携帯電話
2000.02.27 UP

電車の中で携帯電話を使ってはいけない、というのはどういうわけだろう。

隣じゃうるさい女性二人がゲタゲタとうるさくしゃべりまくっている。携帯電話がうるさいというのなら、おしゃべりだって十分うるさいじゃないか。
ところが、「電車の中で携帯電話を使うんじゃない!」と厳しくつめよって携帯電話を取り上げてしまうおじさんは見かけたことはあるけど「おしゃべりがうるさい!」と訴えるおじさんは見たことがない。

おしゃべりの場合、携帯電話と違って相手の声まで聞こえるから「2倍うるさい」ということにはならないだろうか?それでも携帯電話のほうがおしゃべりよりうるさい、と感じるのはどういうわけか?これは単に「音がうるさい」という物理な原因以外の、なにかしら心理的な原因があるに違いない。

「携帯電話で話している」という情報がインプットされると、実は大してうるさくもないのにもないにもかかわらず「うるさい」と錯覚してしまう。

例えてみればこういうことだ。
同じ灰色の二枚の紙を黒い背景と白い背景に置いた場合、目の錯覚で白い背景においた灰色の方が黒く見える。同じ灰色のはずなのに、単なる錯覚によって「お前は黒い!」と不当な非難を浴びることになる。
電車の中で携帯電話を使っていると、「うるさい!」と非難されるのはこれと同じ状況、ということだ。

もし、電車の中で、携帯電話を使って、なんと面と向かい合ってしゃべっている二人がいたとしたら...やっぱりまわりの人は「うるさい!」と感じるのだろうか?
あるいは「てぶらモード」みたいに話相手の声も周りの人にはっきり聞こえるようにしてあげたら、周りの人は「うるさい」と感じるのだろうか?

携帯電話を「うるさい」と感じる原因はむしろ「うるさい」と騒ぐ人の方にある。
「携帯電話だ」と思うからうるさいのであって、頭のおかしい奴が独り言を言っているんだと思えば大してうるさくもない。要は気持ちのもちようなのだ。

大したことがないことで騒ぐような心の狭い奴らに世の中の基準を合わせなければならない道理はない。

図書館やレストランの中でならともかく、もともと騒々しい電車の中で携帯を使うぐらい、なにが問題だというのだろう。小さい声で話すよう気遣う限り、問題はないはずだ。

そういうわけで、貴方がもし心の広い人なら、電車の中で携帯を使っている人を見てもにらみつけるのはやめよう。

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