出立前日。知人の交通事故処理に付き合わされててんてこ舞い。
一時は出発はキャンセルかということにも成りかねなかった。
[ 2005年7月29日] そんなこんなで慌ただしい出発であった。
千歳空港の銀行窓口で10万円を300ドルづつ三ッに分割両替する。こんなに使わないだろうけど、何かトラブルの時には必要かなと思い両替した。これでようやく支度は完了。
今日は暑い。30度Cはある。空が青い。雲ひとつ無いって感じ。
荷物は相当に重い。20Kgは超えている。手持ち用に一部が外れるタイプのバッグで便利だ。
搭乗手続きと本体バッグを空港に預ける。
PM2時25分、千歳空港を離陸。関空まで1時間40分のフライトだ。右翼にJA8986.の文字と日の丸マーク。「NO STEP」と描いてある。こんなところに誰が乗るんだ?
北の空の下に映える緑の大地。翼の下を楽しんでいるとゴルフ場のバリカン跡が痛々しい。
子供の頃の頭の禿を思い出した。醜くて哀しいな。
空気は青白く湿気を含んでいるようだ。
 下界が下方の分厚い雲の間から所々に現れてきた。やはり台風の影響かな。
明日はどうなるのだろう。雲海の中にそびえる雲の城。天海は白い大地のようだ。
午後3時48分降下開始雲海の中に突入。
 どうも翼の「NO STEP」が気になる。諸君子供の頃、模型飛行機を作ったことはあるか。
翼がペリペリと折れて墜落しただろう。こんな薄っぺらな翼が気流のコブにゴツゴツ打ち付けられながらよく折れないものだ。そのうちベリッとひび割れしてポキっと取れてしまわないかと心配になってくる。
午後4時、大阪湾上空、大きく右旋回しながら下降。薄汚れた大気の中へ。海上にはこの機影が見える。そこに大型船が航跡を拡げて行く。
海の上の座布団空港に到着、まるで着水するようだ。16時10分着地。
でかいリュックを背負いJRの臨海線ホームに向かう。今夜の宿泊は「日根野」駅近くのホテルだ。17時日根野駅到着。暑い、背中の荷物が肩に食い込む。ひなびた田舎町に臨海線の関連で立てられた14階建てのホテル。この辺は摂津?といわれたところ。周りは水田も残る新開地という風情。
食事がてら買い物を、と店屋が無い!ちょっと離れたジャスコまで足を伸ばし、ウォッシュテッシュ、ミネラルウォータ、カップめんや雑炊カップなどのレトルト食品を買い込む。もう、バックに入りきるかなぁ?
ジャスコ前のレストラン「膳屋」で生ビール・釜めしで夕食を取る。こんな食事は旅行中はもうないだろうなぁと思いながら生ビール2杯目を注文。

[ 7月30日午前7時18分起床] まずい2度寝してしまった。なかなか寝付かれなかったせいだ。慌ててホテルの朝食をとる。8時16分日根野駅を出発。関空国際線搭乗口へ、誰も来ていない。一応搭乗手続きをする。係員の指示にしたがって手荷物預り所B-10ゲートへ。違う、Hゲートだって。おいおい、一番端っこじゃないか。もう一度戻って先ほどの係員に確認しに戻る。違うところへ荷物を送られてもとんでもないことになってしまう。
重い荷物をひきづりHゲートへ。受付開始は9時からだって。はぁーっ。
今回の旅行の相方とは9時15分待ち合わせ。もう時間が無い。また元に戻る。荷物が重い。
Kさんと初顔合わせ。顔一面におひげが黒々と、かっこいい。目がとても優しそう。
挨拶を交わし二言三言。フリーのカメラマンだ。今回は取材ではなくまったくプライベートな遊びだって。よかった、ホッとする。再び二人で手荷物預かりのHゲートへ。長い行列ができている。でも道連れがいると時間も気にならずいらいらしない。
機内持込の手荷物内には爪切りも駄目だって。K氏は小さな爪切りを取り出し、これも駄目といわれ再び航空機預け荷物の中に入れて再審査を受けに戻る。あぁ、素晴らしきかな日本のセキュリティ?(いや、これはモンゴル航空会社の受付だ。)
ようやく出国手続きも終り二人で出発の乾杯をビールで。お互いの近況などを紹介し合う。プロフィールの入った名刺を頂く。やはり初見通りの方のようだ。一気に打ち解ける。
 モンゴルにはもう一度行きたい派と二度と行きたくない派の二手にわかれるそうだ。モンゴルには二度目だそうです。いろいろとレクチャーを受ける。搭乗開始。

機名は「フビライハーン」号。成田からの便は「ジンギスカン」号だそうな。
パーサーが機内アナウンス。片言の日本語、いつも聞く国内線の英語アナウンスもこんな感じかなと思った。10時45分搭乗。機はハブを11時28分に出発したが、離陸は11時49分。
台風が近づいているせいか上昇は少しガタついた。巡航になって静かになった。
白雲が輝き薄ネズ色の雲が彩りを添えている。上空には美しい青空が広がっている。

私とK氏は上級シートクラスのすぐ後ろの席だがカーテンで仕切られているだけ。
足元が多少広く助かる。(足が長いから?)モンゴル航空の機内食は日本の空弁と大差なし。
多少質は落ちる。食後のせいかトイレに行く人たちがうろうろ狭い通路を交差している。
機内食サービスワゴンが通路を塞ぐため日本の紳士達はそれなりに我慢をしている。
しかし、恐れを知らぬ亡国の中年女性&若い女性(?)達は平気に前方の上級シートクラスのトイレで用を済ませてくる。お隣の男性ツアー客が小用で行きたいが一般トイレは後方で、まだ機内食サービスワゴンが通路を塞いでいる。私が前方のトイレを利用を勧める。間が悪く前方には別の客室乗務員と遭遇。やんわりと使用を断られる。仕方なく席に戻り。様子を見ていたら例の亡国の中年女性&若い女性(?)達はそんなことはお構いなく客室乗務員の目を盗んでは前方のトイレで用を済ませてくる。隣の男性客と顔を見合わせて苦笑い。
すると後部座席の老年配の男性がトイレに行きたくて立ち上がってうろうろ。前方のトイレへ行こうとするがやはり客室乗務員がいて要領悪くいつまでもうろうろしている。心配になってきたがようやく後部トイレが利用できた。モンゴル航空のサービスの悪さには疑問符?国営時代の特権意識か独占企業の弊害か?トイレとビジネスライクはサービス業のテーマ? 
機内食が出たところでモンゴル語の勉強。てなことを暇つぶしにやっているとそろそろウランバートル上空に差し掛かる。4時間ほどのフライトだった。お隣席は日蒙親善文化交流会の企画ツアーで参加の方でモンゴルには数回訪問されているらしく、私から見えない窓から下界の様子を解説してくれる。下には所々低い山並みや大きな河川が現れるがそこが何なのかは不明。ウランバートルに近づくにつれ緑の平地と小高い丘陵が見えてきた。幾筋もの同じような線がくねくねと交差する道が見えてきた。この大地は殆どが平地なので道はあっても悪いところを避けようとして自動車が勝手に迂回路をつくって走る。そのため一本道も何筋にも分かれたり合流したりしてナスカの地上絵の様子を呈するのだと教えてくれた。幾何学的というには余りにもおおらかな曲線の乱れ描きだ。車って良いものなのだろうか?これからあの線は更に増殖を重ねるのだろう。そして空からの訪問者はこれからもあれを見続けるのだろう。緑の大地がいたずら書きされているようだ。
[ 15時49分ウランバートル空港に着陸]
この空港は丘陵に沿って作られ離着陸面が少し傾斜を持っているらしい。
(早く離陸できるよう、また着陸の制動距離も短くする為という隣席の客の「うんちく」です。
本当かな?)

空港にはツアーの企画担当者である西村氏が出迎えてくれている。顔中お髭と長髪の毛だらけという感じ。多少短躯ながらがっしりとした話声の良く通る方で活人家というイメージがした。私とは初顔あわせだがずうっと以前からお付き合いのあるような親しみを覚えた。
短い挨拶の中でK氏は去年以来の再会である。

空港から我々の投宿ホテルの経営者で、モンゴルのツアー経営ウマ社(名前は聞き違えたか?)の社長さんがワゴン車で我々をホテルまで搬送。
西村氏の途中闊達なお話で余り周りの風景を眺めている暇がない。舗装道路も結構曲がりくねっており、凸凹しているようで体が振り回される。
町並みの中には、やはりスラムのような感じだが街なかは車も多く以前訪れたネパールほど貧弱じゃない。セダン系の小型車が多い。信号が少なくお互いがピーピーブーブー自己主張を張上げて走り回っている様子はやはりネパールと同じだ、後進国の交通事情なのだなと感じた。
中心街はそれなりに整備されていると思ったらそこは官庁街というか街の中心部であった。
大きなビルや官庁と思しき建築物がそこかしこに点在する。
西村氏の話では、モンゴルは、最近の選挙で与党・野党が拮抗し国政が定まっていないためいろんな部分で弊害が生じてきているらしい。 ふと日本のこれからのことが頭の隅をよぎった。a
日中帯はそれ程でもないが夜間は治安が良くないそうだ。街には結構人がうろついている感じだ。車は右側通行。危ない、何度か他車と接触しそうになる。そのたびにぴーぴー、ピーピー。ストレスが溜まるだろうな何て呑気なことを考えている日本人なのだ。
中心街を外れ少々小高いところへやってきた。瀟洒な建物があちこちに点在している感じ。
振興の住宅街?いや、ホテル街かも。メイン通を左折。中通りを少し上がるところにペンション風のホテルが。目的の投宿先である。O君という今年卒業した日本人大学生が出迎え、社長の奥様、かわいらしい息子さんとそれぞれ初見のご挨拶。
K氏がその息子に竹とんぼのお土産を渡す。しばしくつろぐ。そばで子供が竹とんぼで遊ぶ。
K氏が遊び方を教えている。子供好きのようだ。おひげの中のお目めが更に見えなくなる。
しばらくはシャワーも浴びれないようなので旅装を解く間ももどかしく二人とも体を洗う。
遅い夕食をとり就眠だ。なかなか寝付かれないまま明日の出発が五時頃なので早めに寝床に着く。爆沈した。

 [ 7月31日]、早朝薄暗く雨模様だ。荷物を積み我々を乗せていく車が来ない。
西村氏は昨夜、運転手にはモンゴルタイムではなくキチンと来るように云ってあったのにとボヤク間もなく古びたワゴン車が到着した。
運転手のシンジェイは結構いいお歳の様子。運転助手に娘婿のウヌルーバット(通称ウヌルー)、20代のガタイのいい好青年である。訊けば彼はドイツ留学していたので英語は出来ないがドイツ語はOKだという。???モンゴル語もドイツ語こっちには縁がない。まあいいだろうてなわけで出発だ。
ウランバートル郊外を抜ける頃には雨が落ちてきた。運転手のシンジェイがモンゴルでは雨は吉兆だ。と説明してくれる。
西村氏はモンゴル語に堪能だ。以前は通訳もやっていたらしい。彼の説明で、モンゴルには「垂直水平の思考」があるそうで、要するに天から降るものは大地に恵みをもたらし地に居るものがそれを水平展開するということのようだが西村氏にも未だ不確定な思考のようです。今後検証を進めたいと語ってくれた。
丘陵が続く。数年前この近辺で西村氏が牧民達の祝福を受けながら結婚式を挙げたのだそうです。それはにぎやかなお祭りだったそうです。円形のゲルが丘陵の蔭からそこかしこと点在する。ゲルの近くには必ず馬や牛、羊などが群れている。そう、ここはモンゴルなのだ。当分このような舗装道路が続くがそのうち舗装が切れ、ところどころというかあちこち穴だらけの、舗装道路よりましな未舗装道路(?)だけになるがこれほど揺れなくなると説明を受ける。
草原のような風景も、もう砂漠の中に入りつつあるということであった。滑らかに続く丘陵には殆ど木は生えて無い。モンゴルの気候のせいで南側の斜面はどうしても日中の直射日光があたるせいか水分が少なくなり育たない。どちらかというと北側斜面が保水的に樹木を育てる条件を備えると説明が続く。確かにところどころの丘陵の北斜面には低木らしきものが見える。しかしいつまでも禿山のような丘陵が稜線を重ねていく。
重く垂れ下がった雲を背景に大型の鳥が数羽飛び去っていく。車の音に驚いた若いアネハヅルの群れだと西村氏が説明をしてくれる。牧民のゲルの点在と共に、自然がありのままに共存している。
午前6時55分、一寸大きめの集落に到着。県庁所在地の「ゾーンモト」というところ。そこは通過し、ツアー第1番目の目的地「エイズハタ」に急ぐ。民間信仰の対象となっているところで足が悪いとか内臓の病気治癒を願って牧民達が訪れるところ。草原の中に大きな石「お母さんの石」呼ばれるものがあって信仰の結果、昔は青い布でぐるぐる巻きになっていたそうです。今は管理され社の中に入っており、いろいろなお供物で祭られている。
車中で西村さんの大声。タルバガン(プレーリードック?)が居た。そこに居る、と指差すが私には捉えられない。すばやく穴の中に入ってしまった。途中で一時休憩。道の周りには高山植物のような花々がそこかしこに咲いている。私には良く名前がわからない。
K氏の談話では、花の名前とか星座を知っていると女性にもてるんだそうです。そういうことならもっと早く覚えとくんだった。いまさら学習能力の劣ったこの頭脳では無理ってもんだ。ということはK氏はもてたということだと冷やかすと「いやいや」とご謙遜。
10時前に「エイズハタ」に到着。空が青い。いくつかの羊雲の合間を縫ってコバルトブルーに抜けていく。赤と青にペンキで塗られたチベット寺院を模したような社がポツンと丘陵の窪地に建てられている。周りに数台の車と、二つ、三つ点在するゲルに囲まれるように信仰の「お母さんの石」は祭られている。ふくよかな本当にモンゴル人の母というようなお顔とでっぷりとした体には幾重にも青い布や黄色い布に巻かれている。かろうじてお顔が拝見できる。数人の家族連れが左回りにお酒を振りまきながら周回し、中にはお札を「お母さんの石」にくくりつけている。皆一様に敬虔な祈りを一心に捧げている。お孫さんと思しき幼子をおばあちゃんが抱きながらお祈りを捧げている。祈りは万国共通だ。
旅の安全を祈願。

