エコロジーと経済
1999.07.11作成

エコロジーは、単なる流行やファッションではない。好む好まざるにかかわらず、誰でも従わざるを得ないのが時代の必然と言ってもよい。

例えば、エコロジーにまるで無関心なような人は、エコロジストの目から見れば、すでに無教養な野蛮人としか写らない。近いうちに、誰もが同じような感覚を、必ず身につけることになる。すでに選択の余地は残されていないのだ。

エコロジーをすすめていくとどういうことになるのだろうか?

まず、我々の生活は間違いなく貧しくなる、というよりは「貧乏性になる」といったほうがよいだろうか?

例をいえば、ティッシュ一箱買って、従来その一箱で今まで一週間しかもたなかったものを、あえて一カ月もたせる、と言うことだ。当然ティッシュの生産量は減る。おかげで余計な木を伐らなくてすむから地球環境には貢献できる、というわけだ。
そのかわりティッシュを製造しているメーカーの売り上げは間違いなく減る。
これはティッシュに限らずあらゆる分野におよぶから、エコロジー精神が社会に浸透すれば、あらゆるモノの需要そのものが減らざるをえないだろう。

もう一つはモノの値段があがるのではなかろうか、ということ。
いままではモノを作ることだけ考えていればよかったのに、エコロジーの精神からするとそうはいかなくなる。
産業廃棄物の処理、回収、再利用...等々いいものを安く作ることだけではなく、資源の流れ全体を考慮れてモノを作らなければならなくなる。
効率や製造コストしか念頭にない経営はもはや通用しない。
おそらく資源を使ってモノを作るためのコストは上がることになる。また、資源そのものの価格も上がっていくことだろう。市場原理からかんがえると地球資源の価格を課税などの方法によって上げてしまうのがエコロジー推進にはもっとも効果がある。

エコロジーが我々の生活に与える影響はその他にもいろいろ考えられるが、従来の考え方からするとあまりいいことはなさそうだ。

こういうことを考えると「エコロジーなんて辞めたい」と思うのも無理はないのだが、そうはいかない。
いままで何とかなってきているのだからこれからもうまくいくだろう、では済まされないし、すでに「待ったなし」の状況にまで我々は追い込まれている。

これはまさに「人類の存亡」をかけた戦いだ。

私は「なるべく本や雑誌を買わない」「ゴミをなるべく出さない」ことからはじめている。

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