Re: Title高麗が原 ◎「大正解」だそうです

投稿者[ 坂口 孝男 ] 発言日時 [12月15日(日)18時27分57秒]

元の発言 [ Re: Title高麗が原 ◎「大正解」だそうです ] お名前 [ 牛頭 ] 日付 [ 12月14日(土)07時05分13秒 ]


>> >> 帯方郡は、定説として現韓半島ということになっておりますが、これは古代東アジア史の大きな誤謬の一つです。正しくは、中国・遼寧省・現「海城市」で、遼寧省「熊岳城」が300年代後半の最後の帯方郡治であり、その後、百済の台頭によって消滅しているそうです。

>> とすると楽浪郡は何処になりますか。

>> >>  狗邪韓国、封海国、一大國の比定について、山形明郷先生は、朝鮮海峡・対馬海峡の間に点在する島嶼名であろうと思うが、それ以上言及してみても無意味ではないかと危惧しております。その理由は、次のレスポンスの箇所に記します。

>> 帯方郡治を中国・遼寧省に求めた為、狗邪韓国、封海国、一大國をはっきりと指し示す事が出来なくなったのではありませんか。


楽浪郡の所在地のご質問もあるようですが、その正確な解答をしてみても、また、「楽浪郡を中国・遼寧省に求めた為、狗邪馬韓国、封海国、一大國をはっきりと指し示す事が出来なくなったのではありませんか」、と確実にご指摘なさることと思われます。


>> >>  通称『魏志倭人伝』は、撰者・陳寿が自ら出向して実地踏査・輯録したものではありません。陳寿は洛陽以北へは一歩も踏み出していないとのことです。しかもその伝の内容は、陳寿とほぼ同年代の魚拳(ぎょけん)が撰した『魏略』を母胎とし、他の多くは伝風聞が主であり、『帝紀』以外それ程信憑性のあるものとは言い難いそうです。


>> 陳壽が三国志を書いたのは280年から285年に掛けてだそうです。
>> 266年の晋への台與の朝遣からさほど時間をおかずに書かれたものですから伝聞といってもめちゃくちゃなものではないでしょう。

>> 幾度となく倭国を訪れ駐在した使者がおり、少なくとも三度は邪馬台国からの使者が洛陽を訪れているいます。
>> 張政などもまだ生きていた可能性もありますし、かなり精度の高い情報が得られたでしょう。


 「日本列島」を幾度となく訪れ駐在した使者がおり、少なくとも三度は「日本列島」からの使者が洛陽を訪れていて、しかも張政なども未だ生きていた可能性もあり、かなり精度の高い情報が得られていたのならば、「邪馬台国問題」はもう解決済みであり、何も300年以上も喧々囂々論争に明け暮れることなど無意味の一語に尽きるのではないでしょうか?「倭国」に包括される「邪馬台国」の所在地が100%日本列島内では在り得ない、というのが問題なのだと思います。


>> その時代、邪馬台国を知る人が沢山いた訳であまり変な事を書いたら笑われてしまいます。


 山形先生、ファックスでこの箇所を読まれて、大笑いしておりました。「邪馬台国は何が何でも日本である」とするマインドコントロールから覚醒しない限り、どなたに何言っても分かってもらえそうにないから、この辺でとのことです。


>> >>  古代東アジア史の第一ページ「古代朝鮮の所在地」の定説に重大な誤りがあるため、その後に続く上記「帯方郡の所在地」も一瀉千里、韓半島に在ったと誤謬を重ねているのだと論じています。

>> >>  この所在地は、ともに韓半島ではなく中国・旧満州であり、この所在地・検証を出発点としない限り、正確な古代東アジア史も古代日本史も理解することは全く不可能とのことです。

>> >>  在野の研究家・山形明郷先生による、古代東アジア史研究者中で前人未踏・最初である極めて重大なこの問題提起に対し、日本のアカデミズムは依然として沈黙し口をつぐんでおります。


 中国・北京大学・亜非研究所の劉渤先生から、在日中国大使館を通じた公式ルートで、以下のコメントを戴いております。

 『山形明郷先生は、広い範囲にわたる古代の中国・日本・朝鮮の歴史関係の原典を読破研究されて、論拠を組み立てております。
 山形先生の、とことん突き詰めていく強靱な学究精神に対して、私は感服し、また尊敬を致します。
 私は、この著作を中国語に翻訳して、広範な中国の史学者達に紹介したいと思います。
 著作等身 ― この著作は、著者の身長と同じ高さに積み上げた「金塊と同等の輝かしい価値」を有する論証です。 ― 』



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