さあ、次に出発、と思ったら車がオーバーヒート気味でエンジン始動せず。シンジェイが先に歩いて行ってくれ、直したら追いかけるというのでぶらぶら歩き始める。いい天気だ。車に揺られ続けなのでいい気分転換だ。道端のヒヤシンスや大玉の瑠璃玉アザミを写真に取ったりしているとツアー助手のO君と同行の十八歳の女の子「ドルゴン」がじゃれあっている。「ドルゴン」という由来は「大人しくて清楚」という意味だそうです。親の意図に反しておきゃんでいたずら者でおしとやかには程遠い代物です。まあ十八歳では箸が転んでもの年頃でしょうから仕方は無いですね。
彼女の父親は病死だそうで、現在はおばあちゃんに育てられていたらしい。西村氏が死んだ息子さんと知り合いだった縁でおばあちゃんの息子代わりにお付き合いしているということで、ドルゴンにとっては小さいときから西村氏を親代わりに思っているようです。又、西村氏も本当の娘のように可愛がっていました。でも、お転婆だが頭がよくていろんなことを知っていた。知識欲も旺盛で今は日本語を覚えようと勉強中。今回は、そんな機会を彼女に与えるため西村氏が同行したらしく、我々おじさんには遠慮なく彼女に日本語で質問をしてやってと求められた。表情が豊かで可愛らしい彼女は、これからの辛い旅ではマスコットの役割を担ってくれそうだ。
 車を治してシンジェイが追いついた。草原が続く道を再び辿る。途中、又シンジェイが何か声を上げる。西村氏が、砂ねずみが車の進んでゆく前をすばやく横切っているようだと説明を受ける。ハムスターの原種みたいなねずみだ。砂漠地帯でもそこかしこに穴倉を作って住み着いていた。私は、運転中のシンジェイの後ろの座席で見えない。これは、後日、改めてウランバートルの博物館で剥製でお目にかかることになる。

 次なる目的地「イフガサリンチョロー(大いなる岩山)」を目指す。10時56分再び休憩。古い車にガタガタ道を揺られ続けるのはさすがにみんな辛そうだ。一様に眠っている。実は私は少しも眠くない。夜中の眠りと深い関係があるようだ。他の人は多少車酔いもあるらしい。それに、この爺さん(私のこと)、結構物好きで目新しいものには興味深々なのである。だから、皆が眠っても自分は眠りに誘われない。こんな貴重な経験はそうそう出来るもではないと思っているからである。
車が小高い丘陵の頂上で停車。降りて360度の地平線を見渡す。遠くに何か動いているものが見える。運転助手のウヌルーが、牧民がやってくると言っている。私には見えない。
といってる間もなく、はるかかなたの動くものは、どうやら馬の一群らしい。一人の遊牧民が馬を駆りながらようやく近づいてきた。遠い点が滲みになりそして騎馬姿が現れる。何ともいえないおおらかな気持ちを味わう。彼の牧民が我々の車に近づいてきた。ウヌルーと二言三言交わしている。運転手のシンジェイが声をかけ情報の交換をしている。人懐っこいというかそういう風習なのかはわからない。放牧地から放牧地へ野営しながらの移動中(引越し?)なのだ。

彼と別れ再び車上となる。間もなく放牧の駱駝に遭遇。初ラクダだ。二コブラクダ。いいねぇ。姿・形がいい。砂漠のラクダ。絵になる。

所々でいろんな野生の動物に遭遇し始める。空を飛び立つイヌワシやノスリ(鷲の仲間)。
そして、西村さんがノスリの巣を見付け停車。親鳥は飛び去ったが雛鳥が二匹、ジッと巣にうずくまっている。大きく見開いた目をパチクリパチクリしながら迷惑そうだ。少しの間、写真に収める。そしてそこらに転がっている羽を記念にもらっていくことにした。車の通過する道筋から十数メートルと離れていない場所である。
西村さんはこのツアールートが通常のメイン道路から外れて裏道みたいなものだから余り車の通行量も少ないので鳥達も警戒心が薄いということだった。私にとっては本当に感嘆する思いだ。親鳥に悪いので早々に引き上げることとした。どこにも親鳥の羽影は見えない。でも必ずどこかで見守っているはずだ。

車を駆っていると、今度はウヌルーが鋭い声を発した。
西村さんが興奮気味に蒙古ガゼルが見えると指をさす。その方向を探すが私には見えない。ビデオを準備し最大に照準を合わせようとするが手が動いてしまいとても焦点が合わない。視界の蔭にチラッと茶色いものが移動したのを捕らえたがはっきりしない。 
しばし興奮のあと、再び静寂が訪れ車に揺られていると、今度は運転しているシンジェイが声を上げた。あそこを見ろと指差している。又、道の横に鳥の巣があった。今度は黒ハゲワシ(蒙古ハゲワシ)の巣だという。車を止めて巣に近づく。

先ほどの巣より更に道に近いとこにある。そこにも二羽の幼鳥が伏せていた。
でかい!1m近くある。コンドルの仔っ子だ。親鳥は見えない。はるか上空に居るのか全然見えない。と一羽の幼鳥が巣からとことこと逃げ出した。しかし数メートル先でうずくまる。
でかいでかい!!もうワクワクしっぱなしだ。嘴が多少黄色い。コンドルの幼鳥には髪の毛がある。変なところで感心する。やはり大きく見開いた目をパチクリパチクリしている。
ホンの数メートルまで近づきカメラに収める。コンドルの子供でも可愛い。やはり、親はどんなに醜くても、自然は子をいとおしくやさしく慈しめるように姿を形作るものなのだ。自然界を創造した神達はそこまで考えておられるのかと得心する。
再び目的地へ今日の行程は約280Km。17時過ぎ、ようやく第二の目的地イフガサリンチョロー(大いなる岩山)が見えてきた。まるで太古の地が忽然と姿を現したかのごとくアルタイ山脈の外れに作る赤土の奇岩群。それ程高くは無いが砂漠にの一隅に荒々しい地肌をを剥き出している。近づくにつれその造形は誰がセットしたかと思われるほど人知の意図を超える岩山の姿があった。今にも崩れ落ちそうに山のてっ辺に鎮座している丸い大きな岩。
まるで誰かが意図してポンと置いたかのようだ。

岩という岩のつなぎ目は長い侵食の歴史から複雑な刻み模様を縫っている。K氏はこれは隆起層だと思う。斜めに地層をなす形態は隆起層の特徴だ。確かにそうだとは思うが余りにも壮大な隆起群にしばし圧倒されてしまった。
風除けになる岩場の平地に野営することにして、助手のO君がK氏と私の二人のためにテントを設営してくれた。その中に寝袋や枕代わりになるものを抛りこみ。寝床の準備をする。
他の人たちはと見ると別な場所に銀マットを引いてその上に寝袋を置いている。本当の野宿をするつもりだ。ドルゴンも二人と川の字に挟まれて寝るようだ。シンジェイとウヌルーも野宿の準備をしている。まるでそれが当たり前のように。
この旅行中、私は一寸不安もあり、さすがにテントの外では寝ることが出来なかった。逞しい。
旅装を解いて一段落する。私は水彩絵の具を取り出し近くの岩山をスケッチする。
描けない、余りにもその重みに圧倒されイメージをスケッチブックに書き取れない。
まるで萎縮してしまっている。なんちゅう絵だ。こりゃ人に見せられないなぁ。それ程に感動が強すぎるのかまだ信じられないのか素直にあらわせない。いじけている自分を感じてしまった。こりゃ止めようと一枚描いたところで中止した。
西村氏が岩山探検を提案してきた。ナキウサギが見つかるかもしれない。私の気持ちは高鳴った。一度はお目にかかりたいと思っていた動物にこんなところで逢えるかもしれないなんて何てことだ。お絵描きを早々に放り出して、早速、氏の後をついて岩山を登り始める。
高いところでも百メートル前後、急なところが多いが麓はは瓦礫と赤土のごろ土で意外と歩きやすい。西村氏の歩みが速い。O君はスニーカなので底が柔らかく一寸歩きにくそうだが元大学のスキー部、体力的には十分。私とK氏はさすがに遅れ気味。
最初の山合いを越えようとしたとき西村氏がナキウサギを発見するが私達には見えず逃げられてしまう。ナキウサギの習性では、夕暮れ時の風通しのいいところで暖を取るという。
そして必ず風下から近づかなければ逃げられてしまうという習性を知らないと泣きウサギは見つけられないと教えられる。
更に岩山の裾を迂回していると又、突然に西村さんが押し殺した興奮した声を上げて下方を指差した。何かなと見ると鹿のような数頭の群が見渡しのいい平地を走り抜けていく。みる間もなく岩の陰に隠れて見えなくなってしまった。あれはヤンギリ(平原ヤギ アイビックの種類)だという。それを追いかけていくがもう姿形も見えない。
西村氏は狩人のようにヤンギリが走り去った方角から次に現れそうな場所に移動すると言い出した。一旦岩場を下り足場のいい所で休憩を取っていると、西村氏が再び向かう側にそびえる急峻な岩山の頂上を指差している。
アルガリ(頂上近くの岩場に生息するアイビック)がいるという。私の目では見えない。K氏のビデオカメラのズームでも捕らえきれないようだ。何かがいるような感じがする。岩と岩の間にぼんやりと茶っぽいものがのぞき見える。背景の曇り空の中に多少の薄い茶色で点描したような物体が。目を凝らそうとしてよく見つめようとするがもう移動したらしい。
岩場を降りて平地を移動して探索するが何も見つからない。鳥の声や虫の声がナキウサギの鳴き声のように感ぜられる。
もう私の心臓は緊迫感で一杯となっている。薄闇が広がってたので岩場を伝って戻る。
シンジェイとウヌルードルゴンが準備をしてた食事も出来ていた。疲れているところで食べるうどんの煮込みみたいな夕食が旨い。缶ビールも温いが美味しい。お代わりをドルゴンが持ってきてくれた。それも綺麗に平らげた。ゴビの初日は曇り空。夕日は望めそうも無い。
西村氏が再度ナキウサギを探しに行こうと誘われる。缶ビールのほろ酔い気分でついて行く。
K氏は自重すると不参加。変わりにドルゴンが付いていく事になった。少し上りでも息が上がる。ナキウサギは見つからない。もう少し高いところに上ろうと提案されるが自分としては限界と感じリタイアを宣言する。薄闇も迫ってきているので西村氏も自重するといって本日の探検は打ち切りと下り始めると途中の斜面でアルガリの骨を見つける。

