DDLJ/ラブゲット大作戦
1999.09.21作成

1995年に観客動員数一億人を記録したというヒンドゥー語の映画。1999年9月25日から一般公開予定なのだけど、試写上映会に参加した。

決してできの悪い映画ではないし、下手なハリウッド映画(ほとんどのハリウッド映画は「下手」だ)などを観るよりはずっと得した気になれるだろう。だけど、圧倒的なインパクトを与えてくれたラジニカーント主演のタミル語映画(「ムトゥ/踊るマハラジャ」「アルナーチャラム」)を観た後では、ちょっと物足りない思いをぬぐいきれない。

理由の一つとして、なにかとイギリス統治時代の影響が色濃いインド北部の映画、ということもあるのだろう、さまざまな点で西洋化されすぎている、という点が大きい。

映画前半の舞台がロンドンとスイス、ということも確かにあるが、それ以上に...

1.音楽が旋律と楽器構成などがほとんど西洋そのもの。日本のポップスのように、歌手が下手な人に変わってしまえば、たぶんインドらしさはまったくなくなる。

2.ダンスは上手だが、これもまた西洋のミュージカルと何も変わらない。インド独特の首のクネクネさえ出てこない。

3.許せないのが「インド人=熱心なヒンドゥー教徒」という我々の思い込みに反して、ヒロインがキリスト教の教会でお祈りをするシーン。ヒンドゥー教は一神教ではないし、神聖なものなら何にでも手を合わせてしまうことは我々でもよくあることで、わからないではないのだが。

「西洋化したアジア人」にいささかうんざりしている日本人にとって、わざわざ神秘の国=インドの映画の中でまでそんなものを観たくない、と思うのは当然ではなかろうか。

それに対してタミル映画では、確かに西洋の影響がないわけではないのだけれど、自分たちの言語、文化、宗教などに対する強いこだわりがうかがえる。我々の心を大きく打つ要因として、このことは非常に大きい。

地球環境を研究している団体では、情報伝達のスピードが上がっている影響として、地球上の様々な民族の文化などの独自性が失われつつあることが懸念されている。

こういう面から考えると我々日本人は悪い見本だともいえる。
日本の伝統文化を守ろうと懸命に力を尽くしている人たちは多いにもかかわらず、それらが日本人の一般の生活に十分浸透しているかといえばそうでもないからだ。

ヨーロッパ諸国ならともかく、アメリカなんてなんら独自のものを持たない、文化的には非常にお粗末な、あわれな国なのだ。アメリカを一度でも訪れたことのある人なら、物質文化の豊かさに目を見張る一方、精神文化が薄っぺらであることに気づいても良いはずだ。
優れた民族文化を持った我々日本人が、どうして下等な民族文化しか持たないアメリカ人の真似をしなければならないのだろう。

もっと日本の文化にこだわりを持とう、ということだ。着物を人を最近まったく見かけない、というのもなんだか寂しい。
というわけで私は着物が欲しい。


<<戻る  <<表紙