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ローバーミニ

 1982年、ミニにとっては懐かしい名称「Austin Rover」が再び社名となって復活した。日本でも1983年5月「オースチン・ローバー・ジャパン」が設立され、1985年には日英自動車もARJの一員となる。

 その1982年10月にミニに「メイフェア」のモデルが追加された。このメイフェアは、フェンダーにビス止めの樹脂製オーバーフェンダーが装備されるなど、いかにも現代風のミニな仕上がり。以後、メイフェアがミニのメイン車種となる。メイフェアという名前はロンドンのハイドパークの東に位置するハイクラスの住宅街の名前であり、ロンドンの社交界を意味する単語でもある。

 1984年から、タイヤのホイールサイズも拡大。(10インチから12インチに。フロントブレーキに大径のディスクブレーキを装備するため)

 実はその年は、カタログモデルではないがクーパーが復活した年でもある。発端はジョン・クーパー自身がローバーにクーパー復活を打診した事に始まる。しかし当時のローバーはその計画を実行に移す体制にはなく、あえなく拒絶されるという憂き目に合う。そこに現れたのが日本のスペシャルショップ「ミニマルヤマ」だった。ミニマルヤマは、当時のディーラー車を懐古調のクーパーに仕立て、ジョン・クーパーの元へ持ち込んだ。その車に対し、ジョン・クーパーは感銘を受けたものの、現代版クーパーとするにはチューンレベルが高すぎるのではないか、現代のクーパーモデルはもっと洗練されたものでなければばらない、という回答をした。しかしその仕上げは採用され、エンジンはジョン・クーパー自身の、内外装はミニマルヤマの担当で、プロジェクトは独自に進められた。そして完成したのが「ミニ・ジョン・クーパー」である。

 このミニ・ジョン・クーパーは世界的に反響を呼び、当のローバーも絶賛するほどであった。この新たなクーパーモデルは1000ccで62馬力の設定だったが、1987年にローバーはこの62馬力の設定に注目し、1300ccのクーパーモデルの開発に乗り出す事になった。


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