天才と凡人
1999.04.30作成

他の素人随筆のサイトを見ていたら「天才と凡人」というタイトルが見つかった。私が書くとしたらこうだろう。

天才は生まれつき才能があるから天才なのではない。
その才能が実際に発揮されて、しかも世間一般に広く認知されてこそ、はじめて天才と呼ばれる。

「天才」と聞いて、私がどうしても思いついてしまうのはモーツアルトだ。
彼の突出した才能はいまさら疑う余地もない。
が、彼にしても裕福な家庭に生まれ、しかも教育熱心な父親に恵まれたからこそ、死後200年以上を過ぎて世界中にファンを持つ、「天才中の天才」としての彼がある。

たまにこう考えることがある。もし「生まれつき才能がある」だけの人を天才と呼ぶなら、モーツアルトを上回るような天才は人類の歴史上、もしかしたら、何百人、何千人もいたのではなかろうか?

ただこういう人たちは、不幸にして生まれ付きの才能を発揮するチャンスに恵まれなかった。たとえば、

1)女性だったり(天才と呼ばれる女性は歴史上皆無に等しい)

2)時代が悪かったり(音楽で食っていけない、あるいは音楽家の地位が非常に低いような時代では、天賦の才能を発揮する機会さえ与えられない)

3)ヨーロッパに生まれなかったり(今世紀なら話は別だが、アジアやアフリカなどの辺境の地で産まれても、歴史に名を残す作曲家になれる可能性は少ない)

4)家庭が貧しかったり...(子供の頃から英才教育を受けたほうが断然有利なのは間違いない)

などなど、天賦の才能にとって不運な事情はいくらでもある。人類数百年の歴史、広い世界の中で、才能をいかんなく発揮できる幸運な環境のもとに生まれることのほうが奇跡に近い、とも思えてくる。こうして多くの貴重な才能が無駄になり、彼らは凡人として一生を過ごさなければならなかった。

彼らはモーツアルトを上回る素質を持ってはいたが、そのチャンスに恵まれなかったために、モーツアルトに比べれば素質としては劣るかもしれない、ベートーベンやブラームスなどに先を越されてしまった、というわけだ。

そういう意味では現代の日本の義務教育は勉学にせよ、体育にせよ、音楽にせよ、美術にせよ、すべての国民に一応の平等な機会を与えているわけで、評価できることだ思う。


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