アルガリの骨 死んだアルガリの住処

写真でしか見たことの無い渦巻き状の大角ヤギの頭蓋骨。興奮させられる。
その上の岩場は丁度大角ヤギが生活していた様にぽっかりとした空間を形作っていた。
大方、狼にでも襲われたのだろうと西村氏は推測する。
ウヘー狼もいるのかよって云うと平原狼がいますよと平気な顔をして答える。
しかし西村氏にしても今まで狼に遭遇したのはたった一回だけだと説明を受けた。何かゾワゾワッとする。西村氏もこの大角を持ち帰りたいらしいが運搬のことを考え断念した。部屋飾りにしても結構映えるだろうな。
 [ 8月1日朝6時40分起床] 谷あいの見通しの悪いところに行って「排便」をする。
こんなときは女性は大変だなと思いながら開放感を堪能する。意外と気分が良い。
昨夜は多少風もあり一時雨も落ちていた。夜中にO君がテントに雨よけカバーをかけてくれた。
テントの天窓から雨が少々落ちてきていたので助かった。
また、窓の覆いをしないで寝たので風が吹き抜け、夜中に乾燥してノドがひりついた。
K氏もノドががらがらするという。いびきのせいかも?しかし、おおむね気持ちのよい寝心地であった。でも、外で寝ていた連中は寒そうな顔もせず元気な様子で立ち振る舞っている。
俺はワイルドな生活は出来ないな。彼らの逞しさを羨ましく感じ自分のひ弱さが恥ずかしい。
朝食後、後片付けをしながらペットボトルのゴミ拾い。するとシンジェイが余計なゴミは拾うなという。エコロジーなどは通じず。それは我々が捨てたゴミではないから拾う必要は無いと一蹴される。まあ、郷に入ってはということで従うことにしたがモンゴルの自然もこうして汚れていくのかとチョッピリ悲しい。私のエコロジストなど所詮は付け焼刃か?
朝の散歩がてらに探検に出かけることになった。今度は別のルートを選択。
一帯が険しい岩山で成り立っているまるで剣山ともいえる。
天に突き出た隆起岩。そして所々にはその頂に大岩を置いた状態や、今にも倒れてきそうなそそり立った屏風岩。翩々変化する様相を仰ぎ見ながら岩場を伝い歩く。
と突然黒ハゲワシが頭上を悠然と飛翔していく。
あわててデジカメを構えるが逆光だ。残念。

後からついてきたK氏が大きな羽の一片を拾ってきた。すわっコンドルの羽かと色めきたつがイヌワシの羽らしい。でも相当長い。4、50cm位有る。今までお目にかかったことが無いほどの大きさだ。風に羽を向かい合わせると風圧をかなり感じる。K氏はお土産にするといたくご満悦だ。ヤンギリもアルガリもなかなか見つからない。そろそろあきらめ掛けていると西村さんの歩行が止まった。岩山を左に回りこんだところにアルガリがいた。岩山の上のほうに子供がその下のほうに親の2頭がいた。岩山の間を岩伝いに移動している。K氏も西村さんも望遠と、ズームで勝負している。私のデジカメでは捉えきれない。双眼鏡で眺める。もうこの機会を逃しては一生お目にかかることの無い動物かと思うと感無量だ。一群は岩山の陰に消えていった。その陰を追いながら平地を移動する。

岩場から平地へ移動 50cmはあるね!

と、西村氏がO君に一番若いんだからあの岩山の向こう側を覗いて来いと指示する。
彼がさぁーと走っていく。急に私達に振り返り、さあ隠れようと言い出した。要するにO君をはめるのだ。もう、皆子供のような顔をしてそこかしこの岩陰に身を寄せる。
完全なる「かくれんぼ」だ。この年甲斐も無く(誰も見ていないよ)。
K氏の大きなおしりが抜き足差し足で岩の陰からO君をこっそり捉えようとビデオカメラを構える。もう完全にのめり込んでいる。それを私が背後からデジカメで撮る。いい被写体だ。
O君が戻ってくる。ぶらぶらと周りを見渡しながら我々の隠れているところを通り過ぎていった。もう、皆クスクスを堪えるのに必死だ。又、O君が引き返してきた。
後で種明かしすると。O君は我らが隠れている位置を知っていたらしい。
ハハーンと思ったけど、アルガリを探す方に夢中だったそうな。何のことは無い、ドルゴンがK氏の拾ってきたイヌワシの羽の先を岩陰の上からユラユラ見えていたそうな。まるでいたずらっ子の大人たち。他愛も無い。でも、豪快な岩山の中での久しぶりの鬼ごっこは楽しかった。

彼から見つかるな!! 獲物をねらうハンター どっちがいい被写体?

一行は大満足で戻ることにした。戻る途中一行から少し遅れて歩いていた私の目の前を大きな翼を広げた黒コンドルが岩山の上から滑空して先のほうの丘陵の陰に消えていった。
はやる気持ちを抑え、急いで追いかけた。息が上がる。はあはあいいながら黒コンドルの姿を探すが見当たらない。いるはずだ、どこかその辺に、しかし見つけられない。
一寸不安になって一行の方を振り返るとかなり離れてしまった。コンドルに立ち向かうのに一人では勇気がいる。もし襲ってきたらと妄想して一行の方に駆け戻った。いやあ残念だ。
でも、置いてけぼりも気持ちが悪い、肝っ玉の小さな自分を再発見して少し恥ずかしい。
一行に追いつくと、O君が岩場の上にちょこんと座っているナキウサギを発見した。
ようやく遭遇できた。愛らしい姿をようやく拝見できた。
そいつが岩の割れ目に引っ込むと更に前方の岩の上にもう一匹がこちらを向いている。

どうやらこちらは風下だ。
かれらの目はそれ程で無く、匂いには敏感なのだ。
盛んに上を向いて匂いをかぐ動作をしている。
チョッと大胆に近寄っても気がつかないようだ。
夕暮れ時に姿を現すのは暑い日差しを避け
涼しくなって来た頃が彼らの行動時期なのだろう。
やはり、動物の習性は知っていなければ会う
ことも適わないというところか。
私のデジカメでもその姿を捉えることが出来た。満足。

車の待っているところへ戻るが我々にはその方向がわからない。
西村氏が愉快そうに3人に帰路の方角を尋ねるが私を含め全員が不正解だった。
自然の中に身をおくということは如何に不如意なことかを思い知る。
こんなところに置き去りにされたら完全に流浪する。ゴビの砂漠で行方不明なんてしゃれにならない。西村氏の誘導で車に戻る途中の道すがら、あちこちの岩場の隙間からナキウサギが顔を出していた。逃げ込んだ岩を上からドンドンといたずらすると隠れていたナキウサギが慌てて違う岩場の隙間に逃げ込む。余りいじめないように気をつけるがこんなに沢山のナキウサギがいるなど驚きだ。北海道の大雪山系に絶滅種として大切に保護されていることを考えると私のしていることはほめられたことではないと反省する。 
西村氏が向かった方角にシンジェイ達が待っていた。途中、放牧中(?)のラクダの写真を撮るがシャイなやつが多くていいアングルで撮れない。ラクダって写真嫌いなんだ。

【写真】

写真を撮ろうとすると尻をむける 少し離れてこちらを伺うシャイなラクダ

少し遊びすぎた。もう二度と訪れる機会も無いことを思いながら11時10分「大いなる岩山」の地を
離れる。車の前方には見る間に限りない地平線の世界が広がってゆく。植生が変わり草の背が更に短くなってきた。地表が小石や砂や瓦礫交じりの砂漠に乗り入れて進む。
日が高まるにつれ暑さもぐんぐん上がる。途中二ヵ所ほど井戸のあるところで水汲みと水浴びをする。ここでも大人たちはお互いに水かけっこをする。
だんだん皆の気持ちもわかり打ち解け始めたのだろう。
西村氏の話では、モンゴル人は結構こういう冗談や悪ふざけが大好きだ、といってご自身も楽しんでいた。日本ではこんなことをやりたくても出来ないのは、この開放された大空の下だからこそなのかも知れない。私まで何かこうウキウキした気分になった。井戸の水が冷たくて気持ちがいい。
更に車を駆った先のもう一箇所の井戸ではかわらしい孫と一緒の老人(といっても逞しい)が水を汲み上げていた。ヤギの群れが次から次と樋溜りに集まってくる。私達も水を飲みたいと頼むと快く汲み上げてくれる。私が水をもらいにいこうとするとO君が馬の後ろには不用意に近づかないように注意された。
実はモンゴルの馬は遠慮なく蹴り上げるのだそうです。そういえば馬が横目で私を観察しているようだ。今回手持ちの水はペットボトル小サイズを3本ほど持ってきたがもう2本ほど飲み干してしまっていた。西村氏の話では何回もツアー客がきているが井戸水を飲んで下痢をしたということは余り記憶が無いということでを信用して井戸水を飲んでみた。
冷たくておいしい。積み込んで持ち歩いていて温くなった水なんて問題ないならない。
この熱砂の中で自然の恵みを感じた。

アルタイ山脈をはずれる山並みがはるか左手に遠くになってゆく。
もうこの辺からは更に植生が変わってきた。草の丈は更に短くなり、瓦礫を含む砂地の平地が増してゆく。慌ただしい移動でいろんな経験をすることが多く、そしていろんなことを忘れていく。なんでも書き留める。もうメモ帳は車に揺らてでミミズの這うような字がエジプト文字になってしまう。後で解読できるか不安だ。
途中に集落があった。ゴルバンサイハンという町。砂漠の中に突然あるってな感じの町だ。
ここで一旦休憩。実はシンジェイ達が食材の野菜を買い忘れていたらしくここで調達するということであった。道理で昨夜の夕食はお粗末だった。
その町の「スーパー」てな店があり玉ねぎとジャガイモ他いろんなものを購入。お菓子の中に相撲の絵柄のものがあった。物好きに3種類を購入。
後で食べたらビスケットのようなお菓子でチョッとづつ味が違うが基本的には同じ様なものだ。
車中ではウヌルーが好んでボリボリ食べていた。ソフトクリームが有る。皆食べるといい全員で食す。少しシャーベット状でこんな暑いところで食べるから美味しいのだろう。
ほんとに暑い、家の陰でモンゴル犬が寝そべっている。尻尾がモップのようだ。冬毛が全部抜け落ちていないようだ。尻尾だけに残っているのでモップのようにみえる。
(以前に冬毛で包まれた犬を見て、あれは犬ではないと言った客がいたそうです?まあ、オーバーに言えばそうなるのかな?)ここの食堂で昼食をとる事になった。
すぐできるということで待つことになったが1時間待たされた。例の如くモンゴルタイム(時間をキチンと守られない)もう慣れてきた。
公衆トイレが見える。恐る恐る用足しに覗く。汚いけど清潔。日本の田舎の便所よりよっぽど清潔。要するに使用状態はそれ程よろしくはないが乾燥状態のため、余り不愉快なほど匂わず、周辺もきれいに乾いている。自分の小水が滲み込んでゆく。食事は、餃子の大振りなやつで熱いのが美味しいと感じた。3個をぺろりと平らげた。少しぬるめのオレンジジュースで仕上げてさあ出発だ。

スーパーがあったよ スーパーの隣のレストランにあった相撲ポスター

スーパーの隣の家の前で、トラックに山盛り、 羊の刈り取った毛を積み上げていた。
これからどこぞへ運ぶのだろう。
まるで干草を積み上げるのと同じだ

13時40分、町を抜け出す。さらに暑くなってきた。陽炎が立ってきた。遠くの方にゲルが揺らいで見える。ゲルは一般的に窪地に風をよけて建てられる。だから、遠くにあるゲルは普通は見えない。それが見えるのは蜃気楼現象だと西村氏が解説してくれる。
途中、イナゴの数が増えてきた。車の窓を開けていると次から次と入ってくる。仕方なく窓を薄めに開ける。暑い。車に入る風は涼しいのだがそれを止めると途端に暑くなってしまう。 そういえば、船山馨さんの「石狩平野」にイナゴの大群が飛来空を覆い尽くす情景があった。大陸から飛来したらしい。この辺にはイナゴと思しきバッタが非常に多い。砂漠のあまり餌の有りそうも無いところに異常に生息している。大きさも種々で時々びっくりするような奴にもお目にかかった。西村氏もイナゴ飢饉みたいな話は初めて聴くらしく、そういえばイナゴの中には50m以上も空中を飛翔する類のものもいるらしいと教えてくれた。そんなのがあるとき異常に発生して大陸を移動して行くのだろう。
ガタガタと揺れ続ける。悪路が続く。くねくねと曲がりくねる道筋。食事の後でみんな眠気を誘われている。運転手の居眠り運転は無いのか。それはそうだよな。この道じゃ眠ってる余裕など無いよな。突然、シンジェイが叫び声を上げる。車と並走している黒ガゼル(ホジョウセンガゼルだったかな?)がぴょんぴょん跳ねながら走ってくる。車の目前を横切っていった。早い早い。この種類のほかに白ガゼル(サガンガゼル?蒙古ガゼル)というのもいるそうだ。
間もなく赤土の一帯に差し掛かる。ここは低木もあり、野生の動物のサンクチュアリになっている。ガゼルや野生化したロバが見つけられるということである。この低木の一帯をザグ林と呼んでいる。
この赤土は雨が降ると大変だろうと思われるような道筋だ。とまた急に目の前から黒ガゼルが数匹飛び跳ねて逃げていく。少し進むとウヌルーが指をさして声を上げている。西村氏がさかんに悔しがる。どうやら野生ロバが遠目を駆けていくようだ。私には赤土の土ぼこりしか見えない。西村氏は一年振りのご対面らしくカメラに収められないのを悔しがっている。モンゴルの生物形態を雑誌に載せようとしているらしい。
車はザグ林の中を進んでゆく。そこかしこにガゼルが逃げ出す。ザグ林は野生の宝庫。
ザグ林を抜けるとその向こうに見えている丘の岩穴群が今夜の宿営地だ。のはずが車は大きく左へ逸れていく。夕暮れの日差しに逆光しそうなので車を止めてもらう。アングル的に丁度いいなと思ってカメラを構えるとシンジェイ親父があそこは目的で無いと云う。
西村氏はそこが目的地だといってた手前、以前に来たときの記憶が曖昧なのでシンジェイの云うことに従うこととした。そこを通過した後、行けども行けども目的の宿営地が見付からない。
砂の丘陵が増えてきた。ワゴン車のパワーでは進めなくなってきた。とうとう、もう少しで平地に上れるという手前で車はエンスト状態になってしまった。タイヤは砂にめり込み、クランクを回すウヌルーも手を傷めてしまった。もうだめということで今夜はここでピバーグとなった。

