愛は純粋にあらず
1999.09.03作成
例によって動物行動学者の本。うん、これはいい本だ。
モンシロチョウの場合は羽の裏の紫外線の反射度合いで雄と雌の区別は一目瞭然なのでわざわざ相手に触って確かめる必要はない。したがってオスのモンシロチョウはメスとみればいきなり襲いかかる。
面白いのはキアゲハの場合で、モンシロチョウのようなオスとメスを明確に区別できる特徴がないために、見ただけではお互い雄と雌の区別がつかないらしい。雄は同じキアゲハを見かけるととりあえず近づいていって、相手が雌かどうかは触って確かめる、ということらしい。相手が雌なら交尾するし、雄だったら「なんだ、男か。」ということであっさり去っていく。
触ってみて男だったら去っていく、というところがいかにも正直、かつまぬけでよろしい。
そういえばこういう夢を見たことがある。思いを寄せている(しかし肉体関係はない)女性にプロポーズしたところ、相手の女性が
「うん、嬉しいんだけど、私、男だから。やっぱり結婚は無理じゃないかなあ。」
と、言われてしまう夢。
言われた私のほうは「そうか。彼女って男だったっけ。これは失敗。」とすごすごと身を引こうと決心する。
滅多に有り得るケースではないが、このように、恋焦がれた女性が「実は男だった」という情報がインプットされたとたん、百年の恋もいっぺんに覚めてしまう、というのはごく普通の反応だろう。よく考えてみればご都合主義もはなはだしい。
男女の恋愛は相手がまず人間で、しかも異性であって、セックス可能で、変な病原体やウィルスを持っていなくて、同性愛者ではなくて、しかもふさわしい年齢で...と言う、非常に厳しい前提条件の下に成り立っている。
「あの人はHIVキャリアだよ」というような情報をインプットしてあげれば、通常はあっさりとあきらめがつく。どんなに好きな人であっても安心してセックスもできないようではやはり問題が大きすぎるわけで、本人たちの子どもが欲しい、欲しくないの意図には関係なく、やはりが「繁殖」が非常に重要な条件にはなっているのだ。
以上を考え合わせると、恋愛自体が実は条件だらけなのであって、決して純粋なものではありえない。
純粋でも、永遠でもないからこそ愛なのだ。
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