◇思いでの・ヴェネツィアの石・その日◇

           大石 雅昭


 10月、ヨーロッパの秋空の中、小型ターボプロップ機は次の着陸地へ向かって快 調に滑走していた。小一時間後、機長のアナウンスに合わせその機体は右に左にと傾 きだす。  アルプス上空、左右の窓の列はたちまち、山々の姿で満たされたパノラマとなった。 乗客は、機体の動きに合わせてシャッフルされる。ルッツェルン、マッターホルン。30人ばかりの乗客は思いがけないパフォーマンスに大はしゃぎ、機内は小学生の修学旅行のように賑やかだ。  しばらくあって、パリのオルリー空港を飛び立ってから2時間近くも飛んだだろうか、今や熱く上機嫌な乗客達は、ラグーナの中ヴェネツィアのマルコポーロ空港に降下した。


 ざわめき立つ旅行者の中にあって、不安な眼差しの東洋人の夫婦は異質に写ったのだろうか。けげんな目つきの税関員の厳しいチェックの後、空港の小さな建物から やっとの思いで抜け出ると、目の前には広大なヴェネツィアのラグーナが広がっていた。  すでに傾き掛けた太陽が、するどく目を射る。緯度の高さと、澄んだ空気のせいで その光は凄烈さを増し、辺り一面を黄金色に染めている。 さかんに語りかけ問いかける人たちの声にも、茫然として立ちつくす二人を残し て、まずバスが発車し、次いでバポレット(乗合船)も汽笛と共に波のうねりをのこして遠ざかる。私たちは、かろうじて最後に残った小型のタクシー(モーターボート)に荷物を運んだ。海の都ヴェネツィアには船で入るべきだとの、トーマスマンの忠告に従い、行き先は「サンマルコ広場」と、船長に告げる。 たちまち、マホガニー色のピカピカに輝く船体は波を切り、水しぶきをたててラグーナの中へと舳先を突き出した。

 ラグーナはアドリア海に沿った、細長い洲によって封じ込められた歴史によどむ潟。  巨大なゴシック風の塩水プールだ。その中に、いにしえ、外敵を逃れ本土を捨てて海を渡り、浅瀬に築いた島が、海の都ヴェネツィア。  ガラス工芸で有名なムラノ島、レース細工のブラノ島、ロマネスク寺院の建つトルチェッロ島、夏には海水浴客やカジノで賑わうリド島、沢山の島々がバポレットの航路で結ばれている。  午後4時を過ぎていただろうか、空気は冷たい風となって身をたたき、ただ陽に照らされた側の体が熱いほどに火照る。目前に迫る波の上の都を、船上に立ち上がって迎える私たちもまた夕陽に染められているのだろう。 水平線上に次々と小さな島が墨絵のように浮かび上がり、やがてかすかに生活の気配をさせて過ぎ去ってゆく。そしてついに、沢山の鐘楼と寺院のクーポラのシルエットを抱え込んだ大きな島影が現れた。

 「サンマルコ! ヴェネツィアに着いたよ。」

船長の大きな声と共に、船体は桟橋に軽い音を立てて横付けされた。 青と白のねじりアメのような支柱の乱立と、波の砕け散る音の中を、狭い渡しづたいに歩き、石造りの岸壁にたどり着いた。幾多の人々の降り立った、時代と年月を刻み込んだ、なめらかにすり減った石。大きな荷物をその石畳に置いて顔を上げると、 夕暮れにかすむピンク色の雲の下で、サンマルコ広場が燦然と輝いている。正面には風にはためく三本の赤い旗、玄関楼の上には三体の青銅の馬、一面に金のモザイクで埋められたペディメント、ビザンチンの雄サンマルコ寺院。 海に面しては、優雅なゴシックの偉容を見せるドージェ宮。海際に立つ二本の柱の上にはヴェネツィアの守護神サンマルコと、ライオンが海を見下ろし、人々を迎え見守っている。歴史によって練り上げられた、都市の玄関、世界でもっとも美しいと言われるサンマルコ広場が目の前に活き活きとして息を弾ませている。  往き来する人々、座り込んで人々を眺める者、カフェテリアのテーブルを囲む男女。 そのざわめきの中に、すべり込んでゆく。カフェテリアのバンドのかなでる音楽が、人々の話し声の合間から流れ出す。そして、空を渡る寺院の鐘の音。石の長い列柱楼に切り取られた四角い空はすでに夜が近いことを示している。  目を転じて、陽の落ちる前に今夜のホテルを探し当てねばと、踏み込む路地を探す。


  両手を広げれば壁に触れるほどの狭い路地から枝道へと、人から人の賑わいの中を右に左に、ゴシックの街の中へと進入してゆく。  今夜のホテルに幾晩の宿を取ることになるのだろうか。  確かな予定も目的も、わざと立てないままに、ただ辞めるという動機で会社を去り、日本を後にした自分は異空間に漂う紙風船のように今、雑踏の中をもみくちゃになりながら歩いている。夕日の最後の輝きが、家々の最上階で踊る。そのスタッコ塗りのオレンジ色した壁、ガラス窓、緑色のよろい戸、ヴェネツィアの建物の狭間に包み込まれてゆく。  建築のデザインとは何か、見定めたい、自分の手で探りたい。ただそれだけで、ここでは無理だ、このままでは駄目だと、飛び出した。なんとかなるさとそれだけの元気で何のつても足がかりも無く、世界中からの観光客であふれかえっている都に居る。  ヴェネツィア建築大学に籍を置いて、それから………、しかしそれからなにが見えてくるというのか。この建物の角を曲がって、何が見えてくるのかさえも知らないのに。この道がホテルへと続く道なのかも不確かなまま歩いているのに………。  こうして寄る辺無い東洋人の夫婦は、次第に歴史的街区の、重層する迷路の中に吸い込まれてゆき、ヴェネツィア様式の建築を縁取って絡み付いてゆくあの白い石のレース細工、装飾の編み目に、織りなされたゴシックの罠に、からめ取られていった。 21年前のその日、私たちのイタリアの第一日は波のように移ろいながら、空を写す海の色の様に不確かな色合いに染められていく。
 明日は、大学に行って入学手続きをしょうか………。」  まずは、トラットリーヤにスパゲッティでも食べに行こう。

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