Re: 布留(畿内は倭人の国ではない)

投稿者[ 牛頭 ] 発言日時 [10月31日(木)19時44分51秒]

元の発言 [ Re: 布留(畿内は倭人の国ではない) ] お名前 [ ちょっと一服 ] 日付 [ 10月30日(水)23時51分27秒 ]

>> 別の投稿で牛頭さんが,「私は畿内は3世紀後半と4世紀末〜5世紀初めの2
>> 度に渡って渡来人に侵攻を受けたのではと思っています。一度は新羅地域より
>> もっと遠く、二度目は伽耶あたりから。」と推理されていますが,

>> その二度目のは,いわゆる「神功皇后による近畿攻略説」みたいな仮説から,
>> その線で,渡来系下戸人種の近畿侵入を想定しているわけでしょうか。

いえ、下戸遺伝子が沢山来たのは一度目(ニギハヤヒ?)ではないか。
二度目の伽耶は北九州勢も含めた倭韓連合であろうと思っています。
それが神武の家臣大久米の黥面の記述に繋がっているのではないかと。
従って二度目は下戸遺伝子を韓国より濃くするほどではなかったと思っています。

>> ところが,なんというか,記紀ともに伝わる逸話ですが,

>> 神功皇后摂政十三年の記事は,
>> 神功皇后,武内宿禰,太子(応神)が酒宴を開く話になっており,
>> 古事記にいう酒楽(さかくら)の歌というのを詠っています。
>> 大げさに言えば,酒をほめてディオニュソス讃歌ふうな,奔放な印象がします。

私の説、倭韓連合とは矛盾しません。(^^)

>> また,日本書紀の武烈紀八年の記事の中に,
>> 武烈天皇が,日夜常に宮人と酒に溺れた,という一節があります。

私は武烈天皇は実在の天皇ではないと考えています。
新羅の武烈王をこき下ろす為の創作では無いか?
あるいは継体天皇の王位継承を正当化するために悪行を重ねた天皇として書かれたと考えます。
大酒を喰らう人間を下戸が軽蔑していた事を表しているのではないでしょうか。
熊襲猛を酔い潰させて騙し討ちなども下戸の発想でしょうか。

>> >> 中国も北魏、金、元、清など度々北方民族の支配を受けました。
>> >> データが北京付近で取られたものでは遺伝子が濃く出るでしょうね。

>> そういう点も含めて,実証するには細部での検証が必要なのでしょう。

中国の学者が中国内の地域差を調査してくれるといいのですが。

>> ところで,一口に縄文人と言っても,
>> 次のサイトの縄文時代の土偶の顔なんかは,割と日本人ふうですかね!?

>> 釈迦堂遺跡博物館/縄文の顔 現代の顔
>> http://www.comlink.ne.jp/~shakado/jyosetu/face.html

左上なんか黥面風ですね。縄文時代も黥面をしていたんですかねえ。

>> >> [韓語でフツは、火、赫(かがやく)く物の意味があった。]
>> >> [「赤」といえば、紛れもない物部の皇軍だった。彼らの太刀の柄(つか)には赤い丹塗り(にぬり)を施し、刀尻には赤い布を裁って飾っていた。そこで、物部の宝剣は、「赤」というアイヌ語、「フレ」が語根であるとも考えられる。子音のr音は、t音に日本語化されるので、フレはフツにもフルにもなるのである。]
>> >> と言うのもありました。

>> その韓語説は,先に紹介した三品説が基本でしょう。
>> 安本説によると,半島の言葉とアイヌ語とは語源的に関連するとかです。

>> ただし,日本語の「振る」で意味は通じます。

意味は通じても「振る」では面白くないし「布都」との関連が薄くなります。
人を切るとき「フツ」と音がするなんてあまりに??

>> >> これが真実ならば首露王伝承とも関連する可能性もあります。
>> >> 「首露王は赤い布に包まれた金の箱に入って久亀峰に降臨した。」
>> >> 「クジフル」は言い古されていますから置いとくとして
>> >> 「フツ」「火」=赤い。「金」=輝く。「フル」=「赤」、そして「降臨」など。
>> >> 「布留御霊、布都御霊」は首露王伝説の投影ではないかと言う気がして来ました。

>> 「首露王は赤い布」云々については,位相が異なると考えられるので,
>> うかつには比較しないほうがいいです。

物部の太刀の柄の「赤い布」ですから位相は一致しているのでは?
首露王を包んだ「赤い布」と太刀(物部の象徴)を飾った「赤い布」ですから。
すくなくとも「流れてきた布が切れずに留まった」というのよりはマシでしょう。

>> 片や瑞宝と剣のことだから,それも,うかつに一緒にはできません。
>> が,鉄との関連はあるかもしれないので,剣は想定できるかもしれません。

>> 十握剣は,韓鋤剣とも呼ばれるので,少なくともモノ自体については,
>> 韓国製あるいは韓鍛冶製という線は濃いですから。

>> モノだけ輸入したかもしれないわけです。

>> また,神代紀上によると,経津主神は血と関連付けられた石から生まれた,
>> との一説があるので,血から赤い色を連想はできます。

>> というわけで,幅広く調べるのはよいことです。

>> >> そう言う事が石上神宮とどのように結びつくのでしょう?

>> まず,前提としては,卑弥呼を物部氏と関連付けて推理する説があること,
>> しかも,物部氏について渡来人説と縄文系説との二つを見かけること,
>> 赤い色と言えば,物産である丹を連想すること,などです。

なるほどもう少し検索してみましょう。

蒙古語説のHPにはメールで質問したんですが返事がきません。




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