モンゴル国


●概要
●歴史
●経済
●自然
●教育

●概要
正式国名  モンゴル国
地理
ロシア、カザフ、中国に囲まれ北東アジアの内陸部に位置する。国土面積は156万6500平方キロメートル、日本の約4倍にあたる。南西部には4000m級のアルタイ山脈、北西部から中央部にかけてはハンガイ山脈が連なっている。山地部には内陸湖や川が多く、南にはモンゴル高原とゴビ砂漠があります。ちなみにゴビ砂漠とはモンゴル語で「まばらな短い草が生えている土地」を意味する。砂漠と言っても山、森林、オアシス、砂地、平原などと自然景観は変化に富む。中部から東部は草原地帯になっている。
人口
約230万人。人口密度は1.35人/平方キロメートル。首都ウランバートルには全人口の約4分の1にあたる約60万人が集中している。
人種
代表的な集団はハルハ・モンゴル人で全人口の約95%を占める。他にはバヤド、ドゥルベッド、ミャンガド、ウールド、トルゴート、ザハチンなどのモンゴル系集団や漢人、ウイグル人、カザフ人、ロシア人が存在する。
言語
公用語はハルハ・モンゴル語。表記に関しては50年間にわたり、公用文字であったキリル文字と独自のモンゴル文字を使用する。モンゴルも字は左から右へ縦につづる。
首都
ウランバートル。「赤い英雄」を意味する。高層住宅化が進んでいるが、伝統的家屋ゲルを好む人々も多く、ウランバートル内にもゲルが立っている。
気候
年間の晴天の日の数は250日に上る。雨量は少なく、気温の日格差、年格差が大きく厳しい気候である。最高気温は40度にいたる一方で最低気温はマイナス40度に及ぶ。春は大風が吹く季節で、6月から9月は雨季にあたる。ウランバートルの7月の平均気温は17度、一月の平均気温はマイナス26度。

●歴史
太古
2億4000万年前、現在のモンゴル高原が出来上がる。最初の住人は白亜紀の恐竜だった。モンゴルは世界で有数の恐竜化石の宝庫。
帝国以前〜帝国、そして崩壊
人類の歴史は新石器時代の細石器出土から始まる。
紀元前3世紀頃匈奴がモンゴル高原の遊牧民族を統一、騎馬民族国家を確立。
南制を繰り返し、当時の中国の隋、唐を脅かす。
9世紀頃匈奴の後、騎馬民族は分裂し、モンゴル系及びトルコ系遊牧民の間で勢力争いが繰り返される。
9世紀中頃抗争が一段落し、トルコ系遊牧民が西へ移動。
かわってこの地に移動してきたのが「蒙古」と呼ばれたモンゴル系遊牧民であった。
12世紀末テムジン(チンギスハーンの幼名)現れる
1206年テムジンはチンギスハーンとなり、モンゴル帝国を建国。
1235年第二代オゴダイ・ハーンはヨーロッパに遠征し国土を広げ
カラコルムにこの年、壮麗な宮殿を構える都を建設した。
1275年第五代フビライ・ハーンは東は朝鮮半島から西は中部ヨーロッパ、
北はシベリア、南はインドという広大な領土を治め、この年、中国の南宋を制圧し、元朝を確立。
1368年元朝は中国の明朝に破れモンゴル高原に撤退。
その後、18世紀半ばまで戦乱が続く。
1755年全モンゴルが満州人が中国に建てた清朝に支配される。
清朝の元で落ち着きをとりもどしたモンゴルでは各地に仏教寺院が建立され、ラマ僧も急増した。
その一方、清朝による搾取や圧迫の為、生活は苦しくなり、政治への不満は大きくなるが、
この時、ロシアはモンゴルに対し経済的援助かつ独立支援の動きを見せ始める。
社会主義国家樹立
1917年  ロシア革命によるソビエト政権樹立
1924年モンゴル人民党のスフバータルはソ連の援助により、中国軍を追い出すことに成功、
世界で第二番目の、アジアでは最初の社会主義国「モンゴル人民共和国」が誕生する。
「モンゴル国」へ
社会主義のもとでは旧ソ連同様、計画経済が実施された。同時に政治家たちの粛正なども行われ、民族主義的傾向は否定された。
1939年  ハルハ河戦争(ノモンハン事件)
1961年第二次世界大戦後は国家の近代化が進められ、この年国連に加入する。
1992年旧ソ連の崩壊に伴い、その影響はモンゴルにも及び、G.オチルバト書記長の下、
複数政党制度が導入され、P.オチルバトが大統領に選出される。
そしてこの年1月13日「モ ンゴル国憲法」が発効し、民主国家「モンゴル国」が誕生する。

