タダノリ世代の義務
1999.05.18作成

今社会にでている、我々の世代は非常に恵まれているし、ラッキーだとつくづく思う。
いまの日本じゃ欲しいものは、何でも手に入る。なんでも好きなことが言える。

我々がこんなに豊かに生活できるのは一体誰のおかげなんだろう?
我々が努力したおかげ?「我々」といっても努力したのは我々の世代じゃない。
僕らの世代が何をした? せいぜい、バブルの勢いにのって、そして、その後遺症にもがいてるだけではなかろうか。

いまの日本が豊かなのは、我々の親や祖父母、あるいはそれ以前の世代の人たちが、数々の嫌な想いにもめげず、血のにじむような苦労や努力をしてきたからだ。僕らの世代は、彼らの血と汗の上にタダでのっかっている、いわば「タダノリ世代」だ。

で、そのタダノリ世代が、当面の生活に困らないからといって、自分の生活を楽しんでばかりいたとすると、我々の子供や孫、あるいはそれ以降の世代はどういう目に合うのだろう?
将来のことは何とも言えないけど、環境問題、エネルギー問題、人口問題、民族問題、等々将来不安な問題は腐るほどある。こういう問題については僕らの世代の責任でひとつひとつ解決に向けて努力していかなきゃならない。確かにこういう問題の原因は、僕らの先輩の世代の責任も大きいけど。

たとえば、の話。別に地球環境や、その他僕らが抱えているもろもろの問題を知らなくたって、日常生活上、まったく困らない。
でも、自分の顔の上に皮膚がんができてから、それが上空にできたオゾンホールのせいだと知ってあわてても、そのときにはすでに遅いのだ。

別に努力しなくったって「我々」は困らないんだけど。
困るのは我々の子供や孫の世代なんだから。

そんなに無関心なことでいいのかな?
知って、考えて、行動するのが僕ら「タダノリ世代」の義務ではなかろうか?

<<戻る  <<表紙