21時、陽はもすぐ地平線にと見るが西の空は南側半分が黒い雲に覆われている。
22時をまわり東の空に月が昇った。満月前の楕円形のお月様だ。
今夜は野菜入りの肉うどんにするが、モンゴル人の味付けではだめだと西村氏が鍋奉行を始める。ここは意外と高地1700m以上あるらしい。従って鍋は圧力鍋のはずが蒸気が穴から洩れてピーピー云っている。
西村氏がこんなの圧力鍋とは云わんだろうとボヤク。野菜の玉葱とジャガイモ、人参も入れる。味は期待が出来そう。
トイレ(小)に立つ。丘陵の陰に行き放水しているとポン!という音がした。
戻ってみると、圧力鍋の蓋を取るときに弾けて鍋の中身を1/3ほど砂漠に食わしてしまった。
圧力鍋の役目をしていないと高をくくって蓋をはずそうとして弾けたのだ。
危うく鍋を支えた西村氏が手に火傷を負ってしまった。
やはり、野営にはどこかで危険が潜んでいる。油断は禁物である。
日中の気温はそれ程高くない。風も冷たく涼やかで過ごしやすい。
しかし、西村氏はいつもはこんなもんじゃないという。
23時25分就寝。月の光でなかなか寝付かれない。テントが耳元で風にあおられバタバタうるさく目を覚ます。3時20分だ。外はそろそろ朝なのか月の光なのか。少し冷えている。
シェラフにもぐる。今度は暑くて目が覚めた。4時50分だ。汗をかいているシェラフを開いてしばし体を冷やす。もうそろそろ起きようかな。でも、まだ皆は寝ているようだ。
6時40分、K氏の気配で目を覚ます。外は完全に明けていた。K氏に「おはようございます。ノドが乾きませんか。」夜中に水を何回か含んだ。やはり、ここは乾燥地帯。
シャッツを着替える。パンツはこのままだ。靴下はこのまま履きつぶしちゃえ。
髭が大分伸びた。シャワーを浴びたい。水がもったいないから顔も歯も洗えない。

[ 三日目だ。8時20分南西の空が暗い。] 軽い朝食後、平地へ上り西の空の様子を探る。
あちらはもう完全に雨が降っている様子だ。今回は何でこんなに寒いんだろうと西村氏。
小さな雨粒がパラパラ、風も少し出てきた。
今日は雨かなぁと見ていると、3CCDビデオカメラを三脚で固定設定していたK氏が私に虹が見えるぞとおしえてくれた。
なるほど、それ程鮮やかではないが黒雲を背景に地平上から立ち上がっている。
K氏はそれを撮ろうとしていたのだ。
がそのとき、その虹と平行に、少しはなれて稲妻が立った。すごい。虹と稲妻。
K氏をみると肯いている。
撮ったと尋ねると親指を立て、「ばっちり」と満足げに答えた。
小さな雨粒がパラパラ、風も少し出てきた。
すごい、やはりプロは違う。狙いどころがわれわれ素人とは違うのだ。
シンジェイは車の修理に没頭している。
いよいよ救助隊を編成だ。ウヌルーが単独で東北の方角へ。西村氏とドルゴンは、我々がやってきた方角の北西へ二手に分かれて出発していった。
残されたのは私とK氏、そして留守部隊としてシンジェイとO君だ。
なんとなく侘しい。することも無く周りをうろつく。
自分の小水が水に滲み込んで行った痕跡をデジカメに撮る。
はんかくさい。

ウンチのうんちく
ゴビでの排泄処理をご教授します。まず、水が無いから単にペーパーだけに頼ると拭き取る時に
完全さが得られません。出来売ればウォッシュペーパーなるものを持参するようお勧めします。
ちなみに拙者は3パック持参したが2パックも使いきりませんでした。
肉食の影響か。硬い塊になりやすく。ぽろぽろと出てくるので拭取りやすいのである。
丘陵の陰に回りこむと視界は完全に消えます。
従って人の目を気にする必要がなくなります。更に、用を足す前に、石ころ(こぶし大)を2、3個
用意します。その辺に転がっています。そして、ポケットの左右にトイレットペパーとウォッシュ
ペーパーを持参します。出来ればトイレットペーパーなどは紐につって首からぶら下げるとなお
宜しい。
用を足し終えると使用した紙類を先程の石ころで押さえます。そうしないと風で舞います。
運が悪いと自分にまとわりつきます。ご注意。
後は、大空を眺めながら気分爽快になれます。基本的に虫などもあまり居りませんが糞ころがしが
沢山いて掃除してくれます。以上ご参考にして下さい

シンジェイがエンジンを修理した。O君にクランクを回せという。グルングルンいいながらエンジンに点火した。やったァーっ。シンジェイは車の神様だ。どうやら電気系統の配線がどこかで切れていたらしい。それをシンジェイは粘り強く修理したのだ。
車は勢いを取り戻した。多少の坂道をどんどん登っていく。十分に休んだ働き者って感じ。車を上の平地まで運ぶ。平地に上がったところでシンジェイが遠くに戻ってくる西村氏とドルゴンを見つけた。
こちらからは高台になるので見通しはよいが私の目では見えない。そのうちにO君も確認した。
ようやく私の目でも確認出来た。しかし二人は多少方角をそれている。手を振って大声で合図を送り気がつく。12時40分。二人が戻った。
この二人は救助先が見つからず途中でトカゲをゲットして戻ってきたのだった。その辺にいるやつと違って精悍で結構すばやい動きのドラゴンという感じだ。小さいけど一丁前の顔をしている。しばしそいつと遊んで、ウヌルーを迎えに行くことになった。
しかし、運転するほども無くシンジェイが遠くに車影を見つけ、ウヌルーだという。
たまげた。本当に彼が数キロはなれたところのゲルの住人に頼んで軽トラックで救出にやってきたのだ。
程なく合流し、彼等は何事かを話し合っている。きっとお礼を言っているのだと思うのだがわれ等には細かいことが解らない。しばし歓談のような雰囲気で交流した後、又ウヌルーを載せて戻っていった。
「ウヌルーはどうしたの」と訊くと西村氏が彼らのゲルにウヌルーが気に入った女性がいるので戻った。後で迎えに行く。といわれてしまった。
??ウヌルーはシンジェイの娘婿だろうって言うと「モンゴルでは、浮気はバレなきゃ良いそうですよ」と西村氏。何か眉唾のような気がしてそれ以上深くは追求を止めた。
シンジェイが目的の地へ案内してくれるという。そこは、平地が侵食され赤い大地がコロラドのグランドキャニオンにまがいのリトルキャニオンとも云うような造形をかたどっているところに着いた。(モリンホルゴインツァブというらしい)中国にあるという火炎山を思い出す。
(西村氏は火炎山に行ったことがあるという。えぇーっ実際にあるんだ。本当に熱い山だそうです。行ってみたいですね。)

見下ろしてもそれ程深くは無い。遥か彼方から続いてきた平地がやおらここから、まるで神の意思のように急激に落ち込み侵食現象が始まっている。
おそらく何百年の単位でこれらの造形が作り続けられてきたのだろう。
シンジェイはその侵食の縁を車を駆る。余り縁には近づいて欲しくない。いつ崩れてもおかしくない砂交じりの瓦礫の地である。車を止めて恐る恐る覗き込む。
見た目よりは高さは無い。降りても行けそうだ。大地の造形を近くから撮りたくて伝い降りる。以外に足元はしっかりしており、降りやすい。十分に目的の場所まで降りて行けた。
戻ると、今度は若手のO君とドルゴンが寺院のような構造をした岩まで降りてゆく。
西村氏が写真を遠目から写すとき対象物が欲しいので行ってくれと要求したのである。

ドルゴンには日本語がよく通じないのを幸いにO君に知恵をつける。目的の場所に着いたら、ドルゴンをお姫様抱っこしろと。頭を掻きながら照れるO君。でも、目はまんざらでもなさそうだ。ドルゴンが後ろからO君に追いついた。こちらから「やれやれ」とけしかける。照れながらもドルゴンを抱き上げる。ドルゴンも初めはびっくりした様子だったが嬉しそうだ。
(これを契機にその後、度々西村氏からO君にけしかけられることになるのだがこの結末はどうなるのだろう?)
結局、昨夜の宿営地は本当はこの辺だったのだろう。昨夜の野営地とはさほど離れた場所ではなかった。チョッと惜しかったなぁ。シンジェイ。
ウヌルーを迎えに行くことになった。ウヌルーが向かった方角へ車を走らせる。道は何もついていないが途中から道路らしきところに差し掛かりそれに沿って進むと結構な丘陵を何個か越えたところでゲルが立っていた。
先ほどの軽トラックが見えた。ゲルの住人がウヌルーと共に現れた。どうやら、ゲルの中で休んでいけと誘われているらしい。お言葉に甘えてゲルの中へ。まったく見ず知らずのお宅を訪問した気持ちだ。ゲルの中は風通しもよく過ごしやすそうだ。結構、中はきれいに整理されている。
そのうちにティー(馬乳酒?)と、口に含むとごそごそするようなチーズを山盛りのお皿(大どんぶり)に盛ったのが出てきた。ティーは酸っぱいミルクの味。多少のアルコールがあるのだそうだ(4、5%?)。私は用心して余り飲まないようにした。
次にはモンゴルウォッカを勧められる。39度だそうだ。一口含むとアルコールの香りがいっぱいに、少し甘みを感じるが飲み込むと咽喉がカァーッとやけついた。これはさすがに飲み干せない。少し飲んで返杯する。K氏はさすがに飲み干している。
作法として物を受け取るときは右手で受け取りそのときには左手を右手の肘に軽く添えるのだそうです。わたしは、両手で受け取ってしまった。
更に薄い塩味の肉入りうどんが出される。食べるともう一杯とお代わりをくれる。嬉しくて涙がでそう?。女性や供達も顔を見せK氏のビデオやデジカメに写った自分達の姿を歓声を上げて見入っている。彼らにとって我々は始めての外国人なのだ。

確かに気のいい人たちで純朴な田舎の方達という感じでした。もう、今にも泊まっていけといわれんばかりの歓待でした。わざわざ我々の救難に手を差し伸べてくれただけでなくこのようにやさしく歓待してくれる心広くやさしい民族であることを私は感心するばかりです。
西村氏の解説では、ハプニングだったが普通のツァーではとても味わえない、生のモンゴルに出会えたわけで、これが特別なことではなく、厳しい生活環境で暮らす彼らにとってはまったく当たり前の行為なのだそうです。見返りを求めず。困ったときはお互い様の精神が無ければゴビでは生きていけないのです。私にとっては、この地を改めて見直さずにはいられませんでした。

この青いトラックで救助に来てくれた こころ優しき隣人たち

親愛の思いを残して次の目的地へ向かう。一路、方角は西へ。目的の場所は砂丘のところにあるウーズマンサン(温泉療養所)である。
そこは、日本からの援助で保養所施設が建っているそうで砂の中に体を埋めて温熱効果で治療を行なう、言ってみれば日本の湯治場らしきものなのだそうです。
少し走らせると遠くの地平に薄白茶っぽく盛り上がっているところが見えてきた。
青い空の落ち込む所へ一路まい進していく。白い砂丘が見えてきた。近づくにつれその近辺が丘陵をなしている。
砂丘が延々に続いているというほどでもないが大きな砂の小山がうねうねと見えてきた。ここがウーズマンサン。砂丘の麓に成る程、保養所らしき建物とゲルが数個見えてきた。
砂山の前に立ち、今回の私に目的である砂丘を撮る。生まれてはじめてみる砂丘というものに気持ちが高鳴る。砂丘の頂上に登りたくて、他の人にお構いなく私はどんどん登って行った。
後ろから、O君が左の方は女性客が裸で砂に埋もれ温熱治療しているから気をつけてと声をかけられる。そちらの方角には背を向けて更に上を目指して登る。粒子が細かい。稜線の向こう側についた。
  そこは、砂の中にところどころ岩の頭が顔を出しているような感じの光景が広がっている。燦燦と照り返す陽光の元、風に砂が流れていく。砂丘は更に上に登っている。風紋が美しい。
自分の足跡でそこを傷つけるのがいやでなるべく岩場のへりを伝い登る。後からK氏が登ってくる。
写真に撮るだろうから足跡は禁物だ。汗が流れるけど風が吹いているので気持ちがいい。
砂丘の頂上は更に先にあるが、一気には無理だ。途中で砂の稜線を観察すると薄い砂のグラディエーション。稜線に沿って風に飛ばされた砂が、毛羽立ったセータの表面のような様相を呈している。
風紋が一様の方向に立っている。うれしい。周りには誰もいない。上からは暑い太陽が。
これが砂漠だ。と妙に悦に入る。この陽射しが傾く時、この辺一帯はどんな色に染まるのだろう。
見たいなぁ。

背景の空と砂丘の稜線 風紋が判るかなぁ?

