会 | 千駄ヶ谷の津田ホールで行われた大会。ちびははじめて2連勝で予選を通過。しかし、妻にメールしている間にあっという間に本戦1回戦負け。 |
| 2004.07.27 | JTこども将棋大会 (東京大会) |
去年は秋に行われた大会が、今年は夏の東京体育館で開催。3連勝で予選通過だが、ちびは○○●で惜しくも予選敗退。最後の相手はは三段のこどもだったようだ。その後の自由対局では7勝7敗。沢山消しゴムをゲット。高学年の準決勝は昨年の低学年優勝で、今年の小学生名人の佐々木勇気くんと石井健太郎くんが壮絶なたたき合いで、見ていて唖然とする。強すぎる。結局佐々木くんが勝ち、決勝の相手は永瀬拓也くん。この3人は8月の奨励会試験にそろって合格。いまも競うように昇級争いをしている。3人とも将来のA級候補で、なかでも佐々木くんは羽生・渡辺クラスの逸材であることは間違いないようだ。 |
| 2004.08.09 | 東急こども将棋大会 | 昨年に続いて一番弱いCクラスにエントリーしたが、あっという間に2連敗で予選敗退。なさけない。 |
| 2004.09.04 | 第8回みんなで将棋! | これも昨年同様東京都児童会館で行わる大会、下から2番目の5組にエントリー。 結果は4勝3敗。なんだか弱いなあ。 |
| 2004.11.14 | バンダイ棋神杯 | 春と同じバンダイ提供のこども大会。講談社の最上階の会議室で行われた。2勝通過2敗失格の予選で。○●●。高橋和女流二段が解説で参加。そのときの様子がこちらに書かれている。一緒の写真にちびの姿も写っており、その写真が講談社文庫の『女流棋士』にも使われている。 |
| 2004.12.23 | U−18将棋大会 | 今年からはじまった18歳以下の将棋大会。ちびは一番下のCクラスに参加するが、○●○で予選通過できず。場所が綾瀬の東京武道館であまりに遠いうえ、前の日に将棋仲間の例会と忘年会があり、しかもタクシーが拾えず大寝不足での付き添いで、疲労困憊。 |
| こうしてならべてみると、1年間にずいぶんいろいろな大会に参加させてもらったことがわかる。その大半が無料であり、企業や行政がお金を出して開催してくれていることがよくわかる。この一年、ちびの棋力はさほど上がらなかったが、こうした大会に参加することで、少しずつ勝負のおもしろさや悔しさを味わったことだろう。練習や勉強嫌いは困ったことだが、大会出場が励みになっていることは間違いない。 |
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| 2003.08.12 | 東急こども将棋大会 | 一番弱いCクラスにエントリーしたが、まず子供スクール3級の有名人K少年とぶつかり、あえなく敗戦。2戦目は女の子に敗れ、あっさり予選敗退。 | |
| 2003.09.06 | 第7回みんなで将棋! | 東京都児童会館で行われたこの大会、一番弱いクラスにエントリーし、午前中1勝5敗。しかし、なぜか午後になって連勝して5勝1敗と結局指し分け。勿論、なんの賞品もなし。参加賞がストップウォッチと豪華だった。 | |
| 2003.10.11 | JTこども将棋大会 (東京大会) | はじめて東京で開かれた大会に参加。場所は両国の国技館。ひろい会場いっぱいに子供が将棋盤を前にならび、はじめの合図で一斉にパチパチ駒音が響くのは壮観・壮音?であった。ちびは●○○で予選敗退。その後の自由対局では5勝6敗。将棋の駒の形をした消しゴムが大人気であった。 |
![]() 東京都児童会館の地下に集合した子どもたち |
![]() 自由対局を楽しむ(野島三段がにこやかに観戦) |
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2003/06/29
連続昇級 こんな調子で書いているとなかなか現在、に追いつけないのでここらあたりから、おお端折りで。前々回連盟道場デビューをはたしたちびは、前回早くも14級にあがり、この日は13級、12級と連続して昇級。スクールも9級に昇級した。 |
