21世紀に考える

2001年9月   原田 誠一郎   

はじめに

この原稿を書き始めたのは8月の同窓会の頃でした。9月に入って一旦は森本君に送ったのですが、先日の予想もしなかったアメリカのテロ事件を見て修正したいと思い、間に合ったので修正版を載せさせていただきました。

そもそも、汲泉への投稿を思いついたのは、21世紀が20世紀のような戦争の世紀にならないでほしいと願い、一方で現実には厳しい経済環境にある中で、私自身も含めた同窓生への応援歌のつもりでした。崖淵に立たされているといっても、まだまだ未来はそう捨てたものではないと言いたかったのです。そういった面では、テロ事件は更に厳しい局面を私たちに突きつけてくるかもしれません。テロ事件にあわれた多くの方々に哀悼の気持ちを表すとともに、私たちも益々頑張らねばと勇気を振い起こしたいと思います。

 

戦後の大変革期に団塊として生まれた私たちも既に53歳。孫のできる年代です。しかし一方で、日本は大ピンチに立たされ、あたかも明日つぶれるかの錯覚さえ起こしてしまいます。経済は混乱し、一方で犯罪の増加等の社会問題や、子供たちや孫たちの教育問題が起きています。「私たちという存在は何なのだろうか?」「私たちの強さは弱さは何なのだろうか?」「私たちはこの先どのように対応すべきなのか?」と迷ってしまいます。

人類が20歳程度で子供を作り次世代に引き継いでいくと考えると、100年で4世代交代します。この数式を当てはめると、この後述べる私たちの祖先が日本列島に住み着いた2万年前からで800世代、人類の発生した20万年前からで8000世代、人類以前の猿の時代、更にその前の形の違う動物の時代、宇宙に生命体として生まれてきた原点から考えると更にすごい数の世代を私たちは引き継いできました。しかし、今の私たちが互いに話合ったりできるのは、せいぜい祖父から孫までの5世代程度です。紀元0年から推定しても、2000年で80世代です。世代の交代とはDNAの継続ですが、その中に過去の祖先の獲得した形質が埋まっています。それが「進化」かもしれません。今、私たちを取り巻く環境のことを考える時に、私たちの祖先が獲得した「進化」の形質は大いに意識するべきではないでしょうか。それが、私たちの「真の力」となるのではないでしょうか。もう一度原点に立ち戻って考えてみたいと思います。

 

日本人の原点は

2001年8月NHKで放送された「日本人はるかな旅」はなかなか面白い内容で、考えさせられるものがありました。日本人のルーツを探るという主旨ですが、日本人のDNAをアジア周辺の民族と比べてみると、DNAで近いのは中国人や東南アジアの人ではなくて、圧倒的にバイカル湖周辺に居住する民族とのことです。番組では、バイカル湖の辺で現在暮らしている人々を写していますが、その顔は全く私たちと同じような顔をしています。その地域では、氷河時代の遺跡の存在が確認されており、そこでは日本人の祖先と思われる人々がマンモスを狩して暮らしていたそうです。

そもそも、新人類は20万年前アフリカの大地溝帯で発生し、森が草原に変化したことにより2足歩行せざるを得なくなったことにより猿から人類に進化したと言われています。更に10万年前には、アフリカから出て、暖かく暮らしやすいヨーロッパ、アジアへと進出したのですが、日本人の祖先はマンモスを追いかけてシベリアに進出したようです。当時は氷河時代の前期ですが、シベリアは今とは全く違い比較的暖かくマンモスステップとよばれる草原で、多くのマンモスが生息していました。日本人の祖先は、夏にマンモスを狩って蓄え(マンモス一頭で10人が半年間食べていけるそうです)、極寒の冬を耐え忍ぶ生活をしていました。マンモスは獰猛な動物ですが、日本人の祖先は集団で水場のぬかるみに追い込みマンモスの動きを奪った上で、柔らかくて強い動物の骨と硬くて鋭い石器を組み合わせた鑓(細石刃)を使い、捕獲していました。ここでは、「協同で大きな作業を遂行する」、「道具に工夫を凝らして活用する」、「極寒の冬を耐え忍ぶ」といったその後の日本人と共通した一面が窺えます。

