サービス精神
2000.02.27 UP
この季節になると電車中大学受験予備校の広告でいっぱいになる。
最近は小論文を受験科目に加える大学が多いらしく、特に代々木ゼミナールなどでは「小論文対策」を大きなアピールポイントにしているようだ。
「小論文って一体どんなものなんだろう」と、いまさらながら興味を覚え、図書館で小論文対策の本を借りてみた。で、分量的にも見ても、この「愛に不審」がまさに小論文のサイトであることをはじめて知った。
借りた小論文対策の本の模範文例を読んでみる。
さて、もし仮に、この小論文対策の参考書に掲載されている論文のうちいくつかを「愛に不審」に採用してよい、と言われたとして、採用できるものだろうか?
答えは「否」だ。ほとんどすべてが採用できない。
理由は一つ「つまらない」からだ。
「つまらない」と言い切ってしまうのもちょっと気の毒な面はある。小論文の場合、テーマを自由に選べないというハンデがある(「ナマコについて3000字以内で論ぜよ」なんて出題があるはずがない)うえに、求められたテーマ自体が必ずしも面白いものじゃない(例えば「私のセールスポイント」=面白いはずがないじゃないか!書き方にもよるけど)。
小論文のようなものはなによりも面白く、読む人を思わず引きつけるような内容でなければならない。ライバルをけ落とすには、強力なインパクトが必要だ。そう、読み手をいかに動かすか、すなわち「サービス精神」こそが小論文の極意なのである。
小論文のテキストを書いている人や講義をしている人はその辺のことが解っていないのではなかろうか?あるいは解っていても解らせる気がないのか?
大学受験などふるい落とすことが目的の試験では、恐ろしいことに減点法で評価されている可能性さえある。つまらないところで減点を食わないように...という事なかれ主義の意見が通用するのももっともだし、そういう指導が行われているであろうこともある程度予想がつく。
しかし!そんな消極的なやり方はつまらないじゃないか!
つまらないことを表現するくらいなら表現しない方がマシだとさえ思う。
というわけで「愛に不審」はまさに「サービス精神」の固まりだ。
その「サービス精神」のルーツとなっているストーリーをちょっと紹介しよう。
中学生の頃、なにか課題を出されると見てくれる先生の意表を突こうといろいろな工夫を凝らすようになった。特に、誰でも同じような内容になりがちな感想文については、ひねくれていようがなんであろうが、とにかく他人が書くのと同じ平凡な感想は絶対に書くまい、と心に固く決めていた。今でも私がもっとも嫌うのは「平凡な論旨」だ。
この決心の効果は期待以上のもので(確かに書くのは非常に苦労する)、私が感想文を書くたびに各先生から絶賛をあびる結果になった。ただでさえ同じ内容ばかり読んで嫌気がさしているところに、いきなり予想だにしなかった感想が飛び出してくるのだから、先生たちから見ればさぞかし新鮮に映ったことだろう。
思えば、私が中学生時代、いかに理解ある、心の広い教師たちに恵まれていたか、という証拠でもある。ちなみに、同じ試みをすでに小学生の高学年頃からやってはいたものの、頭が堅い担任の先生の理解を得られず、すべて不発に終わった。優れた目を持つ人の目にとまらなければ、価値ある作品なんてそもそも存在しないのだ。
感想文の例
(最期の授業) 先生が鉄の定規で生徒の頭をたたくのはひどいと思った。
(走れメロス) 最後のシーンはいかに表現がオーバーで読んでいて恥ずかしくなる。
(杜子春) 三度まで無駄遣いしてしまうとは杜子春てなんて馬鹿なんだろう。手に入れた大金を元手に事業を起こせばさらに増やせるのに。
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