Re: 倭国の乱と卑弥呼即位の時期

投稿者[ 大場嘉門 ] 発言日時 [4月14日(日)23時11分34秒]

元の発言 [ Re: 倭国の乱と卑弥呼即位の時期 ] お名前 [ マルセ ] 日付 [ 4月13日(土)23時37分21秒 ]

マルセさん こんばんは 

>>  三国志の烏丸伝に「漢末・・・(略)・・・中山太守張純叛人丘力居衆中,自號彌天安定王,爲三郡烏丸元帥,寇略青徐幽冀四州,殺略吏民。靈帝末,以劉虞爲幽州牧,募胡斬純首,北州乃定。」とありますから、中国史書のいう漢末というのは、霊帝の末より前からのもっと広い時期を指したのだと思います。

韓伝の「桓霊之末」も漢末という意になりますか。
後漢の時代の後半ぐらいは漢末と言えるのかもしれませんね。

>> #光和という時代は、黄巾の乱が起こったときで、國乱の代名詞的な年号だったという解釈が通説なのではないでしょうか。

不勉強にして,この通説は知りりません。
要旨についてご教示ください。

>> #范曄は、AD107年の遣使の年が、倭王の始まった年と考えないで、もう少し前から始まったと考えたのなら、特におかしくないと思います。

もう少し前に、何かエポックメーキングはありますか。

>> #(1)〜(3)についてはよいとしても、(4)は、卑弥呼が朝貢にやってきた240年前後を倭人伝では「今」としているとも思えるのですから、その70〜80年前の170年頃ということでもよいのでは。

私はご指摘の「今」も陳寿執筆時点と捉えています。
それは兎も角、 「70〜80年前」と読むことも、あながちトンデモでもないということに意を強くしました。

>>  倭國大乱(170年頃)の直後に卑弥呼が即位したと考えなくて、応仁の乱の直後に徳川幕府が始まったのではないように、倭國大乱のあと、いろいろあったけれども、210年代に卑弥呼が即位して、ついに太平の世の中になった(この場合はあまり続かなかったのですが)と考えてはいけないですか。

いいえ、とんでもございません。



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