SOHO人口は確かに増えているものの、実はその生活実態は結構ひどいものらしい。そこらへんの雑誌に嬉しそうに出ている人たちの例を見てみると月収が15万円、年収にして200万円未満で、これは今時、決して「健康で文化的な生活」を営めるレベルの収入じゃない。でも、本人たちに「現状に満足していますか?」と聞くと、意外なことにほとんどの人が「満足している」と答えるのだそうだ。
私はフリーではあるが特にSOHOにこだわりを持っているわけではない。必要があれば出かけていくし、たとえでかけっぱなしになったとしてもそれはそれでちっともかまわない。
まったく同じ仕事をしても出かけていって仕事をするのと自宅でSOHOするのとでは出かけていくほうが普通は報酬もいいのが現状だ。
SOHOを採用する企業があえてSOHO労働者を使うのか、と理由を考えてみれば
1.安く使える
2.都合のいいときだけ使える
などなど「コスト削減」の目的が大きいものと想像される。つまり使う側の都合のいい理由から適当に使われているにすぎない。
これではだめなのであって、
1.この人に頼めば質の高い仕事をしてくれる。
2.この人となら仕事がやりやすい
3.ひいてはこの人を失いたくない
依頼する側から「この人」に頼みたい、という意識を持ってもらう必要があるわけで、パソコンさえ持っていれば誰でもできるような仕事をこなしているだけではSOHOなんぞをやる価値はない。そこまでできなければSOHO=「コンピュータを使った内職」となってしまう。
SOHOのあやまったイメージが持たれがちなのはマスコミの責任が大きい。
もちろん馬鹿げたイメージをそのまま信じてしまう情報を受け取る側の責任も否めないが。
『パソコンとインターネットがあればSOHOがはじめられます。』
SOHOをはやしたてる多くの人たちが考えているように、「パソコン買った、インターネットにつないだ、これで私も立派なSOHOです」というわけには行かない。
ピアノを買ったからピアニストになれるかと言えばそうではない。ピアニストになれるかどうかは、ひとえにピアノをいかに上手に弾けるか、にかかっている。
同じようにSOHO労働者にとって重要なのは、パソコンやインターネットを使っていい仕事ができるか、なのであってそもそも付加価値の高い仕事ができないような人間がパソコンやインターネットを手に入れてもごみ同然なのだ。
2.『地方でSOHOする...これこそ理想的な生活。』
確かに...でも本当にそれができればの話。東京でさえ早々仕事があるわけではないのに、カネない、モノないの地方では状況は一層苦しくなって当然じゃないか。
このようなことを言うと本人がどこにいようが仕事ができるのがSOHOであって地方に住んでいるからと言って地方の仕事しかできないと考えるのは誤りである、と指摘されるかも知れない。
しかし、重要な仕事をすればするほど、人とあわずに仕事をすると言うことは難しくなる。東京の仕事をとろうとするとき、東京に住んでいる人の方が圧倒的に有利なのは当然だ。ごくまれに地球の反対側からインターネット経由で仕事を依頼された、などという極端な例がマスコミに取り上げられがちだが、こんなのは依頼されたほうがごく特殊な技術を持っていたりするケースでまれに起こる現象であって、こんなのを一般的なケースに当てはめて考えるのは愚かなことだ。
というわけで、自宅にいながらマイペースで仕事をしたい、なんていう能天気な理由でSOHO化に踏み切るのは辞めるべきだ。
どうしてもSOHOを経験してみたい人は会社に勤めながらでもはじめてみるのが良い。
SOHOに踏み切るのはある程度「いける」という確信ができてからにしよう。