サヨ

Last Updated 1998.11.13

 11月11日夜、映画評論家の淀川長治さんが89歳にてお亡くなりになりました。
 正直なところ、私が本格的に映画を観るようになったのはここ3・4年ほどのことです。それに、その前も後もどちらにしてもテレビやビデオではあまり映画を観る方ではありませんでした。だから、「日曜洋画劇場」での淀川さんの解説にしてもそれ程多く観ていたわけではありません。とはいえ、そうであっても淀川さんの死は私にとって様々なことを思い起こさずにはいられません。

 私は2度、淀川さんのお話を聞く機会がありました。
 1度目は1996年の第9回東京国際映画祭の時でした。特別招待作品にて上映された「バードケージ」の上映前に淀川さんが作品についてお話をして下さったんですね。お話の内容は主にコメディ映画であるこの作品の笑いどころについてのお話だったと思うのですが、淀川さんの見事なお話はそれすらも爆笑もので、これだけ見事に説明して下さるシーンは一体どれだけ面白いのだろう、と思ったものです。実際に映画を観るとやはりそれは面白かったのですが、その面白さは淀川さんが先だってお話して下さった、ということが非常に大きかったと思うのです。映画の良いところを最大限伝えていこうとする淀川さんのスタイルを私はここで身をもって感じることが出来たのでした。
 2度目は今年の5月に通っている大学に講演に来られた時でした。講演の開始時間に大きく遅れてしまって、後半の1時間弱くらいしか聴くことが出来なかったのですが、映画の魅力や映画から学ばれたことについてなどのお話をして下さいました。
 その2度の機会において共通していたことは、いくつか思い当たるのですが、真っ先に思い出すのは、映画について本当に楽しそうにお話していたということですね。語り口に熱がこもっているというのでしょうか、2度のどちらの時でも当初予定されていた時間をかなりオーバーしてしまったのですが、それも愛する映画のことを話し出したら楽しくて楽しくて止まらなくなってしまうからなのでしょうね。それは本当に印象的でした。
 1度目と2度目で違っていたことといえば、お体のことでしょうか。1度目の時は声も非常にしっかりしておられましたし、ご自身でしっかりと歩かれていたのですが、2度目の時には車椅子に乗られていて、若干声量が落ちていたような印象もありました。それでも2度のどちらの時も、最後のあの名セリフはマイクを通さずにおっしゃるのですが、その声はちゃんと会場中に響く力を持っていました。

 よく言われることですが、淀川さんの評論は日頃映画にそれほど関心を持たない人にも強い説得力を持っていたように思います。淀川さんの評論はそれそのものが一つのジャンルになっていたと言っても過言ではないでしょう。十の小難しい言葉よりも、一つの易しい言葉で映画の魅力を言い当てる感性を持っていた方、とでもいうべきでしょうか。そして、何よりも映画に絶え間ない愛を注がれた方でしたよね。また、フィルムが現存せず淀川さんの記憶の中にのみ生き続けた1910〜1920年代の映画が数多くあったことなども思うと、やはりその死によって我々はかけがえのない方を失ったのだと思わずにはいられません。

 死の前日、淀川さんが最後にご覧になった映画は「日曜洋画劇場」の解説のためにご覧になった「ラストマン・スタンディング」とのこと。この映画そのものはさほどの傑作というわけでもないと思うのですが、一足早くお亡くなりになられた黒沢明監督の「用心棒」が原作であるこの作品が最後であったというのには何かしらの因縁すら感じます。

 今頃は映画の天国で黒沢監督やチャップリンと楽しく語らってるのかもしれませんよね。私も淀川さんのように映画を感じられる心を少しでも持ちたいと思うばかりです。
 最後はやはりこの言葉しかありませんよね。

「サヨナラ、サヨナラ、サヨナラ」


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