「人生にハッピーエンドはない。
ハッピーエンドがあったとしてもそれは単に途中経過にすぎない。」
今日郵便受けに放り込んであったスポーツ新聞の記事の中の気になる格言だ。
本当にそうだろうか?
悲劇のカタストロフか、ハッピーエンドか、それは見方によって違ってくる。
例えば「天皇陛下万歳!!」と叫んで死んでいった特攻隊員。平和な現代の反戦的な価値観から見れば確かに悲劇、と言うことになるのだろうが、大戦中の価値観(「狂った価値観」と言う人もいるかもしれないがそれでも価値観であることには変わりないのだ)では、本人にとっても家族にとっても一種のハッピーエンドであった。彼はお国のために命を捧げた英雄なのだから...
考えようによってはお国のため、あるいは人一人の命でも救って死んでしまった方が華々しくって潔くていいかもしれない。その後の凡庸で退屈きわまりない人生を送っても誰も家族以外は誰も思いだしてはくれないだろう。
どうせ人生なんてつまらないに決まっているじゃないか。
悲劇の結末では人(特に主人公、または主人公に近しい人)が死ぬことが多い...というかほとんど死ぬ。ハッピーエンドで人が死ぬことはあんまりないので、本当は続きがある。だからハッピーエンドの瞬間は人生の途中経過だ...というだけの話ではないだろうか?
そう考えると人生にカタストロフもハッピーエンドもないと言った方が正しいのではないかな?
かくいう私もハッピーエンドは大嫌いだ。
ハッピーエンドが嫌いな理由はきっと他にある。