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2003/05/18
連盟道場でも指しはじめる 10級に昇級してはじめての子供スクール。きょうからはれて午後12時半のスタートになる。だいぶ気分的に楽だ。わたしは二段に昇段して三段とも対戦することになったが、この日は1勝1敗。まあ五分に戦える自信はあるのだが、相手が子どもだと大変だ。 今日の大異変はちびがとうとう道場でも指しはじめたことだ。スクールがある日は道場はタダという特典があり、これまで何回もやろうぜ、と勧めたのだがなんだか嫌がっていた。それが昇級したことが自信になったのか、これからヤル、という。まずは道場の認定を受けなければいけないが、みていたらひどいひどい。嬉しそうにホイッ!ホイッ!と指して、ボロ負け。なんと最低の15級認定となってしまった。それでも、同じような子どもたちが沢山いるので、本人は楽しそう。目標は初段だが、多分1000局程度指せば、なれるのではないかとおもいはじめる。 |
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2003/05/05
初の対外試合 そしてその翌日、はじめて子供スクール以外で開かれる、将棋大会にちびが参加した。東京都庁で開かれた「子供将棋大会」である。まだ対戦は無理だとおもったので、ちびが応募したのは指導将棋。なんといっても羽生竜王・名人が来るのだから、こんなチャンスは滅多にない。時間前からしっかりと出かけ、まずは羽生竜王・名人の講演を聴く。質疑応答の時間になるとなんとちびが手をあげるではないか。結局、何回目かに指名され、なんだか意図がよくわからない質問(飛車と角はどっちが大事?)をして、羽生竜王・名人をまごつかせていたのがおかしかったが、本人はいたって満足の様子。
そのあと、指導将棋となったが、残念ながら(申し訳ないです)お相手は竹部さゆり女流。ちびは八枚落ちを教わったが、飛車成を封じられて、あっという間に投了。きのうの焼肉パワー発揮はできなかった。それにしても、まだあたまが赤ちゃん。ちょっと違う手を指されるともうどうしてよいかわからなくなる。まだまだ先は長いと感じてしまう。しかし参加賞として、使用したソフト盤とプラスチック駒をいただき、ちびは結構ゴキゲン、わたしもなんだか得した気分になった。都庁の展望台に出かけたのははじめてであったが、見晴らし抜群。しかも無料なんだから利用しない手はない。ちかくにでかけたら、ぜひともあがってみてくださいな。 |
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2003/05/04
ついに昇級!! ついに、とうとう、やっと我が家のちびが10級に昇級した。おもえば去年の10月から、毎月2回の連盟通い。7ヶ月半かかって、11級から10級にあがったのである。初級クラス卒業証をもらい、ちびはもう大はしゃぎ。こんなに喜んだのは、生まれてはじめて自分で歩いたとき以来ではないだろうか。もう1日中踊りっぱなし、はしゃぎっぱなし、という躁状態が何日か続いた。13級くらいからはじめて少しずつ上がっていくのが本来なのだろうが、前にも書いたように、最初の認定でついついよい手を指してしまい、厳しい11級からのスタートとなってしまったのが、不運だった。冬が過ぎ、春になり、1年生になっても初心者クラスに延々と通う日々が続いたのだが、やはりその間にも少しずつ力をつけていたのだろうか、ようやく規定の勝ち星をあげて昇級となったわけだ。たぶん3月からはじめた三手詰めの練習も効果があったのだろう。 この日はわたしも天皇賞の万馬券を的中させ、両方のお祝いをかねて赤坂で焼肉となった。 |
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2003/04/26