バイカルの辺を離れたのは氷河時代の大寒冷期となる1万8千年前ごろと推定されます。急激に地球は冷却化した結果、シベリアからはマンモスステップが消え去り、シベリアは冬にはマイナス50度ともなるツンドラ地帯へと激変しました。マンモスは餌を求めて移動し、日本人の祖先もマンモスを追っていくうちに、数千年をかけて極東ロシアの太平洋岸地域へたどり着きました。この時、一部はベーリング海峡を渡り北米に進出して現在のインディアンの祖先となりました。よくアメリカインディアン(例えばピマインディアン)と日本人は共通した遺伝子「肥満遺伝子」(体内に脂肪を蓄える能力に富む)を持っているといわれますが、マンモスという食料源が少なくなった後に日本人の祖先が如何に苦労したかの証しかもしれません。肥満は豊かになった現代では副作用となっているのでしょう。

日本人の祖先はその後、地続きであった間宮海峡を移動し、また極端に寒かった冬に凍りついた青函海峡を歩いて本州にたどりついたとのことです。しかし、更に食糧難は究極を極めました。1万年前ぐらいの氷河時代の終わりとともに気温は急速に上がり、本州では針葉樹林の下に広がっていた草原が無くなり、広葉樹林の森に変わってしまったためマンモスのような大型動物は生息できなくなりました。その結果、祖先の食物は狸や鼠等の小型動物中心にならざるを得なくなったのです。小型動物はすばしっこく、かっての鑓に代わる弓等の新たな道具の開発で対応したようですが、何といっても大型動物に比べ食料としての量が欠乏します。この危機を乗り越えたのが、縄文土器の発明だそうです。広葉樹林の森はドングリ等の木の実に恵まれていましたが、そのままでは渋くて食べられません。この大量に採れるドングリを縄文土器に入れて煮ることにより食料とする解決策が生まれました。この縄文土器の発明と、煮るという新調理法が無ければ日本人の祖先は生き残れなかったかもしれません。

 

今後の展開としてはテレビでは稲作農耕が紹介されていくのでしょうが、以上に見るだけでも我々の祖先が想像以上の飢餓の危機に追い込まれ、その中でどうにかして「工夫し」「協力し」「辛抱し耐え忍んでくる」ことにより変化に順応してきたことがわかります。

 

今、私たちを取り巻く環境は

バブルが弾けて10年を越します。毎日、デフレスパイラルだ、マイナス成長だ、リストラだ、財政危機だ、年金はどうなるのかと深刻なニュースで溢れています。50歳を越した私たちにとっても辛い内容ばかりです。明るい未来が確約されていると信じ込んでいたのですが、どうしたらよいのでしょうか。

先行きの不安ということで私たちの記憶に鮮明にあるのは、2度のオイルショックです。エレベータが止まり、ネオンが消えた記憶はそう遠い日のことではありません。過ぎてみると大きな痛みがあったという記憶はないのですが、私たちの世代では初体験のこの危機も支出の抑制や新しい工夫による対応で乗り切ってきました。かっての日本人の祖先が「工夫し」「協力し」「辛抱し耐え忍んでくる」ことにより、変化に順応してきたのと同じ手法です。今回の「バブル」への対応も当初から同じ手法をとってきたような気がします。その結果、一人一人の支出は抑制され、同時に需要が急速に冷え込んだのですが、トンネルは予想以上に長いことから、経済は回復せず更に冷え込んでしまいました。ただ、反面、私たちの周りは既に物で満ち溢れ、無理して買わなくても十分な生活ができることに気づいた感もします。

