ストーカー哲学
2000.02.06作成


MP3でダウンロードした深田恭子さんのちょっと古い曲を聞いていたら(これだけでは著作権違反にはならないのでお忘れなく)次のような歌詞が唄われていた。

♪夢なんて見〜ない〜
♪現実も信じら〜れな〜い
♪この感情こそが〜すべて

なんてスゴい哲学だろう。
昔からの哲学のテーマとして「理想(夢)か?現実か?」というのがあるけれど、この歌詞の場合どちらでもなく、自分の感情だけがすべてなんだという。フィヒテの「絶対自我」だって、たぶんこんなことまでは主張しちゃいない。

この新しい哲学を「ストーカー哲学」とでも命名しようか?

所詮流行歌の歌詞なんだし、大げさに捉えなくてもいいんじゃ?と言われそうだが、笑い事だけでは済まされない、と思うのは、たぶんこれが私よりもずっと若い人たちの思いを代表しているのではないか、と思うからだ。

もちろん理想なんて高尚なものは持っていないし、自分の行動がどういう結果をもたらすのかについても十分思いが及ばない。最近の理解しがたい事件もこの哲学でなんとなく説明がつくではないか。結局のところ未熟、無知、愚鈍なために自分の感情を十分にコントロールできていないだけじゃないか?

「感情」は長い進化の過程で人類以下が編み出したシステムで、危険がいっぱいの自然環境の中では確かにサバイバルのための重要な手段だったのだろう。怒り、恐怖、嫉妬、全部そうだ。
しかし...ちょっと大胆なことを言わせてもらうならば...現代の社会生活において「感情は悪だ」と考えてもかまわないと思う。感情に引きずられるとたいていろくな結果をもたらさないものだ。

科学やビジネスでは冷静さが要求されるのはもちろんのこと、恋愛だって感情に引きずられて突発的に行動するよりは、計算づくで行動したほうが必ずいい結果が得られる。
これぐらいのことは誰だって経験していることだろう。

だから、感情をコントロールする術を学ばなければいけないってこと。

追記:深田恭子さんにまったく罪はありません。

??戻る