棋士の将来は暗い
1999.07.10作成
文責:飯島麻夫

写真がヨーロッパにでまわりはじめた頃、その正確な描写力を目の当たりにしたある画家が「今日を限りに絵画は死んだ」と呟いたそうだ。
当時、特に肖像画家などは正確な描写力だけを売りにしていたから、写真のようなものが出てきては商売にならない、と考えたのも無理はない。

このように自分の存在価値そのものを、たかが機械に否定されてしまった人の気持ちは察するにあまりある。

特に最近、時代の流れるスピードが非常に速い。
子供がいたらそろばんなどを習わせるのはすでに時代遅れで、コンピュータでも習わせたほうが将来よほど役に立つ。いくらそろばんで計算が速くても、コンピュータにはかないっこないのだから。

それと同じで、いまさら自分の子供にプロになることを目標に将棋をやらせる、というのもいささか時代遅れだと言えるかもしれない。たぶん、彼らが大人になる頃にはプロの棋士でもプログラムに歯が立たない時代になっているだろう。どうみてもプログラムの進化のスピードのほうが早い。また、将棋のプロは弱くなることがありうるが、プログラムが弱くなることはほとんど有り得ないのだから、これはもう時間の問題といってよいだろう。

プロの将棋士がいなくなるといっているわけではない。ただ写真の登場によって多くの肖像画家が失業してしまったように、将棋でもプログラムの実力がプロの棋士たちを追い越してしまえば、プロの将棋士のニーズもどういう減り方になるかは定かではないものの、とにかく減っていくのは間違いない。

そのうち、誰が将棋が一番強いか、と聞かれれば誰でもコンピュータ、と答えるようになるだろう。当然、強い人同士の勝負に対する人々の興味が薄れていくのは間違いないからだ。

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