当たり前
1999.11.25作成

「当たり前のことが書いてあるだけじゃない?」という投稿を受けた。
たぶん、この方はごく一部の文章=たとえば「遠距離恋愛」だけを読んでそう思ったのだろうと思うのだけど...

噂によるとメール恋愛が流行っているそうで、確かに「メール恋愛」をすでに実践している人が読んだとしたら「何を当たり前のことを...」と言われても仕方が無い。また、書いていて「自分は当たり前のことを大発見でもしたように大げさに書きたてているだけなのではないか?」と、ふと不安を感じることもある。

しかし、「当たり前」と感じる常識も時と場所と人によって異なるものだ。

たとえば、「雪の日には手の自由を奪ってしまう傘をさすべきではない。足を滑らせて死ぬ人も多いのだから。」と都会の人に主張することは、ある程度の意味はあることかもしれない。しかし、雪の日に傘を差すなんて思いもよらない雪に埋もれた地方の人たちに同じことを主張しても、「当たり前」と言われてしまうだろう。
あるいは、経験、知識、思考力すべての点ではるかに私を上回る人が私の文章を読んだとしたならば、このサイトまるごと全部「当たり前」ということになってしまう可能性だってある。

そう、自分が書く文章(絵でも音楽でも何でもいい)が「当たり前」だろうが「稚拙」だろうが気にしてはいられない。そんなことをいちいち気にかけていたらいずれ書けなくなってしまうだろう。
何よりも大事なことは、人に何といわれようが、とにかく書き続けることなのだ。

アゴタ・クリストフというハンガリー出身の作家の小説の中で、非常に気に入ってしまった言葉がある。

「人は誰でも、一冊の本を書くために生まれてくるんだよ。」

その通り。死ぬ間際になっても、一冊の本を書くだけのものが何も残っていないようなら、その人は人生を無駄に過ごした、と考えて間違いない。
このサイトも、まさに私にとっての「一冊の本」を書くための、まさに修業の場なのだ。

さあ、読んでいる貴方も眺めてばかりいないで、何か自分の表現したいものを、大真面目に表現しよう。

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