●経済
−産業−
天然資源としては、金、銀、石炭、鉛、タングステン、モリブデン、錫、大理石、宝石類などで輸出全体の41%を占める。これらの資源を背景としてウランバートル、ダルハン、エルデネドでは軽工業が行われている。これまでは旧ソ連との合弁で採掘所、精製所などが建てられてきた。
人口の6倍と言われる羊やラクダ、山羊、馬などを中心とした牧畜業では、羊毛、カシミア、皮革加工、乳製品加工などがあり、輸出全体の39%を占める。レザー・ムートン加工縫製工場、ニット工場、絨毯工場、カシミア加工工場はウランバートル、ダルハンなどにある。
このほか、セメント工場、建築資材工場、酒製造工場、プラスチック成形工場、医薬品製造工場などがウランバートルを始め、地方都市にある。
農業は小麦、ジャガイモ、飼料などが中心で、植物油、米、砂糖などは輸入している。
−経済−
旧ソ連崩壊の影響と社会主義計画経済の破綻から、1989年以降の経済状態は悪化の一途をたどった。モンゴル政府は1990年に自由経済を導入し、国有企業の民有化、為替レートの自由化などを実施したが混乱は続いている。しかしGNPのマイナス成長も1992年を境に上向き状態となり国際通貨基金(IMF)も1993〜1996年の経済機構調整プログラムによる援助を実施するなど、安定と成長の兆しが見え始めた。
−日本との関係−
民主化と同時に、対外政策では日本を初めとするアジア各国との関係が強まり、特に日本への注目度が高まっている。日本を訪れるモンゴル人はこの1、2年で急増し、1991年にはウランバートルでは日本文化週間が行われ、時の海部首相がモンゴルを訪問した。またモンゴル支援国際会議が東京で開かれ、1993年にはジャスライ首相、細川首相の間で航空協定が調印され、「モンゴル鉄道輸送力整備計画」に対する円借款の供与が決定された。

●自然
モンゴルと言っても、草原ばかりではない。モンゴルは山、ステップ、砂漠、川と変化に富んだ自然の宝庫なのだ。
−山−
モンゴルには4000mを越える山が7つあり、そのうちの5つがアルタイ山脈にある。これらの山には氷河があり、代表的なボターニン氷河は幅2〜3キロ、長さ20キロに及ぶ。
国の中央部ザブハン県にあるオトゴンテンゲル山(4031m)は古くから歌に歌われ、モンゴル人に大変親しまれている。
−ゴビ−
いわゆる砂漠だけでなく、森林、泉、大草原と言ったさまざまな生態圏をもつこの地域には、ナキウサギ、山岳山羊、野生のヤクといった珍しい動物や高山植物がみられる。
−川−
太平洋に注ぐヘルレン、オノン川の水系と、バイカル湖、北氷洋に注ぐ、オルホン、セレンゲ川の水系、及び自然に消滅してしまうホブド川の3種類がある。様々な川魚が生息し、イトウなども多い。
−化石−
ゴビは世界有数の中世代白亜紀層の恐竜化石の宝庫である。発見された恐竜はイグアノドン、シッタコサウルス、タルボサウルスなど6種類にのぼり、これらの化石はウランバートルの国立中央博物館に展示されている。恐竜の卵も多数発見されており、孵化したばかりで蛙のような顔をしたプロトセラプスの子供の化石などもある。

●教育
−教育制度−
義務教育は8歳から16歳まで。日本の高校に当たるのが16歳から18歳までの学校で、飛び級制度もある。大学は国立大学7校、私立大学18校(1992年現在)があり、学校の数は増え続けている。
12歳から始まる外国語授業は英語、フランス語、ドイツ語、日本語などから選択、履修する。1991年からはモンゴル文字が導入され、必修科目になっている。
−モンゴル文字−
1941年以来約50年間、ロシアのキリル文字が公用文字とされてきたが、民主化と共に伝統的モンゴルを復活させようという気運が高まり、将来モンゴル文字を公用文字化する動きもある。社会人の中にもモンゴル文字を書けない人がいるなど当初混乱もあったが、民族文化復興の為にと、積極的に勉強会を開くなどの動きも見られ、モンゴル文字の定着はゆっくりではあるが、徐々に進んでいると言える。

以上、在日モンゴル大使館発行「モンゴル国スペシャルガイド」からの引用(一部修正)しました。