この大不況の時代も、周りの人々が戦争で次々と死んでいき、明日はわが身との居たたまれない不安と憤りに覆われた私たちの父母、祖母父の時代に比べると幸せです。戦争が終ってホットする間もなく、全ての資産を失ない一から出直した日本の戦後を考えると、今の不安もそれほど致命的なものとは思えません。戦後の日本は東西の冷戦環境の中で、本来の「工夫し」「協力し」「辛抱し耐え忍んでくる」能力を発揮し、失った資産を地道な努力で埋め合わせ新たな資産を築いてきました。現在の状況は確かに、先行き真っ暗なのかもしれません。しかし、「とてつもなく厳しい環境に置かれた私たちの父母、祖父母」、「伝えられるような壮絶な飢饉に遭遇した江戸時代の祖先」、「食料としていたマンモスがいなくなりかけた祖先」、「周りに木の実しかなくなり食うや食わずの状況に追い込まれた祖先」に比べると明らかに大したことはありません。ただ、痛みは痛みで初めての経験は不安を掻き立てます。

 

話は全く飛びますが、そもそも経済の成長とは何でしょう。GDPの年成長率とは。常識的にはGDPの内容を云々しますが、そもそも「年」とは何でしょうか。「年」とはご承知のとおり、地球が太陽の周りを公転する時間です。それではなぜGDPは年率で議論するのでしょうか、「年」があらゆる生産活動の基準となっているからです。人類始め地球に存在する動植物は共通してこの「年」のコントロールの下にいます。「年」は「グローバル」な基準です。この基準は、「春夏秋冬」という季節で構成され、動植物の成長をコントロールし、すべての食料を生みだし、生産活動を営なむ基準となっています。植物はもちろん、魚や肉や牛乳、卵といった食物は「春夏秋冬」、「年」という基準が無ければ生み出されません。なぜなら、大半の生物は「無」という状態から「有(受精)」といった行為で始まり、それを生み出しているグランドは地球であり、それが促進される環境は「春夏秋冬」であるからです。ですから当然GDPは「年」単位で議論されるのです。

更に長い目でみれば、この基準を元に、私たち生物が生まれてから死ぬまで自分の「歳」という時間のスケールを持つのです。春に花の咲く植物は花の季節に向かって年を越しますし、200歳の誕生日を迎えた人間もいなければ、千年を生き抜いた亀もいないのです。生物の存在は「年」によって積み上げられていきます。

 

ところで、私たちはこの時間のコントロール下から少しずつですが離れていっていることも認識すべきです。人類にとってまず大きくコントロールを抜け出したのは農耕です。定住し、耕作すればある一定の食料が確保できることは自然に生命線を支配される環境から抜け出す第一歩でした。産業革命は、飛躍的に我々の生産性をアップさせ、石炭、それに継ぐ石油等の化石燃料、原子力の活用は時間を飛躍的に利用できる場を生み出しました。飛行機に乗ればかって80日間かかっていた世界1周が短時間にできます。身の周りにある色々な機械は飛躍的に便利な世界を生み出しています。食品の保存技術はかっての餓えを感じさせない手段となっています。技術の革新は確実に私たちを時間のコントロール下から解き放ってくれています。

ただし、技術の革新は「公害や温暖化といった気球の環境問題」や「人口の爆発」他の多々の問題を今日私たちに突きつけていることからすると、ある面では時間のコントロール下から全く解き放たれてはいないのかもしれません。

 

社会の発展の原動力は

近年、「競争こそが社会の発展の原動力」といった考え方が日本の中で渦巻いています。「競争の原理」はサッチャー以降、欧米で改革の教義として唱えられていますが、本来アングロサクソン的な発想かもしれません。ライオンに見られる動物界の弱肉強食を例に出して、それがすべてに共通し不変の論理のように言う人もいますが、当然自然界の存在はライオン等の肉食動物だけではありません。弱肉強食は自然界のほんの一面で、逆に強食に当る動物も弱肉となる動物に支えてもらっているのです。強食の種だけでは繁栄できないことは確かです。

実は自然界の大半は共生の上に立っているのではないのでしょうか。昆虫と植物との受粉を通じての共生は代表的ですが、我々を含め自然界は多くの競争と共生のバランスで成り立っています。弱肉強食の中で自分の種を繁栄させようとする動植物もあれば、共生の中で自分の種を繁栄させり動植物も数多いのです。強烈な印象のある「競争」が全てのように見えますが「競争」が全てではありません。自然界を動かしている原動力は「共生」です。

 

