メランコ人間の場合
心の世界の主役は自分
対人関係は特定他者への献身
周囲の世界の認知は理論的・現実的
自己・アイデンティティは堅固
常識・価値観は内在
時間軸は過去へのこだわりおよび首尾一貫
シゾフレ人間の場合
心の世界の主役は他者(周囲)
対人関係は不特定他者への献身
周囲の世界の認知は魔術的・被害的
自己・アイデンティティは自分がない
常識・価値観は外在
時間軸は周囲との同調および過去との不連続
最近、どうも自分が他の多くの人と明らかに違う、と強く感じる。上記のような説明で、「どういう風に違うのか」を非常に解りやすく解説してもらったような気がする。
いうまでもなく、私は少数派で、気難しいメランコ人間、ほとんどの人がシゾフレ人間、ということだ。
例えば、「雑文サイト」などは他の人がどういうことを考えて過ごしているか、を知るのに非常に良い研究材料となる。シゾフレ人間の書く文章とはだいたい次のようなものである。(無断で引用された方ごめんなさい。)
以下引用
<例1>
おっと、ようやく思い出したぞ。ああ、すっきりした。今日は朝からどうも落ち着かなかったのだ。なぜかって? な〜んか忘れているような気がしていたんだよなあ。それもかなり重大な事柄を。そのせいで今日の仕事はちっとも手につかなかった。くそお、あの厚化粧め。二十二歳であれじゃあ、年増になったら顔にパテでも塗りかねんなあ。いいじゃねえか、ハンコを上下逆にうっても。わしは今日、それどころじゃなかったんだよ。
<例2>
飲み放題である。四季の季語、飲み放題に他ならない。なんと麗しい響きであろう。思わず心ときめいてしまうことであろう。血圧は上がり動悸なども生じることもあるかもしれない。白目なども剥いてしまうのも、むべなるかなといったところである。
以上引用
「どうだ面白いだろう?面白いだろう?」とでもいわれているような印象さえ受ける。特に<例2>など、うまい文章、と言えないこともない。リズムカルで、読んでいると心地よい。しかし、特に意味はない。
これがいわゆる「雑文」よばれるものなのだろう。書くほうもさることながら、読んでいるほうもシゾフレなのだからどうしようもない。
シゾフレに当サイトのような文章を読んでもらおうと考えるのがそもそも間違いなのだろう。
そもそもサイトが持つコンセプトが違う。「愛に不審」の場合、読んでいる人に媚びるのが目的ではないのだから。
というわけで、このサイトをブックマークしてくれているような人は、間違いなくメランコ人間だと思う。