「愛に不審」誕生秘話
2000.02.27 UP
何も知らない学生をだまくらかして高価なローンを組ませる、という阿漕(あこぎ)な商売をする人たちが後を絶たないのは周知の通り。不況のおり、そんな会社はどうせ数年で潰れてしまうから断ってしまうに限る。
それはともかく、実は私もその手の商売に荷担していたことがある。二年ほど前のことだ。
当時その会社は会員(ほとんどが大学生)向けにWEBサイトを使った新サービスを開始していた。会員が自由に書き込めるWEBサイトを創って、そこに自由なことを書き込んでもらい、会員同士の交流を図ろうという、まあ誰でも考えつきそうな企画だった。なにぶん最初は、会員たちもなかなか書き込んでくれないだろう、ということでいわゆる「サクラ」として採用されたのが私であった。しかも、人気投票の結果、上位の人にはたとえサクラでも賞金が贈られると言うので当初は張り切って書き込んだ。
一日に一つの書き込みを予定していた。しかも当時一緒に仕事をしていた女性の分まで書き込んだので、私はこの仕事用に前もって計100ぐらいのコラムを書きためたのだった。
しかし、しかしである。会員の大多数は学生で、しかも日本や世界の将来を憂いたり、物事を深く考えたりするような優秀な学生ばかりじゃなかった。
私が書く、思考を強いるような文章を読んで、理解したり、ましてや共感してくれるような会員はごくまれだった。
しばらくするうちに、この会員用サイトは「情報交流の場」ならぬ「情報のゴミ捨て場」と化した。見た目盛り上がったのは良かったが、悪口雑言や内輪向けの話ばかりが横行して知性のかけらさえも感じられない。なんせシスオペも誰もコントロールする人がいないから、ただでさえアナーキーな空間を、まるで暴走族に占拠されたような状態だった。こうして私の出る幕はなくなった。
私は馬鹿馬鹿しくなって、このアルバイトを放棄し、せっかく書きためたコラムをインターネット上に公開しようと決意した。どうせ書くならもうちょっとまともな感受性と知性を持った人たちに向けて書きたい。広大なインターネットなら、共感を覚えてくれる人が少なくとも何人かはいるに違いない。
このようにして「愛に不審を感じたとき...」は生まれた。
この件で私は真剣に我が国の将来に大きな不安を覚えた。
「果たしてこんな奴らに日本をまかせておいて良いものだろうか?もしかして『ある程度の教養ある国民』という民主主義の大前提がいま崩れつつあるのではないだろうか?むしろ参政権を剥奪してしまうのが正しい道ではないか?」(この発言はちょっと危険か?)
「愛に不審を感じたとき...」はおかげさまで2000年3月で公開1周年となる。
教訓:コントロールされない情報は雑音に等しい。
だからこそNiftyのフォーラムには必ずシスオペがいるし、本には編集者が欠かせない。
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