一方で「競争の原理」を支える大きな背景は「グローバル化」です。確かに日本始めの現代文明の社会では、テレビや新聞、インターネットを通じて世界の情報は居ながらにして入ってきます。それによって世界とお茶の間が隣接しているような錯覚や、あたかも異国のことを知り尽くしたような錯覚を持ちます。「グローバル化」の波が押し寄せ、あたかも世界は一つになろうかとの錯覚さえ感じさせられます。かって戦国時代に鉄砲が伝来されて世の中が一変したように、黒船が江戸時代を終焉指せたように、戦後の占領時代が家庭の状況まで変えたように、「グローバル化」はある面では、避けて通れないものと思います。今回のアメリカでのテロ事件はそれを痛切に感じさせたものでした。

しかし、「グローバル化」は当然、地球の全てのことが同一となるわけではありません。それぞれの国や人々にはそれぞれの文化が存在しています。世界には、ヨーロッパもあれば、北米も南米も、アジアも、アフリカも、オセアニアも、北極圏もあります。キリスト教の国もあれば、イスラムの世界もあり、仏教も、それ以外の宗教もあります。英語を喋る人もいれば、中国語も、アラビア語も喋る人がいます。「グローバル化」の進んだ地域もあれば「グローバル化」とはおよそ関係が無さそうな地域もあります。「グローバル化」は

全ての分野や地域において均等に起こっているのではありません。

「グローバル化」が大きく影響しているのは政治や経済の世界です。その「グローバル化」された経済を中心的に動かしているのは欧米の国々です。ですから「競争の原理」と「グローバル化」は表裏一体となっているようにみえるのです。

 

「グローバル化」は究極的には避けられるものではありません。また、「グローバル化」は怖いものではありません。「グローバル化」の中で、「競争の原理」のみが生き残れる論理というところに疑問があります。「進化」は「競争」の中にのみ起こるのではなく、「共生」という自然の大きな流れの中で、一端に「競争」をも取り込み「進化」はゆっくり進んでいるのだということに気づくべきです。「グローバル化」は今日の貨幣経済の中では当然ですが、「グローバル化」された貨幣経済とは「勝ち負け」を一瞬にして強いるマネーゲームの土俵ではなく、大きな「共生」の中で育まれるものであることに早く気づくべきなのかもしれません。ある面では「グローバル化」や「競争の原理」は、江戸時代の初期以来400年近く生活を支配する宗教が無く、明治以降に「欧米に追いつけ追い越せの経済至上主義の教義」を持った「新宗教」が普及した日本だからこそ、後ろから攻め立てられているように感じ、絶対と信じたくなる「論理」かもしれません。

 

私たちが生き続けるためには

朝夕のラッシュアワーの中、日本には如何に多くの人がいるかと思います。外国人から見れば、皆同じような顔をしていると見えるかもしれませんが、皆一人一人顔は違います。皆、一人一人の顔が違うように、全ての人の人生は違い、一人一人がそれぞれの人生を背負っています。最も多くを知っていると思っている家族でさえも、自分を生み出してくれた親でさえも、自分の分身である子供達でさえも、一人一人がそれぞれ違った人生を背負っています。私たちは一人一人の集まりであり、たまたま同じ時代を生きている存在です。

 

私たちが引き続き繁栄するという保証は何もありません。過去の人類の歴史においてもローマ人の繁栄、スペイン、ポルトガルの覇権、大英帝国といった繁栄を築き衰えていった国があります。しかし、ローマ人の末裔も、スペイン、ポルトガル、大英帝国の末裔も、かってとは違うところが有っても今日存在しています。世界には、100億人の人が生きています。そして、それぞれが特徴を持ち過去から生き延びてきました。私たち自身も、祖先が多くのことと格闘した結果生き延び生まれてきました。多くの動植物が滅んでいった中で生き残った結果は私たち自身です。文化や宗教も同じです。今日あるのは多くの文化や宗教が滅んでいった中で生き残った結果です。

 

