清貧の思想
1999.06.02作成

5年前ぐらいだろうか?「清貧の思想」という本が比較的高い年齢層の人たちの間で流行ったことがあるらしく、その頃私も両親に「読んでみたら?」と勧められた。しかし読んでいない。だって、題名を聞いただけで何が言いたいかわかってしまうから。
「清貧」と聞いて、俳人とか、仙人とか、托鉢僧とか...なりは貧しいけれども精神的に高いレベルにある人たちを思い浮かべるのは私だけではあるまい。
東洋人にとっては昔からベースにある考え方で、決して目新しい考え方じゃないはずだ。

まさに、私の両親は「清貧」な生活をしていて、うらやましいと思うことがある。
母親によれば、年をとると欲望が無くなるのだそうで、彼らを観察していると、本当に生活に必要なもの以外は買わないし、決して贅沢をしたがらない。食べ物も山や畑からとってきた茸や山菜、野菜を楽しんで取ってきて、しかも楽しんで食べる。

高いお金を払ってイタメシやステーキをほうばっている我々より、なんと豊かな生活を送っていることか。

私もフリーになって以来、資金繰りに困窮することがあって、何度かこういう目にあってみると、なるほど、お金を使わないと、実に清らかな生活ができることがわかってくる。何も買わないからゴミはほとんどでない。車にものらない。
少なくとも貧乏な方が地球環境に優しいことは確かなようだ。

できることといえば、仕事、読書、考えごと、などなど生産的かつ知的活動に限られる。人によってはテレビっていう手段もあるけど。
考えてみると、もし体が健康であるなら、貧乏っていいことばかりじゃないか?

大きな家に住んで、いい車にのって、いい服を着て、高いホテルに泊まって旅行をして、毎晩うまいものを食べて、女をたくさんかこって...それが一体何だと言うのだろう。ただただ欲望を満たすために無駄なお金を費やすなんて、人間として恥ずかしいことじゃないか?

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