起承転結
1999.06.29作成

最近のハリウッド映画ははっきり言ってつまらない。
みんな同じ映画だからだ。わかりやすく、感動的な構成にするための鉄則「起承転結」が律儀に守られているためだ。

理由の一つは2時間前後という限られた時間でどんな観客にもわかいやすいようにストーリーを展開するにはこの形が一番良い。

例えば、「ロマンチックコメディー」といえばもうストーリーは解かったようなものだ(他のジャンルも似たようなものなのはご承知の通り)。

パターン1:

起:二人の一風変わった出会い
承:恋に落ちて熱烈に愛し合う。
転:何らかの障害が起こって別れるか、という状況に陥るが...
結:何らかの感動的なきっかけでめでたく結ばれる

パターン2:

起:二人の一風変わった出会い
承:すでに恋に陥っているのだけれども、お互い素直になれない。
転:何らかのきっかけで自分の素直な気持ちに気づき...
結:めでたく結ばれる

ロマンティックコメディーと称するからには最後の「めでたく結ばれる」というところは変えられないのだけど「最初から最後まで好き!好き!好き!で、めでたく結ばれる。」というような話があってもおかしくはない。

わかりやすいのは結構なのだが、まるでハリウッド映画全体が「水戸黄門」のように毎回毎回同じものを見せられているような気持ちになってしまうのは私だけなのだろうか?

映画「アマデウス」での敵役のサリエリとモーツァルトの会話が思い出される(ちなみに「アマデウス」は起承転結型の映画ではない。)。

サリエリ:「曲の最後を盛り上げてやれば観客は拍手喝采するよ。」

モーツァルト:「わかってる。それはあなたの得意なやり方だ。」

観客を嘗めきっているサリエリと、あくまで作曲家としての誇りを捨てないモーツァルト。
この会話が根拠のある実話とはとても思えない。でも、それなりに社会的な地位と富を得たもののほとんど忘れ去られているサリエリと、サリエリほど裕福な生活はできなかったものの歴史上評価の高いモーツアルトの差って、きっとここなんだろうと思う。


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