メッセージ
1999.03.12作成 → 1999.03.15修正

ある映画の宣伝用にスタッフや出演者のインタビューを行なっている。

「この映画のメッセージは何ですか?」

の質問に対し、出演者、スタッフ一人づつ聞いていくが、みんなが考え込んでしまって答えがでてこない。
最後に監督に

「この映画のメッセージは何ですか?」
「ええと...そんなものはないです。」

そう。映画だろうが小説だろうが、別にメッセージを持たないものがあってもかまわないし、実際そういう作品は多くある。
自分が長年受けてきた教育に大きな疑問を持ってしまうのはこんなときだ。

まず国語の授業では「文章を読んだら必ず著者のいいたいこと(メッセージ)をつかみなさい」と教えられてきた。だから優秀な人間ほど、あるいは受け取ったものを言葉で表現する習慣のある人ほど、文章に限らずなにか創られたものがあると、何らかのメッセージを受け取ろうとしてしまう。

そういう癖が付いていると危険なのは、メッセージを持たない優れた作品があっても、素直に「優れている」と認めにくくなってしまうことだ。

文芸作品や芸術作品にメッセージが必要なのだろうか?

確かに芸術作品の中にもベートーベンの第九やピカソのゲルニカなどなど、特定のメッセージを持った優れた作品がある。しかし「第九」や「ゲルニカ」は、メッセージや時代背景を知らない人でも十分に楽しめるし、そうでなくては優れた作品と評価されることはないだろう。「第九」が何を言いたいか、「ゲルニカ」がどんな時代背景に描かれた絵なのか、を知っていてもせいぜい周囲の人に知識をひけらかすぐらいのメリットしかない。
芸術は時間や場所を超越してこそ芸術。

文芸作品をおなじく芸術として創り上げようとするなら(ビジネスだと思っている人ならともかく)、メッセージなんて必要ない。また、そんなものがあるという前提で見たり聴いたりしようとする態度は間違っている。

ただでさえゴミのような情報があふれている現代、文章なり創作品なりが目の前にあってもなんらのメッセージを受け取れないことの方が多い。

それが価値あるものかどうか判別できる能力の方がよほど大切なのではないだろうか。

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