しかし、陽は高い。(日没は21時過ぎだ)そのときまでは居られない。
残念だけど仕方が無い。スケッチをする暇も無い。もう19時を回っている。さすがに暑くて車に戻る。興奮して砂山を歩き回り、スタミナを消耗してしまった。
皆集合してきたので、保養所の食堂で夕食を取る。
少し、疲れたがゆったりした気分だ。車の陰で陽射しを避けていたら、向こうのほうから一人の牧民が馬を駆ってやってきた。ボケッとして見ていたら彼は用事を終えて再び馬上の人となった。
馬のきびすを返してトロットで走り出した。砂丘の途切れたその向こう側に遥かに見える山並みを目指していくようだ。青い空に薄い緑茶色の草原をギャロップに変えて駆けていく。
何か引き寄せられるようにビデオカメラを構える。ワゴン車に体を固定して彼を追い続ける。
ズームアップの焦点が定まらないが何かカッコいい。途中カメラワークの中に野外トイレが入ってくる。それすらも映像の中では趣を提供している。かっこいいねぇ。まるでシェーンか小林明ってとこだね。くだらない気がしてきてカメラを止める。
さあ、出発だ。20時08分、陽はまだ落ちない。延々とうねうねと道を辿る。
少し、皆さんもお疲れ気味、さすがに私も疲れを覚えてウツラウツラしてしまう。陽が地平線を切った。途中、ゲルに立ち寄りネルグイ氏の近況を問う。ネルグイ氏も牧民であるが故に特定の場所に居るわけではないので情報通の牧民とて所在をはっきり知るわけではない。あちらのほうに居るぐらいなのだろう。知らされた方角を信じて車を駆る。
陽が落ちた後はさすがに闇が迫るのも早い。途中、予備のタンクからガソリンの補給。どうやら、今夜も野営の様子。道の両脇の風景が分からず不安になる。こんなところで野宿したら狼でもと思ったが口には出さず・・・。
西村氏は状況をさっして努めて明るく振舞う素振り。あんまり不安そうな顔をしても悪いかなと思っていると車は平らな野営地を目指して更に暗闇を走り出す。一台の車の交差も無い。
道を照らすのは月明かりだけ、本当にこの方向でいいのかなとまたまた不安気になる。
何せモンゴル人の方向感覚には驚嘆させられているから信じるしかない。
車両のライトに驚いて車前を急に小動物が飛び抜けていく。跳びネズミだそうだ。後部座席の私からは見えない。これも、後日、ドルゴンの勤める博物館でお目にかかれた。
結局、ネルグイさんのゲルは見つけられず、野営となった。平らなところであまり風の当たらないところを探しテント設営。遅い夕食となった。午後10時過ぎ、風も無く過ごしやすい。気温も余り下がっていないようだ。食事を囲む頃、空には満天の星が輝き始めた。ようやく晴れた夜空になった。
K氏が膨れたお腹をさすりながら(失礼、比喩が露骨過ぎますね。これは自分のお腹がそう感じたから)、星座のお話を聞かせてくれる。実は、私は星座オンチである。知っているのは北斗七星。オリオン、カシオペア座ぐらいかな。北極星もさそり座も知らなかったのだから。
K氏は、金星(宵の明星・明けの明星)、こと座の織姫星、白鳥座、彦星、わし座、アンタレスにさそり座、そして天の川がどの位置にかかっているかなど。そして月の黄道の話まで非常に詳しい。
西村氏の翻訳で七夕のいわれをドルゴンに聞かせるがモンゴル人には星の輝きなど余り日常的過ぎて興がわかない様子だ。
食後、O君のモンゴル人に成りすまして人をだました話や、日本人の恋人(片思いに近い)にアタックしている話で盛り上がる。ますます輝きを強める星の光、O君が流れ星を見つける。私も、冗談に(半ば本気に)「宝くじ」と念じながら流れ星を見つけるが三回念じる前に流星は消えてしまう。今年もジャンボはお流れか?
と、すーっと結構長い航跡を辿る星があった。どうやら人工衛星らしい。流星より遅くて一定速度で流れていく。というより動いている感じだ。この弱った目に星が見え、かつ人工衛星を見るなどもう適わぬこととあきらめていた私であったが若き頃の感動を今一度感受できたのだ。

夜もふけて黄道をたどる大きな月が昇り、星の輝きも見えずらくなってきた。24時も過ぎた、就寝。遠くでドルゴンの嬌声、何か騒いでいるが良く判らないうちに寝入ってしまった。(翌朝、連中の内の二人が、月が明るくて寝付けず「炭坑節」をがなって盛り上がっていたそうな。ドルゴンがうるさいって叫んでたんだって。)
夜明け、西の空高い位置に右下が少し欠け気味のほぼ円い月が白っぽく残っている。
小高い丘陵の上に登った自分の周りも暖かい光の中に包まれてゆく。
西の地平線はまだ茜色に染まっている。このグラディェーションはどうあらわすのか。
描けない。せめて遠近感だけでも。
テントに戻り寝床の整理。シェラフや敷きマットの収納が要領よくなった。

[ 野営4日目ツアープランの変更も予想外のことを沢山学ばせてくれる。]
軽い朝食(ビスケットの類とピクルスの漬物を少し)を取り午前8時40分出発。
途中ウルジートソムの村落を通過、道の轍が国道?
シンジェイに「チョットマッテクダサイ君」と呼ばれているO君が言うには、轍だけの道路が地図にも載っていますよと教えてくれる。何でも有りのモンゴルでは、さもありなん。
9時35分、ネルグイ宅(ゲル)に到着。昨夜の野営地から、直線ではそれ程離れている距離ではないと思われるところにそのゲルがあったではないか。シンジェイの方向感覚は間違っていなかったのだ。あの暗闇の中を目的地にまい進するシンジェイの凄さを改めて感心させられる。
ようやくお会いできたネルグイ氏は55歳位だが精悍な感じが体から溢れている。きびきびとした動き、年月を刻む顔のしわにそぐわない活動的な氏の活力に圧倒される。お顔は意外と柔和で温かみを受ける。氏も遠路日本から訪ねてくれた我々を大いに感激されているようだ。
まるで手を添えて導きいれるようにゲルに通される。
まずは、ティー(馬乳酒)をそしてモンゴルウォッカを次々と杯を重ねる。私も少しモンゴルウォッカを呑む(後で効いてきて困った)。例のチーズの大盛りやらヤギの肉の石焼を提供される。これは旨かった。後で羊肉の塩ゆでをご馳走してくれるのだがこれの方が口には合う。羊の塩茹では肉が骨ごと出されスペアリブなんて洒落たものではない。ナイフで削り取らなければ肉が離れず、赤身しか口に合わない我々にとってそれは苦行食である。モンゴルの方は脂身が大好きだそうで本当に好ましそうに子供達も喜んで食べている。
一段落したところでネルグイさん奥様がいま体調を崩して入院中。西村氏が代表してお見舞いに出向いた。留守番の我々は一寸、ゲルの中で一休み。ゲルの中は強い日差しを遮って裾が開けあるので風通しも良く、居心地がよい。先ほどのお酒の効果もあり、ウツラウツラうたた寝をしてしまった。
 
シンジェイとウヌルーは車の左後輪がパンクしていたらしく。炎天下の元でタイヤ交換をしていた。彼らに休むという言葉は無いのか?
子供達の遊び道具は自転車の輪ッカ回しだ。昔その昔、私が子供の頃、やったことがある。
得意の遊びだった。チョッと借りてまわすが回らない。なんと不器用になったものだ。いや、やはり運動神経が鈍ってきているのだろう。K氏は子供達に日本からのお土産・竹とんぼを配っている。20個位持ってきたが全員には当たらない。でも、皆、仲良く遊んでいる。K氏の指導もつかの間、子供は器用だ。すぐに慣れて楽しんでいる。年かさのお姉ちゃんが竹とんぼの羽根のところを糸に通してブンブン回しを始めた。他の子も次々にまねを始める。子供達の発想というか遊びの天才というか、どこの世界でも共通している子供のアイディア精神はすばらしい。若者(中学生位)も遊びたいようだったがすぐに用事をいいつけられるようで遊んではいられない。彼等は立派な働き手なのだ。みんなはつらつと目が輝いている。
一人の若者が日本で言う「ごしょう籠(ゴショウカゴって知ってる?)」を担いで炎天下にでて行った。何をするんだろうと見ていると、彼は手に持った金物の長柄のもので何かを拾い出した。拾っては背中のかごの中にポイッ、次から次へと拾って行く。
遠目の丘陵を背景に澄み切った青空の下で彼のシルエットのようなその姿はまるでミレーの落穂ひろいそのものだ。本当に美しい情景だ。
しばし見とれていると、K氏が説明を加えてくれた。
「あれはね、燃料になる乾燥したラクダの糞をひらっているんですよ」って。・・・・
ラクダの糞は、乾燥すると臭くないそうでかえって線香(草しか食べていないから)のようにいい臭いなんだそうです。確かに、先ほどヤギの肉を鍋の中で蒸し焼きしていたときは燃料にしていたのがそれらしく何の嫌なにおいもしていなかった。
デモね折角自分は感慨に耽っている時にそんな説明はねぇ。まあ、ここはモンゴルのゴビだ。
ゴビ風の落糞拾いと題名して後で描いてみようかな。あまり、気乗りしなくなった。
 ネルグイさんの宿営集団は随分多い。家畜の数に比例して、親戚縁者のみならず他人であろうとそれはモンゴル流の相互支援の精神なのか労働力がそれなりに出来ている。
その辺の関係は、モンゴルに精通している西村氏も良く判らないところだそうです。
 もうひとつ、モンゴルのゲルは一般的に二つのゲルで生活を構成していることが殆どだ。
ひとつのゲルは全員が生活し寝泊りするところらしい。もうひとつのゲルの用途はチョッと訊き忘れてしまった。
貯蔵庫とか客人用とかなのかな?我々が訪れたときまず通されたのが小ぶりな方のゲルだったから客人用なのかな。
後程大きいほうのゲルの中で家族全員との団欒する機会を持ったが、別にお客様だから大きい方のゲルには通さないって訳でもないらしい。大きい方のゲルは高さも有り、人数も20人以上たっぷり入れる。小ぶりのゲルは私(175cm)が多少頭を下げる程度の高さで人数も大人が15人位入れるかなってな物です。
 ネルグイさんの宿営集団が多い理由は、今日が「初乳祭りの日」にぶつかったからなのだそうでした。普通はこの地方の植生上、草地が少ないため小さな家畜の群れを効率よく移動するため家族集団としてはこれほどは多くは無いらしいが家族構成は不明?
ゲルには沢山の勲章が飾ってあった。社会主義国家時代の名残か。もっともネルグイ氏はその時代から演奏家として活躍はしていた。ちなみに五人以上の子持ちには勲章が与えられたそうで、国の最高勲章は「ガヒアット(北斗七星)」というものがあるそうです。
そしてその次に位置する文化省の出す勲章で演奏活動に対してもらったらしい。
その話とは別に、近所の人達と合同でこれから「初乳祭り」を行なうために集まっているのだ。
そういえば、ここに到着したとき数人の大人の人が何か棒のようなものを大地に設営していた。
それは、馬をつなぎとめるためのロープと棒を設定していたのだ。その上に我々が遥か日本からの訪問者ということで盆と暮れが一緒に来たようなもの。(チョッと大袈裟かな)
でも、娯楽の少ない彼らにとっては本当に喜ばしいことなのだ。
 「初乳祭り」とは、仔馬が生まれたその馬から初めて馬乳を搾る儀式の日にあたり、牧民の節目になる特別な日である。それを聞かされてからも一向に始まる気配が無い。
あまり期待も無く暇をもてあまし気味になっていると、数十頭の馬の群れを追いながら3、4人の少年達が戻ってきた。大人ではない。道理でゲルの周りには小さな子供しかいないはずだ。彼ら馬からが下りてくるとそれは日本で言う中学生か小学校の高学年位の年齢だった。逞しい。でも竹とんぼには少なからず興味を示していたので子供であることには変わりない。
午後4時半、ネルグイさんも戻ってきた。そしてそれは突然に始まった。
馬に乗った少年や青年が仔馬を追いかけ回し始めた。凄い迫力にカメラを構えても捉えきれない。彼等は遠慮なく我々の近くまで馬を追いまわしてくる。
7、8メートルはあろうかと思われる長い棒の先にワッカを作った紐が付いている。
それで仔馬の首に引っ掛け捕まえるのだ。仔馬だってびっくり、逃げ回る。
長い棒を操るのも大変そう。約5、6Kgはあるそうだ。例え首尾よく捕まえてもそれからが大変、暴れまくる子馬を取り押さえ、先程、地面に設置してある棒のところまで仔馬を連れて行き、繋ぎ止めるのだ。先程馬を追ってきた少年が仔馬を捕らえたが取り押さえる段階で引きづられてしまう。それでも一杯に堪えて頑張る。大人たちも出来る限りのところまで手を貸さないようにしている。
これは、子供達の成長の儀式でも有るらしい。こういうことで一人前になっていくのだろう。それにしても力が入る。踏ん張って頑張る子供の持つ棒の先の紐が切れる。
仔馬はは勇躍母馬のところに戻っていく。数頭の仔馬が繋ぎ止められた。