ようやく二段に 土曜日のこの日、ひとりで連盟道場へ。多分これが昇段の最後のチャンスであろう。1回は負けてもよいが、そのあいだに4回勝たねばあがれない。4勝、4勝と頭の中で唱えながら対戦開始。初戦は高校生ぐらいのおにいちゃん。わたしのカードを見るなり、前回上がり損ねたと見破り、昇段規定が変わるのは厳しすぎると、話しかけてくる。ちょっとかわったこどもだ。盤面は横歩取りに進み、気がつくとどうしようもなく不利に。必死に抵抗するが、効果なくはやくも初戦で1敗。ひゃ〜〜、もうあとがない。なんともあっさり残り4連勝するしか昇段の可能性がなくなってしまった。 それからの3局はあまりよく覚えていない。すべて勝って12勝2敗、そこで当たったのが、ちびと同じくらい(あとで知ったのだが、この時小学2年生)のH少年。以前かれが初段の時に対戦し、早石田にあっけなく攻めつぶされたことを覚えており、いまや2段になっているH少年は最大の難敵といえるだろう。慎重に慎重に指してなんとか互角のまま中盤戦へ。突然H少年から鋭い攻めが放たれて、防戦におおわらわ。多少無理攻めの様子だったので、なんとか受けきって一瞬小康状態になったところで、軽い勝負手を指してみた。きちんと受けられればなんということもなかったのだが、少年がつい手拍子でその駒を取ったことから、一気に詰み形に。勝てる!!とおもった瞬間、激しく心臓が動きだすのがわかった。いくばくもなく、H少年が投了。わたしはカードをもって「昇段です」、とうわずった声をだした。手合い係が、星を慎重に勘定して二段の認定証を書いてくれた。 さらに、お祝いにすきな商品までもらえるという。迷わずマグネットの将棋盤駒をいただいた。 道場をあとにする時、あたりはもう夕闇に包まれようとしていた。興奮状態のわたしはそのひんやりとした空気を心地よく感じながら、さながら天下を取ったかのようにうきうきしながら千駄ヶ谷の駅にむかって歩きだした。 |
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2003/04/13
7連勝でストップ この日のこどもスクール、ちびは先生に八枚落ちで負けたものの、こども同士では2連勝。少しずつ勝てるようになってきている。 ところで6連勝のわたしはまずはこどもに勝って7連勝と昇段まであと1勝にせまっていた。そしてむかえた対戦相手は2段のおじさん。1段(級)差は下位者が先手ときまっている。相矢倉模様から、わたしが強引に攻めてかなり相手玉を追いつめた、とおもった時、大きな見落としがあって、肝心の攻め駒を抜かれて敗戦。ショックであった。勝ちきるまでは大変だが、相当有望とおもっていただけに、がっくり。しかしこのままおわってしまってはなんのために7連勝したのかわからない。スクールがおわったちびを連れて一度は家に戻り、再び連盟道場へ。結局その後2連勝で、通算9勝1敗。なんとかのこり4勝1敗で昇段というところまでこぎつけた。昇段規定変更まであと半月ほど、つぎに行く時が最後のチャンスになるだろう。 |
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2003/03/30
特別指導対局 年が改まって2002年、子供スクールのシステムがかわった。いままでは、低学年と高学年にわかれていたのだが、11級以下のこどもたちは全員初心者コースにはいることになったのだ。そして若干不満だったのは、その時間が1時間半に減らされてしまったことだ。まあこどもたちの集中力はその程度だとはおもうが、いままで2時間だったのが、同じ授業料で時間が減ることには疑問を感じたのだが、まあ10級に上がるまでのこととおもい、あまり気にしないことにした。 とはいっても、我が家のちびはどうしても勝てない。なんとかしたいのだが、ただ教えてもこちらがイライラするだけで、こどものためにならない。そこで考えたのが詰将棋。それまでもこども用の本をつかって盤上に並べてとかせていたのだが、コンピュータ将棋のソフトをつかえば、大量にいれられるし何度もつかえるし、コンピュータが相手にしてくれてこちらも楽、とおもって、三手詰をどんどんコンピュータにいれて1日5題を目標にとかせることにした。 