囲まれる
2000.02.06UP
これは日本に関わらず、東洋の古くからの伝統なのだろう。
たとえば、時代劇を見ていると、戦闘シーンが始まったとたん、我らがヒーローはたちまち敵に囲まれてしまう。
英雄伝はそもそも狭い舞台で演じられたきたものなのだろうから、こういう絵にならざるを得なかったのだろう。また、バッタバッタと敵をなぎ倒していく様子はたまらなくかっこいい。演劇や時代劇の様式としてはこれでいい。
しかし、もし現実の喧嘩や戦争で大勢の敵に取り囲まれてしまったら、すでにどうみても挽回不可能で負けたも同然、あとはいさぎよく降参するだけ、という状況だ。
旧大日本帝国軍の軍人が無茶を言うことが多かったのは、もしかしたらこういう画一化されたショービジネスの悪い影響があったのではなかろうか、と思う。どうみてもあきらめた方がよい状況であっても勇猛果敢に突進すれば敵に大打撃を与えられる、と無邪気に空想していたのかもしない。
それはともかく、時代劇のクライマックスのように「味方は少数、敵は大人数」という圧倒的に不利な状況を挽回するとしたら、一体どのような戦い方をすればよいのだろう?
それはたぶんこうだ。
@まず、敵が自分を追ってこざるを得ないような状況を創る。たとえば大事なものを盗むとか、敵の一人を容赦なく殺して怒りを買う、など。
A囲まれる前に素早く逃げる。
B広い場所に向かってひたすら逃げる。
Cしばらく逃げ続けると追ってくる敵の隊列が崩れ、進行方向に向かって縦に長くなる。
D敵の隊列が延びきったところで先頭に突出してきた一人をやっつける。
E他の敵が追いついてきたら囲まれないうちにまた逃げる。
F再び敵の隊列が延びきったところでまた先頭に突出した一人をやっつける。
こうしてEとFを繰り返せば敵は大勢でも常に一人の敵と戦っていればよいことになり、それぞれの1対1の戦いに確実に勝てさえすれば、全滅させることができる。
問題は、常に敵を引き離せるほど早く走らなければならない、ということと走りながら戦いに勝ち続けなければならないので、相当な持久力を要求される、ということだ。
もちろん1対1であれば短い時間で確実に勝てるぐらい、十分に強くなければならない。
歴代のライターたちがどのように描いているかはしらないが、おそらく宮本武蔵だって大勢と戦うときは逃げ回ったことだろう。武蔵ほどの人が不利な状況で戦うとはとても思えないし、多人数を相手にする戦法として、これしか考えられないからだ。
複数の相手と喧嘩をするときにはひとまず逃げるのが賢い。そういう意味でも逃げる能力=より速く、長く走る能力=機動力って貴重なのだ。
追記:古いテレビ時代劇「木枯紋次郎」ではここに書いたのとほぼ同じ戦い方をしていた、と記憶している。見苦しい戦い方ではあったが、非常に現実味が感じられたのは確かだ。
??戻る