金儲けと社会貢献
1999.04.28作成

有名な例え話にこんな話がある。

A国とB国はGNPがまったく同じだった。
ある日、A国のある薬屋がA国内に大量の蚊を放った。
A国の国民は毎晩蚊にさされ、かゆみに悩まされるようになった。
当然、薬屋はかゆみ止めの薬を売って、たいそうな利益をあげた。
結果としてA国のGNPがB国を上回った。
豊かになったのは一体どちらの国なのか?

この話、本当はたぶん左よりの人が資本主義を皮肉った話なのかもしれない。
この話がいいたいことは「A国の人は蚊に刺されてかゆい思いをしただけで、B国の人に比べて決していい思いはしていないはず。それにもかかわらず、数字上はGNPが増える。資本主義なんてこんなものなのさ。」ということだろう。

しかし、間違いなく、豊かになったのは、蚊にさされてかゆみ止めの需要が発生したA国なのである。

薬の工場が足りなくなって工場を作る。多くの労働者が雇用される。失業率が下がる。家計が潤う。車を買う。車屋が儲かる...
国内に蚊を放ったことによって需要が作り出されたわけだ。需要が需要を呼んで経済は膨らんでゆく。資本主義のそもそもの原理はこういうもので、一生懸命金儲けをしていればどういうわけか社会全体が豊かになっていく、はずだった。

ところが、これは成長期だけのお話。

今はもはや低成長時代。日本のGNPの伸びはほとんどゼロに等しい。
こういう時代になると、経済は誰かが得をすれば必ず誰かが損をする、いわゆるゼロ=サ
ム・ゲームになってしまう。
たとえば、最近のニュースで例えれば、Playstationでソニーが大儲けすれば、敗北したセガが、リストラ計画を発表する。こんな具合だ。
つまり市場の需要は全体で見ると一定でビクともしない。Playstationが売れればSega Saturnが売れない。あるいはゲーム機が売れれば他のおもちゃが売れにくくなる。

「金儲け=社会貢献」の信仰はもう通用しない。
誰でも金儲けしなければいきていけないのだろうが、もはや金儲けだけでは「社会貢献」したことにはならない。

「社会貢献」て何なのだろう?
考え直してみる必要があるように思う。


<<戻る  <<表紙