最初のうちはなかなか簡単にはとけなかったのだが、ちょっとしたヒントをあたえると なんとかとける。ひとりでとけたときは、おおげさに褒めてやると本人は単純だからすごく喜ぶ。「よぉ!詰将棋の天才」なんていおうものなら、もうでれでれ。すっかりその気になってしまう。三月のはじめころからスタートして、さぼる日もあったがまあ三月末ころには50題を突破。少しずつ将棋の考え方が身に付いてきたようだ。 卒園式の準備などであわただしい日々を送っていた三月、ちびは風邪をひいたりしてとうとうスクールを一回欠席。そしてむかえた三十日、この日は特別授業で先崎八段鈴木八段をはじめ、スクールの先生方とは別の現役の棋士たちが特別講師となってこどもたちを指導してくれる春休み特別企画がおこなわれた。ちびはまっさきに先崎八段にならってかるく粉砕されたが、嬉しかったのはその様子を記録した写真がスクールのホームページに掲載されたこと。数十枚が公開され、そのなかに小さくはあったが、ちびとわかる姿が何点か写っていた。「オオいたいた!!」と親子共々大喜び。なかでも先崎八段との対局の様子はバッチリ顔が写っていて大満足。これまで半年、毎回2〜4枚ほどの写真が掲載されていたのだが、残念ながらこれまで一回もちびが写っていたことはなく、少々残念におもっていたところだったので、一挙に5〜6点の写真が見られて二人で大はしゃぎとなった訳だ。 (じつはその写真、ついこの間までみられたのだが、リニューアルされてリンクから消えてしまった。なんとも残念である。復活を望む) ところで私の方にも問題が発生していた。連盟道場での対戦はまあこどもがスクールの授業を受けている間の時間つぶしとおもっていたのだが、やはり負けるのは悔しいのでがんばっているうちに、二段昇段の目がでてきた。初段から二段へは8連勝か13勝2敗であがれるのだが、なんとこの日三連勝で合わせて6連勝となったのだ。あと2回勝てば昇段できる、さらに5月1日から昇段規定が変更され、12連勝か16勝2敗へと厳しくなる。この機会を逃したらなかなか上がることは出来ない。時間つぶしのはずが、なんだか真剣勝負の場にかわっていくのを感じていた。 忘れそうになったが、この日子供スクールで、面白いことがあった。あくまでもちびの報告である。ちびは先崎八段との八枚落ちで負け、高野四段との八枚落ちにも負け、大平四段との六枚落ちに勝ち(しっかり負けてくれたようだ)、その後たぶん今日体験入学にきた、同年齢か1歳下の男の子と対戦した。 …… ペチ、ペチと指すうちに、どうやら相手はかなり弱かったようで、ちびの勝ち筋。 ちび ペチ。(これで勝ったかな。早くまいりましたっていわないかな…) 相手 (じっと考えて、どうやら負けたことがわかったようで、頭を下げながら) ごちそうさま!!! ちび ???あちゃ!!将棋を食べたんかぁ???(といったらしい) その後、再度その子と対戦させられたちびは、駒を並べ終わったら、頭を下げて…… ちび いただきます! 相手 いただきます! もう腹を抱えて笑ってしまいました。この二人、はたしてどんな将棋人生を送ることになるのでしょうか……? |
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2002/12/22
クリスマス会 10月から正式にかよいはじめて三ヶ月、どうやら我が家のちびは苦戦をしいられているようだった。スクールが終わるたびに成績をきくのだが、たまに先生に勝つくらいで、こども同士ではほとんど勝てない状態がつづいていた。いくらこどものあそびといっても、勝負事は負けてばかりでは面白い訳がない。 しらない人もいるかもしれないので、スクールのシステムを紹介すると、前半の30分くらいは先生の講義。かんたんな詰将棋や玉の囲い方などお手製のテキストをつかい、大盤解説をまじえて、ポイントを教えてくれる。それがおわると、短い休憩時間があって、生徒同士の対局である。基本は平手。指し手の早い子は1時間あまりのうちに5局も6局も指す。月に一度は講師の先生との指導対局もある。