さぁ、次は母馬だ。要するにその仔馬の母親は心配で仔馬から離れようとはしないのだ。
大人たちがその母馬を押さえ前足に縄をかける。そうするのは思うように逃げられないようにするためだ。そして仔馬のところに連れて行き、仔馬に乳を飲ませるのだ。仔馬が乳を飲むと母親は授乳を続けるため次に人間がその後母乳を搾るのだ。
最初の搾乳は男と決まっているらしい、何故なんだろう?そうやって次々と搾乳を行なっていく。捕まった仔馬の中には疲れ果てて寝転んでしまっているのもいる。それを母馬が心配そうに寄り添っている。まことにいじらしい。といってもモンゴル人には通じまい。
今度は、馬を捕獲する棒を三本重ね、搾乳したカンをぶら下げ、その両脇に子供達が持ち並ぶ。
そして馬の群れの周りを回る。真ん中の搾乳カンから柄杓で乳を汲み空に向かって振り撒く。
「初乳祭り」のクライマックスである。「ツォーン・ツオッ」という呪文を唱えながら三周するのだ。
これで一応の儀式を終了する。我々がカメラを取っているとき危なく地面に置いてある神聖な棒を踏んだり跨ぎそうになった。西村氏よりそういうことの無い様に注意を受ける。
なるほど儀式とはそういうものなのか。我々にとっても物を跨ぐとか踏みつけるとはあまりよいことでないことを知っているがそういうことを必然的に教えているのだろう。

【写真】

繋ぎ止められた仔馬達 さぁ、いくぞぉ ツォーン・ツォッ! 々!  々!

そのうちにカメラをとりまくっている我々にも馬に載せてやると言ってきた。調教された馬といってもどういうかけ声で扱えばよいのかも判らず不安な私は遠慮することにした。
O君が乗馬した。結構上手である。前にも乗ったことが有るらしい。ドルゴンも乗せてもらっている。鞍が木製で狭く出来ていて窮屈そう。K氏も乗馬した。体重からお馬が可愛そうな感じもする。皆、ご満悦だが私は結構ですと丁重にご遠慮した。落ちて怪我でもしたら皆さんにご迷惑をかける。
 ここで私のビデオテープが終了。K氏から急遽代用して頂く。助かった。しかし、今度はデジカメのバッテリが無くなって来た。
大きなゲルに集まれということで総勢がこの中に寄せ集まった。我々は客分として一番奥に鎮座させられた。少し、しゃちほこ張り緊張する。馬乳酒が振る回られる。乳の上澄み(油分)を掬い上げ水と小麦粉と砂糖で炒めたものはスナック菓子のようで旨い。
更に私達には見えないように、先ほどゲルの裏手で潰していた羊の塩茹でを振舞ってくれた。
ウヘェーどんぶりに山盛りだ。左手を右肘に添えて、作法通り片手で受け取る。
ようやくモンゴルの食事作法にも慣れてきた。が食事の方は中々なじめない。羊の塩茹では先に振舞われたヤギ肉よりかなり硬い。ナイフを使いようやく肉を切り取るというより剥がし取り口に運ぶが硬くて噛み切れずいつまでもガムのように噛み続ける。終いには口がだるくなり無理やり飲み込むのだが後の処置(便秘)が怖い?ので程ほどにして食を辞するが今度はモンゴルウォッカだ。呑まないわけにはいかない。ゲルの中は子供と大人たちで溢れかえっている。
彼らも私達が珍しく互いに観察しまくっている。先程のカメラの成果を液晶画面でプレイバックして見せてやると大人も子供も、興奮して自分が写っているといって大喜びだ。
子供たちとも少しなじんできた。私がモンゴル語辞典を取り出し会話しようとすると周りの子供達は覗き込みながら殆どの文字を読み取る。西村氏の説明では修字率は90%以上とのこと。少し驚かされたがこの子達の未来を感じた。皆人懐っこく日本の子供達となんら変わるところは無い。
興が乗ってきたところでネルグイ氏の演奏がはじまる。日本に行って覚えた言葉はコンニチハ、アリガトウ、サケ、ビールだそうです。ネルグイ氏は相当、のん兵衛です。
もう、演奏する前にせわしなく何杯もモンゴルウォッカを聞し召している。大丈夫かなと心配になってきたが本人も相当気合が乗っているらしい。
演奏曲はその後延々と続く。

ネルグイさんはここから400kmの道程をバスに乗り継ぎ、ウランバートルまで一日半の行程で5月に來日。その時の話で、沖縄での演奏会、路上ライブ、そして日本の印象、森林や海のことなど今ではネルグイさんの誇りとなっていることを語られた。
私が札幌から来たというと、オォ嵯峨といって手を握り是非、嵯峨さんにはよろしく伝えてくれと言付けられた。帰国後直ちに嵯峨さんにメールで報告したが忙しいと見えて確認の連絡が22日現在も届いていない。しかし、メールは不達ではないようですので演奏会などの活動の合間にご返事があるかも?後は記念写真の連続。先程の(俳優志望の)若者が正装して現れた。俺を撮ってくれとアピールだ。自慢のオートバイに乗って凛々しい。美しい空、広い大地、素朴な人情、いろんなことが心に滲み込んでしまった。私はこれをどう整理すればいいのだろう。

ネグルイさんと記念写真 俳優志望の青年(正装)

日程的にネルグイさんの所にとどまることが出来なくなった。何故帰ってしまうのかと強く慰留されるのを無理に辞して(本来は、ここで投宿させてもらう予定ではあった。)
出発。別れは辛い。お互いを惜しみながらウーズマンサン(温泉療養所)の療養券を最後にネルグイさんに手渡し彼の感謝と喜びの顔をお土産に車は走りだした。陽はまだ高い。
午後7時20分。車の調子は快調だ。一路第4の目的地へ距離を稼ぐ。
いろんなことが有って西村氏の企画スケジュールに狂いが出てきたらしい。
相変わらずの地平線に夕陽が美しい。
再び、野営だ。平らな場所を見つけ今夜も星が見事だ。
野営にも慣れたせいか、ぐっすり寝込む。


今度は帰り道、左手に暮れ落ちる陽を眺めながら
ひたすら車は走る。
日没になった。
西の空は血のように染まり。巻き上がる雲が一筋、
竜のような様を見せ始めた。
凄い景色だシンジェイに車を一時止めてもらい。
デジカメで捉えるがその迫力を捉える事が出来た
だろうか。ビデオのテープは電池切れで使えない。
残念だがこれは今後の反省としよう。

[ 8月4日(水)午前5時50分起床]
風もそよそよと天空には白い月が煌々と、まだ未明の薄明かり。太陽の気配を感じさせるように丘の縁は朱に染まっている。目の中が重だるく渋っていたのがすっきりした。こちらに来て視力が上がったのではなかろうか?昨夜も満天の星や流れ星が良く見えた。朝ションは気持ちいいが便意がない。
チョッと不安。(昨日の肉のせいか?)7時20分早々に出発。
相変わらずの風景。冬の宿営地となる窪地の木造の家畜小屋が点在する。
7時位までは肌寒いが九時過ぎから急激に気温が上昇してくる。しかし、風が冷たく心地よい。
群落が見えた。街の入り口に電気施設らしき建てもの。
シンジェイがしきりに携帯で話をしている。どうやらここは大きな町らしい。
Pのマークが有った。道が舗装されている。しかし、今までの道とやはり大差なし。凸凹だ。
高い煙突が目に付く。ここは「ドン・ゴビ」砂漠の真ん中という意味。県庁所在地だ。
ガソリンの補給、モンゴルのガソリンスタンド。あいそっ気は全くなし。ビジネスライクなおばちゃんがやってきてお金を清算。でも、青い瓦屋根の綺麗な家があるのがめずらしい。社会主義国家の時代の産物か官庁の建物だけがやたら立派である。見学は車で一回りして早々に出発。
次の目的地に急ぐ。道は草原の中に入って来た。植生が変わり始めた。砂漠地帯から明らかに脱しつつある。しかし曲がりくねった道をうねうねとうねうねとどこまでも続く状況は同じである。
途中の予定を変更。どうやら黒い山並みが右手に遠く見えるがそこを立ち寄らないこととなったらしい。そこは、水晶などが発掘されるところらしい。大きな水晶の原石が転がっているということだが、西村氏は黒くて判らないとの説明。我々に見せたくないということか?
 途中の丘陵で一時休憩。ここでようやく私も便意を催してきた。丘陵の陰で用を足すのも慣れてきた。さわやかな風にそよそよとお尻をなでられながら用を足すのは快感である。壮観な風景を仰ぎ見ながら悠然と用を足す。これぞ・・・・・。
更に車を駆りエンゲルソクトという町を通過。次の目的地ウスタイノローはもうすぐらしい。しかし大きな川を渡らなければならない。川の渡し場が見つからない。前日の雨で川が増水しているらしい。相当引いたようだがまだ深いらしい。ようやく橋を見つけて渡るが今度は支線の小さな川にぶつかる。ここは橋が架かっているが木橋で崩れがひどく無理。川の中を強行突破。無事渡りきったとこで川での水浴びを提案される。
ふうっ気持ちいい。予想外に冷たい水だった。先客のジープがいるその乗客も水浴びをしてた。西村氏がそのうちの一人と親しげに挨拶を交わし出した。

【写真】

 彼はこれから訪問する予定のウスタイノローにある自然保護区の副館長だった。
西村氏とは幾度か面識があり、これから訪問する旨を伝えると歓待の意思を表してくれた。
そこで夕食ををとりたいので用意しておいてくれと依頼すると快く応じてくれた。
冷たいビールが目の前に想像され思わず生唾が出てK氏と顔を見合わせてにっこり。
みんな川の中に入り水浴びをする。ドルゴンが警戒して中々入ってこない。
やがて水掛合戦がはじまった。冷たい、かなり冷えている。かけられる水が気持ちいい。
そこを渡り次の支線に出くわす。そこもどうやら渡れそう。対岸で日本人のツァーに出会う。
70歳前後の四人組の一行でやはりゴビに行って来た、とお互いの情報を紹介し合う。
彼等は日帰りの行程。我々のワイルドキャラバンには驚いていた。
私にとって、彼らの行動は驚きである。中のリーダー的な方はもう、11年間もモンゴルに通い詰めていると笑ってらっしゃった。かくしゃくとしていてカッコいい。
私も先輩達を見る思いで今後の勇気も湧いてきた。まだまだ私などショボッてはいられない。
もう、陽も大分傾いてきた。小高い丘陵を両側に見ながら車は河川敷と思われる草原をひた走るがまだ目的地は見えてこない。西村氏は別のツァーで、馬による移動をこの辺でやっているのだが、車と馬との違いからか時間的な経過が狂っているらしい。
さかんに、おかしいなぁ。時間的にはもう着く頃だがと、我々がお腹を空かしていることを見越して元気付けている。その度に、私とK氏の頭の中には冷たいビールが浮かんでくるのであった。更に丘陵地帯に入っていくと、突然黒ハゲワシが前方の道端から飛び立った。
そして少し離れた地点に降り立った。

黒ハゲワシの舞姿 野生馬タヒの群

翼を広げた姿はでかい。普通ハゲタカは生きてるものは襲わないされているが子羊を襲ったという記録もあるそうだ。ここはもう自然保護区でいろんな動物に出会える。
この他、道の傍らや道の真ん中にタルバガンがちょくちょく愛らしい姿を現して楽しませてくれる。

