ムトゥ踊るマハラジャ
1999.06.16作成
日本映画も高度成長期の60年代は非常に元気があって、エンターティメント作品の中にもギラギラとしたエネルギーを感じさせる映画が多かった。
「ムトゥ」のような映画は今の日本ではちょっと創れそうにない。
表情とメイク次第でころころと変貌するヒロインの顔とか、涼しそうな歌声とか、こてこての衣装とか、何となく見え隠れする差別意識とか...近いようで遠い国、インドに馴染みのない日本人にとって驚くことが多いので、一度観ておいて損はない映画だと思う。
ところで、映画の最後の部分で主人公および周辺の人を消そうとした敵役の悪党たちが、使用人から一躍大地主に出世した主人公をニコニコしながら見送るシーンがあって、我々の普通のセンスからすると許せないことだ。悪者は最終的に死ぬかひどい目にあうのが常識だ。
大概の人は、映画の中でどうしようもない悪者の悪逆非道ぶりを見せつけられて、「死んじまえ!」と心の中でつぶやくと思う。
で、こういう悪者が観客の希望通りに、死んでしまったりすると「ざまあみろ!」と思うだけでかわいそうだとも思わない。
これって非常に心の狭い反応ではなかろうか。
民族紛争の続発で「ごく普通の人が殺戮者に変わる」とさも不思議なことのように言われている。が、殺戮者の心理は、悪役が残虐に殺されるシーンを見ているときの我々の心理と何ら変わるところはない。
相当な悪者だって、ちょっとしたきっかけで更正する可能性はあるし、そういう可能性にまずは期待してみるのが心の広い人間というものだろう。
「悪い奴は罰を受けて当然」と思うような人は狭小な精神文化に毒されている、とは言えないか。
悪役の登場人物に思わず憎しみを感じてしまったとき、ちょっと自分を省みてみよう。
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