「論語」なんていらない
1999.04.10作成

高校ではいかにも有り難いものでも読むように「論語」を教わったような覚えがある。が、あんなものは一生懸命勉強するほどのものでもない。

確かに儒教は日本を含む東アジアの根本的な思想になっていることは確かなのだが、それだけの意味しかない。とても世界に通用するような思想ではないのだ。
もともと権力者が人民を支配するのに都合のよい思想だったからたまたま採用されたに過ぎないのだから...

また、儒教の保守的、階級的なイデオロギーの影響で、自由な文明、経済の発展が阻害されてきたマイナス面も忘れてはならない。現在(10年後20年後はわからないが...)、中国や韓国が日本に後れをとっているのも儒教のせいだ、と言えないこともない。

というのは、もともと日本は海でへだたれているため儒教の影響が比較的少なかったのと、江戸時代の永年の鎖国と平和な時代が続いたおかげで、独自の自由な文化を形づくることができたからだ。明治維新の原動力はあの時代に急に現れたものではなく、江戸時代に時間をかけて培われたもの、と言う説はいまや歴史の通説となっている。

というわけでいいかげんに「論語」はそろそろ博物館入りさせよう。
はっきり言って時代遅れだ。

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