ガゼルも車に平行して走っている。そして、いよいよタヒ(野生化したモンゴル馬)に会えた。写真撮影するが近寄れない。200m位離れている。これ以上近づくのは危険だという。
襲ってくるのだそうです。少し下がった小川の近辺に群れがいる。顔が少し大きめの胴体も大きな馬である。
以前、モンゴルから乱獲されいなくなってしまい。外国からの返還でこのごろようやく数百頭の単位に回復させたらしい。しかもこのタヒセンターが中心となって保護活動を行なっている。この馬はフランスの太古の壁画に出てくる馬の絵にそっくりなんだそうです。
午後8時20分、ようやくタヒセンターに到着。記念館となっているゲル風の建物の中にタヒの絵や生態等が展示されている。でも、もう腹がへっている。食事の方に気持ちがいっている。
商品展示所にビールが売られている。いや、ここまで来たのだからレストランで冷たいやつを呑もうということで我慢する。そして、いよいよレストランへ移動。連絡済かすぐに料理が出されそう。モンゴルタイムはなしか?
さて、ようやく冷たいビールが飲めるぞとレストランの冷蔵庫を覗く。電気が入っていない。
いやな感じがする。従業員に聞くとどうやら停電があったらしい。昨日か、その前に私達が見たあの西の空の黒雲がその正体か。道理で道々、電柱が根元から折れたものが多数あり、応急処置を施してあった。

ここの電気施設は送電線が見えないので自家発電か?雷害にでも遭ったか?貧弱な電気設備だと思われるが、日本のことを標準的には比較してはいけない。要するに電気が切れているのだ。だから冷蔵庫は用を成していない。だから冷たいビールは無いのだ。うーん。仕方が無い我慢だ。今夜ウランバートルへ戻るんだ。いまさらぬるいビールが何だってんだ。と気持ちを改め、すましている従業員からぬるい缶ビールを受け取り皆の待つテーブルに付く。
まずは安着を祝い乾杯だ。レストランの真ん中のテーブルを独占し料理を待つと西洋人の一行(ファミリィ?)が入ってきたが彼等は外のベランダの方に席を取った様子。
我々は久しぶりにテーブルに座り、こ汚い風体で堂々とフランス料理的なマナーで運ばれてくる料理に手を付けていった。デザートはシャーベット状のアイスクリームだったかな?電気はないのに??良く判らないままにそそくさと食事を終えた。
陽は暮れなずみ、もう出発しないとウランバートルに着くのが遅くなる。
午後9時30分出発。O君が行程30分くらいで舗装道路の国道にぶつかるはずとのこと。
約40分を要して国道と思しき舗装道路にたどり着く。
さすが国道、ウランバートルに近づくにつれ車の通りが激しくなってきた。
でも、今日が最後の車中だが腰が痛くなってきた。いままでのつけが出てきたのかな。
暗闇の中を交差する対向車の明かりに惑わされないようシンジェイの運転は快調だ。
携帯も通るようになった。さかんにシンジェイやドルゴンが交信を始めた。どうやら自宅と連絡を取っている。
検問で呼び止められる。何だ何だ。西村氏の説明では、タルバガンチェックの検問だという。タルバガンは保護動物に指定されたがまだ今までの慣習から抜け出せず捕まえて食ってしまう輩が多いそうなのです。それを隠していないかチェックしているのだそうだ。
こんな真夜中。(午後11時を回っている)
零時20分ウランバートル着。シンジェイが車の使用上の関係で車を乗り換えるというのだ。
明日、何らかの関係上必要なのだそうです。ここで荷物の積み替え。
このとき、Kさんの靴が置き去りにされ翌日まで気が付かず。乗り換えた車は日本製らしいが旅行中の車とは比べようも無く立派なワゴン車である。何か狐につままれたような感じだ。
ソファのような座り心地を楽しむ間もなく最初に宿泊したホテルに到着したというか戻ったのだ。荷物を運び入れ一段落しているとこの時間帯(零時過ぎ)には水圧が上がらずシャワーは使えない。いまさら一日や二日風呂に入らなくってもどうと言うことは?自分の体臭が気になる。不思議なものだ。今までは何も気にならなかったことが何故?
トイレの水は二人分くらいは大丈夫と言われるがそんなこと気にしない。やはり、砂漠トイレに慣れてしまっているのだ。
久しぶりのベット。西村氏が冷たいビールを買いに行ってくれた。こんな時間にさすがに開いている店は無く、近くの飲み屋で購入してきた模様。かなり高かったようだ。
二人が冷たいビールって騒ぐものだから主催者として気が引けていたのかな。我儘言ってごめんなさい。ビールを全部飲み干す間も無く、二人は爆睡していった。
[ 8月5日午前7時15分に目が覚めた。] 朝シャンで気持ちも体も軽くなった感じ。
自分の体の臭いをかぐ。何やら完全ではない。まあいいっか。二人だけのさびしい食事であったがホテルの朝食が美味しい。
荷物を整理したりしているうちに西村さんが呼びに来た。これから市内見物や買い物に行こうと誘ってくれた。10時50分タクシーで博物館へ。
実は、ここがドルゴンが勤務している(街の中心地に位置している)大きな博物館なのだ。
建物は立派でインフラも整備されているようだ。周りの木々はシベリア杉に似たようなのがあちこちに植樹されている。国会議事堂が斜め対角に在る。

ドルゴンが遅い。モンゴルタイムか、いや単に女の子のお化粧タイムで遅れたらしい。
西村氏が怒っている。
いやぁ。ドルゴンが化けた。タンクトップにショートパンツという勇ましく活動的なスタイルにすっかり馴染んでいた少女が華麗に変身してきたのだ。上をピンクのブラウスに下は足を長く見せるパンタロン、それにピンヒールのサンダルとチョッと大人っぽさを強調したスタイルである。小柄な彼女が一人前のレディって感じなのだ。
といっても、ドルゴンはドルゴン。おきゃんでお茶目な感じは拭えない。
私達の目もそう慣れていたので、チョッと驚かされたなぁ位で収まってしまった。
しかし、彼女はこれから館内を案内して回るのだと大張り切りなのだ。西村氏がそう言って彼女に大いに説明を期待している旨をけしかける。
彼女は、相変わらず目をくりくりさせながら我々の前をひらひらと踊るように連れて回るのだった。確かに彼女は良く勉強している。半端な知識ではないが、やはり西村氏には適わない。要所要所で、西村氏の詳細な解説が助っ人に入る。

モンゴル国土は150万ku。一番高い山は4374bのアルタイタブボクト(聞き違えたかも知れない)。フフノール盆地の標高は566m、ウランバートルの標高は約1300mだ。ゴビは1700mでなかったかな?モンゴルの西方にはアルタイ山脈系とハンガイ山脈系があり、そこにはいろいろなものがあるらしい。女人禁制の信仰対象の山もあるらしい。(ここでの説明表記が立て書きになっている。モンゴル語は立て書きなのだ)。
岩塩の標本がある。岩塩といっても硫酸化系は下剤などにも使われるらしい。
ネフライトという非常に高価な石があった。ダイヤモンドより高価らしい。大きな岩塊で妙に存在感があった。大きなヘラジカやトナカイの違い。いままで逆のイメージを持っていたというか。ごちゃごちゃに覚えていたらしい。角の形がまるで違う。トナカイはオス・メス共に角を持ちサンタさんの橇を引くのはメス鹿だけらしい(西村氏のうんちくより)。
トナカイの袋角は左右対称でなく、毎年夏〜秋にかけて生え変わる。角の中には血液が巡り体温調節のラジェータの役割をなしている。トナカイはまた牛と同様、反芻動物である。
ムース(へら鹿)は体重が500kg位で体高は肩までで180cm、行動する足は遅く、主に地衣類を食べている。
ジャコウ鹿の睾丸は漢方に使われるが結構すばやく罠で捕らえる。概観は口から外向きに猪のように牙が生えている。大山猫の耳の先にはおしゃれな黒い毛が生えている。カラスやカササギは雀科だって?知ってた?
ゴビの砂漠に巣があったノスリや黒ハゲタカの剥製。イヌワシの黒い大きな羽をK氏は「イフガサリンチョロー(大いなる岩山)」でゲットしたっけ。犬鷲も空を舞っていたなぁ。
黒ハゲタカの飛翔姿をとうとう撮影することができなかった。近くで見ると羽を広げていなくても1m以上有りそうだ。
黒雷鳥の羽はシャーマンの帽子の必須アイテムだそうです(西村氏はシャーマニズムにも造詣が深い)。個体数が百数頭になると絶滅種に規定されるようです。(これはK氏の説明です)。
雪豹の剥製、体長140cmくらいで尻尾の長さが90cm。モンゴルには2、3千頭いるらしい。
西村氏は現地でいろいろな経験をしているらしく、保護動物といってもモンゴル人にはそんな意識がないそうで弱肉強食の摂理の元で意外なものも饗応にあずかるらしい。がしかし、雪豹は食べたことは無いなどといっている。博物館に飾られている動物のかなりの種類を食べているらしい?これも食ったなどと説明に加えていた。
恐竜の発掘数は全世界の16%になるという。世界で唯一の脊椎動物の原型がモンゴルで発見されているらしい。モンゴルの植物は約139種類。ラクダが減ってきているという。世界では40万頭位、二コブラクダは北東モンゴルと中国にしかいない?そしてモンゴルに約半数が存在する。大人しくて頭のいい動物だそうです。12歳で成獣となり体重は700`〜900`、寿命は30歳から35歳で二つのコブの中は60から65`の水(アブラ?)。メスの毛はキャメルカシミヤに、オスの毛は主に紐にされるそうです。
ラクダのこのコブは夏(七月位)に体力が落ちたり痩せたりするとふにゃふにゃになるそうです。そういえば、歩くラクダのコブが左右に揺れ倒れる奴がいたなぁ。
ゲルの構造。玄関は必ず南向きで、四つのパーツから出来ているそうです。ちなみに社会主義時代の銅像はソビエトを向いていて、蒙古人が愛する小説家「ナツァグドルジ」の場合は南向きに立っているそうです。そして、モンゴルでは4,6,8,12,24,36の数値が基本的に好まれるそうだ。
でた。巨大魚の剥製だ。パイクとイトウ(2m以上になるという)、西村氏は80cm位のを釣ったことがあるそうです。こちらでは幻でもなんでもない魚だ。こんな動物生態をいろいろと知りたいがこれから何回もモンゴルを訪れないと中々実態には迫れまい。
砂漠で会ったガゼルの姿をハッキリ見ることが出来た。車の前を元気に横切っていった姿を思い出す。野生ロバの影を見ただけだったが、あの土ぼこりの中にこの姿を隠していたんだ。

博物館の中は料金さえ払えば写真撮影も可能だ。各部屋毎に監視員の小母ちゃんが目を光らせている。恐竜(テラノサウルス系のタルゴザウルス)の全身骨格を展示している部屋で約50円程度を支払った。 そこではお土産品も売っている。
モンゴルではめったな物を国外に持ち出してはいけないと規制が有る。まあ、この博物館で売るものには大して問題は無かろう。チョッとおしゃれに自分用の貝殻をつなげて作った首飾りを3ドルで購入。ドルゴンが贋物だから買うなという。まあ、お遊びで買うんだからいいよって彼女に釈明。ドルゴンの気遣いがうれしい。

無断撮影して怒られたタバルガンの剥製  

あちこち見て回り三時間ほどを所要した。途中の部屋でタルバガン(プレーリードック?)が展示してあったので思わず写真を一枚パチリ。悪気はなかったのだが監視員にみつかってしまった。ごめんなさいと謝るが、ドルゴンが間に入ってとりなしてくれる。どうやら注意だけにとどまった様子。ドルゴンには迷惑をかけてしまった。心の中で、ドルゴンごめんねと手を合わせたが髭面のおっさんがぺこぺこするのもみっともなく、そ知らぬふりをしてしまった。大人気ないことをしてしまったと後悔の念。でも、久しぶりの博物館を見る機会に恵まれ楽しかった。我々がゴビで出会った動物達は実に逞しく美しかった。