11級は八枚落ち。4連勝か、先生が認めてくれれば10級に昇級できる。多く指せば勝つチャンスも多くなるのだが、最初のうちは、我が家のちびは3局指すのがやっとのようであった。 親というものは愚かなもので、これまでいろいろ教えたから分かっているもの、とつい我が子の能力を過大評価してしまうのだが、まだ幼稚園児。天才的な理解力のこどもは別にして、複雑な将棋のかけひきを理解するのはまだまだ無理のようであった。しかもクラスが2つぐらい上に認定されていたので、勝てなくても当然なのだ。とはいってもいまさらクラスを下げてもらう訳にもいかない。スクールに通うことがイヤにおもえることもあったようだが、そんなときによいタイミングでスクールのクリスマス会がおこなわれた。日頃ちょっぴり怖い先生方が、サンタさんの格好やトナカイさん、ひょうきんなS先生はなんと看護婦さんに変身して、こどもたちを楽しませてくれた(子供スクールの中の日記のページをどんどんさかのぼると12月22日の日記が出てきます。そこから写真にリンクしています→これを書いたあとで、スクールのホームページがリフォームされ、古い記事や写真などはすべて削除されてしまいました。相当残念です。できれば復活してほしいものです)。 残念ながら、よい景品は当たらなかったが、お菓子や手品のおもちゃなどをもらって、とりあえずちびは満足してこの日は家路についたのであった。 そのころわたしは、連盟の道場で初段、二段相手にほぼ互角の成績。なにしろスクールのある日だからこどもがやたらに多い。スクールの1級、2級程度が道場では初段・二段クラスでこれがまた日に日に強くなる、伸び盛りなのだ。かれらにとって現在の段は単なる通過点にすぎない、とはわたしの友人のことばだが、まさに言い得て妙であり、わたし自身がそのことばを身をもって体験していた。 |
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2002/09/15
そもそものはじまり 歌舞伎も好きだが将棋も好きである。歌舞伎は中年以降からこりはじめたが、将棋は五歳頃から指していた。教えてくれたおじさんが大山康晴ばりの四間飛車のつかいてで、そのせいかこちらは居飛車一辺倒であった。 昭和35〜6年ごろ、連盟ではじめたこども向けの将棋教室に参加し、小学生低学年で生意気にもA級を張っていた(このころの話はまた別の機会にふれる)。高校時代はたまたま将棋好きの同級生がいたことから、将棋同好会にはいって都大会の予選に参加したこともある(といってもあっというまに一回戦で負けちゃったけど)。高校卒業後は、その友人とときどき指すことはあったが、いつしか盤にむかうことはすくなくなっていた。 ところが数年前、大学の同級生にさそわれて新宿の有名な将棋スナックで対戦し(そのときは矢倉中飛車で攻めつぶされた)、あわせてインターネットの将棋道場をおしえられたことがきっかけで、ふたたび将棋にめざめてしまった。 そこに我が家のちびが登場する。もともと男の子がうまれたら将棋をおしえよう、とおもうのは将棋おやじのはかない夢だが(ちなみに野球おやじはキャッチボール、最近の若い父親はサッカーボールでも一緒に蹴りたいとおもうのだろうか)、たまたまこちらが夢中になったときと、こどもに教えてみようとおもうときのタイミングがあってしまったのが彼にとって災難だったのだろうか。
右の写真は2001年5月、ちびが4歳のときである。いちおう駒の並べ方や動きは理解したところである。しかしこのころ、かれとあそぶときの大半はまわり将棋であった。それから1年5ヶ月後、ちびは父がかよったこともある将棋連盟のこども将棋スクールにかようことになった。その体験入学がこの9月15日である。 このとき、先生と指した八枚落ちで、ちょっといい手を指したことから、11級と認定されてしまった。これが苦難のはじまりであった。 同時に連盟の道場で指しはじめたわたしは、こどもたちに苦戦。何回かかよったのちに 初段に認定された。ここからわたしの必死の戦いがはじまる。そう、対局必誌のスタートである。 |