今日の私たちが感じる不安を和らげる上では、私たちは私たちが次のような側面も持っていることを認識したほうが良いと思います。私たちが祖先から受け継いだ「辛抱し耐え忍んでくる」形質からは、「心配性」という一面が呼び起こされます。確かに明日蓄えが無くなればと思わずにはいられない「不安」を呼び起こす衝動は私たちの場合、他の民族に比べ強いかもしれません。私たちの祖先が得た飢餓の体験は、私たちのDNAの中に私たちを貯蓄に駆り立てるDNAを埋め込んでいるのでしょう。私たちは「肥満」だけでなく「心配性」の副作用も祖先から受け継いできたのです。ですから、今日私たちは「心配性」で実際以上に「不安」を煽っているのかもしれません。

この「心配性」の一面は「律儀な性格」「几帳面さ」を生み出し、数秒の狂いも無い鉄道を動かし、それが高度な経済の維持に役立っていることも忘れてはいけません。しかし「心配性」の究極の解決策が、よく言われるような「現実からの逃避」や「問題の先送り」といった日本人的な体質となっているのかもしれません。

 

良いにつけ悪いにつけ我々は祖先から受け継いだDNAを離れることはできません。

私たちがこの先も繁栄し生きていくためには、祖先の歴史に学び、自らの長所を認識し活かす事だと思います。日本人の長所とは、かってマンモスを追ってきた時以来、常に危機を脱出する力となった、「協力し」「工夫し」「辛抱し耐え忍んでくる」ことではないでしょうか。そして、私たちが自分自身で感じている以上に「心配性」であり、「律儀で」「几帳面」であるということです。

 

では、具体的にどうすればよいのか。答えは私たちの祖先が行ったと同じように私たち自身の手で解決策を探るしかないと思われます。私たち自身が自立して解決策を模索していくしかないのです。しかし、「かっての祖先や私たちの親たちに比べればその不安は大したことは無い」、「その難題を解決できる能力が私たちのDNAに潜在的に埋まっている」と考えれば「解決策を模索」する勇気も湧いてくるのではないでしょうか。

 

NHKに「プロジェクトX」という番組があります。戦後の国際競争力がまだ低かった日本経済の中で、世界に太刀打ちできる技術を確立した人々の成功談話を綴ったものです。中島みゆきの歌に載せて多くの人々が紹介され、グット胸に迫るものがありますが、全てに共通していえることは、多くの人々が協力しあって困難を乗り越え成功にたどり着いたということです。決して、エジソンのような天才が導き出したということではなく、茶の間にいる私たちの父母と同じような存在の人々が協力し合って、小さな力を積み上げながら成功へ導いてきたということです。「協力し」「工夫し」「辛抱し耐え忍んでくる」、これが「私たちのDNAに潜在的に埋まっている能力」だと信じることです。そしてその能力を生かす努力をすることです。

 

終わりに

我々も、50歳を越してしまいました。生まれた時は戦後の食糧難、ベビーブームの過当競争、暴れまくった学生運動、高度成長を支える戦士、リストラ対象の中高年、「団塊の世代」という言葉で一括りにされてきましたが、何千世代に及ぶ人類のランナーの一員でもあります。今回のアメリカのテロ事件で21世紀はとてつもなく厳しい世紀かもしれません。しかし、やがては私も同窓生も全てこの世から消えていきます。私たちの子供も、孫も、その孫もいつかはこの世から消えるはずです。続くのは何か?DNAだけです。私たちは、父と母の2人から、更に祖父と祖母の4人からと祖先を辿っていくと、10世代前の時代には1000人余の祖先が持っていたDNAを引き継いでいます。更に今後も祖先から引き継いできたDNAを幾世代も後の世代に伝えたいものです。そのためには、私たちの先祖の時代からDNAの中に埋め込まれ、生き抜く根源となってきた特徴をこの危機に当っても発揮するしかないのかもしれません。進化論にあるような進化の過程に私たちも今あります。

 

最後に明治に生きた電力の鬼「松永安左衛門」の残した言葉を紹介します。

        勿過去悔   (過去をくいるなかれ)

莫将来按   (将来を安ずるなかれ)

無万事怯   (万事怖れることなし)

 

       2001年9月   原田 誠一郎    

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