博物館の周辺は観光客も多く、この辺がウランバートルの観光の目玉なのだろう。
国会や政府機関の建物などが点在し、公共物の他に大きな店やデパート、レストランなどが立ち並ぶ。トロリーバスが走っている。大きな郵便局がある。モンゴルでは私書箱が当たり前で皆これを利用しているということである。
西村氏がお土産を買うならとデパートに案内してくれる。結構、日本人の一行がいる。買うものもあまり無いのでぶらぶらしてみたがまあ、みやげ物といっても気をそそるものはなかった。革製品なども西村氏の見立てでは縫製が雑だということで買い控えた。沢山買っても、帰りの荷物になることを考えるとうんざりする。チョッと遅い食事を中華レストランで取った後でドルゴンのおばあちゃんが営業している市場に行って見ることにした。
 ドルゴンのおばあちゃんとご挨拶、やさしそうで皆をみてチョッと驚いているようだ。
髭面の日本人が4人も押しかけたのだから無理も無い。その市場は自由市場というところで観光客は少ない。そもそもはモンゴル人の利用する日用生活雑貨の市場なのだ。 
私は、姉から頼まれていた岩塩と旅行中に車の中で私とボクシングをしていたサラミソ-セ-ジをお土産にと購入した。そして西村氏が旨いと薦めてくれたひまわりの種、それに縄のように束ねた干チーズのような品物に興味があって購入した。
西村氏がおばあちゃんの商売を支援して私にキャビアが入ったから買わないかと薦める。
まあお土産にはあまりかさばらないからいいかと購入。15ドルだ。それが高いか安いかはあまり気にしないことにした。お買い得らしいがキャビアなどの高級食材を私はあまり経験が無いのだ。それに芥子のペーストも美味しいというので購入した。帰国後、自宅でこれをパンに塗り、キャビアと生ハムを配して食べるととても美味しかった。芥子のペーストはその後も美味しくいただいた。まあ、結構な買い物になってしまった。あのバックに詰め込めるだろうかと少々不安に思いながらショッピングを楽しんだ。
ドルゴンのおばあちゃんが沢山買ってくれたのでとお土産をくれた。黒い皮袋に何か入ったものだ。「シャガイ」という。内には羊の骨が4個入っている。これは4ッつの骨を転がしてその並び方で吉凶を占うサイコロのようなものなのだそうです。うれしくなってしまった。買い手と売り手の交流とはこう在りたいものだ。まあ、まんざら無縁の物同士でもないからなのだろうがおばあちゃんの気遣いがうれしい。
 楽しく買い物を済ませ、今晩はシンジェイのお宅で夕食会をやってくれる。皆でタクシーに分乗してシンジェイ宅へ。
シンジェイさんちは公団アパートのようなところに居た。7階までエレベータだが、動かない。ようやく3人だけ乗って動き出した。着いたが扉がスムーズに開かない。慌ててこじ開けて飛び降りる。何とも心もとないエレベータだ。昨夜、到着時に出迎えてくれたシンジェイの奥様がお出迎え。私が食べたいといって無理やり購入してもらったスイカをお土産に。
シンジェイの奥様は綺麗な方だ。若かりし頃はさぞやと思わせる感じでお部屋に飾る結婚当時の二人の記念写真では女優のような美しさでびっくり。どうやってゲットしたんだろう? 
シンジェイが座って待っていた。さあ、みんなも揃い夕食を奥様が次から次へと出してくる。美味しいけれど食べきれない。いつも、こんなに食べるのかなぁ。シンジェイがしきりにビールやモンゴルウォッカを薦める。その気持ちは良く判るが私はあまり飲めない。O君もそんなに呑めないし、西村氏にしてもそれ程沢山呑む方ではない。しからばという具合でK氏にやたらと薦める。さすがにK氏も閉口して寝たふりを決め込む。
西村氏が馬頭琴奏者で西モンゴルの方で結構年齢は高いが名人だという「ドブチンさん」のDVDをTVで見せてくれた。西モンゴルのNo.1文化勲章を受けているということだ。ネルグイさんとはチョッと趣が異なり、軽快で澄んだ音色の馬頭琴であった。西村氏はこの方の演奏の出演を交渉したいと考えているらしい。機会があれば是非、生演奏を聴きたいと思う。彼の演奏CDを購入。帰国後、自宅に届きましたがまだ未開封のままです。
結構夜遅くまでお邪魔していたみたい。やさしくて、力持ちのウヌゥンドルには逢えなかったが楽しくて美味しい夕食でした。別れ際にK氏が昨夜、自分の靴を車に忘れていたのをアパートの玄関を出てすぐに思い出した。西村氏が携帯でシンジェイに連絡すると、持ってきてあるから窓から落とすという。シンジェイは足が悪いから仕方ない無いけどまた、7階まであのエレベータに乗っていくよりましということで投げ落としてもらった。無事にこれで日本へ帰れるとK氏は一安心。シンジェイが窓から盛んに手を振っている。
短くても彼の存在は大きかった。あまり余計なことは言わずにそれでも悪戯や冗談が大好きなシンジェイ、ニコニコと人懐っこい顔がいつまでもまぶたに残る。

綺麗な奥様と 手を振り続けるシンジェイ

ホテルに戻り、明日の支度をするバックは詰め物で膨らんだが何とか収まった。K氏が最後に犬鷲の羽根をどうしようか迷っている。帽子に付けて行ったらと言うとそうじゃなく税関のチェックに引っかからないか心配しているのだ。
西村氏が明日の出発が5時前と告げに来た。その羽根は大丈夫ですよとK氏に告げる。
そして朝食は3時45分でいいですかということであるがわれわれ年寄りには朝が早くても問題は無い。
[ 8月6日いよいよ、帰国だ] 朝食をすませ、午前4時40分ホテルを出発。O君とドルゴンも見送りに来てくれた。ホテルのご主人が来たときと同様に車を運転する。
モンゴルの日の出は遅い。空港には5時過ぎに到着。来たときには空港の様子を見る間もなく過ぎてしまったので何か仙台のローカル空港のようなたたずまいだ。
出発が6時ということで皆の見送りを惜しむ間もなくせわしく空港入り。空港ロビーに直結する玄関先で短い御礼とお別れを交わす。
お世話になりました。感謝の思いを込めるような余裕も無くTAXの手続き。手数料として12ドルが必要だというのでそれを窓口に出すとモンゴル紙幣に換金してくれた。
それをどうするのか判らず、K氏に救いを求めると、窓口が違う。隣の窓口でTAXの受付をやっているのだ。
なんちゅうことを!!(ガッテムと言いたくなる)TAXを受付けてもらうと500トグルのお釣りを渡された。
K氏は何でお釣りがってな顔をした。要するにドルで払えば12ドルそのまま、モンゴル紙幣で払えばお釣りを貰える。しかしこの500トグルは日本円にもドルにも換金は出来ない。
うれしいのかどうか何か変な気分だ。
手荷物検査もスムーズに何も問題なし。ようやく待合ロビーで一休み。周りを見渡すと来る時に一緒になった連中が殆どのような気がする。文化交流でやって来たどこぞの村の中学生とその引率者。
若者達はあまり元気が無い。きっとモンゴル文化に食あたりでもしたのだろう。無理も無いな。
文化レベルは相当異なる地へ、どれ程の予備知識でやってきたのか、押して知るべし。
元気なのは引率者と中年のおばはん達だ。そして、川渡りの時に出会ったご一行がいた。
軽く会釈を交わす。お元気そうだ。
5時45分いよいよ搭乗開始。ゲートで身体検査のピピという音。身に着けている金属類は全て外しているはずなのに。どうやら、ベルトのバックルが原因らしい。持込の手荷物にも反応している。感度が良すぎるんじゃない。殆どの客が反応を起こしている。したがって搭乗時間がやたらとかかった。融通性の無いところはモンゴルらしいかな。
 午前6時10分。機は漸く空港を動き出した。フライト時間4時間を予定。
K氏の座席の前の中年のご夫妻がK氏の持っている羽根を見て驚いている。K氏はまんざらでもなさそう。近くの席には、げんなりしたように大人しく座っている中学生達の一行がいる。帰りは窓際をK氏にゆずった。
通路側の左隣にはかなり若い中学生達の引率者かなと思われる若者が同席している。
疲れているのか寝る態勢だ。
 大陸を離れる。この下は韓国領土?K氏と帰国後の話など日常的なことを取り留めなく話し合っていると時間のたつのが早い。島根県か鳥取県の海岸線だと教えてくれた。いよいよ日本に戻ってきた。 機は間もなく着陸態勢に入る旨のアナウンス。
隣席の若者は通産省のお役人でした。かなり若い。大学出たてみたいだが話し方が穏やかな好青年である。仕事は一週間のスケジュールでモンゴルのお役人と折衝を行なってきたということでした。
モンゴル流の対応に閉口している。モンゴル人は自分達のことは多少無理なことでも権益を強引に主張するがそれ以外相手のことなど殆ど聴く耳持たないような対応で大変苦労した話をしてくれた。穏やかな口調にも凛として譲れないものは譲れないとして頑張ってきたらしいがモンゴル流に戸惑っている様子。頑張れ、貴方のような若い感性が未来への道筋辿るのだと心の中で応援を送った。

午前11時関西空港到着。荷物の受け取りも、税関チェックにも引っかからなかったが税関を通過するとき、パスポートの写真を確認するとき、私の顔を見てニヤニヤしている。
自分は間違いなく写真の本人ですと自己申告。(白い髭がたっぷりと顔を覆っているのを見て「生えましたねぇ」という感じ)水も無く歯磨きも思うように出来ない一週間で面倒臭いのも手伝って伸ばしたい放題にしたら白髪が沢山生えてきた。所々黒いのが混じった「アライグマ」っていわれた。これじゃ人相も変わるよなぁって納得。
空港内をぶらつきK氏と二人で安着を冷たいビールで乾杯する。マウイーッ(日本特有のくだらない流行語も久しぶり)。午前11時30分、いよいよK氏とお別れ。いつか又の再会を約束して名残を惜しむ。彼の家は地元なので今日中に帰り着くそうですが体の臭いが気になるそうです。まあ、奥様には諦められているそうですが仲良くしてください。
自分の大きな荷物を宅急便で送ることにした。送料2600円/個。こんな重たいものを担いで帰る体力は無い。翻ってこの一週間、特に何事も無く体力的にも良く持ったものだと自分を褒めてやりたい。さすがに、ホッとしたせいか体のあちこちがこっている感じがする。早くどこかで休みたい。
昼食を取ろうとして空港内をぶらつく。久しぶりに蕎麦でも食いたいと食堂に入ると、「炭坑節」が賑やかにかかっていた。思わず、月夜に踊る二人+αのことを思い出してしまった。
さて、これで私のゴビ周遊記は終わるのであるがひとつ、気がついたことがある。
前回もネパールから戻ったときに感じたのであるが要するに「うむがやすし」ということである。やり遂げてみると何のことは無い全てが杞憂に感じてしまう。これが、又次のチャンスに結びついていくのだろうが、一番心配していた自分の体力ややる気が衰えていないということ。
自宅に戻ってみてもそう日常的に変わったりはしない。齢60を数えることとなったがまだまだやれる自信がついた。モンゴルでお遭いしたツアーのご一行は70台の先輩達であった。
これからも出来る限り健康に気を配っていこう。そうすればまた自分にはチャンスがくるだろう。
 
 改めて、このドン・ゴビ周遊ツアーを企画していただいた西村氏に感謝と御礼を申します。
氏はこの後もワイルドキャラバン等、今後もモンゴルを愛し日本とモンゴルの架け橋となる活躍をなされる方と思います。
再会を心待ちしております。今回の助手として参加されたO君は冬の季節にはスキーツアーで北海道に行きたいといっておりましたが、そんな折には是非、再会して歓待しますよ。
K氏も観光で度々この北の地を訪れておられるようですが当地に来られる折には是非御一報戴きたい。美味しいビールを紹介します。
短い旅ではありましたがそれなりに苦しくも大変なことをいろいろ経験してきました。その達成感は私の気持ちの中で大きな満足感に浸れるものであり、今も時々フラッシュバックのようにゴビでの出来事が夢の中にも現れます。
ネパールのことも、今もきのうの事のように思い出されます。モンゴルのことも同じように、遠く距離は離れいる今・現在、ガイアの一部で同じ時間を共有しているさまざまの事。
そのことがいつまでも私の心に感じられることが幸せです。
 今回はウランバートルからゴビ砂漠を縦断するような行程でおおよそ1000kbの道程といわれたがあのくねくねした曲がり道のことを考えると1200〜1300kb位はゆうにあっただろう。でも巻末に掲載した地図からも判るように我々の旅行はモンゴルのしかもゴビ地方の一部分を見てきたに過ぎない。
この一週間の経験は膨大な知識として私の頭に流入してきたけれど、モンゴルを語るにはおこがましいと言うものでしょう。
更に、今回は夏の一番いいシーズンと言うことになるかもしれない。
雨や風、自然の脅威を殆ど感ずる間もなく無事に戻ってきてしまった。
こんなもんじゃないでしょう。ねぇ西村さん。笑って答えてくれますまい。
冬の厳しさは想像するに難くない。同じ地上に生きてるものとして、こんなところもあるとにおいを嗅いだだけでも私にとってモンゴルは意義ある土地となりました。皆さんも機会があれば是非にとお勧めしたい。

私達の行程はほんの赤い三角の線上を辿ったに過ぎません。
まだまだ見所は山ほど有りそうです。
又の機会を見つけ再訪問したいと願っています。
そのときも、やさしい隣人として受け入れて下さい。
バヤルララー(ありがとう) ドンド・ゴビ!